2021年8月24日火曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

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九州日報
1930年5月14日~5月23日掲載



⑩ 「過去の影」(1)~(9)




【注意!】現在、連続企画としてテキストの異同を中心としたこの長篇の検証を行っていますが一部のネタバレは避け難く、「覆面の佳人」(=「女妖」)の核心部分を知りたくないという方は、本日の記事はなるべくお読みにならない事をお勧め致します。

 

 

【この章のストーリー・ダイジェスト】

 

▲ 「過去の影」(1)~(9

 

娘・花子の失踪に悩み、ひとり閉じ籠っている春日龍三の邸に千家篤麿が訪ねてきた。河内荘の村役場で謄本の一部を破り取ったのは、やはり彼の仕業。篤麿は花子の身の安全を約束する代わりに五十萬フランを要求。更に二の矢として、龍三氏が所有していたのにいつの間にか春巣街死美人殺しの兇器として使われていた例のナイフまでチラつかせてみせる。なぜ篤麿があのナイフを持っているのか?春巣街の死美人が龍三氏の先妻である事までも篤麿は知っていた。 



篤麿は龍三氏に捨て台詞を残し春日邸を去りかけた時、入れ違いで到着した馬車の中から綾小路浪子と木澤由良子が降りてくるところを目撃する。浪子は龍三氏の先妻の娘として改めて由良子を紹介。親の情愛を知らずに育った由良子は父からの温かい言葉を待っていたが、龍三氏は花子の立場を慮って曖昧な態度を取ってしまう。

 

 

昔、龍三氏は二十七歳の時に美しい篠崎龍子と熱に浮かされたような最初の結婚をした。ところが赤ん坊が生まれると夫婦の間に亀裂が入り始める。元々舞台が仕事の場だった龍子は家庭的で地味な暮らしが性に合わず、赤ん坊を連れて家を出て行った。氏は手を尽くして妻と娘の行方を捜したがどうにもできず、それから二年後・・・豪州より龍子が自動車事故で即死したとの知らせが届く。まだ若かった龍三氏は勤め先である貿易商の主人に見込まれており、龍子の死亡通知をきっかけに、主人の娘つまり花子の母と二度目の結婚をしたのだった。 

 

                       

 

以下は過去の影」の章にて、春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。

 

 

A   悠々として迫らない態度で  (春)  2831行目

   いういうとして迫らない態度で(九)

 

 

B   自分の勝手で身を隠している者の安全を(春)  28312行目

   自分の勝手で身をかくしてゐるものを (九)

 

 

C   ひと振りの短刀である。

   しかもあの春巣街の事件の折、  (春)  28410行目


   一口(口=ふり、とルビあり)の短刀である。

   しかも、あの春巣街の事件の折柄、(九)

   

 

D   しかし、しかし ―― おれは何も知らん (春)  2861行目

         然し、然し ―― 俺(おれ)は何も知らん(九)

       春陽文庫は龍三氏の〝俺〟を〝わし〟と読ませたいのなら、

   全て統一してもらわないと。

 

 

E   テーブルの水瓶を引き寄せぐっと飲み干した (春)  2871行目


   卓子(テーブル)の水瓶を引き寄せ、

   コップに一杯それに注ぐと、ぐつと飲み干した(九)


 

                     

 


F   こんな生易しいことで(春)  288 1行目

   こんな生優しいことで(九)

 

 

G   コツコツと舗道を鳴らして(春)  28817行目

         かつかつと舗道を鳴らせて(九)

         擬音語まで勝手に変えてしまう春陽文庫・・・。  

 


H   息を呑み込むと、

     慌てて傍らの街路樹の陰に身を隠し       (春)  2894行目


     息を飲み込むと、

       周章(あわ)てゝ傍らの街路樹のかげに身を隠すと(九)

 

 

I    またしても彼の仕事の邪魔をしようとする(春)   2904行目

         又しても彼の仕事の邪魔を仕様とする  (九)

       明らかに『九州日報』の間違い。

 

 

J    彼女らは表の階段を上り切ると(春)  2911行目

       彼等は表の階段を上りきると (九)

     これは浪子と由良子の事だから〝彼等〟ではおかしい。

       前章から引き続き『九州日報』の担当者はやる事なす事ボロボロで、

       このあと(4)の最終行でも同じ間違いをしでかしている。 


 

                     



K    浪子はなんでもないように     (春)  2938行目

      浪子は何(な)んでもない事のやうに(九)

   

 

L    そのある点までは知っているけれど     (春)  2939行目

    その或點(あるてん)までは知つてゐるけれど(九)

 

 

M   よろよろと二、三歩後ろへよろめいた        (春)  29511行目

         よろよろと二三歩後(あと、とルビあり)へよろめいた(九)

 

 

N   お母さまだと信じ切っていたんです。が、(春)  2978行目

       お母様だと信じきつてゐたんですが、  (九)

  

 

O     この無謀な恋愛を後悔したかしれない (春)  2992行目

         この無暴な戀愛を後悔したかも知れない(九)

 

 

                        

 


P   妻の不心得もさることながら(春)  30013行目

   妻の不心得はさる事ながら (九)    

   

 

Q   生まれて初めて(春)  3038行目

         産まれて初めて(九)

 

 

R     彼女はいろんな興奮のために         (春)  3039行目

       彼女は種(いろ、とルビあり)んな昂奮のために(九)

 

 

S   しかしそのくせ               (春)  30315行目

       一種甘いやうな懐かしいやうな、然し、そのくせ(九)

 

 

T   この名を呼んでいたのだった。(春)  3041行目

   この名を呼んでみた。    (九)  


                       


謎の解明に少しだけ進展があった。
春日龍三と対面した二名だが、千家篤麿に関しては当時新聞で毎日本作を読みながら、何かに感付いた読者もいたかも。彼への言及はもうしばらくの間お預かりということにしておいて、木澤由良子である。



春日花子と腹違いの姉妹にあたる由良子の素性はかなり明らかになってきた。
でも前章で河内荘の幽閉から助け出されたというのに、彼女を拉致したのは誰だったのか、明かされないのは不自然。何はなくとも綾小路浪子が問い質すべきなんだけど。舞踏会の場で白根辯造と春日龍三の会話を篤麿も由良子も聞いていた事になっているが、あの脅迫話は花子以外にもそんなに盗み聴きされるほど、あけすけに交わされていたっけ?



そして本作のローラ・パーマー的(?)存在である春巣街の死美人。
この人、作者が名前をコロコロ変えたがるものだから整理してみると、
こういう扱いをされてきた。


満璃子(安藤婆さんによる出まかせだった)

         ↓

白根星子(庄司三平によって通報された名前だが、まだ不明なところ多し)

         ↓

お鈴(前回の記事に書いたとおり、お利枝婆さんの言に偽りが無ければ本名の可能性大)

         ↓

篠崎龍子(本章に至って初めて龍三氏の口から語られた名前)


満璃子以外の一体どれが死美人の本当の名前なのか、いまだ決め手に欠ける。







(銀) 本作について触れている文献というのがなかなか無くて、とりあえず松村喜雄の『乱歩おじさん』第八章「代作問題について」を読み返してみた。松村は1992年の正月に帰らぬ人となり、その年の秋『乱歩おじさん』が刊行。氏は本作初の単行本である春陽文庫『覆面の佳人』を手に取る事はできなかった。



生前の松村は山前譲から新聞連載の複写を渡されて本作を読んだのだが、山前が提供したのは後発の『九州日報』だったから、松村はそれを初出だと誤認していた節がある。山前は北海道出身なので私はてっきり本作を地元の新聞『北海タイムス』で知ったものだとばかり思っていたら、そうじゃないみたいで。


                        


ちょうど好都合だし、これは是非書いておかねばならない。
江戸川乱歩推理文庫第65巻『乱歩年譜著作目録集成』の「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」、その昭和5年度における【小説】の欄に、

〇女妖(横溝正史と合作)(九州日報、二月一日より八月十四日)

という記述がある。「ナーンダ、乱歩自身ちゃんと認めてるじゃん!」と仰る方がいそうだが、実はこの部分、乱歩本人の記述ではない。「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」は元々『探偵小説四十年』の巻末に載っていたもので、乱歩生前にリリースされた元本、あるいは沖積社復刻版で昭和5年度の【小説】欄を見ると、本作の記述は存在していない。どういう事かといえば、江戸川乱歩推理文庫を出すにあたって、中島河太郎がせっせと頑張った追補のうちのひとつが上記の本作に関する箇所だったのだ。



プライベートな『貼雑年譜』(東京創元社版)でも本作の事は触れられていない。ひとつだけ目を引いたのは、乱歩のインタビュー記事の切り抜きの中に(どの新聞かは失念したようだが)「外國の探偵小説の翻案がしてみたい」という発言があって、昭和4年7月18日と日付が書き込んである。その意味するところは「実際本作に関わってもいなければ、こんな作品が新聞に掲載されている事実さえ知らされていなかった、だから乱歩はこんな言葉をもらしたのでは?」という風にも受け取れるのである。7月といったら「覆面の佳人」の『北海タイムス』連載は既に始まっていたのだから。

                        


れはともかく松村の本作への言及だ。中島河太郎は「稚拙」だと切り捨てていたが、松村は「捨て去るには惜しい作品」とフォローしつつ、こういう事を述べている。

「そうした乱歩に目を付けた『九州日報』から執筆依頼があったと推測される。せっかくの依頼だから、引き受けはしたものの、時間的に乱歩は書く余裕がなく、当時『新青年』の編集長でもあり作家でもあった横溝氏に相談したのではないだろうか。ただし、『九州日報』としては乱歩の名前が欲しいので、横溝氏との合作という体裁をとったのだと思われる。また、実際に執筆したのは横溝氏だとしても、横溝氏と乱歩は親しく行き来していたので、大体の構成やエピソードなども相談しあったとみるのが自然だろう。」



今、この松村発言を素直に受け入れるのは難しい。
乱歩の名を借りて代作がなされる時は、乱歩本人から代作者へ依頼があるか、又は代作者が乱歩に断りを入れるだろうし、友人・横溝正史に書いてもらった他の乱歩名義代作についてはどれも明確にしていながら、本作に限って見ざる聞かざる言わざるというのは、どうにも説明がつけられぬ。正史がもし、乱歩に内緒で勝手に名前を借りて新聞連載していたと仮定しても、北海道と福岡のファンから乱歩へ何がしかの報告なり感想の手紙が送られてくる筈でしょ。本作について乱歩が何も知らなかった、そんな事ってまずありえない気がする。




⑪へつづく。