♚ 時は大正。まだ只の一青年・平井太郎に過ぎなかった江戸川乱歩は同郷のよしみもあって、伊賀にその人ありと知られた政治家・川崎克より一方ならぬ温情を受ける。乱歩は終生その事を感謝し、川崎克を恩人と呼んで敬った。やがてそののち川崎克の息子・川崎秀二が政治家として克の後継者になる訳だが、乱歩を生み中相作を生んだ名張という〝まち〟は昭和29年の町村合併で名張市になったのもあってか、ずっと図書館の無い状況が続いていた。それでも乱歩が身罷った昭和40年代に入ると「やはり図書館は必要なのでは?」という市民の声が強まり、昭和44年に名張市立図書館が開設される。中相作はというと、まだ16歳の学生。
時をほぼ同じくして、ちょうど没後最初の江戸川乱歩全集が講談社にて企画される。社会派ミステリなどというクソつまらんものに靡いていた大衆もようやく目が覚めたのか、乱歩だけでなく戦前日本の探偵小説に回帰する気運が高まりつつあった。そんな中、第一次講談社版乱歩全集の月報(第一回配本分!)執筆者に指名された川崎秀二は、自分にも父・川崎克にもゆかりの深い乱歩をリスペクトし「郷土名張に江戸川乱歩文庫を作って顕彰しようではないか」と提言。そうなると名張市立図書館も知らぬ存ぜぬでいられる筈がなく、乱歩の旧い著書をせっせと古書で買い集め始める。
いま我々が名張の地にて乱歩へのささやかな愛情の発露を見つけたとしても、それは全て中相作がたったひとりコツコツコツコツ賽の河原に種蒔きし、それに共鳴したごくごく僅かな人達の手になるものであって、決して名張市や三重県がコミュニティ単位で成しえた産物だと誤解してはイケマセンヨ。
乱歩そして名張を愛し、義に厚い中氏が二十年以上乱歩関連の情報を無償提供するだけでなく、名張や三重の自治体に問題提起し続けているのはこういった背景があるからなのだ。
♚ 『伊賀一筆FM』に目を向けてみれば、名張や三重を中心とした地方自治、乱歩/ミステリ関連の話題だけでなく芸能から政治まで、この四年間の世相が秋田實直伝のしゃべくり漫才芸によって鮮やかにぶった斬られている(?)。こういう笑いのネタは第三者があれこれ説明してしまってはちっとも面白くないので是非本誌を読んで頂きたいが、中でも〝伊賀市がさっぽろ雪まつりに松尾芭蕉の雪像を設置してもらって、あわよくば伊賀が芭蕉の生誕地であることをPRしようとする案〟をおちょくるくだりで、脱線して昭和の歌謡曲ネタ連発、私なんかリアルタイム世代でも何でもない布施明「霧の摩周湖」のフレーズに、なぜだか大ウケしてしまった。
(銀) 「乱歩じまい」を宣言した中相作。本誌でも最終ページにて「いろいろお世話になりました。ただただお礼を申しあげます。 おしまい」と締め括っている。私からも「長いお勤め、ご苦労様でした」、ではなくて「長い間、多くの事を教えて頂いて本当に有難うございます。」と感謝の言葉を伝えたい。
そうは言うものの『名張人外境』はまだ完全にクローズされた訳ではない。例えば、本誌の中で話題に挙がっている『岩田準一日記』という未刊本がある。これ実は『子不語の夢』の版元・皓星社が00年代前半に出す予定だったそうなのだが、皓星社が放置プレイ状態にしたまま時間だけが過ぎてゆき、今はもう2024年でっせ。
私の大いなる勘違いかもしれないけれど、諸問題さえクリアできれば、岩田準一研究に携わっている森永香代(過去の記事でお名前を〝佳代〟と誤表記してしまい、深くお詫び申し上げます)及び小松史生子チームの援軍となって中氏が『岩田準一日記』の刊行に一枚噛んでくれるんじゃないかと秘かにニラんでいる。そしてその場合、新しい版元は藍峯舎へ移るのではないか?私は『岩田準一日記』を早く読みたい。出す気が無いのなら、絶対妨害すんなよ皓星社。