2021年6月13日日曜日

翻訳者・江戸川乱歩の謎

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(二)「黒い家」「赤き死の仮面」「魔の森の家」が
                 乱歩自身の訳である信憑性





前回の記事を踏まえて、問題になっている三篇が本当に江戸川乱歩自らの翻訳であるかどうか、鑑定(?)していきたい。


                   


   「黒い家」エラリー・クイーン

   「赤き死の仮面」エドガー・アラン・ポオ

   「魔の森の家」カーター・ディクスン

 

まず、生前の乱歩本人によるこれらの作品の扱いぶり。
(一)にて言及したとおり、自著に収録したのは ① だけである事と、
何故か ② は乱歩の作った自作目録から抜け落ちている事、
そういった観点から見れば、乱歩が意識していた順番は自然とこうなる。

①「黒い家」 > ③「魔の森の家」 > ②「赤き死の仮面」

 

 

次に実際読んでみて、訳文から感じ取れる乱歩らしさの順番でいうと、

②「赤き死の仮面」 > ①「黒い家」 > ③「魔の森の家」

戦前の絶頂期に見られた粘り付くような語り口を求めるなら、
訳する対象がポオとはいえ、ダントツで ② に乱歩らしさが濃い。
③ よりは ① のほうが発表時期が10年早いのもあるけれど、
「荒涼たる森林地帯の一つ家、ヴィクトリア調風の古い石造邸宅、名づけて黒い家という。」で始まる ① の語り出しには ② のテイストも少し感じられるし、〝オドオド〟や〝ニヤニヤ〟など 擬音語・擬態語が点在していて ③ よりは信用できそうなところが多い。
③にも「よござんすわ」なんて戦前の人らしい言い方は見られるのだが、決め手には欠ける。

 

                    


三番目は江戸川乱歩研究の最尖端・中相作の見解を参考にさせてもらった。

②「赤き死の仮面」 > ①「黒い家」 > ③「魔の森の家」

氏は訳文を吟味して ② に乱歩らしさを感じ取っただけでなく、
藍峯舎『赤き死の假面』に寄稿した解説にて、こう説明している。

>乱歩は自伝に〝「赤き死の仮面」を自から新訳してのせた〟と記しているが、
不要と見える「自から」という語句からは、
翻訳が乱歩の自発的意志にもとづくものであったことが窺える。
(〝 〟は見やすいように私=銀髪伯爵が「」から変換した)


プロは実に些細な部分までじっくり読み込んでおられる。そんなの全然記憶に無かったよ。前回の記事(一)で、『海外探偵小説作家と作品』の【クイーン】の項にて乱歩が ① について「私自身原作の半分ぐらいに抄訳し」と書いていることを覚えといて下さいと私が申したのは、この中相作による ② への指摘と併せて納得してもらいたかったからだ。あと ① の真贋について氏はどう考えておられるのか、質問できる機会があったら是非訊いてみたい。


         


一方、③ について『江戸川乱歩執筆年譜』の中で、このように中相作は述べている。

>翻訳作品は(中略)いうまでもなく大半は代訳で、
昭和三十一年七月の「魔の森の家」にも下訳があったことが知られている。

この下訳に関する出元の記載はされていないが、ポケミス『51番目の密室』(オリジナルは世界ミステリ全集第18巻『37の短篇』)に載っていた石川喬司、稲葉明雄、小鷹信光による座談会が情報源だと思われる。どっちも私は持っていなくて現物に当たれないから確かな判定を下せないが、どうやらその本にて ③ には下訳があったと明言されているところからこの説が発せられたのは間違いなさそうだ。「なるほど」と思う反面、そのとおりならば興醒めというかガッカリ。


                     

 

以上の検証を総合してみると、③ を100%純粋な乱歩本人の訳として扱うにはやや無理がある。翻訳された文章を読む限りでは ① より ② のほうが乱歩らしさが勝っている。然は然り乍ら、① に関しては『探偵小説四十年』の【昭和二十一年度】に引用されている当時の日記の四月十日と四月十六日の部分を読むと、他人の力が混じっていた気配を想像しにくい。創作もの「十字路」ほどではないにせよ一応「これは自分の訳ですよ」と自信を持っている節も見られなくもない。それに ① が発表されたのは戦争が終わって間もない昭和21年夏。この頃は気安く下訳を頼めるような取り巻きが、まだそれほど乱歩の周りにいないんじゃなかったっけ。

何度も言うけど、どうして乱歩は生前 ②「赤き死の仮面」を全集に入れなかったり、自作リストから漏らしていたのだろうか?桃源社版全集は翻訳オミット方針だからまあいい。春陽堂版全集へ収録する気があるなら、時期的に既に配本が終わっていたから ③ は無理でも② なら何の問題も無かったのに

 

 

考えられるとしたらふたつ。戦前に渡辺温・啓助兄弟に頼んだポオの代訳を戦後もそのまま江戸川乱歩(訳)として再発した『モルグ街の殺人 他九篇』が春陽堂探偵双書シリーズのラインナップに入っており、そこに渡辺温の訳した「赤き死の仮面」も含まれていた事が原因ではなかろうか?

もし春陽堂版乱歩全集終盤の巻に自分で訳した「赤き死の仮面」を収録してしまうと、乱歩名義の二種類の異訳が春陽堂から出される『モルグ街の殺人 他九篇』と乱歩全集とでバッティングし、同時期に書店に並ぶことによって読者に混乱を招くのを恐れたから。乱歩が ② を春陽堂版全集に収録しなかった理由はこれしか思いつかない。

もうひとつは「赤き死の仮面」の自分の訳が渡辺温に勝てるという自信をどうにも持てなくて、自分の訳には極力スポットライトが当たらないように細工したため。細かい乱歩が自作リストに自分の訳した「赤き死の仮面」をわざと記さなかった理由があるとすれば、これでしょ。


                    


戦後まったく創作意欲が湧いてこないのであれば、その間だけでも翻訳業に打ち込む選択肢とて乱歩にはあったのではないか。「幻の女(ファントム・レディ)」と「トレント最後の事件」は途中まで翻訳しており、後者など雄鶏社の推理小説叢書 9として刊行予定リストに上がっていた事までハッキリ解っているのだから。「トレント」を訳している途中で、日本がそれまでのように無断翻訳する事ができなくなったから止めてしまった、と乱歩は言っているが、それを無条件に信用していいものやら。

探偵小説界のキングとして君臨していくには実作(特に本格長篇)があったほうが理想ではあるにせよ、評論仕事は充実していたとはいえ、悲しいかな、いくつかの作を除けば創作は少年ものばかり。だったら戦後は翻訳者としてやっていった方が探偵文壇の中で格好が付いたような気もするけれど、翻訳仕事のメインに据えるのは大乱歩の意に沿わなかったか。もっとも、そうしようと思っても(同業作家含め)周りが許してくれなさそうなのもあるし、自分の売る本の主力が翻訳ものになったら、少年ものほどの莫大な収入を得るのは難しくなる。やっぱ無理?