2023年12月19日火曜日

『劇画アワー/ゴルゴ13』(1971)➋

NEW !

BS-TBS
2023年12月放送



★★★  映像化されたゴルゴの中では一番マシだったかも




前々回の記事➊(☜)からのつづき。今回発掘された1971年放送TBSスチールアニメ『劇画アワー/ゴルゴ13』も1218日のオンエアをもって一通り終了したので、もろもろの感想を述べてみたい。

 

 

  音 楽

原作の徹底したシリアスな内容からすると、この番組のオープニング・テーマは飄々としていてゴルゴらしくはないなあ。『ルパン三世』旧シリーズの初代オープニング・テーマ同様、具体的な歌詞を使わずスキャット・オンリー(vocalは女性)にしたのはいいんだけど、「♪ ゴルゴ13~パヤッパヤッ」っていうのはなんだか軽過ぎやしないか。

 

音楽を担当しているのは山下毅雄なので劇中にはいつもの口笛メロディが頻出、良くも悪くも70年代テイストたっぷり。しかし『ルパン』とか『ゴルゴ』とか、この種のアダルト・コンテンツをテレビでやるとなると「山下毅雄の他に音楽を頼める人材はいないのか?」ってツッコミたくなりますな。

 

 

  声 優

音楽だけでなく、肝心のゴルゴを演じる声優にしても、原作での隙の無いクールさを映像で再現させるのは実に難しい。このアニメ版でゴルゴの声を演じているのは新田昌玄。それなりの低音ボイスだから起用されたのだろうが、この人ビミョーに訛りがある・・・というと言い過ぎかもしれないけど、イントネーションに癖があってね。

 

世界じゅうの国の言語を美しく喋ることができるゴルゴに変なイントネーションがあってはいけない。ナレーションの城達也も、音楽の山下毅雄と同じく無難なキャスティングで、まあこんなもんかなって感じ。

 

 

 

 

 

  作 画 / 脚 本

ヴィジュアルについては前回の記事でも書いたように、スチールアニメだったからか、さいとうプロが描いた原作の絵に近い点はかなり好感が持てる。脚本家のクレジットが殆ど出てこなかったのは、原作の会話部分をわりとそのまま流用しているっぽいから?なんせ一回分の放送時間が実質十分程度、その上動画でもないので、尺が三十分ある普通のアニメ番組に比べれば、23時台のオンエアゆえミニマムな低予算で制作されていた筈。(裏番組は『11PM』か)


原作に近いこの絵柄そのまま、『ルパン三世』旧シリーズ初期レベルのクオリティで、もしも動画の形で制作していたなら、間違いなく日本のアニメ史上に残る作品になっただろう。そこはそれ、旧ルパンでさえ(初回放送時には)全然視聴率を取れなかったのだし、こちらもきっと大赤字になって、TBS社内と制作サイドは炎上を避けられまい。どんなに意欲があってもスポンサーから潤沢な予算を調達できなければ成立しないんだよね~、民放の番組は。

 

 

  エ ピ ソ ー ド

このアニメ版の全貌が判らない以上、今回幸運にも廃棄されずに残存していた回のみの感想しか語れないのを前提に言うなら、「檻の中の眠り」が観られたのは嬉しかった反面、もうちょっと出来の良いエピソードを映像で観たかった。「殺意の交差」なんて、舌打ちしたくなるほどつまらん話だからなあ。

 

最初期のGは口数が多いだけでなく、命を落としかねない隙があるため、つい苦笑してしまう。「白夜は愛のうめき」では一度寝た女がゴルゴのことを忘れられずにこっそり狙撃現場まで追ってきて、驚愕の表情を見せるゴルゴがカッコ悪い。「スタジアムに血を流して」に出てくるオリンピック級狙撃技術を持つデイブにしたって、簡単にゴルゴは背後を取られているではないか。

 

今回放送されなかった原作のエピソードだと第35話「激怒の大地」でも、送り込まれた暗殺屋・白紙のギルに後ろから銃口を向けられている。「スタジアムに血を流して」のデイブや白紙のギルはムダにゴルゴに声など掛けず黙って引き金を引いていれば、容易くゴルゴを倒せるチャンスがあったのだ。

 

 

  総 評

TBSでの初アニメ化が原作の人気に拍車をかけたのか、半世紀が過ぎた今となっては知るすべも無い。『ビッグコミック』連載が進むにつれGは無口になり、❛らしくない❜油断は見せなくなる。原作も第50話を過ぎると「モスクワ人形」(第63話)みたいな長篇が徐々に生み出されるだけでなく、同時に「ゴルゴ13」の売りの一つである(普通の人が知らないような)トリビアや専門知識の情報量が増加してゆく。

 

となると僅かな十分の尺では、1エピソードに数回分使ったところで、このまま番組を続けようとしても無理が出てきそう。スチールアニメ十分番組のフォーマットでは、原作第50話に到達する迄のエピソードしか捌ききれなくて当然なのかもしれない。生前のさいとう・たかをはゴルゴの映像化に対して褒める発言など一切しなかった。高倉健の実写版映画『ゴルゴ13』にもさいとうはストレートに不満を表してたもんね。

 

それでも映像化された『ゴルゴ13』の中では、1971年のこのアニメ版が一番マシだったと私は思う。どんな長寿作品でも、その作品が属する時代というのは確かにあって、『ゴルゴ13』が属するのはどうしたって、まだ世界が東西冷戦を引き摺っていた1970年代になるんじゃないかな。そう考えれば、自然に70年代の空気が感じられて、原作に近い絵柄で鑑賞することができるこのアニメが他の映像ゴルゴよりずっと楽しめるのは自明の理なのであった。

 

 

 

(銀) たしかさいとう・たかをは「映像化できないものを劇画で表現しているんだ」みたいな意味の発言をしていたとも記憶する。画期的な完全分業化システムで手間暇かけて連載し続けた劇画を、そうやすやすとアニメにしたり実写化できる訳がない。面白い小説やマンガだと、ついつい映像化されたものも見てみたいと思ってしまう気持ちはわかるけれど、やっぱり最終的には原作を読んで楽しむ以外に正解は無い。

 





2023年12月17日日曜日

『髑髏城』ディクスン・カー/宇野利泰(訳)

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創元推理文庫
1959年7月発売



★★★★   翻訳に省略箇所があっても、
               私は旧訳のほうがいい




本作の中に「アンタは才能が無いし、この稼業向いてないから辞めたほうがいい」という意味の発言をする或る登場人物がいまして。今のご時世、このような言葉を他人に投げつけるのは❛まごうことなきハラスメント❜だ!なんて事になるのでしょうが、実際そのとおりなのだから言われても仕方のない事例のほうが多いに違いないと私は思います。例えばこのBlogでしばしば話題に挙がる頭の悪くて本作りに対しても無責任な、ミステリ業界にしつこく寄生している一部の年寄りとか・・・。
 

 

ミステリ・マニアが「秘密の通路はお約束」などと言って肯定意見(?)を吐いているのをよく見かける。読者からするとたいした手掛かりもなく、大詰めになって探偵が喝破する秘密の通路の存在・・・みたいな真相を許容できるかどうかは場合によりけりなんだろうけど、たとえゴシック色の濃い本作であっても、私はそれなりの必然性を求めてしまう。

 

 

これまで記事にしてきたアンリ・バンコラン・シリーズ『絞首台の謎』『蠟人形館の殺人』『四つの凶器』に比べたら、挿絵が無くともストーリーの中の情景はイメージしやすいし、フランス人バンコランの旧いライバルにして今回の事件で推理を戦わせるベルリン警察主任警部フォン・アルンハイム男爵や(仏蘭西/独逸二国間対立の歴史を頭に浮かべて読むと、この二人の関係をより深く味わえる)、髑髏城の先住人・怪魔術師メイルジャアなど、キャラ立ちの良い顔ぶれが用意されており、そういった要素が小説を読む勢いを促進してくれる。

 

 

髑髏城とライン川の名状しがたいムードも、火だるまになって城壁から墜落するマイロン・アリソンの異様な光景も、悪夢のように終始読み手に突き付けられるけれど、二人の髑髏城・城主の秘密が論理的に解明されるので大きな不満は無い。惜しむらくは本日の記事に引用している宇野利泰の旧訳には省かれている箇所があることで、話のタネに該当部分を挙げておこう。比較対象に使うのは最新の和爾桃子訳。サンプルにしているのは第11章(「ビールと魔」宇野利泰訳「ビールと魔術」和爾桃子訳)の文章。

 

 

◆ 宇野利泰訳 本書171ページ


「男爵。良い天気で楽しいですな。ひとつ、歌ってさしあげたいのですが、いかがです。わたしはこれでも、若い時分から、すばらしい低音だとほめられておるんです」


「きみのきげんがよいのは、お天気のせいばかりじゃあるまい。昨夜の件は、わしだって知っておりますぞ」


「ミス・レインのことをおっしゃるのですか?」

 

 

◆ 和爾桃子訳 創元推理文庫2015年版『髑髏城』151ページ


「これでも若い頃には、男爵、すばらしいバスの美声だと言われたものですよ。ですから、こんな朝には私の歌でもいかがですかな。そう、思い出しますよ。ニューヨーク殺人課のフリン、オショーネシー、ムグーガンといったいずれ劣らぬ強面のめんめんと五番街へ繰り出し、ライリー主任警視の蒸気オルガンで一同そろって『ミンストレル楽団 英国王を歌う』を合唱した時のことを。警察が浮かれ騒ぐ時はね、男爵、市民の身の安全など、あってなきが如しですよ


「そういえば」フォン・アルンハイムが評した。「昨夜は警察が浮かれ騒いでおったね」


「ミス・レイニー相手に演出したささやかな芝居をさして、そうおっしゃる?」

 


これ以外にも旧訳と新訳の異同はありそう。上記における和爾訳での白文字部分を宇野利泰が訳さなかったのは何故か?この比較だけだと新訳のほうが漏れなく処理しているように見えるが、和爾桃子の訳する日本語がどうにも読めたものではないのは、これまで度々指摘したとおりだ。それゆえこの記事には旧ヴァージョンの宇野利泰訳を使わせてもらった。訳者のみの問題で★の数を大きく減らしてたらバンコランとジェフ・マールがかわいそうでさ。

 

 

 

 

(銀) 旧訳『髑髏城』の翻訳テキストに省略されている箇所がある事は『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』の「ジョン・ディクスン・カー書誌」3ページに記載してある。それならそれで省略せずに訳したのなら創元推理文庫新訳版は解説にでも、旧訳で省かれてしまった箇所を全てリストアップして見せるぐらいのサービスがあってもよかったのに。




■ アンリ・バンコラン事件簿 関連記事 ■

















2023年12月14日木曜日

『劇画アワー/ゴルゴ13』(1971)➊

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BS-TBS
2023年12月放送



■ 正確な全オンエア・データが知りたい




原作の連載スタート以来、TBSによって初めてアニメ化というか映像化された「ゴルゴ13」のロスト・テープが約半世紀ぶりに発掘された。アニメと言っても正確には動画じゃなく、アフレコで音声を入れてはいるが、一場面一場面ごとの静止画を連続して見せるスチールアニメである。あの時代の映像コンテンツを日本のテレビ局がからきし保存できていないのはいつものことだけども、動画じゃないぶん映像の絵柄が(当時のさいとうプロが描いた)原作の絵柄に非常に近いのがポイント高いし、これなら私も絶対観たい。今月1211日から18日まで、BS-TBS深夜3時台にて現在放送中。(TVerでも視聴可)

 

 

今回再放送されるエピソードは以下の22回分のみ。このあと数ある不明な点を考察してゆくが、五十年前にTBSが放送したこの『劇画アワー/ゴルゴ13』のエピソードがこれで全部だとは考えにくい。では下段に記載するオンエア内容一覧を見て頂きたいが、括弧内は原作だと連載第何話にあたるのかを示したもので、当時のオンエアの順番ではない。この記事をupした時点ではまだ「ゴルゴ in 砂嵐」までしか放送されていない。


 
 

1211日(月)AM3:004:00

「白夜は愛のうめき」Part1Part2(第6話)

「狙撃のGTPart1Part2(第12話)

 

1212日(火)AM3:004:00

「猟官バニングス」Part1Part2(第14話)

「ブービートラップ」Part1Part2(第7話)

 

1213日(水)AM3:004:00

「檻の中の眠り」Part1Part2(第5話)

「ゴルゴ in 砂嵐」Part1Part2(第10話)

 

1214日(木)AM3:004:00 放送予定

「シェルブール0300Part1Part2(第27話)

WHO?Part1Part2(第15話)

 

1215日(金)AM3:304:00 放送予定

WHO?Part3(第15話)

「スタジアムに血を流して」Part1(第17話)

 

1216日(土)AM3:304:00 放送予定

「スタジアムに血を流して」Part2Part3(第17話)

 

1218日(月)AM3:003:30 放送予定

「殺意の交差」Part1Part2(第16話)

 

 

一回につき約十分の短い尺。Wikipediaを見る19714月から7月にかけて平日(月~金)23時台にTBSで放送されていたそうだが、『THEゴルゴ学』をはじめ私の所有しているゴルゴ本を見ても、このアニメに関する詳細なオンエア・データは載っていないので分からない事だらけ。最低でも実質三ヶ月は放送されたとして【月~金5回】×【月四週】×【三ヶ月】、かなり少なく見積もっても60回ぐらいは放送された?

 

 

 

 

公式研究本『THEゴルゴ学』によれば、原作「ゴルゴ13」が『ビッグコミック』にてスタートしたのは1969年初頭(wikipediaでは196811月になっている)、このアニメのオンエアが始まった19714月に発表されている原作エピソードというと第41話「そして死が残った」あたり。原作第1話~第50話までを仮に〈ゴルゴ初期〉と呼ぶならば、TBSはかなり早い段階から劇画「ゴルゴ13」に目を付けTVアニメ化したと言えよう。

 

 

いま再放送されている映像を観ても、第◯回なのかを表示するナンバリングは無いし、上記一覧の放送順が当時の放送順なのか疑わしい。原作の発表順を無視してアニメ化を進めた可能性も無くはないが、原作では例えば第10話「ゴルゴ in 砂嵐」/第19話「ベイルートVIA」/第20話「最後の間諜虫(インセクト)」にて言及される❛虫(インセクト)❜のように、初出時には登場する時期が離れていても、話が連続していて再び登場するキャラクターがいたりするので、混乱しないよう本当はこのアニメも第1話「ビッグ・セイフ作戦」からほぼ原作どおりに制作されていたのではあるまいか。ただそうなると、何故BS-TBSが上記の順番で再放送しているのか理由が皆目掴めないのだけども。

 

 

今回発掘された映像の内訳からして、(原作でいうところの)最も連載が先に進んでいるエピソードは第27話「シェルブール0300」。そして通常は1エピソードにつき二回分を使っての放送ながら、「WHO?」と「スタジアムに血を流して」は原作でそれほど長い話でもないのに三回分を使っている。上段のケースとは逆に、19714月の月初から7月の月末までフルに日数を使って放送したと考えてみると、約80回はオンエアした換算になるが、いったい原作第何話まで進んだところでこのアニメは終了したのか私は知りたい。ていうか、もうこれだけしか残存してないのだろうか?他の回もどこかに眠っていないかな。

 

 

さっき原作第50話までを〈ゴルゴ初期〉と呼んでみた。個人的に第50話までのエピソードで是非アニメ版でも観てみたいのは、初めてGの右手が震える謎の症状が起こる第34話「喪服の似合うとき」と、原作全話の中でも傑作として上位にランキングされる第37話「AT PIN-HOLE!」か。ルーツ編第一作「日本人・東研作」も観てみたいけれどこれは第59話だし、このアニメ版に取り上げられたかどうかは微妙。

 

 

 

 

(銀) 『劇画アワー/ゴルゴ13』の話は本日限りのつもりだったが、語り尽くせていない話題が残っているし、番組もあと四日分まだ観ていないので、近日中に続きをupする予定。
 

 
原作にて深みのあるエピソードが増えてくるのは、実は第50話以降。最初の頃のゴルゴはやけによく喋ったり、些細な事で驚きの表情を見せたり、まだまだキャラクターが固まっていない。「檻の中の眠り」は脱獄ものの嚆矢、「白夜は愛のうめき」はGに特別な感情を抱いた女が狙撃現場を目撃して結果Gに殺されてしまうパターンの嚆矢になり、のちに何度も繰り返されるフォーマットの根幹を改めてこのアニメで再確認することができる。 



(☜)につづく。
 

 

 

 

   ゴルゴ13 関連記事 ■ 

 

『ゴルゴ13/㉗芹沢家殺人事件』さいとう・たかを

★★★★★

「すべて人民のもの」あたりまでのダイナミックな質感のゴルゴが好きだった (☜)






2023年12月11日月曜日

『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』モーリーン・ウィテカー/高尾菜つこ(訳)

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原書房
2023年11月発売




★★★★  著者がシリーズに好意的すぎるきらいは若干あるが
                それでも内容は読むに値する




 発売前のinfomationを見て購買欲をそそられるも、グラナダTVシリーズ全話あらすじ紹介にジェレミー・ブレットの情報を少々加えただけ、みたいな〈ありがち〉かつ〈陳腐な内容〉だったら私には不要。現物を書店で手に取り「これなら読んでみてもいいかな」と確認した上で本書を購入した。

 

 

■ この評伝は当初Jeremy Brett : Playing a Part として発表した書籍のうち、グラナダTVシリーズに関する章だけを抜粋・再編集の上、別途刊行されたJeremy Brett is Sherlock Holmesを翻訳した日本語版だ。近親者から提供されたプライベートなジェレミーphotoと、ドラマの中で名探偵ホームズに成り切っているジェレミーのスチール写真、良い塩梅でセレクトされたそれらのヴィジュアルが在りし日の名優の歴史を彩ってくれる。本書の副読がてら、私が1989年にロンドンでジェレミー・ブレットの舞台『The Secret of Sherlock Holmes』を鑑賞した記事(☜)もリンクを張っておこう。

 

 

素のジェレミーは意外にガッシリした体格なので、ホームズを演じるにあたり鋭さを表現できるよう体を絞り、入念に髪の毛をオールバックに撫で付けるだけでなく、眉を整え青白い顔色にメイクして演技に臨んでいたという。なによりドイルの原作を常に現場に持ち込み、ドラマが原作から逸脱しないよう誰よりも気を配った彼のattitudeは実に立派。

 

 

いつもこのBlogで言っているけれど、小説を映像化する時TVであれ映画であれ、小説家の作品を使わせてもらっている立場なのに、なんで映像屋は原作どおりに作ろうとせず余計な改変ばかりやりたがるのかねぇ?「一字一句たりと原作を変えるな!」とまでは言わないが、原作を忠実に再現するコンセプトでスタートしたドラマに対し監督や脚本家らが要らぬ演出をやりたがるので、ジェレミーはドイルの正典をスポイルしてしまわぬよう心を砕かねばならなかった。彼の立場からすれば、それもストレスだったに違いない。




 

 

■ 過去の映像作品と異なり、ホームズと対等な友人であるべくワトソンの存在意義に注意を払っているのは好ましい。それだけに第3シリーズ以降、ワトソン役の俳優が変わってしまったのが惜しまれる。エドワード・ハードウィックだとワトソンにしては若干老けているっぽく私の眼には映るので、初期ワトソンを演じたデビッド・バークは降板しないでほしかったな。

 

 

■ ジェレミー・ブレットはシリーズ途中で体調を崩したような印象があるけれど、実は若い頃にかかったリウマチ熱の後遺症による心臓への負担、そして精神的疾患である双極性障害、この二つの爆弾を最初から抱えている。当シリーズは莫大な予算をかけたドラマゆえ、主役の背負うプレッシャーも尋常ではないのと、最愛の妻ジョーンが1985年に癌で病死した影響もあり、第3シリーズ以降、ジェレミーのコンディションが精神的にも肉体的にも少しづつ悪化してゆくのは避けられなかった。

 

 

シリーズの後半、原作に忠実というコンセプトを破綻させてまで体調の優れぬジェレミーにホームズを演じさせる愚行は、もう笑顔ひとつ作れないほど病に体を蝕まれている晩年の渥美清を無理矢理カメラの前に立たせ続けた1989年以降の「男はつらいよ」とダブるところが多くて、やりきれない。 

そもそもジェレミーの体調とは関係なく、ホームズの兄マイクロフトを演じたチャールズ・グレイは〝もみあげ〟が長すぎてシドニー・パジェットの描くマイクロフトにちっとも似ていなかったし、原作でレストレード警部が顔を見せるべきエピソードなのに、彼が出てこないこともあったり、ジェレミー・ブレット・ホームズの輝きの陰で、さしものグラナダTVシリーズも百点満点を献上できぬ欠点は多々あったのだ。

 

 

著者モーリーン・ウィテカーはジェレミー・ブレットに心を寄せ過ぎて、(シリーズの問題点に触れていない訳では決してないけれど)あと少しだけ沈着冷静なマインドで批評してほしかったと思う。本書にはジェレミーをはじめ出演者/スタッフらの発言と共に、当時の各メディアが書き立てた絶賛の声も多数紹介されているが、英米Amazonレビュー欄の投稿文まで引用するのはさすがにやりすぎ。それと、巻末にグラナダTVシリーズの制作/放送データは載せたほうが若い新規のファンは有難かっただろう。

 

 

 

(銀) 小説の映像化に関連する話題だと、私の場合どうしても厳しめの感想にならざるをえないとはいえ、この本を最後まで楽しんで読めたのは間違いない。それにしても原作にて長篇でもない作品を二時間スペシャルにしたりとか、いくらマンネリを防ぐためとはいえ、本気でそんな無茶を視聴者が喜ぶとでも制作サイドは考えていたのか、私には理解しがたいことばかり。





2023年12月8日金曜日

『孔雀屋敷』イーデン・フィルポッツ/武藤崇恵(訳)

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創元推理文庫
2023年11月発売



★★★    王道ミステリをあまり期待する勿れ




フィルポッツの作品はそのすべてがミステリの王道を歩んでいる訳でもないし、普通小説ながらミステリ的な要素を含んでいる、みたいなものがミステリとして扱われていたりもする。本書も「フィルポッツ傑作短篇集」と謳ってはいるが〝推理〟を求めすぎると大きく失望させられることになる。

 

 

まず「孔雀屋敷」。ヒロインのジェーン・キャンベルは亡父から〝千里眼〟的な能力を受け継いでおり、過去に起きた悲劇の現場を(夢の中ではなく)実際その目で偶然見てしまう。主人公がタイムスリップして昔発生した事件の謎を解く趣向のミステリも世の中には存在するが、ワタシはそのような(時空間を行き来する)作品はミステリとしては好みじゃない。本作はヒロインが一時的に過去の惨劇の幻影を見るだけなんだけど、それでもこんな非現実性はちょっと・・・・ね。

 

 

つづく「ステパン・トロフィミッチ」、これは力作だと思う。フィルポッツは人物描写や風景描写に長けていると評価される作家だが、ここでも貧しいロシア人の悲惨さがガッツリ書けておりページをめくるたび引き込まれてゆく。ただ内容的には戦前の日本でいうところのプロレタリア小説に近くもあり、ミステリとしての興味は終盤に出てくる兇器のみ。

 

 

「初めての殺人事件」は何も印象に残らなかったのでスルー。それにしてもここに収められた六短篇のうち、半分はタイトルに魅力が無いなあ。もう少しメリハリのある作品名、思いつかなかった?




 

 

本書の中では最もミステリ色がハッキリ出ていて、「三人の死体」は◎。海を越えてロンドンへ犯罪捜査依頼が届き、語り手がバルバドス島へ向かうものの、結果を出せず撃沈。彼の提出した報告を基に、上司である私立探偵事務所長マイケル・デュヴィーンが最終的に推理を組み立てるプロットは、フィルポッツ代表作「赤毛のレドメイン家」そのままではないが、探偵役二段構えの妙を楽しめる。

 

 

「鉄のパイナップル」の主人公は些細な事に対する強迫観念が度を越しており、その病的なキャラは現代人とも通ずるところが多く、人物造形はよろしい。しかしミステリとして読むのなら、この終わり方は消化不良。

 

 

腹違いの兄弟ジョシュアが悪の道に墜ち、運命の巡り合わせでジョシュアに憎まれてしまうジョン・ロット。ジョシュアの影におびえるジョンのサスペンスを描いた「フライング・スコッツマン号での冒険」も途中までストーリーの流れは悪くないのに、結末がイマイチなのが残念。それにこの作品、タイトルが内容にフィットしてないのもよくない。

 

 

いたずらに読み易さばかり強調するからか、それとも作品の時代性や適切な日本語を理解していないからなのか、味の無い文章に翻訳してしまう輩が多い昨今、武藤崇恵の文章は「他の訳も読んでみたいな」と思わせてくれるものだった。

 

 

 

(銀) 武藤崇恵の訳文とは対照的に、創元推理文庫のフィルポッツ本のカバーを担当している松本圭以子のイラストは、ミステリに添える絵にしては雰囲気が柔らかすぎる。彼女のイラストはもっとメルヘンチックな小説のほうが向いてるのでは?






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2023年12月3日日曜日

『怪談部屋』山田風太郎

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妙義出版 スマイル・ブックス
1956年1月発売



★★★★   表紙絵のせむし男は「蠟人」の安次郎か




本書「はしがき」にて、怪談を執筆するにあたっての自論を山田風太郎は述べており、そこには二つの要点が含まれている。ひとつめは、【怪談とは徹底して荒唐無稽なものでなくてはならないし、泉鏡花ほどの天才的文章力がなければ書き手の自己満足に終わってしまい、読者からは単に馬鹿馬鹿しいと思われるだけ】という事。

 

 

ふたつめは、【宗教も一種の怪談だと考えていて、大昔のキリスト/釈迦/孔子に匹敵する影響力を持つ宗教家が爾来出現しないのは、キリストらのあとの時代にだって彼らクラスの傑物は実際生まれているのかもしれないけれど、世界はもう後出の傑物には心動かされなくなったのではないか】という事。

 

 

頷ける話である。風太郎の言う宗教を例えば商業音楽に、キリストや釈迦をビートルズやボブ・ディランに置き換えることもできよう。科学の世界とは違って、こういった分野は後追いの立場になればなるほど大衆からは只の✕番煎じにしか見られず、リスペクトされるのは難しくなってゆく。では数ある先達の怪談に劣らぬよう、風太郎はどのように足掻いてみたのか?

 

 

「蠟人」「黒檜姉妹」「畸形国」「双頭の人」「笑う道化師」「手相」「雪女」

 

 

久世光彦の小説「一九三四年冬―乱歩」には、久世が江戸川乱歩になりきったつもりで書いた「梔子姫」という作中作があり、私はそれをちっとも乱歩っぽいと感じたことはないが、風太郎の「蠟人」を読むと梔子姫のグニャグニャ・ボディがかすかに頭をよぎる。「黒檜姉妹」は使っている題材がアレ(必要無いと思うが一応伏せておく)だから、乱歩のエピゴーネンだと軽視する人もいるかもしれないけれど、のちに横溝正史も「悪霊島」にアレを取り入れてるし、それぞれの作家のアレの活かし方を味読すればいいんじゃないスかね。

 

 

上段にて、その道を築いたパイオニアに続く者はなかなか厳しいと書いたが、日本の探偵小説でいうと本格は戦後まだ〝のびしろ〟がだいぶ残っていたのに対し、変格は開拓する余地が相当少なくなってしまったのか、どぎつさ/あくどさでコーティングしてしまう傾向も見られた。

 

 

風太郎はエンターテイメントに還元できる筆力があったからエログロ作家と揶揄される事こそ無くて幸いなれど、(本書には入っていない作品だが)「うんこ殺人」なんていうイロモノ表現はtoo muchだしダサく感じる。本書収録短篇はどれも面白く読めるとはいえ、なんというか戦前作家だったら決して書かないようなキタナイ描写も見られるし、そこいらがこの作家を心酔できない理由のひとつ。

 

 

 

(銀) 私が山田風太郎をそこまで心酔できぬその他の理由は、下段の関連記事にてさんざん書いている。「畸形国」における❛美❜と❛醜❜の逆転は面白い。面白いが〝グロくて醜いものを描くことで山田風太郎はより鮮明に人間の魂の「気高さ」「崇高さ」を際立たせる〟などと風太郎信者が言おうとも、それって風太郎作品に出てくるフリークスを ❛おのれの慰め❜ として崇めているとしか思えない。乱歩小説のあくどさは自然に受け入れられるけれど、風太郎のそれは時として ❛汚物❜ という形容をしたくなるほど悪趣味だったりもする。




■ 山田風太郎 関連記事 ■


























2023年12月1日金曜日

『夢の扉-マルセル・シュオッブ名作名訳集』マルセル・シュオッブ

NEW !

国書刊行会
2023年11月発売



★★★★   また買っちゃった




八年前の全集が予想以上に評判になったものだから、国書刊行会もマルセル・シュオッブで二匹目のドジョウを狙ってきたか・・・とお思いの方、遡ること四十年前の1984年にも国書は『フランス世紀末文学叢書 2 黄金仮面の王』を刊行しているので、何はともあれ昔からシュオッブとの繋がりはあったのですヨ。

 

 

今回の新刊『夢の扉』はシュオッブ作品日本語旧訳の中から制作サイドが優れていると見做したものをセレクトしていて、マルセル・シュオッブ・ベスト・セレクションみたいな意味合いとはちょっと違うと思う。仮にもし、好きなシュオッブ作品を選べと私が云われたなら、本書冒頭に採られている『架空の伝記』収録作からはあまりピックアップしないだろう。ま、あくまで個人の好みの問題ですがね。

 

 

渡辺一夫(訳)

「絵師パオロ・ウッチェロ」「犬儒哲人クラテース」「神となつたエンペドクレス」

「小説家ペトロニウス」「土占師スフラア」

 

矢野目源一(訳)

「大地炎上」「モッフレエヌの魔宴」「卵物語」「尊者」

 

鈴木信太郎(訳)

081号列車」

 

松室三郎(訳)

「黄金仮面の王」

 

青柳瑞穂(訳)

「骸骨」

 

日影丈吉(訳)

「木乃伊つくる女」「ミレーの女達」「睡れる市」


種村季弘(訳)

「吸血鳥」

 

上田敏(訳)

「浮浪学生の話」「癩病やみの話」「法王の祈禱」

 

堀口大學(訳)

「遊行僧の話」

 

山内義雄(訳)

「三人の子供の話」

 

日夏耿之介(訳)

「三人童子の話」

 

澁澤龍彦(訳)

「エンペドクレス(抄)」「パオロ・ウッチェロ(抄)」

 

 

「解題」執筆者は礒崎純一だから、旧訳の選択を行ったのもきっと彼だと推測する。本書はあの『マルセル・シュオッブ全集』の大ボリュームとそれなりのお値段に恐れをなした市井の人でも買いやすいよう配慮された単行本のように一見みえるが、旧訳を物した顔ぶれへのこだわりが最優先されており、まっさらのシュオッブ・ビギナー(私もほぼそっち側の人間だ)に優しい内容・・・というより、長年シュオッブを欲してきた人にこそ真価が味わえそうな企画だな、と感じた。(美しい挿絵が数点入っているところなどはビギナーにも嬉しいセールス・ポイント)

 

 

渡辺一夫の訳で「神となつたエンペドクレス」「絵師パオロ・ウッチェロ」を収めているのだから、澁澤龍彦に思い入れの無い私などは「わざわざ抄訳を採用してまで同一作品を二度収録するぐらいだったら、別の作品が読みたいな」と思ってしまうけれども、幻想文学界における澁澤信仰ときたらそれはそれは鼻白むほど強力だし、シュオッブを叩き台にしてそれぞれの訳者の技を楽しんでもらう事こそを第一義にしたのであろう。(「三人の子供の話」と「三人童子の話」も元は同じ作品。)

 

 

左川ちかが岩波文庫に入るこのご時世だ。マルセル・シュオッブもそのうち文庫になったりするかな。もっとも私がそれを買うかどうかは〝誰がの本をプロデュースしているか〟次第だが。

 

 

 

(銀) 『夢の扉』刊行に乗じ、品切れになっていた『マルセル・シュオッブ全集』も今月増刷された。「年末のボーナス・シーズンを当て込んでシュオッブを売りまくれ!」ってな勢いで、算盤を弾いている国書刊行会の腹積もりが覿面伝わってきますな。




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