前々回の記事➊(☜)からのつづき。今回発掘された1971年放送TBSスチールアニメ『劇画アワー/ゴルゴ13』も12月18日のオンエアをもって一通り終了したので、もろもろの感想を述べてみたい。
♕ 音 楽
原作の徹底したシリアスな内容からすると、この番組のオープニング・テーマは飄々としていてゴルゴらしくはないなあ。『ルパン三世』旧シリーズの初代オープニング・テーマ同様、具体的な歌詞を使わずスキャット・オンリー(vocalは女性)にしたのはいいんだけど、「♪ ゴルゴ13~パヤッパヤッ」っていうのはなんだか軽過ぎやしないか。
音楽を担当しているのは山下毅雄なので劇中にはいつもの口笛メロディが頻出、良くも悪くも70年代テイストたっぷり。しかし『ルパン』とか『ゴルゴ』とか、この種のアダルト・コンテンツをテレビでやるとなると「山下毅雄の他に音楽を頼める人材はいないのか?」ってツッコミたくなりますな。
♕ 声 優
音楽だけでなく、肝心のゴルゴを演じる声優にしても、原作での隙の無いクールさを映像で再現させるのは実に難しい。このアニメ版でゴルゴの声を演じているのは新田昌玄。それなりの低音ボイスだから起用されたのだろうが、この人ビミョーに訛りがある・・・というと言い過ぎかもしれないけど、イントネーションに癖があってね。
世界じゅうの国の言語を美しく喋ることができるゴルゴに変なイントネーションがあってはいけない。ナレーションの城達也も、音楽の山下毅雄と同じく無難なキャスティングで、まあこんなもんかなって感じ。
♕ 作 画 / 脚 本
♕ エ ピ ソ ー ド
このアニメ版の全貌が判らない以上、今回幸運にも廃棄されずに残存していた回のみの感想しか語れないのを前提に言うなら、「檻の中の眠り」が観られたのは嬉しかった反面、もうちょっと出来の良いエピソードを映像で観たかった。「殺意の交差」なんて、舌打ちしたくなるほどつまらん話だからなあ。
最初期のGは口数が多いだけでなく、命を落としかねない隙があるため、つい苦笑してしまう。「白夜は愛のうめき」では一度寝た女がゴルゴのことを忘れられずにこっそり狙撃現場まで追ってきて、驚愕の表情を見せるゴルゴがカッコ悪い。「スタジアムに血を流して」に出てくるオリンピック級狙撃技術を持つデイブにしたって、簡単にゴルゴは背後を取られているではないか。
今回放送されなかった原作のエピソードだと第35話「激怒の大地」でも、送り込まれた暗殺屋・白紙のギルに後ろから銃口を向けられている。「スタジアムに血を流して」のデイブや白紙のギルはムダにゴルゴに声など掛けず黙って引き金を引いていれば、容易くゴルゴを倒せるチャンスがあったのだ。
♕ 総 評
TBSでの初アニメ化が原作の人気に拍車をかけたのか、半世紀が過ぎた今となっては知るすべも無い。『ビッグコミック』連載が進むにつれGは無口になり、❛らしくない❜油断は見せなくなる。原作も第50話を過ぎると「モスクワ人形」(第63話)みたいな長篇が徐々に生み出されるだけでなく、同時に「ゴルゴ13」の売りの一つである(普通の人が知らないような)トリビアや専門知識の情報量が増加してゆく。
となると僅かな十分の尺では、1エピソードに数回分使ったところで、このまま番組を続けようとしても無理が出てきそう。スチールアニメ十分番組のフォーマットでは、原作第50話に到達する迄のエピソードしか捌ききれなくて当然なのかもしれない。生前のさいとう・たかをはゴルゴの映像化に対して褒める発言など一切しなかった。高倉健の実写版映画『ゴルゴ13』にもさいとうはストレートに不満を表してたもんね。
それでも映像化された『ゴルゴ13』の中では、1971年のこのアニメ版が一番マシだったと私は思う。どんな長寿作品でも、その作品が属する時代というのは確かにあって、『ゴルゴ13』が属するのはどうしたって、まだ世界が東西冷戦を引き摺っていた1970年代になるんじゃないかな。そう考えれば、自然に70年代の空気が感じられて、原作に近い絵柄で鑑賞することができるこのアニメが他の映像ゴルゴよりずっと楽しめるのは自明の理なのであった。
(銀) たしかさいとう・たかをは「映像化できないものを劇画で表現しているんだ」みたいな意味の発言をしていたとも記憶する。画期的な完全分業化システムで手間暇かけて連載し続けた劇画を、そうやすやすとアニメにしたり実写化できる訳がない。面白い小説やマンガだと、ついつい映像化されたものも見てみたいと思ってしまう気持ちはわかるけれど、やっぱり最終的には原作を読んで楽しむ以外に正解は無い。