探偵作家としてデビューして二年、自作に対する書評が日記中へ保存されるようになる。前巻の『闇市』同様、この時期も海外ミステリをポオからディクスン・カーまで、あるいは岡本綺堂/谷崎潤一郎/三島由紀夫/ドストエフスキー/モーパッサン/オーウェルそして日本の探偵小説と、〝頷ける〟ものから〝意外〟なものまで多岐に渡った読書歴がわかる。つまらなかったものに対して「駄作」と斬って捨てているのも私的な日記ならでは。同時に生み出されてゆく風太郎の作品にどうフィードバックされたのか、いろいろ妄想してみるのも一興。この頃の創作がいつ着手されたのか、作品研究のよすがになる。
昭和25年には「抜打座談会事件」に端を発する本格派と文学派の論争が起こるのだが、5月3日・23日の記述でこの件に関し自分の考えをあっさり片付けている。江戸川乱歩・横溝正史といった先輩達や高木彬光・大坪砂男ら同期作家との交流も興味深く、夫との不和で揺れていた宮野村子が酩酊して「抱いてほしい」と風太郎にカラむ一件がなんとも・・・・それまで良い作家仲間だったのに、この後宮野は疎遠にされてしまったのかな。こんな形で恥ずかしい事を世に出されてちょいと彼女が可哀そう。のちに風太郎夫人となる啓子嬢との距離が近づいてゆくのもちょうどこの頃。
2013年の文庫版と先行したこの単行本版との違いは、わかりにくいワードへのちょっとした註が文庫には付いたのと巻末解説があること。特に風太郎のファンでなくても探偵小説が好きなら、日記本『闇市』『動乱』『復興』の三冊に加えエッセイ『わが推理小説零年』は持っていて損は無い。
(銀) 最初こそ探偵小説の世界に属していたけれど、山田風太郎はキャリアの途中からまったく別の世界に唯ひとり自分の城を築いてしまった。実は私は彼の忍法帖を読みたいと思わない。たぶん今後も探偵小説以外の風太郎小説には手を出さないつもり。
あれは昭和57年のことだ。友達のつきあいで角川映画の『伊賀忍法帖』(主演:真田広之)を見に行く仕儀となった。二本立てだったと思う。もう一本が何だったかさっぱり思い出せないのだが、その『伊賀忍法帖』がとにかく品が無くて超つまらん、というか不愉快極まりなくて、不幸にも私の脳に風太郎忍法帖=汚物みたいな刷り込みがされてしまったのだ。のちに風太郎の探偵小説だけは読んだし、時代もの~忍法帖だって映像と違って小説はきっと面白いであろうとアタマではわかっている。