フィルポッツの作品はそのすべてがミステリの王道を歩んでいる訳でもないし、普通小説ながらミステリ的な要素を含んでいる、みたいなものがミステリとして扱われていたりもする。本書も「フィルポッツ傑作短篇集」と謳ってはいるが〝推理〟を求めすぎると大きく失望させられることになる。
まず「孔雀屋敷」。ヒロインのジェーン・キャンベルは亡父から〝千里眼〟的な能力を受け継いでおり、過去に起きた悲劇の現場を(夢の中ではなく)実際その目で偶然見てしまう。主人公がタイムスリップして昔発生した事件の謎を解く趣向のミステリも世の中には存在するが、ワタシはそのような(時空間を行き来する)作品はミステリとしては好みじゃない。本作はヒロインが一時的に過去の惨劇の幻影を見るだけなんだけど、それでもこんな非現実性はちょっと・・・・ね。
つづく「ステパン・トロフィミッチ」、これは力作だと思う。フィルポッツは人物描写や風景描写に長けていると評価される作家だが、ここでも貧しいロシア人の悲惨さがガッツリ書けておりページをめくるたび引き込まれてゆく。ただ内容的には戦前の日本でいうところのプロレタリア小説に近くもあり、ミステリとしての興味は終盤に出てくる兇器のみ。
本書の中では最もミステリ色がハッキリ出ていて、「三人の死体」は◎。海を越えてロンドンへ犯罪捜査依頼が届き、語り手がバルバドス島へ向かうものの、結果を出せず撃沈。彼の提出した報告を基に、上司である私立探偵事務所長マイケル・デュヴィーンが最終的に推理を組み立てるプロットは、フィルポッツ代表作「赤毛のレドメイン家」そのままではないが、探偵役二段構えの妙を楽しめる。
「鉄のパイナップル」の主人公は些細な事に対する強迫観念が度を越しており、その病的なキャラは現代人とも通ずるところが多く、人物造形はよろしい。しかしミステリとして読むのなら、この終わり方は消化不良。
腹違いの兄弟ジョシュアが悪の道に墜ち、運命の巡り合わせでジョシュアに憎まれてしまうジョン・ロット。ジョシュアの影におびえるジョンのサスペンスを描いた「フライング・スコッツマン号での冒険」も途中までストーリーの流れは悪くないのに、結末がイマイチなのが残念。それにこの作品、タイトルが内容にフィットしてないのもよくない。
いたずらに読み易さばかり強調するからか、それとも作品の時代性や適切な日本語を理解していないからなのか、味の無い文章に翻訳してしまう輩が多い昨今、武藤崇恵の文章は「他の訳も読んでみたいな」と思わせてくれるものだった。