2020年3月28日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿
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ジェフ・マールやサー・ジョン元警視庁副総監らの目の前で死人の運転する大型リムジンがストリートを暴走したり、終盤の犯人露見シーン、大団円の多幸感さえないエンディング、部分部分で見せ場はあるのだが、ギデオン・フェル博士やH・Mシリーズにおける傑作と比べて、散らばった謎の欠片が徐々に回収されてゆく快感にも欠けるし、論理的解決を控え悪夢のような幻想味を活かしてポオみたいな余韻を残す物語を成しているかといえば、アンリ・バンコランによって一応謎解きされるが為にそっちにも徹底できていない。『絞首台の謎』といえばコレだ!みたいな決め手になるものが欠けている。
解説にて「〝ルイネーション〟という何処にも存在しない街のもやもや感が物語の牽引力となっている」とあるが、少なくとも私にはちっともピンとこない。英国人だったらグッとくるものがあるんだろうか。
創元推理文庫が2010年以降出しているアンリ・バンコラン・シリーズの新訳版はどれも同じ訳者に任されており、その事自体はとても結構なのだが、残酷な場面で機嫌良く鼻歌を歌っていたりするバンコランという男は魔王 ~ メフィストフェレスみたいな側面を持つ人物でしょ?新訳として読み易さを重視するにしても和爾桃子の訳は(地の文はまだしも特に会話において)カジュアル過ぎてバンコランの特徴や作品そのもののグルーサムなムードを伝わりにくくしてはいないだろうか?
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私の頭の中には旧訳の文体が染みついているというのもあるけれど、それを差し引いてもバンコラン・シリーズは古めかしい語り口の訳で攻めたほうがカーの原文を活かせるのではないかね?もしも可能なら是非一度旧訳版で読んでみてほしい。
(銀) H・M、フェル博士と比べるとまだ習作感が残る初期のバンコランもの。その中でもこれは読み進むのがしんどかった。これだったら出来の良い歴史ミステリのほうがまだ楽しめる。
翻訳を担当した和爾桃子は某webサイト上で「アンリ・バンコラン・シリーズは山田風太郎好きなら楽しめることうけあいです」「バンコランは超絶美形」「私は本来の年齢より二世代ほど上の明治末期~大正初期ぐらいの言語感覚で育っております」なんて事を語っているが、しっくりこない訳文のせいか、どうにもイタイ人にしか見えない。