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創元推理文庫
1959年7月発売
★★★★ 翻訳に省略箇所があっても、
私は旧訳のほうがいい
本作の中に「アンタは才能が無いし、この稼業向いてないから辞めたほうがいい」という意味の発言をする或る登場人物がいまして。今のご時世、このような言葉を他人に投げつけるのは❛まごうことなきハラスメント❜だ!なんて事になるのでしょうが、実際そのとおりなのだから言われても仕方のない事例のほうが多いに違いないと私は思います。例えばこのBlogでしばしば話題に挙がる頭の悪くて本作りに対しても無責任な、ミステリ業界にしつこく寄生している一部の年寄りとか・・・。
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ミステリ・マニアが「秘密の通路はお約束」などと言って肯定意見(?)を吐いているのをよく見かける。読者からするとたいした手掛かりもなく、大詰めになって探偵が喝破する秘密の通路の存在・・・みたいな真相を許容できるかどうかは場合によりけりなんだろうけど、たとえゴシック色の濃い本作であっても、私はそれなりの必然性を求めてしまう。
これまで記事にしてきたアンリ・バンコラン・シリーズ『絞首台の謎』『蠟人形館の殺人』『四つの凶器』に比べたら、挿絵が無くともストーリーの中の情景はイメージしやすいし、フランス人バンコランの旧いライバルにして今回の事件で推理を戦わせるベルリン警察主任警部フォン・アルンハイム男爵や(仏蘭西/独逸二国間対立の歴史を頭に浮かべて読むと、この二人の関係をより深く味わえる)、髑髏城の先住人・怪魔術師メイルジャアなど、キャラ立ちの良い顔ぶれが用意されており、そういった要素が小説を読む勢いを促進してくれる。
髑髏城とライン川の名状しがたいムードも、火だるまになって城壁から墜落するマイロン・アリソンの異様な光景も、悪夢のように終始読み手に突き付けられるけれど、二人の髑髏城・城主の秘密が論理的に解明されるので大きな不満は無い。惜しむらくは本日の記事に引用している宇野利泰の旧訳には省かれている箇所があることで、話のタネに該当部分を挙げておこう。比較対象に使うのは最新の和爾桃子訳。サンプルにしているのは第11章(「ビールと魔」宇野利泰訳/「ビールと魔術」和爾桃子訳)の文章。
◆ 宇野利泰訳 本書171ページ
「男爵。良い天気で楽しいですな。ひとつ、歌ってさしあげたいのですが、いかがです。わたしはこれでも、若い時分から、すばらしい低音だとほめられておるんです」
「きみのきげんがよいのは、お天気のせいばかりじゃあるまい。昨夜の件は、わしだって知っておりますぞ」
「ミス・レインのことをおっしゃるのですか?」
◆ 和爾桃子訳 創元推理文庫2015年版『髑髏城』151ページ
「これでも若い頃には、男爵、すばらしいバスの美声だと言われたものですよ。ですから、こんな朝には私の歌でもいかがですかな。そう、思い出しますよ。ニューヨーク殺人課のフリン、オショーネシー、ムグーガンといったいずれ劣らぬ強面のめんめんと五番街へ繰り出し、ライリー主任警視の蒸気オルガンで一同そろって『ミンストレル楽団 英国王を歌う』を合唱した時のことを。警察が浮かれ騒ぐ時はね、男爵、市民の身の安全など、あってなきが如しですよ」
「そういえば」フォン・アルンハイムが評した。「昨夜は警察が浮かれ騒いでおったね」
「ミス・レイニー相手に演出したささやかな芝居をさして、そうおっしゃる?」
これ以外にも旧訳と新訳の異同はありそう。上記における和爾訳での白文字部分を宇野利泰が訳さなかったのは何故か?この比較だけだと新訳のほうが漏れなく処理しているように見えるが、和爾桃子の訳する日本語がどうにも読めたものではないのは、これまで度々指摘したとおりだ。それゆえこの記事には旧ヴァージョンの宇野利泰訳を使わせてもらった。訳者のみの問題で★の数を大きく減らしてたらバンコランとジェフ・マールがかわいそうでさ。
(銀) 旧訳『髑髏城』の翻訳テキストに省略されている箇所がある事は『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』の「ジョン・ディクスン・カー書誌」3ページに記載してある。それならそれで省略せずに訳したのなら創元推理文庫新訳版は解説にでも、旧訳で省かれてしまった箇所を全てリストアップして見せるぐらいのサービスがあってもよかったのに。
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