「情緒、ドラマチックなアクション、ユーモア、ペーソス、〝恋愛趣味〟は、どれも存在していておかしくない。だが、そんなものはお飾りにすぎず、その気になればストーリーを傷つけることなく省くことができる。不可欠なこと、すなわち、その必須条件とは、問題とその解決であり、これにより聡明な読者に知的な鍛錬を行えるようにするということである。」
R・オースティン・フリーマン
~附録 1 『ソーンダイク博士の著名事件』まえがきより(本書469頁)
マニフェストどおり、普通だったらストーリーを豊かにしてくれそうな要素を殆ど削ぎ落した構成は変わらず。いつもシャーロック・ホームズのライバル扱いされるソーンダイクだが、ホームズがよくやる、相棒や警察をあざけるような態度は見せない。ワトソン役のジャーヴィスにはいつも相手を尊重した立場でつきあっているし、ホームズものに見られる大英帝国愛国主義みたいなものも無い。調査は被害者当人でなく保険会社を通じて頼まれるケースも多い。ホームズと比較すると、こういう違いがある。
まず中篇「ニュー・イン三十一番地」。ジャーヴィスが身元を明かさぬ患者の往診をさせられた一方で、ソーンダイクのもとに遺言書に関する疑わしい死の調査依頼が舞い込む。この二つの謎が一つに収束されてゆく過程、それと目隠しされた馬車でジャーヴィスが連れていかれた場所を名探偵がコンパスを使って探り当てるシーンが見どころ。
「死者の手」はヨット上での口論からなる殺人を前半、ソーンダイクが偶然この事件と関わりを持つ後半と、倒叙形式での進行。海洋方面にもソーンダイクは精通しているのか。