2021年5月11日火曜日

『幽霊犯人』甲賀三郎

NEW !

平凡社
1930年2月発売



★★★★   そこまで失敗作でもないのでは?




令和になってもまだ再発されないこの長篇は、昭和4710日~119日『東京朝日新聞』夕刊に連載された。画面左上に挿入した書影はその初刊本。まず76日付紙面に載った「幽霊犯人」連載予告、さらに(私が書き起こした)物語の登場人物一覧から見て頂こう。

 

 

【新探偵小説豫告】  『幽霊犯人』  甲賀三郎氏作  竹中英太郎氏畫

 

(前略)續いて掲載されるのは近時の書界に異常な流行をなして居る探偵小説であります。しかも作者はし界(ママ、下線部傍点あり)の雄甲賀三郎氏、題して「幽霊犯人」といふ。物語は避暑地の別荘無人の室で行はれた奇怪な殺人、高価な指輪の紛失、それ等の事件を中心として放蕩無頼の青年と純情むく(ママ)の少女の戀があやをなし、×××××××× 。作者は近代科學に立脚點を置いて獨自の想像を天がけらせ、一讀手に汗を握らさずには置きません。加ふるにさし畫は新人竹中英太郎氏苦心の余になるもの、物語と繪と相待って眞に奇絶怪絶、興味盡きざる夏の讀物たるは信じて疑はざる所であります。

(一部伏字にしているが、その理由はあとで説明する)



 

 【 登場人物 】


高島儀一/湘南の別荘を所有している老富豪だが女嫌いで跡取りがいない。リウマチのため体が不自由。                  


山川信蔵/儀一の弟。

山川すて子/信蔵の妻。

山川信一/信蔵の息子。大学生だが負債を抱えている。神田秋子とは相思相愛の仲。

山川美代子/信一の妹。


烏田市助/儀一の秘書。

玉井/儀一に雇われている老料理人。


神田秋子/美代子の家庭教師として雇われている。

神田勇/秋子の父。村外れの粗末な荒屋に住んでいるやもめの老人。毎日酒びたり。

呉英造/他人の様子をコソコソ嗅ぎ回るので〝狐爺〟と呼ばれている小男。


西村市兵衛/東京市本所區で骨董屋を営む。

およね/市兵衛の妻。

虎吉/ばくち宿の主。片目で額には一文字の刀傷がある。

おたつ/虎吉の娘。少し頭が足りない。


堀田竹次郎/葉山署巡査部長。

樫田得三/堀田の先輩刑事で先頃退職した。

玉川弁護士/信一の弁護人。

 

 

                    



数ヶ月に亘る新聞連載は既に「支倉事件」で経験済みだった甲賀三郎だが、本作はどの方面でもあまり良い評判を聞かない。それゆえ本当に失敗作だと決めつけていいのか、検証してみたい。「指輪紛失」と「山川信蔵銃殺という出口の無い不可能犯罪」。物語のキーとなる事件を冒頭に起こるこの二つだけに絞り、あとの部分は人間関係のもつれを重視する流れに組み立てたのは、熱心な探偵小説好き以外の多くの人間が毎日読む大新聞の連載であることを考慮すると、決して悪くはないと思う。甲賀の長篇はあれこれ要素を詰め込み過ぎて焦点がボヤけるきらいがあり、昭和6年の新聞連載長篇「妖魔の哄笑」などは正にその過ちを犯していた。

 

 

上記の【連載予告】文でわざと ×××××× と伏字にしたのは、その部分で既に犯人を匂わす紹介がされているから。「幽霊犯人」の評価がもうひとつよろしくないのは、犯人が誰か序盤の段階で読者にバレバレな展開になっているのも原因である。でもそれって欠点というより、最初から犯人が誰か(フーダニット)を甲賀がこの作品では全く重要視しておらず、どうやって山川信蔵は銃殺されたのか(ハウダニット)、その一点に狙いを絞ったからだろ?そして、もうひとつのポイントは「指輪を盗んだ者とその動機」。

 

                    

 

銃殺方法については伝家の宝刀/理化学トリックが、それほど難解ではない範囲で投入されているので極端なアンフェア感はない。ネタバレになってしまうのでギリギリの線で言うとすれば、ある登場人物は病的な悪癖を持っている。その設定自体〝そんな奴なんかいる訳ないじゃん〟と笑われそうなものなのだけど、この悪癖が謎の発覚の伏線に繋がってゆくのはちょっと面白い。

もちろん混じりっ気の無い本格物を望むのなら手放しでは褒められないが、残念ながらこの甲賀作品はまだ、日本探偵小説史における発展途上の本格長篇にすぎない。それゆえ通俗的と評されるのだし、むしろ同時期に江戸川乱歩が書き始めた通俗長篇に時々見られる御都合主義なアラと比較したら、そこまで否定されるべき駄作でないような気もしてくる。海外の本格物にだって、突拍子もない人物設定は時々見かけるじゃないか。


 

これから読む人が注意してほしいのは、この物語の舞台は実際に甲賀が執筆した昭和4年ではなく関東大震災以前の大正10年前後だという事。登場人物に老人が多いのもあるけれど、なんとなく古臭いアトモスフィアに包まれているのは、昭和でなく明治~大正期を生きた人間の臭いが満ちているからなのだ。言い換えればそれは乱歩よりもっと前の世代、例えば黒岩涙香が活躍した時代であり、この物語を涙香作品と同じ時代感覚で受け止めてやれば、「幽霊犯人」の評価できる点も少しは見えてくるんじゃないかな。決して傑作ではないけれど、眉を顰めるほどの駄作でもないと・・・。



 

 

(銀) この項を書く為に初刊テキストと『東京朝日新聞』の縮刷版をコピーした初出テキストとを軽く照合してみたが、各章のタイトルに若干変更があるのと、初出では〝きつね爺〟と表記していたのを単行本では〝狐爺〟としたり〝ぼたん〟を〝釦〟としたり、ひらがなを漢字変換して文字数というか単行本の頁数をなるべく増やさないようにする処置が取られているだけで、加筆や削除は無いように思えた。

 

 

新聞連載時と同じく初刊本の装幀も竹中英太郎が担当しており、初出挿絵のうち数点は単行本にも収録されている。

今回「幽霊犯人」を★4つにした根拠が英太郎の挿画の力によるところもあるのは、正直否定できない。もし「幽霊犯人」が再発されるのなら、初出テキストを底本に使い、大手出版社の文庫/ハードカバーや盛林堂の本に味気なく収録するより、古書のような雰囲気を楽しめる藍峯舎や龜鳴屋の本だったり、メジャーな出版社だったらせめて春陽堂の小栗虫太郎『亜細亜の旗』のような造本にして、英太郎の初出挿絵も全点収めてくれたら私は100%★5つにするだろう。

『東京朝日新聞』縮刷版に転写された英太郎の挿絵は美しさをそれほど失っておらず、権利問題さえクリアできれば挿絵を全点復活させる意義は十分にあるのだから。



初出紙最終回の挿絵を見ると「幽霊犯人ヨ、サヨウナラ  十一月六日」という英太郎の呟きが描き込まれていて、最後の挿絵を描き終えたのは実際の連載最終回の三日前だったのがわかる。