【ストーリー】
金持ちで手広い慈善家として知られるジェームス・ランドルフ翁。本編の主人公、素人探偵でもあり画家のフィリップ・トレントはある用事でランドルフ翁と接見したばかりだった。普段から召使いを殆ど置かず邸内には他に誰もいないという状況で、ランドルフ翁がニューベリー・プレイスの邸の室内にて背後からピストルで撃たれ即死しているのを外出から帰ってきた従僕のロオトが発見する。
遺体周辺には剃刀の刃などおかしな形跡はあるものの、物取りの犯行には見えない。ロオトには前科があり只の忠実な従僕とは思えないし、また老主人には女性関係で怪しむべき点も無くはない。秘書のヴァーニーによればランドルフ翁には親類がおらず、一人息子がいたのだが十六歳の時に家出したっきり行方不明、遺書も残していないというのだ。事件現場に荷札が落ちていた事からトレントの旧友ブライアン・フェアマンに強力な容疑がかけられるが、事件が明るみになる直前トレントは一瞬だがブライアンと偶然にもヴィクトリア駅で出くわしていた。ブライアンは海を隔てたフランスのディエップへ渡り謎の行動を取るも、投身自殺を図って警察に連行。トレントは友の濡れ衣を晴らすべく調査を始めた。
【原 作】
いまだ戦前に出た古色蒼然たる春秋社版しか日本語訳が存在していない本作だが、そこまでダメ出しされるほどつまらない凡作でもない。「トレント最後の事件」を持ち上げて、こちらをすごく悪しざまに扱っているミステリ・オタがいるって聞くけど、そうかな?実際に読んでないか、あるいは年取って頭ボケてるだけでは?なにかしらのオリジナリティーで歴史に名を残す逸品ではないが、人並みの読解力さえあればストーリー的にはスラスラ読める。悪くはない。
ジェームス・ランドルフ翁は発泡酒を嗜まない人なのに、ヴィンテージ・シャンパンのコルクが遺体のポケットから出てきたので、その意味を知るためにトレントは酒商を訪れてワイン問答を交わす。私は葡萄の酒が好きなもんで、この第十三章のやりとりがなんとも楽しい。トレントの妻であるあの人や子供が出てくるシーンについては、ん~、どうかな。探偵が家庭の内情を見せ過ぎるのはあんまり好まないけど。
【翻 訳】
春秋社版の致命的欠陥はどうしても訳。露下弴というのは悪名高き戦前の翻訳家・伴大矩のペンネームのひとつと云われている。伴大矩と同一人物であろうとなかろうと、私のようなトーシロにでさえ他の人間に訳の下請けをさせてるのが読んでバレバレ。本書の中でいつもフィリップ・トレントは自分の事を〝僕〟と呼んでいるのに、ある章では突然たいした意味もなく〝わし〟と言い続けるので気持ちが萎える。
これも近頃私が再三怒っている杜撰なテキスト入力の新刊本と同じで、仮に第三者に部分部分をアウトソーシングしていたとしても、一通り訳し終わったあと責任者(=露下弴)がゆっくり目を通し、全体に齟齬が無いようチェックして、ミスを見つけたら手直しさえすればいいだけの話なのだ。それを面倒臭がっているのか読者をなめてるのか知らんが、こんな仕事をしているものだから、その本は末代までの恥になりにけり。
【総 評】
「トレント自身の事件」はE・C・ベントリーとH・ワーナー・アレンの共作なのに、この春秋社版にはH・ワーナー・アレンのクレジットは無い。訳者の仕事はとても褒められたものではないが原作自体には好感が持てるし、なんといっても本書の装幀者は吉田貫三郎だから、なんだかんだの大甘評価で☆3つ。しかし450ページ近くもあるせいか、この本は束(つか)がたっぷりあるな~。どういう理由でどこの版元も「トレント自身の事件」の新訳を出そうとしないのだろう?
(銀) この作者はE・C・ベントリーと書くのが通常であるが、春秋社版では〝E・C・ベントレイ〟と表記されているので、記事のトップの書名欄だけ〝ベントレイ〟とし、各記事の一番下、そして当Blogの右側に並んでいるラベル(タグのこと)欄では〝ベントリー〟と記した。