2021年4月20日火曜日

『臨海荘事件』多々羅四郎

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春秋社
1936年5月発売



★★★★    戦前のアマチュアが挑戦した本格長篇



 

春秋社書き下ろし長篇募集企画で蒼井雄「船冨家の惨劇」北町一郎「白昼夢」と争い、二席に入選した作品。しかし過去に一度雑誌『幻影城』に再録されたのみで、2021年現在に至るも再発されそうな気配が一向に無いので救済のため古書ではあるが取り上げることにした。


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多々羅四郎という人は医者が本業で、何作かの小説をメディアに投稿した経歴はあるけれども、『新青年』『ぷろふいる』といった探偵雑誌との関わりが無い。再び注目される機会がなかったのはそういう処にもハンデがあるのだろう。「臨海荘事件」の六年前『サンデー毎日』大衆文芸一般公募枠に入選した「口火は燃える」という短篇がある。彼の小説で私が読んだ事があるのはおそらくこの二作だけだと思う。他にも別のペンネームを持ち、俳句を作ったり鉄道唱歌の本を出しているようだから、一種の投稿マニアだったのか。昭和18年病死。

 

 

「臨海荘事件」は多々羅自身が探偵作家とはいえぬアマチュアながら本格長篇にチャレンジした戦前では珍しいケースだ。東京大井町にある高級アパートメント「臨海荘」、その13号室に住む本野義高は昔鉱山関係の仕事で成功を収め今は悠々自適の日々を送っている裕福な独り者。その義高が内側から完全にロックされた自室の中で、彼の所有物である鉱石で後頭部を殴られ心臓を鋭利な刃物かなにかで刺されて息絶えているのが発見される。加えて彼が金庫の代わりとして通帳等を入れていたスーツケースが紛失していた。死体の傍の机の上には「高砂」の謡本が開いたまま放置されており、この謡本の存在は終盤まで覚えておくべきアイテムとなる。

 

 

警察サイドが容疑者として睨んだのは義高殺害当日、13号室周辺にいた次の五名。

本野義夫  (被害者である義高の甥)

大枝登   (声楽家)

秋川澄江  (映画女優)

太田耕作  (「臨海荘」の管理人)

中居村二郎 (太田に雇われている小使)

これに対し酒癖が悪いのが玉に瑕の老刑事・長瀬幸太郎が食らい付く。

 

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アマチュアのわりに文章そのものは読み易い。反面、物足りないのは登場人物や状況設定の在り方が良くも悪くも現実的で、どこか犯罪実話ものを読んでいるような気分にさせられる点。その分リアルではあるし、後半近藤医師襲撃事件が起きたり怪しい人物の尾行シーンなどサスペンスが無い訳では決してないけれど、各キャラクターのアイデンティティにもう一癖二癖あってもいいし、何よりいけないのは(ネタバレになるから詳しくは書けないのだが)13号室を密室状態にしなければならない ❛ある小道具❜ のトリックがいかにも御都合主義であること。この部分さえ誰からも文句を言わせないぐらいの真相に仕立てていれば、もっと評価をグンと上げられるのに。★4つにしているけど実質は★3.5。

 

 

地味でハッタリが少ない分、もし現行本になってもウケがあまり良くないかもしれない。ただ私の場合は『幻影城』の再録ではなくこの春秋社版初刊本で初めて接したせいか、とてもサクサク読み終えることができたし、北町一郎「白昼夢」よりはこっちのほうが好み。本格にトライした長篇だから「口火が燃える」等の短篇探偵小説をプラスして再発してもいいと思うのだけど、「臨海荘事件」は戦前に単行本で出されていながら多々羅四郎が人々の口に上がる事は不思議と無い。

 

 

 

(銀) 古書で小説を読むと、どうしても二~三割、いや時にはもっと面白く体感してしまう。だからあまりに過大評価するのは禁物・・・とはいえ、これよりずっと面白くないのに現行本になってる作家・作品はいくらでもある。なぜ誰も多々羅四郎の再発に動こうとしないのだろう?