2020年9月21日月曜日

『蒼井雄探偵小説選』蒼井雄

2012年8月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第54巻
2012年8月発売



★★★★★   やっぱりベストは「霧しぶく山」



 

発売前に本巻収録内容を知った時には、なぜ遺稿長篇「灰色の花粉」でなくて近年の文庫二種(『日本探偵小説全集〈12〉 名作集2』『幻の探偵雑誌 4 「探偵春秋」傑作選』)で読める「霧しぶく山」がまた入っているのか?と訝ったものの、最後まで通読してみて「ああ、これで正しかったんだ」と思い直した。戦前作家の中では数少ない本格のイメージが流布している蒼井雄だが、最初は伝奇的な要素に惹かれていたようだし、小品「蛆虫」のようなグロも書いている(ラストでは笑わされるけれども)。本巻の中で彼らしい作品といったら「黒潮殺人事件」かもしれないが、最も鮮烈な印象を残すのはまぎれもなく「霧しぶく山」。



クロフツ・鮎川哲也を例に挙げるまでもなく因数分解を解くのが主眼のような淡白なストーリーには時として不満を覚える。鮎川は「霧しぶく山」を評価しつつも「こういう怪奇路線には行ってほしくなかった」と述べた。だが探偵小説に必要なものとはまず〈プロット/語り口〉は当然として(斬新なトリックがあれば勿論嬉しいが)やはり〈暗い情熱=情念〉、そして結局は小説なのだから〈登場人物の魅力〉及び〈背景描写〉ではなかろうか。 特に日本では変格・怪奇幻想ものも探偵小説の重要な一面なのだし。全く個人的な見解だが、私はそう考えている

 

 

蒼井の場合〈背景描写〉の良さは「船富家の惨劇」でも堪能できるが、「霧しぶく山」は猟奇的ムードに満ち満ちて、かつ甲賀三郎風〈理化学トリック〉要素もある。人物描写も申し分無し。その反面、(本書に収録されている)戦後書かれた「黒潮殺人事件」ほか三短篇に登場する探偵役の竹崎という男は元警視庁捜査課長で戦時中特高課に属したため敗戦後追放処分に遇った陰のある魅力的な設定なのに、どうして凡庸な苗字だけで下の名前がないのか?  そしてこの設定を活かした長篇を何故書かなかった? 〈登場人物の魅力〉で言うとその辺の詰めの甘さが惜しまれてならない。

 

 

その他の収録内容にもざっと触れておくと、京都探偵倶楽部名義の「ソル・グルクハイマー殺人事件」なんていうアマチュアっぽさがいただけない連作小説もあるが、巻末解題で断片的に引用されている江戸川乱歩・横溝正史・蒼井雄の座談「『瀬戸内海の惨劇』をめぐって」はきっちりフル収録してもらいたかった。


 

 

(銀) 大阪圭吉は2010年以降に新しい本が数冊リリースされ(もっとも純粋に本格ものを収録している現行本は創元推理文庫『銀座幽霊』『とむらい機関車』の二冊のみだが)、より注目度が上がっているのは結構な事だけど、戦前の本格派なら蒼井雄を忘れてもらっちゃ困る。

 

 

この人も会社員で作家活動は余技だったため世に出た作品は十五篇ほどしかなく、地味な作風のせいか一般層にはもうひとつ認知度が低い。私立探偵南波喜市郎を擁する長篇「船富家の惨劇」を収録した創元推理文庫『日本探偵小説全集〈12〉 名作集2』、同じく南波喜市郎ものの国書刊行会〈探偵クラブ〉『瀬戸内海の惨劇』、そして本書、三冊とも入手は難しくないので、文章に旨みやテクニックがある人じゃないけど、大阪圭吉であれだけ騒ぐのなら蒼井雄だって読まれてほしいよ。