2022年3月24日木曜日

『聖フオリアン寺院の首吊男』ジョルジュ・シメノン/伊東鋭太郎(訳)

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春秋社 シメノン傑作集
1937年5月発売



★★★   これに比べると乱歩の「幽鬼の塔」はよく書けている




伊東鋭太郎の翻訳による春秋社版がこの作品の日本で最も旧い訳書の筈。シムノンに触発されたか、江戸川乱歩は19394月より雑誌『日の出』にて「幽鬼の塔」の連載を開始した。世間では十把一絡げに「幽鬼の塔」はシムノンの翻案だと軽く扱っているが、実際両方の作品を読み比べてみると、著作権的な検証はさておき乱歩が自作に活かしたのは〝ある一部分〟であって、筋をまるごと頂戴した訳ではないんだなとわかる(勿論「幽鬼の塔」を先に読み、慣れ親しんできたせいもあるのだけど)。

光文社文庫版・江戸川乱歩全集第十三巻『地獄の道化師』に収録された「幽鬼の塔」を開けば、乱歩自身〝セントラル・アイディヤを借りているが翻案というほど原作に近い筋ではないので、シムノンに断ることはしなかった。〟と自作解説で述べているのが確認できよう。


【当Blog上のラベル(タグ)管理は、一般的に呼ばれている〝ジョルジュ・シムノン〟の発音で登録するが、この記事に限っては本書中で使われている〝シメノン〟あるいは〝メーグレ警部〟表記を用いて進めさせてもらう。】

 

                    

 

主人公が不審な人物の鞄をすり替えることで事件は動き出す。メーグレ警部が鞄すり替えをやっちゃうのは、上記で紹介した光文社文庫版乱歩全集第十三巻『地獄の道化師』の解説で山前譲も指摘しているとおり、公人の行動としてはどうも不自然。これならば乱歩が設定した猟奇趣味を持つ素人青年探偵・河津三郎のほうがずっと適している。また、その他の登場人物たちも「幽鬼の塔」のほうが気狂いじみていて何をしでかすかわからないアブナさに満ちているが、「聖フオリアン寺院」の登場人物にはアタマがプッツン切れていそうな火薬の匂いがしない。

 

 

 

「幽鬼の塔」での名場面のひとつ、鉄橋を走る汽車から河津三郎(甲賀三郎と言い間違えそうな名前だ)が突き落とされてしまうシーンと比べてみよう。本書でのメーグレは不意を突かれて水力発電の為に築かれた堰堤へと落とされそうになる。しかし伊東鋭太郎訳で読むと水門から堰堤へ流れ込む渦巻がどれほど激しいものなのか読者にはあまり伝わらなくて、メーグレの身の危険がちっとも感じられん。

また、「幽鬼の塔」の犯罪の動機は美しいミューズの死から来ているのだけど、原作で描かれる動機とかインテリを気取った男達の秘密結社グループがシェアしている思想は読み手にもう少しイメージしやすくしたほうが共感度(?)はアップしただろうな。本書の中でメーグレに目を付けられて身辺を嗅ぎ回られるのは、この面々である。

 

ルイ・ジュネエ ➤ 機械工(物語の冒頭、口中をピストルで撃ち抜き自殺)

ヨゼフ・ヴァン・ダアム ➤ 貿易商

モーリス・ベロアール ➤ 銀行監査役

ジェフ・ロンバール ➤ 石版商

ガストン・ジアナン ➤ 彫刻家 


                     

 


「聖フオリアン寺院の首吊男」は近年新しい訳書が出ていなくて、読むとすれば古書に頼らざるをえない。あまり良い訳とはいえない伊東鋭太郎の春秋社版を最初に読む人はまずいないだろうから大丈夫とは思うけど、もし原作を読むなら戦後の訳書を探して読まないとダメよ。はじめは本日の記事に水谷準訳を使うつもりだったが、どこへ行っちゃったかライブラリーで発見できず戦前の伊東訳を用いた。

 

 

 

(銀) 後出しのハンデがあるから比べちゃシムノンが可哀想だけど、日本人からすると乱歩作の「幽鬼の塔」のほうがずっと面白い。本当ならなるべくオリジナル・アイディア100%濃縮のほうが望ましいのだが、乱歩には他の日本人探偵作家にない語り口と演出の魅力があるからね。伊東鋭太郎訳は粗いので☆☆☆、「幽鬼の塔」は☆☆☆☆☆を進呈してもいい。



「幽鬼の塔」は世相の悪化で隠棲する直前の発表だから、乱歩の通俗長篇としてはこれまであまり顧みられない作品だった。大仰な仕掛けが無いぶんトリッキーな楽しみは望めないかもしれないが、明智小五郎の登場する通俗長篇のような矛盾が気にならず纏まり良く読める点は(「吸血鬼」なんかよりずっとよく出来てるし)もっと評価されてもいいのに。



乱歩の翻案ものでも鬼」はさすがに覇気が感じられないけれど「白髪鬼」「幽鬼の塔」そして「三角館の恐怖」は決して悪くないと思うのは小生だけか。なんか話がシムノンよりも乱歩中心になっちゃった。