2025年3月5日水曜日

『2001年映画の旅/ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200』小林信彦

NEW !

文藝春秋
2001年12月発売



★★★★  昔のミステリ洋画には本格タッチの良作が無い




往年の著書『地獄の映画館』の中で小林信彦が述べている二つの点に着目。

〝本格物のトリックってやつは、
画面でタネ明かしされると、なんだかバカにされたような気持ちになるのだ。〟

SF映画は、史的にみても、ずっと、マイナーな存在であった。
一九五〇年代に作られたSF映画の多くは、ゲテモノ、特撮を用いた見世物映画であった。

(中略)

後年、SF映画史を語るとすれば、おそらく「2001年(宇宙の旅)」以前、以後、といった区分がなされると思う。SF映画がプログラム・ピクチャーでなくなり、つまり〈芸術〉の殿堂に入ったという意味合いで。〟

小林の言うとおり、「2001年宇宙の旅」(1968年公開:監督 スタンリー・キューブリック)がエポックメイキングな作品になったことで、SF映画はB級/ゲテモノ扱いのレベルとは段違いの大作が生み出されるようになった。しかし、当Blogで取り上げている類の小説を原作に持つミステリ映画となると、〈芸術〉の殿堂に入るどころか、映画の専門家たちが選ぶ古今東西傑作映画セレクションの中にランクインするかどうかも怪しい。その種の映画は果たしてどれぐらい評価されているのだろう?

 

 

本来ならせめて十名ぐらいのクリティックスが選ぶそれぞれのベスト100作品をチェックすべきところだけど、それはさすがに大変だし、なにより小林は映画同様、ミステリにも精通している人だから、本書『2001年映画の旅/ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200』における洋画ベスト100+邦画ベスト100を参考にさせてもらって、原作のあるミステリ映画に小林が推したくなるようなものは何本あるのか、調べてみたいと思う。


                                                 


 
個人の嗜好とはいえ、小林がそれぞれベスト100を選ぶ際に課したルールのうち、次の点は明記しておかなければならない。

・ 小林自身が繰り返し観た作品、または、もう一度観たいと思っている作品
・ アニメーション映画は除外

こうしてまず20世紀の洋画100が選ばれた訳だが、そのうち探偵小説/推理小説を一応原作に持つ作品では次のものがラインナップに上がっている。

 

「影なき男」(1934年公開:原作 ダシール・ハメット)

「バルカン超特急」(1938年公開:原作 エセル・リナ・ホワイト)


「裏窓」(1954年公開:原作 コーネル・ウールリッチ)

「必死の逃亡者」(1955年公開:原作 ジョセフ・ヘイズ)

「現金に体を張れ」(1956年公開:原作 ライオネル・ホワイト)

「情婦」(1957年公開:原作 アガサ・クリスティー)

「めまい」(1958年公開:原作 ボワロー=ナルスジャック)


「サイコ」(1960年公開:原作 ロバート・ブロック)

「太陽がいっぱい」(1960年公開:原作 パトリシア・ハイスミス)

「血とバラ」(1961年公開:原作 J・シェリダン・レ・ファニュ)


「羊たちの沈黙」(1991年公開:原作 トマス・ハリス)



私の好みの海外ミステリ作家はあまり含まれていない。


                                                 


 
よくフィルム・ノワールってどこまでを範疇とするのか、議論になる。ミステリ映画もその対象をどこまで広げるのか明確なラインは無い。ともかくさすがは小林信彦、100本中これだけ原作小説のある作品をセレクトしており、これにいわゆる準ミステリ、つまり、ミステリ作家の原作こそないもののサスペンス/スリラー/フィルム・ノワール/クライム・ストーリーに該当する映画を加えると「ミュンヘンの夜行列車」(1940年公開)をはじめ更に数が増えるが、そんなに列記したら煩雑になるので、あとは本書で確認して頂きたい。

 

 

さて、次は邦画ベスト100。探偵趣味を内包する作品のなんと少ないことよ。強いて言えば、「待って居た男」(1942年公開)は上記「影なき男」シリーズの換骨奪胎だそうだし、黒澤明の「野良犬」(1949年公開)もフィルム・ノワールと呼んで差し支えないだろう。が、悲しいかな私のBlogに登場する日本探偵作家の小説を原作にしたものは影も形もない。
「赤い殺意」(1964年公開:原作 藤原審爾)「霧の旗」(1977年公開:原作 松本清張)はランクインしているが、この辺の作家にミステリ的な愉しみを求めていないので今日のところはスルー。




以上の結果を見て解るとおり、極論と云われようとも、昔のショービズ界には論理的な本格探偵小説を正しく映像化する意識と技術が著しく欠落していて、ミステリ映画といってもその殆どがハードボイルドやスリラーでしかない。

ただ、SFものに差を付けられているとはいえ論理性を持たせたミステリ映画も「オリエント急行殺人事件」(1974年公開:監督シドニー・ルメット)あたりから、それなりに大きな興行収益を得るようになったのではないか。それ以前は『地獄の映画館』にて触れられているディクスン・カーの「火刑法廷」を映画化した「火刑の部屋」(1963年公開:監督ジュリアン・デュヴィヴィエ)など、原作の良さがまるで活かされていないものばかり。

本格以外にも、ルーファス・キング作「青髭の女」を映画化した「Secret Beyond The Door」だって監督フリッツ・ラングと聞けば期待してしまうけれど、これまたイマイチな出来。





日本の映画界はもっと酷い。謎解き要素のある探偵小説を原作にしたもので、どうにか観られるようになったミステリ映画と言えば、例の「犬神家の一族」(1976年公開)より前になんかあったっけ?結論。探偵小説は活字で楽しむのが一番。






(銀) 小林信彦の洋画ベスト100といえば、あれだけ『文春』の連載で褒めたたえていたニコール・キッドマン出演作がひとつも無いが、よく考えたら彼女がビッグになっていくのはトム・クルーズと離婚したあと。もしこのベスト100セレクトが十年遅かったら、何かしらランクインしてたかな? 

 

 

 

   小林信彦 関連記事 ■


 



 



 



 








2025年3月2日日曜日

映画『Bombs Over Burma』 (1942)

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Film Masters    DVD
2024年3月発売



★★★  抗日映画のアンナ・メイ・ウォン




私のBlogでは日本探偵小説の一部に属し、反米・反英・反ソを啓蒙すべく日中戦争~第二次世界大戦の最中に発表された防諜スパイ小説をしばしば取り上げているけれども、今回は逆の立場、中国大陸へ侵攻する日本の脅威を知らしむる米国製作プロパガンダ映画を見ていきたい。主演はAnna May Wong(アンナ・メイ・ウォン)。タイトルはBombs Over Burma」。

 

         ⊶⊷

 

この数年、Alpha Videoというメーカーをはじめ、「Bombs Over Burma」の DVDはいくつか出回っていたわりに、どれも丁寧なレストアがされておらずnot to buyなものばかり。ところが昨年の春リリースされたFilm Masters盤は今までのディスクと比べ、最も観やすい画質に仕上がっているとの噂。PRCProducers Releasing Corporation)の製作した映画はおしなべてフィルムのコンディションがよろしくないそうだけど、その点を考慮しつつFilm Mastersはよく頑張ってブラッシュアップしたと好意的に見る海外ユーザーの声もあり、アメリカからDVDを取り寄せた。

 

 

【 仕 様 】

NTSC  リージョン0(日本のDVDプレーヤーで再生可能)

ブックレット、特典映像などは無し

 

【 言 語 】

英語(一部、北京語あり)

 

 

Film Mastersはなんともニッチなレーベル(?)で、マイナー作品をアーカイヴする一環としてソフトを製作しているような感じ。聞いたこともない昔の映画をブルーレイで発売しているのに今回の「Bombs Over Burma」はDVDのみの扱い、残念すぎる。しかもこのDVD、正規ルートで購入したからバッタもんではないプレス盤のくせにチャプター再生の開始位置が変だったり、全体的に作りがチープ。更に、画質良好と書いたものの音声はそこまでクリアでなくボリュームを上げて視聴する必要がある、英語圏のネイティヴでさえ「細かいセリフが聞き取りにくい」と不満を漏らしているぐらいだし、英語字幕が無いのはイタイ。

 

 

そういう事情もあり「Bombs Over Burma」の公開された1942年(昭和17年)における亜細亜の情勢を先に記しておいたほうがいいだろう。中国大陸の東側(沿岸部)を占拠された蔣介石の国民党政府は重慶まで後退して日本軍に抗戦。一方、ビルマ(現在のミャンマー)も本作が完成したあと日本に占拠された模様。話の中に出てくるビルマ・ロードというのは〝ラーショー〟(ビルマ)と〝昆明〟(中国)を結ぶ物資輸送のための山岳幹線道路。重慶を南西に下ると昆明に至り、その先にビルマがある。








【 ストーリー 】

Lin Ying(アンナ・メイ・ウォン)は重慶で学校の教師をしているが、裏の顔は中国の諜報員。冒頭、重慶の街を日本軍の戦闘機が襲う。Linが教えている生徒のひとりが落命し、手堅く日本の非道ぶりがアピールされる。

場面変わって、ビルマの〝ラーショー〟を出発したLinは中国に向かってビルマロードを走るバスに乗っている。彼女の任務はビルマに届いた連合国からの軍事物資を滞りなく中国へ輸送できる地上ルートを無事開通させること。乗合バスには連合国の派遣メンバーも連なっている。

道中、トラブルによりバスが足止めを食ったため、彼らは僧院らしき建物にて一夜を過ごさねばならなくなった。そこへ狙いすましたかの如く、日本軍の戦闘機が飛来。Lin達は派遣メンバーに紛れて日本側へ情報を流しているスパイがいることを察知。そのスパイとは誰か?




 



〈室内の子供〉と〈窓の外に見える戦闘機の光景〉とは明らかに合成


ビルマ・ロード





この中にスパイが・・・






低予算かつ短期間で撮影されたこの作品、重慶の街並みや空爆は既存の資料映像みたいなものを流用していると思われ、Annaや役者達は中国/ビルマには行っていないはず(よくある話だ)。僧院もそれらしき実物を調達できなかったのか、外観は映らない。一度目に観た時は英語字幕が無いせいでディティールを理解できず、つまらなかったが、作品背景を知って二度目に観たら、なかなか面白かった。ロー・バジェットながら、音楽及び美術&セットはマイナーな国策映画として観れば、そこまで悪くもない。できれば脚本にもっとメリハリが欲しい。やっぱ映画は脚本がしっかりしてないとダメだよな。Annaの演じるLinが口汚く日本の悪口を言わないのは日本人として救われる気持ち。




フランク・キャプラもドキュメンタリー風の反日映画を作っているが、本作よりずっと好戦的な内容だった。「カサブランカ」に至っては反ナチのはずが、あそこまでロマンティックな名作になるとは・・・。Annaの存在だけを楽しむのなら★4つ献上して何ら問題は無いのだけど、字幕は絶対付けてもらわないと困る。日本でも大阪圭吉や蘭郁二郎あたりの防諜スパイ小説をこんな風に映画化していたらよかったのに。
 

 

 

(銀) 日本みたく国土を焼き尽くされてもいないのにAnna May Wongが出演した海外の戦前映画はフィルムが失われたと云われている作品が結構あって、もどかしい。その中にはビガーズ「シナの鸚鵡」を映画化した「The Chinese Parrot」(1927)もあるというが、そういうのに限って観ることが叶わない。やれやれ・・・。







2025年2月28日金曜日

『悪魔博士フー・マンチュー』サックス・ローマー/平山雄一(訳)

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ヒラヤマ探偵文庫 08
2020年9月発売



★★★   日本ではなぜかウケないフー・マンチュー博士




フー・マンチューものには明るくないので、自分の為の手控えとして本書の巻末にあるシリーズ一覧を頼りに少し調べてみたが、海外の人気とは対照的に日本では最初の二作を除くと全然翻訳されていない様子。ふーむ、道理で何作も読んだ記憶が無い訳だ。
本書収録長篇「The Devil DoctorThe Return of Dr.Fu Manchu)」でさえ訳者・平山雄一は「戦後の全訳となると本書が初めて」と述べている。

 

 フー・マンチュー・シリーズ 作品リスト



1913  「The Mystery of Dr. Fu ManchuThe Insidious Dr. Fu Manchu)」

        =『怪人フー・マンチュー』嵯峨静江・訳/HPB 1757

 

1916  「The Devil DoctorThe Return of Dr. Fu Manchu)」

      = 本書

=『悪魔博士』寺田鼎・訳/改造社

=『魔人博士(再発時には『悪魔博士』と改題)』山中峯太郎・訳/ポプラ社

 

1917  「Si-Fan MysteriesThe Hand of Fu Manchu)」

1919  「The Golden Scorpion」(但しフー・マンチューは脇役とのこと)

 

1931  「The Daughter of Fu Manchu

1932  「The Mask of Fu Manchu

1933  「The Bride of Fu ManchuFu Manchu’s Bride)」

1934  「The Trail of Fu Manchu

1936  「President Fu Manchu

1939  「The Drums of Fu Manchu

 

1941  「The Island of Fu Manchu

1949  「Shadow of Fu Manchu

 

1957  「Re-Enter Fu ManchuRe-Enter Dr. Fu Manchu)」

1959  「Emperor Fu Manchu

1973  「The Wrath of Fu Manchu」(過去の中篇・短篇を収録)

 

 

平山雄一は「第二作である本作をいきなり読んでも差し支えない」と言うが、フー・マンチューについて予備知識ゼロの読者が初めてこの本に接する場合、謎の怪人を向こうに回して戦うネイランド・スミス&ピートリー博士(物語の語り手)のコンビ、そしてフー・マンチューの手下になっている美少女カラマニ、このレギュラー三名のバックボーンを理解できていないと話を十分咀嚼しづらいんじゃないかな。ざっくりでもいいから第一作『怪人フー・マンチュー』の内容は頭に入れておいたほうがいい。

 

 

なんだかんだでピートリー達を助けたり、自分の欲望次第で容赦なく仲間のルパン三世を裏切る峰不二子ほどドラスティックなキャラじゃないにせよ、どっちの味方なのかよくわからないカラマニの行動はこの第二作から読み始めても掴みにくい。
Si-Fan MysteriesThe Hand of Fu Manchu)」は邦訳書が出ていないけれども、シリーズ第一作から第三作までは一括りになっているみたいなので、尚更続きものとして読むほうが好ましいのかも。それはそうと、フー・マンチュー一味もネイランドやピートリーを捕えたらさっさと殺してしまえばよかろうに、結局カラマニが救いの手を差し伸べたりして、そういうパターンの繰り返しがどうも・・・ね。

 

 

白人中心の体制を壊滅させるのがフー・マンチューの野望。でも実際描かれている悪巧みに比べたら、その野望はデカすぎるような気がする。007シリーズの内容ならスペクターが世界征服を目論んでいても不自然さは無いけど、フー・マンチューの犯罪はあそこまで大掛かりではないんだし、標的にする対象はもっと絞り込んでよかったんじゃない?ただ、小難しい謎の提示も無くヴィジュアル的にキャッチーなシーンは多いから、小説を読むより映像で観たほうが楽しめそうな点でイアン・フレミングのジェームズ・ボンドとも共通している。

 

 

本書は〝China〟を〝中国〟と訳さず〝支那〟で統一。これなど同人出版だから成し得る攻めた表現。腰の引けた商業出版社は決して許可しないだろう。訳者は差別的な意図で〝支那〟という言葉を使っているのではない。サックス・ローマーが中国人をどのように見ていたかわからないけれど、フー・マンチューが欧米の「黄禍論」を擬人化したキャラクターであるのは確か。主人公のコンセプトも踏まえ、あの時代の空気感を掬い取ろうとした一種の時代考証だと私は受け止めている。悪くない。

 

 

(銀) 米パラマウントのフー・マンチュー映画第一弾「The Mysterious Dr. Fu Manchu」(1929年)が制作された時、そのオープニングにて主人公の怪人は義和団の乱によって英国軍に家族を殺されてしまったため復讐の鬼と化す設定になっていたのは私も知っている。だけどサックス・ローマーの小説にそんな来歴書いてあったっけ?映画におけるフー・マンチューのエピソードが勝手にひとり歩きして、原作の設定までそういうことにされてない?






2025年2月25日火曜日

映画『Piccadilly〈ピカデリィ〉』(1929)

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KL Studio Classics   Blu-ray
2023年9月発売



★★★★  幻の女優アンナ・メイ・ウォン




戦前日本の雑誌や新聞に発表された探偵小説の挿絵から抜け出してきたような容貌の持主Anna May Wong(アンナ・メイ・ウォン)の名を聞いたことはおありだろうか?早川雪洲/上山草人が海を渡りハリウッドで認められるべく悪戦苦闘していた二十世紀初頭、あちらには東洋人銀幕スターなどホンの数える位しかいなかった。斯様に排他的なショービズ界へ飛び込み、インターナショナルな中国系女優の先駆けとなったのがこの方。知る人ぞ知る存在ではあるものの、近年米国ではクラシック映画ファンの支持によってカルトな人気が広がり、何冊かの本が出版されている。ワタシのfavorite actress。

 

 

1905年ロスに生まれ、中国系アメリカ人を両親に持つAnnaの外見は完全にチャイニーズ。本盤のジャケット写真からもわかるとおり、170cm近い身長にスラリと伸びた美しい脚、百年も昔のアジア人女性では考えられない恵まれたスタイルが目を引く。ところがれっきとした米国籍にもかかわらず、yellow peril(黄禍論)の横行により彼女も謂れ無き差別を受け、ステレオタイプの中国女や怪しげなヴァンプ等を演じさせられること少なからず。それが不服でヨーロッパにも進出したAnna。本日紹介するPiccadillyは英国制作映画である。






【 仕 様 】

リージョン:A(日本のBDプレーヤーで再生可能)

【 画 質 】

100点中91点

【 ストーリー 】

ロンドンのナイトクラブ&レストラン「Piccadilly Club」を経営するValentine Wilmotは雇っているダンサーMabel Greenfieldと恋愛関係にある。ちょっとした諍いからMabelのダンス・パートナーVictorが辞めたため収益が落ちて頭の痛いValentine。そんな時、彼は自分の店の皿洗い場で働く若い中国娘 Shoshoに目を付け、それまでのステージングとは趣きの異なるオリエンタルな舞踏を踊らせたところ、意外にも客は熱狂。かくしてShoshoは「Piccadilly Club」におけるダンサーの座を得た。Valentineとただならぬ仲になってゆくShoshoに激しく嫉妬するMabel。ダンサーとしての地位ばかりかValentineとの関係も譲ろうとしないShoshoに、Mabelは隠し持っていた小型拳銃の銃口を向け・・・。



「Piccadilly Club」のオーナー/Valentine Wilmot(Jameson Thomas)



ダンサー/Mabel Greenfield(Gilda Gray)
本来、主役はこの人

 
 
本作はサイレント映画ゆえBlu-rayに字幕は付いていない。Annaの声もここでは聞くことができない。脚本こそ何ということもない話とはいえカメラワークや映像面の演出が洗練されており、観ていて心地良い。フィルム・ノワールの祖先とまで賞賛する海外の評論があるらしく、終盤に殺人事件が発生し、真犯人は誰かちょっとしたフェイクもあって、そのような見方をしたくなる気持ちもわからんではない。ただ私に言えるのは、この映画にミステリ的な要素があるとかないとか関係無く、観る人を魅了するのはAnna May Wongの小悪魔ぶり、それだけ。

 

 

ライムハウスの貧しい中国人コミュニティで生活しているShosho。「Piccadilly」のストーリーにはそんなロークラスの連中と、Valentineはじめナイトクラブ周辺人種との格差が根底に横たわっている。ただの皿洗い係だったShoshoが一転してステージで妖しく踊るくだりも良いけど、Valentineを自分の部屋に招きソファーで横になって彼を誘惑するシーンが出色。我が国に限らず規制が煩かったのは英米の映画も同じで、本当ならValentineShoshoのキスシーンがあるべきその瞬間、画面は切り替わる。キスに至る迄のShoshoの仕草は特別エロティックなことなどしていないのに、得も言われぬ官能的ムードが横溢。



ステージで舞うShosho(Anna May Wong)



ソファーで・・・



サイレント映画というのはレストアする際など、後付けで音楽をダヴィングするケースが多い。「Piccadilly」の場合、元々付いていた音楽をNeil Brandという人が録音した現代風なジャズ・サウンドに置き換えてしまっている。何故そんなことをしたのか解らないが、Neilの音楽は1920年代のフィーリングには程遠く、本来のJazz Ageを理解している人からすれば首を傾げたくなる改変。オリジナルはどんなもんか聴いたことが無いから、一概に否定ばかりもできないけれど、この点だけは疑問。




改めて言っておくが、Annaのフィルモグラフィーに現代人が誰しも知っている超メジャーな作品は無い。しかし「Piccadilly」は現存するフィルム、そしてソフト化されたもののうち、全盛期の彼女の魅力を捉えた代表作だと云われている。Blu-rayで彼女の出演作を楽しもうにも、まだまだアイテム数は少なく、ミステリ映画にも出てはいるが、「A Study in Scarlet〈緋色の研究〉」(1933)みたいに(現行品で流通してても)下らなくて観る気がしない駄作じゃあねえ。

フォトジェニックな人だからモデルと呼んでも差し支えなく、ネット上の旧い映像を動画で観る前に、雰囲気のあるポージングでキメている写真を眺めるのも良し。映像作品よりむしろゴージャスな写真集こそ早急に刊行されるべきなのかもしれない。満点に近い★4つの評価はAnna贔屓の偏愛であって、一般的な映画鑑賞の尺度ではないから誤解なきよう。






(銀) こういう神秘性のある女優がいれば私だってもっと戦前の日本映画を追うだろうけど、誰もいないからね。第一、探偵小説を映像化したものだとフィルム自体ちっとも残っていなくて話にならない。それはともかく「Daughter of the Dragon〈龍の娘〉」(1931)のBD、早く出してくれ。



 


2025年2月22日土曜日

『パナマ影に怖びゆ』海野十三

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興亞文化協會
1941年2月発売



★★   これも彼の歴史の一部





元来、海野十三のSFないしSFミステリーの問題点は、
〝科学恐怖の夢〟が卑俗な生物学的な恐怖感の次元にとどまり、
それがより次元の高い文明批評にまで昇華されなかった点にある。
このような思想性の欠如は、海野十三をやがて完全な軍国主義の宣伝者へと追いやることになるのである。

~ 権田萬治『日本探偵作家論』/「秘められた科学恐怖の夢=海野十三論」より

 

 

軍国主義の宣伝者か・・・。同世代の探偵作家達がここまで深入りしなかった国策協力も、海野十三は純真な人ゆえ真剣に日本を憂い、今では眉を顰められそうな小説を書きまくった。それがプロパガンダであろうと面白く読めさえすれば一向に構わない。だがいくら作者が海野十三とはいえ、面白味の無いものまで無責任に持ち上げ騒ぎ散らかすほど私も莫迦ではないつもり。本書『パナマ影に怖びゆ』は防諜/国威高揚、あるいは戦場における日本精神、そんな色合いの作品ばかり並んでいる。

 

 

小説以上に「作者の言葉」のアジテーションが読んでいてツラい。全文紹介したいのだけど四頁に及ぶため、要旨のみ御覧頂く。


 自分(=海野)は昭和十四年頃、小説家は自国の高度国防国家建設に重大なる一役を努めなければならないと認識するに至った。


✷ 「非常時局だけにしか役に立たぬ文学作品は文学ではない」などと言う文学者は、どこの国籍の人かと疑う。馬鹿野郞!


✷ 今、日本は支那大陸ですらケリが付いていないのに某々大国(=英米のこと)とも非常に危うい戦争を始めなければならない。この先五年十年の間、発表される作品は非常時局に役立つものであるべきだし、そうでない作品は如何に文学的香気が高くとも遠慮せらるべきである。



                   
 

 

「海鷲、海へ戾る」「奥地偵察日記」「戰はまだこれからだ」は死と隣り合わせな日本兵の奮闘を描き、「パナマ、影に怖ゆ(ママ)はアメリカがアルゼンチンの汽船を撃沈させてしまって両国がモメている間、秘密裡に日本がパナマ運河へ海底砲台を作っていたという、なんとも虫のいい話。「或る機密寫眞事件」「血に染つた石油傳票」は日本国内に潜入しているスパイの暗躍を描いたサスペンス・スリラーで、前述三篇に比べるとまだ読みどころはある。「幽靈飛行機」ソ連兵を主役に据えた秘密軍用都市の物語。生きている人間の死亡広告を出し周囲の目を欺くなど悪くないアイディア、探偵小説に活かさなかったのがもったいない。

 

 

戦時下日本の亡霊みたいな海野作品をことさら評価しなくてもいいとは思うが、そういった昔の常識/価値観/道徳観を無かったことにしてしまう御都合主義こそサイアク。例えば昨年末刊行された河出文庫版『盗まれた脳髄/帆村荘六のトンデモ大推理』を見て、私は開いた口が塞がらなかった。今まで(少なくとも探偵小説関連の書籍において)河出書房新社が偽善チックな言葉狩りをやらかすなんて思ってもいなかったからね。ところが新保博久による編者解説欄にはこう記してあるではないか。



Not to buy



「盗まれた脳髄」は、たとえば114ページ7行目が初出では「阿弗利加(アフリカとルビあり)の土人なんて、日本人に比べて頭脳は頗る劣等なんだらうが、人種にもよりけりで、何故阿弗利加土人なんか使つてゐるのだらうね」などと、帆村が誤った偏見に基づく発言をしているが、当時の平均的日本人の認識なのか、物語の効果上、作者は誤謬と承知で帆村に言わせているのかともかく、作者が特に過激な人種差別主義者だと誤解されかねないのを防ぐため、この一篇は全体に表現の和らげられた春陽文庫版に従った。

~ 河出文庫版『盗まれた脳髄/帆村荘六のトンデモ大推理』 351ページ17行目




平成時代に言葉狩りのみならず不要な改変を加えオリジナル・テキストを破壊してしまった春陽文庫版『赤外線男』所収「盗まれた脳髄」を採用したこの文庫の114ページ7行目にある帆村荘六のセリフは次のように表記されている。

「なぜアフリカの人なんか使っているのだろうね」

他にも、この一文の直前に出てくる〝黒ン坊〟が〝黒人〟になっているだけでなく、ポリコレとは何ら関係の無い単語の文字遣いさえあちこち変えられており、当Blogで度々申しているように一連の春陽文庫版「探偵CLUB」シリーズは最も底本に使ってはならないテキスト改悪本なのだ。「海野が過激な人種差別主義者だと誤解されかねない」とか、いかにもそれっぽい理由付けしているが何のことはない、抗議集団の襲撃が怖いばかりか彼らを納得させる労力を惜しんでるだけだろ。




「盗まれた脳髄」の原文は令和の今、許される表現ではない。しかしこんなポリコレ改変ばかり繰り返していたら昔の小説の復刊は成立しなくなる。誠意を持って原文どおりのテキストを復元したいのなら、光文社文庫版『肌色の月』所収「金狼」(☜)で日下三蔵がやっていたように、長文の断り書きを作成したりして抗議集団を納得させればいいじゃないか。日下でさえ旧い小説の復刊に際し語句改変の無いよう毎回努力しているのに、新保博久は一体何をやっているのか?もちろん一番タチが悪いのは抗議集団であり、ポリコレに対して急に弱腰になってしまった現在の河出文庫編集部だがな。




おまけに366ページでは、クソみたいな春陽文庫「探偵CLUB」版テキストを使っておきながら、「本文中、今日では差別的と目されかねない表現がありますが、執筆の時代背景と作品の価値を鑑み、原文のままとしました。」だってさ。どこが原文どおりなの?JAROに通報しなくちゃ。





軍国主義信仰に人種差別表現。それはあの時代の創作物だったら別に探偵小説・SFでなくたってありえる話。海外ミステリも例外ではなく、ホームズ物語も人種差別だとイチャモン付けられるシーンはある。映画「風と共に去りぬ」が黒人差別と標的にされ、配信停止になっている状況を大いに納得している人は世界人口のうち果たしてどれだけいるかね?そういう訳でテキスト改悪に日和った河出書房新社の本など買う価値無し。『盗まれた脳髄』の購入でドブに捨てた1,210円、龜鳴屋のある石川県へ再度寄付する為に使っとけばよかった。






(銀) 昨年後半、質の悪い海野十三の新刊本が出回り、中でも河出文庫版『盗まれた脳髄』に辟易したのもあって、前回今回と海野の記事を書いた。だいたい海野のトリビュート本ならまだしも、なんで海野個人の著書に筒井康隆のパスティーシュを紛れ込ませなきゃならんのか?物故作家の旧い作品を原形どおりのテキストで復刊する気の無い奴らは(出版社勤めのサラリーマンもフリーの人間も)旧いテキストの校閲とは全く関係の無い分野へとっとと去って頂きたい。





■ 昭和末期~平成時代の春陽文庫ポリコレ/言葉狩り 関連記事 ■

















2025年2月18日火曜日

『海底旅行』ジュール・ベルン(原著)/海野十三(編著)

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大日本雄辯會講談社 世界名作物語
1947年3月発売



★★★★  海野本人が執筆したと思しき翻訳本はどれ?




昭和時代のジュヴナイル本には著名作家の名前で発表しながら実は第三者に代筆させているものが少なからず存在していた。海野十三の著書にもヴェルヌ/ドイル/ウェルズ/チェスタトンの少年少女向け翻訳作品があるのだけど、これらを海野本人の仕事だと即断していいのだろうか?参考までに、「海底二万哩」を原作とする本書『海底旅行』を含む「世界名作物語」と題されたシリーズには江戸川亂歩(編著)の『鐵假面』も含まれているが、これが岡戸武平の代筆であることは以前紹介済みである(☜)

 

 

ヴェルヌ長篇『海底旅行』そしてホームズ短篇三作を収めた『まだらの紐』の海野訳初刊本は彼の生前に刊行されているからまだ良しとして、ウェルズ長篇『透明人間』とチェスタトンのブラウン神父短篇を幾つかセレクトした『影なき男』(のちに『名探偵ブラウン』と改題)が初めて本になったのは海野が逝去して八年後の昭和32年。まだ健在だった頃にどこかの雑誌へ発表していた可能性も無くはないとはいえ、そんな情報が載っている文献を読んだ覚えがない。というか海野の翻訳について詳しく論述している資料自体あったかどうかさえ思い出せない。ともかく『透明人間』と『影なき男』(『名探偵ブラウン』)を海野本人の訳と見做すには疑わしい点が多い。

 

 

以上の事を鑑み、海野翻訳作品四種のうち最も第三者の介入が無さそうに思える『海底旅行』を本日は紹介したい。『浮かぶ飛行島』と同様、写実風タッチの重厚な口繪・挿繪を提供しているのは樺島勝一。本書の冒頭には次のような序文が置かれているので見てもらいたい。この本では〝ヴェルヌ〟の発音を〝ベルン〟と表記している。

 

 

この物語について


本書は、フランスのジユール・ベルンの原作になる、海洋を主材にした空想小説である。
題名『海底旅行』が示すやうに、海底の魔人と呼ばれる謎の人物と、博物學者アロン博士とが、最新優秀をほこる潜水艦に乗つて、太平洋、インド洋、地中海、大西洋、南極海等の海底を縦横に探檢して廻るといふのがその内容である。この間、原作者ジユール・ベルンは、荒唐無稽な空想におちいることなく、あくまでも科學的考察にもとづいて、ゆたかな空想と、該博なる知識とをたくみにおりまぜつゝ、海洋の神祕と驚異を興味深く物語つてゐる。


諸君もすでに御承知の如く、海洋は全世界の陸地よりも、さらに廣大な面積をしめてゐる。しかもこの海洋は、領海三浬をのぞくほかは公海と呼び、いづれの國にも属することなく、航行も漁業も自由であつて、いかに文明の利器を活用して、海底から重要資源を開しようと、それは一向さしつかへのない、自由の世界である。

 

わが國は、肇國以来、海と共にさかえ、海と共に發展してきたが、今回、大東亞戦争の勃發するに及んで、さらにかゞやかしい飛躍が約束されている。

海國日本に生をうけたる者、何人といへども血潮の高鳴るを禁じ得ないであらう。また同時にわれ等にかけられた責任の重大さに粛然たらざるを得ない。

海、開けいくわれ等の海、無盡藏の富を海底に祕めた海、海はいたるところで、われ等の活躍を大手をひろげて待つている。

靑少年諸君、今こそ海に向かつて一大飛躍をなすべき時である。

私は本書が、多少なりとも、諸君の海にたいする理解を助け、親しみを增すことができれば、この上もないしあはせである。


昭和十七年三月      海野十三

 

 

戦前に翻訳された長篇の海外小説は大人向け子供向け問わず余計な部分を削ぎ落した抄訳になりがち。そもそも戦前とか戦後関係無く、常に子供向けの「海底二万哩」はそのようなエディット編集が行われてきた訳だが、それ以外にも本書を読むと、海野十三のクレジットが「訳」に非ず「編著」となっていることから分かるように、純粋な直訳ではなく当時の子供達に馴染みやすくするためアレンジを加えている形跡あり(そういえばネモ艦長の〝ネモ〟という名前を全て省略しているのは何故なのだろう?)。

 

 

例えば「饅頭」「カツレツ」「豆腐」といった昔の西洋人には縁遠い日本独自の食べ物がちょいちょい出てくるが、そんなのヴェルヌの原文にある筈が無い。なんせ戦争の激化であれだけ人気があった「のらくろ」でさえ本書の発売される前の年(昭和16年)には打ち切りを余儀なくされているぐらいだ。普段よく自作に織り交ぜていたユーモラスな表現をこの本では控えているように見せかけつつ、ちょっとだけ遊んでみたくなったのかもしれない。この「饅頭」やら「豆腐」なんていう記述が海野十三本人の執筆である証拠じゃないかな、と私はニラんでいる。

 

 

海野版『海底旅行』は戦後ポプラ社から何度か再発されてきた。それらは手元に無くテキストを確認できないけれど、本文そのものは時代に合わせて文字遣いを調整しているだけだと推測されるし、一番最後に出た『海底旅行』(「世界の名作 10」)も昭和43年の刊行であることを考えると、その頃はまだ言葉狩りが氾濫する時期ではないので〝、土人〟や〝めくら〟など目の敵にされそうなワードはそのまま生き残っているのではないか。但し上段にて御覧頂いた序文「この物語について」は戦争への言及がモロにあるため、戦後版では軒並み削除されているっぽい。





海野が亡くなった翌年(昭和25年)、木々高太郎編纂監修の名のもと東光出版社から「少年科学探偵小説 海野十三全集』というジュヴナイルの選集が発売され、そこには珍しく翻訳ものの「六つのナポレオン」「まだらの紐」「赤毛クラブ」が三篇分載ながら収められていた。だからドイル翻訳も海野本人の執筆に違いないと安易に断定するのは早計なれど、少なくともウェルズ/チェスタトンに比べたら可能性は高い。 

 

 
 
(銀) 今読んでも「海底二万哩」は面白い。ことに魚介類や鳥の料理がなんとも美味そうで、ノーチラス号には相当な腕前の調理師がいると思われる。その一方、近年絶滅危惧種指定されている儒艮(ジュゴン)を銛打ちするシーンもあり、本作が1870年に書かれた不朽の名作だということも忘れ「ジュゴンを殺すなんてけしからん!即刻その場面を削除しろ!」などと喚き立てる頭のおかしなエセ偽善者が出てこなければいいけどね。


 

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2025年2月15日土曜日

『闇からの声』イーデン・フィルポッツ/井内雄四郎(訳)

NEW !

旺文社文庫
1977年3月発売



★★★★  ホテルの部屋に死せる少年の怯えた声が・・・




私にとって「闇からの声」の翻訳者と言えば井上良夫だが、ここでは彼の訳は採らず、昭和後期の井内雄四郎を選んでみた。井内は同じ旺文社文庫で『赤毛のレドメイン家』も手掛けている。本書カバーイラストは石垣栄蔵の仕事。

 

 

「闇からの声」 歴代訳書一覧 

(ジュヴナイル本は省略した)

 

井上良夫       大元社                                  昭和17年刊

  〃        新樹社「ぶらっく選書16               昭和25年刊

  〃        早川書房「HPB 243」                   昭和31年刊

荒正人        東京創元社版「世界推理小説全集13          昭和31年刊

  〃                 東京創元社版「世界名作推理小説大系8」          昭和36年刊

  〃                 東都書房版「世界推理小説大系15」               昭和37年刊

橋本福夫                創元推理文庫                                       昭和38年刊

荒正人                 講談社版「世界推理小説大系6」           昭和47年刊

井内雄四郎      旺文社文庫 (本書)             昭和51年刊

荒正人        講談社文庫                           昭和53年刊

 

 

〝ほら、あのあわれな子供の声のことですよ。わたしはあの謎の底を突きとめなくてはいけません。さもなければ、底がないのだと率直に白状し、子羊のようにすごすごと、降霊術師に降参するほかはない。やつらはすでにわたしが軍門に下ったと主張しているのです。なんでも、人の話では、あの裁判このかた、何十人ものひとびとが信者になったそうですよ。でも、わたしは信者に加わりたくはない ― わたしの中のあらゆる本能がそれに反対しているんです〟

 

 

神経質で病気がちなルドヴィク・ビューズ少年(=ルドー)は静養に訪れたオールド・マナー・ハウス・ホテルの自室で深夜、恐るべき悪魔の仮面を目にして ただならぬ恐怖を覚え、遂には死に至る。不幸なルドーは脳膜炎になってしまったのだけど、現代の医学データによれば脳膜炎の発症は外的なウィルスや細菌が原因だそうで、ルドーみたいな症例は可能性として実際に有り得るのか、それとも作者が話を盛っているのか、専門の医者に訊いてみたいところだ。

 

 

警察を隠退してオールド・マナー・ハウス・ホテルにやってきた主人公ジョン・リングローズは子供に対する残虐な仕打ちに深く烈しい憎しみを感じる男ではあるものの、トータルで見てバランスの取れた性格付けがなされており、我々読者は快活で優秀なこの元刑事をスムーズに受け入れることができる。ルドーの死が殺人だと確信したリングローズは偽名を使って関係者達の懐へ入ってゆくのだが、積み重ねたキャリアに裏打ちされた狡猾さと慎み深さ、更に誰からも好感を持たれる明るさをフルに活かして次々相手を攻略。

 

 

「闇からの声」といえば心理描写の面を褒め称える声が多い。ビューズ家の召使アーサー・ビットン/ルドーの姉ミルドレッドとの婚約を破棄された青年医師コンシダイン/象牙細工フェチの男爵バーゴイン・ビューズ(=ブルック卿)、この三人とリングローズとの対峙がスリリングに描かれ、その部分がしっかりしているからこそ、オカルトめいた事件が論理的に説明されてゆく流れも楽しめる。

 

 

オカルト要素、すなわちリングローズがホテルの室内で二度も耳にした(既に死んでいる筈の)ルドーが助けを求める声の謎については人によって意見が分かれるかな。エンディングを台無しにするほどではないにせよ、思わず膝を打ちたくなるアイディアとも言えず、微妙な真相でね。ただ、悪魔の仮面を用いて少年を恐怖の淵に追いやる企みしかり、機械仕掛けに頼った犯罪ではない。終盤におけるリングローズ対真犯人の対決シーンにしても、キャンティはともかくサンドウィッチの欺瞞はバレなかったのか?とか一言突っ込みたくなる要素もあるにはあるけど、目を見張るレベルのトリックさえ求めなければ十分満足できる作品と言えよう。

 

 

 

(銀) この前upしたヴァン・ダイン「カナリア殺人事件」とは対照的な本作。音楽の世界でも詞はすごく良いのに曲がもうひとつだとか、その反対に作曲/アレンジは素晴らしくても作詞がお粗末とか、両方とも超一級なミュージシャンはそう滅多にいるもんじゃない。ミステリの世界も同じで、トリック/物語ともに突出している作家となると数は相当限られてくる。