2022年1月29日土曜日

『日本橋に生まれて』小林信彦

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文藝春秋
2022年1月発売




★★★    『文春』コラム完結す



「人生は五十一から」と題した『週刊文春』小林信彦コラムは199811日号よりスタート。                     途中でタイトルを「本音を申せば」に変更し、長い長い連載は地道に続いてきた訳だが、                        昨年(2021年)の夏に前振りも無く突然このコラムは終わりを迎えたので、                                同シリーズの単行本も二十三冊目の本書が最後。今回はいつもと異なり、                            前半に201811月からコラム内企画として八か月間執筆された「奔流の中での出会い」が、                         後半に2021114日号から78日号最終回までの通常運転コラム「最後に、本音を申せば」25回分が収められている。

 

 

 

「奔流の中での出会い」は小林と関わりがあった故人の想い出話だと早合点されそうだけど、                         現在活躍している人についても言及あり。中でもひとりだけ若い柄本佑の回があるのは、               NHK2016年に小林の『おかしな男 渥美清』をドキュメンタリー・ドラマ化した折、             渥美清を演じたのが彼だったから。                                   その登場人物を掲載順に記すが( ⤵ )費やされたページ数(掲載回数)は人によって異なる。

 

野坂昭如/山川方夫/渥美清/植木等/長部日出雄/

大瀧詠一/井原高忠/江戸川乱歩/柄本佑/笠原和夫/

横溝正史/橋本治/内田裕也/大島渚/坂本九/タモリ/伊東四朗

 

小林の著書をマメに読んでいる人なら、度々目にしたエピソードでおなじみの顔ぶればかりだが若い頃渡辺プロに所属していた内田裕也が先輩の植木等のところに謙虚に挨拶にくる話や、                  新宿で赤塚不二夫と飲んでいた小林がすっかり酩酊して、赤塚に飼われていたタモリにタクシーで送ってもらう話などはこれまで読んだことのない蔵出しネタかも。                      橋本治の回で山崎豊子を礼賛しているのもGood。



あと普段はナイアガラのCDを聴いてはいるけれど、大瀧詠一を妙に神格化する世間の無節操さには違和感があって、大瀧や山下達郎のことを〝師匠〟だの〝御大〟だのと呼ぶ輩や音楽雑誌(『レコード・コレクターズ』)はなんだか頭悪いな~と思っている。そんな自分にとって、                        小林が大瀧の小児性を(やんわりと、だが)指摘しているのは、大瀧より年上だからとはいえ、                  久しぶりに「さすが小林信彦」と感心できる瞬間だった。大瀧について今、              こんなシビアな発言ができる人間がいるとしたら、もう松本隆と小林ぐらいしかいないもんな。

 

 

その反面 江戸川乱歩の回で、無職時代の小林は乱歩邸に招かれる前に戦前の新潮社版『江戸川            乱歩選集』を貸本屋で借りて読んだと述べているけれども、                                   以前小林は文春文庫版『回想の江戸川乱歩』182~183ページ「文庫版のためのあとがき」で、                                「乱歩邸を再訪したのは三十一年ぶり、(中略)〈二十畳ほどの洋間〉の外には、                  ぼくが初めて目にする古書(例えば新潮社版の『江戸川乱歩選集』など)が多く置かれていた             のが目に付いた」って書いてたじゃ~ん?                                 この数年ずっと危惧してきた事だけど、ご老体の記憶力の減退は如何ともしがたく、                           同じ本の中でさえ見飽きた同じネタが繰り返し出てくるのはちょいとキツイ。                                (植木等の「まだ営業、イケますかね?」発言とかね)                          小林が『あまちゃん』に入れ込んでたのっていつだっけ? 八年前(2013年)か。                              あの頃に思い切って連載終了してもよかったのかも。                                   結果論とはいえ2017年には脳梗塞になってしまうのだし。




◕ ひとつ苦言を。                                                       これは小林信彦と『週刊文春』に限った事じゃなく、日本のメディア全体に対して。                                       例によって小林は菅義偉内閣をボロカスに言ってて、それは結構なんだけどさ。                  日テレ/細野邦彦プロデューサーの子供の頃の武勇伝が書かれている251ページで、             細野少年の喧嘩相手を〝某国の少年たち〟なんて著者は書いているが、                          前後の文脈から、どう考えてもこれ朝鮮半島出身者の事ではないか。                         なんでわざわざ〝某国〟なんてボカす必要があるんだ?                            自国の事は言いたい放題なのに、朝鮮半島人の事になると何故こんなにへっぴり腰になるのか?                          こんなヘタレな表現は実に見苦しく、いい加減に止めたらどうよ。

 

 

 

◕ 話を元に戻そう。連載終了といえば、                                               新年早々「二〇二一年もよろしくお願いいたします」と書いていながら(本書158ページ)、                       なぜ小林はこのタイミングでコラムを唐突に終わらせたのだろう。                                         あれだけ批判していた東京オリンピックが決行されてクサっちゃったのかな、とも考えたし、                    奇しくも小林著書の装幀仕事をいつも担当してきた平野甲賀が亡くなったのがこのコラムの終了する数ヶ月前だったから、その影響も大きかったのかなとも想像するけれど、                                  〝どうして終了するのか〟本書のあとがきで、その理由はなにも触れられていない。               終わる時なんてそんなものなのかもしれないが・・・。

 

 

 

コラムの終了した翌月に『週刊文春』に掲載された小林信彦特別インタビュー「数少ない読者の皆さんへ」は本書に収録されるかと思ったが、されなかった(文庫にボーナス収録か?)。                  そのインタビューから拾い出してみると、                                             「これ(毎週のコラム連載)やっていると、結構キツイ」                                        「やっぱり小説を続けないわけにはいかないだろうと思います。                                       もともとそういうつもりでこの世界に入ったから。」だそうで。                                       小林の自己都合で終了したのならいいけど、                                         最近はラジオもテレビも長寿番組が次々リストラされるご時世。                               「もう止めるほうが正解」だと思いながらも、連載の終わり方を私が気にするのは、                                小林の好きな伊集院光のラジオ番組の打ち切りと同じような理由で、                         『文春』の連載が終わらされたのでなければいいが・・・と、ふと懸念したからだ。 




(銀) とにもかくにも、長い間お疲れ様でした。                                 二十数年、なんだかんだ言いながら楽しませてもらったのは間違いない。                                        これでコンビニに行った時に立ち読みする雑誌がなくなってしまった。                            その代わりじゃないけど、現代の喜劇人として小林が最も期待している大泉洋が源頼朝役で                 出演する『鎌倉殿の13人』は私も最後までバッチリ観るつもりでいる。