何も無いゼロから新しいものを生み出すのが〝小説〟だとするならば、 小林信彦という人は小説家にはあまり向いていない。 批評する対象がまずあって、それをしつこく突き詰め咀嚼し自分なりの〝ひとつの表現〟として編集する才のほうが彼は長けている。「喜劇人」本も『小林旭読本』もそうだし『文春』コラムでずっと続けている映画評論にしたって同じ、彼のハラワタから形を成して出てきたものだ。 小林の書く小説を一通り読んできたけれど、自分自身の投影(怨念のこもった内容が実に多し)あるいは既に存在しているテーマや偶像のパロディ、このふたつの要素に集約される気がする。あれだけミステリにもSFにも詳しいのに、その方面でオリジナリティあふれる飛び抜けた成功作は無い。小林の場合は小説以外の仕事がどうやっても小説仕事に勝ってしまう。
先日『「新青年」趣味』の記事で「探偵作家の日記って、どうしてこんなに面白いんだろう」と洩らしたが、この言い方は正しくなかった。ブライアン・イーノ『A Year』等の例を挙げるまでもなく、興味を抱いている人の日記だったら探偵作家じゃなくてもそりゃ飛びつくでしょ。 最初から商売目的で書かれていない無責任さが好ましいし、余計な修飾が無いぶん日記本は何度でも読み返せる。まして小林信彦は活字の世界だけでなく、番組の中で北島三郎と一緒に歌を 唄ってしまうほど黎明期のテレビ業界とも係わりが深かった多面体な人。 比類なき『横溝正史読本』だけでなく重要な一冊である日記本の魅力に世間がちっとも気付いてくれないから、今回は本書にズームイン。
小林は幼少期から欠かさず日記を書いていて、出版社から「60年代を背景にした小説を」という要望が来て、こういう形へと落ち着いたそうだ。「これは正確には日記(抄)である」と断っているのは、本書の原文である60年代に書いた個人的な日記の中から〈時代の表出〉にマッチし、なおかつ特に小林がこだわりたかった部分だけを選りすぐっているから。 世に知れたらヤバそうな箇所をすべて抜いていったとしても1959~1970年分の日記を全部収録してたら、とても単行本一冊じゃ足りそうにないもんね。
小林信彦個人史的で見ると『ヒッチコック・マガジン』の立ち上げに始まり、井原高忠との付き合いを中心としたテレビ・ラジオでのマルチタレント業、そして宝石社の退職、作家を目指すもすぐに結果は出ず小さな雑文業で食い繋いでゆくうち『喜劇の王様たち』出版の話が来る、 といった26~37歳の時代。この10年の重大ニュースとして本書にて言及されている中では、 最後のほうに出て来る〝三島由紀夫自決〟もショッキングだが、なんといっても注目は〝東京 オリンピック〟であろう。あの頃から小林は日本国内でのオリンピック開催を嫌っており、 どうやら今回の令和 Tokyoオリンピックは彼にとって前回以上の憂鬱な日々になりそう。 同じくオリンピック日本開催否定派を貫いてきた久米宏は今何を考えているのか。
好きな人間と嫌いな人間に対する意識の差が実に極端、という傾向もある。 「こんな嫌いな奴の事なんて日記に書く必要ないのに」と私なら思ってしまうような事でも、 彼は書かずにはいられないのだろう。とはいえ『ヒッチコック・マガジン』編集長を降ろされる前後の経緯は『夢の砦』に書いたせいか、ここでは省略された。 芸能界と小説執筆舞台裏に関する文量は申し分ないとして、江戸川乱歩やその周辺についての 生々しい情報がもう少し知りたい。日記の原文には書いてあって、本書にする時カットしたのかもしれないが。それとのちに彼が地味ながら食道楽になるのは、この時代にテレビ関係者と会食してシャレた食い物の味を覚えたからに違いない、と私は見ている。
若くて血の気が多かった頃の信彦氏の一挙手一投足は自然と、もう戦後ではない日本の首都東京で起きていた60'sカルチャーの貴重なレポになっていて、失礼を承知で言わせてもらうならば、 もし小林信彦が天命を全うしたなら通常の作家のような ❛小説をメインとした全集❜ ではなしに ❛日記全集❜ で追悼して頂きたい。だって小説もエッセイも評論ものも数が多すぎて、今時そんなボーダイな巻数になる全集なんてどこの出版社も出そうとしないだろ。 でも日記の全集ならば・・・本書のように各10年分を一冊にeditしてみるとか。最大の理解者 である賢夫人の奥様に本当は編纂をお願いしてほしいところだが年齢的に難しそうだし、 編集者の仕事をしている娘さんならどうか? 小林本人がまだ健在なのに調子に乗って没後の話をするのもアレだけど、『小林信彦日記全集』が刊行されたらきっと過去に前例のない時代観察 資料になる。
(銀) 余談をいくつか。本書の初刊である白夜書房版単行本は『小林信彦60年代日記』という書名で発売された。残念ながらそっちは持っていない。『ズームイン!! 朝!』を日テレが始める きっかけを作ったのも井原高忠。昔から私は夜型ゆえ朝テレビを見る習慣がなくて、あの番組をじっくり見た事が一度もない。それと本書を読んでビックリするのは、この時代の芸人には字を読めない人がいたという事(視力が弱いという意味ではない)。昔の芸人のステイタスがあまりに低かったのは、こうした貧しい出自と無関係ではあるまい。
横溝正史が生前刊行したいくつかの著書に入っていた日記(抄)が、文庫化の折に全て削除 されてしまい現在に至っている事は前にも述べたかもしれない。プライベートな記述があって それを家族が嫌がるのであれば、そういう箇所はdeleteしてかまわないからせめて創作に関して語っている部分だけでも拝読させてほしい、というか一切合切闇に葬るのだけはヤメテクレ。 正史の娘が結婚する前にお見合いがポシャっていたとか、少なくともそんな話は私の興味の対象ではないのだから。