2023年4月20日木曜日

ミステリ同人出版のルフィとその子分は誰だ?

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◆ 伊東鍈太郎『闇に浮かぶ顔』東都我刊我書房 

◆ 杉山淳『怪奇探偵小説家 西村賢太』東都我刊我書房 

◆ 鷲尾三郎『影を持つ女』東都我刊我書房 

◆ 鷲尾三郎『葬られた女』東都我刊我書房 

◇ 楠田匡介『マヒタイ仮面』湘南探偵倶楽部 

 


年寄りの同人出版とはいえ、テキストを入力したあと正誤チェックをやりもせず、ステマとしか思えない売り方をしたり、作者/著作権継承者/購入者を完全にナメた本を制作・販売している一味。

 

東都我刊我書房の関係者(善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力)に襟を正す気持などありはしない。その一方でテキスト壊滅状態なこれらの本を入手して読んでも何ひとつ疑問を持たぬばかりか、嬉々として積極的にネットで情報拡散したり誉めそやしたりする人間も存在する。

 

見て見ぬふりをして知らぬ存ぜぬを決め込んでいる輩も同罪だが、こんな本を臆面もなく有難がっているのはいったいどんな人種か知りたくありませんか?Twitterのアカウントをお持ちの方は彼らに直接「おたくら、あんな酷い本を読んで何も思わないのですか?そもそも買って一度でも目を通したんですか?」と訊ねてみるとよろしい。本当にその作家や作品が好きならば「もっとちゃんとしたテキスト入力をして下さい」とでも制作者に伝えるのが普通だと私は思うのだが、本日の記事を読んで下さっているアナタはどう考えます?下記に紹介する一部の人々のような「自分の好きなものなら、たとえどんなにいい加減なテキスト入力をしていても全く問題ない」といった意見に賛同しますか?



nobocyan(aicc3401)/@nobocyan1 





呉エイジ/@kureage 



   




藤原編集室/@fujiwara_ed 








風々子/
@fuufuushi 








仰天の騎士/@gyoutennokisi 








高井信/@takai_shin 


















羽虫
@Ha8mu6shi4 








黒白/
@MadHatter1933 






北原尚彦/@naohikoKITAHARA 







sugata/
@sugatama 








2023年4月14日金曜日

乱歩研究のプロに事実確認ひとつ取ろうともしない立教大学のキョージュ

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おととい4月12日の『名張人外境ブログ2.0』。


「池袋雑筆についてお答えします」 


江戸川乱歩が随筆雑誌『三十日』の第二巻第一号に「池袋雑筆」というちょっとしたエッセイを寄稿していた。その存在は「江戸川乱歩執筆年譜」昭和24年度上にて抜かりなくチェックされているのだが、中相作によればこれは乱歩本人の書いたものではないそうで、「江戸川乱歩執筆年譜」には〝偽作〟の注記が見て取れる。

 

 

立教大学の江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが時々発行している『センター通信』なる館報っぽい刊行物(以前このBlogでも15を紹介しましたね)、それの最近出来上がった第17号に研究センターの石川巧が【「ほんものが生きてゆけない世間」への憂い】と題した論文を書いているそうな。

その論文の中で「池袋雑筆」に言及しているらしく、『センター通信』第17号を見たと思しきどこぞの誰かが〝「池袋雑筆」を偽作と見做した根拠は何でしょうか?〟と中氏に訊ねてきた。で、中氏は即座にその根拠となる画像を提示。乱歩が生前自ら記した目録のコピーを中氏は所有しており「江戸川乱歩随筆評論の本にならないもの発表順目録」と書かれた箇所にハッキリ「池袋雑筆」は〝偽作〟と書かれていたので、そう判断したとの事である。ここまでが『名張人外境ブログ2.0』からの情報であります。

 

 

その後、私も『センター通信』第17号を入手。「池袋雑筆」の全文並びに石川巧による件の論文を確認した。石川の【「ほんものが生きてゆけない世間」への憂い】を読むと、「池袋雑筆」を取り上げるにあたりwebサイト『名張人外境』の「江戸川乱歩執筆年譜」を見て、中相作がこのエッセイを〝偽作〟としているのは一応確認したようだが、論文の中で石川はこんな事を書いている。

 

〝中相作がどのような根拠に基づいてそのように表記したのかは不詳だが、『三十日』という雑誌の信頼性および「池袋雑筆」の内容から類推する限り、この随筆を「偽作」とする理由は見出せない。〟

 

 

                    



さて、本日の記事を御覧になり「『センター通信』入手できないよ」という方はBlog画面左上の画像をクリック拡大し、『センター通信』第176ページに転載されている「池袋雑筆」の全文を読んでみて下さい。「池袋雑筆」に目を通して私が感じたのは、内容どうこうというよりも、そこで使われている言葉遣いへの違和感である。中相作には到底適わないものの、人並み以上に乱歩を読んできたつもりだし、ワタシの頭の中には〝乱歩らしい言葉遣い〟のイメージがある。しかし、「池袋雑筆」に見られる文章はどこかしら、そのイメージから逸脱しているような気がする。

 

 

例えばコチラ。旧仮名遣いになっている文字があるけれど、雑誌『三十日』の「池袋雑筆」にはこのとおり印刷されているのを石川巧が転載したのであろうから私のタイプ・ミスではないですよ。

 

〝みんな酔ひどれ天使を気取る兄ちゃんや姐ちゃんである。〟

〝おきのどくながら「馬鹿正直」という言葉が口え上るのだ。〟

 

酔ひどれ天使? 兄ちゃん姐ちゃん? おきのどくながら? 
小説の中に登場する人物のセリフならまだしも、乱歩が心のうちを随筆に落とし込む際、こんな言葉を選ぶかなあ?仮に、中相作による偽作注記を見る前に、私が「池袋雑筆」を読んでいたとしても、(感覚的な物言いで恐縮だけど)上記二行だけでなく全体を眺めても〝乱歩らしさ〟というよりは〝乱歩らしくなさ〟のほうが私は勝ってしまうけどねぇ。

 

 

                     



それ以上に気になる事がある。中相作は自身のwebサイトに必ず連絡先のメアドを載せている。世の中には相手の肩書きによって大きく態度を変える輩もいるが、常識的な節度を持って江戸川乱歩に関する質問をすれば(その質問内容にもよるが)誰に対しても明快な回答を返してくれるのが中相作という人だ。

そこまで中氏は手厚く質問を送信する窓口となるメアドまで載せているのに、なぜ石川巧は中氏へ確認するアクションさえ起こさず、〝この随筆を「偽作」とする理由は見出せない。〟などと書いたのだろう?この世界に疎い一般人ならいざ知らず、江戸川乱歩記念大衆文化研究センターを名乗っている集団の一員が、乱歩研究の大家に問い合わせてみる程度の事をやりもせず中氏の見立てを否定するのは、怠惰かつアンポンタンと云われても仕方がない。

 

 

石川巧については言いたい事がいろいろあるが、今日はそれをやっている暇が無い。興味のある方はこのBlog画面の右上のほうにある「このブログを検索」のところに石川巧と打って検索して頂ければ、彼について書いた過去の記事が読めます。

 

 

 

(銀) 本日の記事を書くため久しぶりに江戸川乱歩記念大衆文化研究センター公式HPを開いてみた。そこにはセンターの組織人員が掲載されていて、現体制は以下のようになっている。


 

センター長  

金子明雄    (文学部教授)

 

 

運営委員  

井川充雄    (社会学部教授)

石川巧     (文学部教授)

石橋正孝    (観光学部准教授)

尾崎名津子 (文学部准教授)

川崎賢子    (清華大学日本研究センター客員研究員)

菅谷寧   (総長室事務部長)

土居浩   (ものつくり大学教授)

野中健一  (文学部教授)

細井尚子  (異文化コミュニケーション学部教授)

水谷隆之    (文学部教授)

宮川健郎    (武蔵野大学名誉教授)

 

 

所員

後藤隆基     (助教)

 

 

あれ、石川巧って知らぬ間にセンター長から降ろされたのか。それにしても石川だけでなく石橋正孝って・・・。江戸川乱歩記念大衆文化研究センターのこの先が思いやられる。




2023年4月12日水曜日

翻訳家 T 氏への私信

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T様

はじめまして、銀髪伯爵と申します。この拙いブログを時々覘いて下さっていると知り、改めて御礼申し上げます。御名前はよく存じ上げており、本日の記事にT様のweb日記へ案内するリンクを張ることも考えたのですが、(第三者が調べればすぐにわかることなれども)今日のところは御名前をイニシャル表記にさせて頂いた上で話を進めたく思います。


 

 

このところT様の日記を拝読しておらず、また私がSNSを嫌悪していてコミュニティの繋がり等も無いので、三月末にT様の身の回りで起きた不快な事について、全く把握していませんでした。例の小野塚力という人物、左川ちか研究者・島田龍氏の怒りを込めたツイートを傍から観察していて相当異常だとは感じていましたが、まさかT様までも犯罪者呼ばわりするとは・・・自分らのやっている悪行は棚に上げて、いったいどの口でほざいているのでしょうね。



私は島田氏とも全く面識はありませんが、おそらくT様におこなったのと似たような恫喝口調で、これまで左川ちか本の発売を妨害してきたのだろうなと推察します。T様へメールを送って寄越すぐらいですし、小野塚力はT様の連絡先を知っている程度に同業の顔見知りなのでしょうか?あまりにも不遜かつアタマが悪すぎて、私にはT様に近い同業者とはとても思えませんが。あいにく文学フリマには行ったことがなく、小野塚力がどの程度盛林堂のブースでデカイ態度でふんぞり返っているのか、残念ながら存じ上げません。なんでも善渡爾宗衛は昔熊本で梶尾真治氏らとSF同好の仲間だったそうですね。



 

 

従いまして私は惜しい事に、T様の日記において現状(とりあえず)封印されている「小野塚氏の高飛車メール」「小野塚氏の高飛車メールふたたび」「その後の小野塚氏」並びに「一人三役疑惑」(改稿前ヴァージョン)の四エントリを読み損なってしまいました。とはいえ現在読めるエントリを拝読して漠然とですが、どんな事がT様の身に起きたのかは把握できました。「善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳が一人三役」というのは彼らを揶揄う意味でふざけて書いただけですので、「アホか」と笑って読み飛ばして下さい。

 

 



真面目な話に戻します。そもそもこの三名が盛林堂書房を根城に、テキストのチェックをしないまま制作した本を法外な価格で販売し続けていなければ、私もこんなキャンペーンを張る(?)ことはなかったでしょう。
 


所詮当方はこのブログでの狭い発言にすぎませんが、島田龍氏は自身のtwitterにて善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳の〝あくどさ〟を拡散してくれました。しかし彼らは自省ひとつするどころか『怪奇探偵小説家 西村賢太』のようにステマとしか思えない銭儲けさえやっています。



彼らの息がかかったレーベルでは〝東都我刊我書房〟の本しか私はチェックしておりませんけれども島田龍氏は〝えでぃしおん うみのほし〟から出た左川ちか本の内容を批判しておられましたし、また〝綺想社〟という海外ものを扱うレーベルの本は、まるで翻訳サイトを使って素人が訳したような文章だとの噂も耳にしています。〝綺想社〟の本はT様の御仕事に関係してくる分野ですから、より詳しい事情を掴んでいらっしゃるのではないでしょうか?






私の記事を取り上げて下さったせいで小野塚力からT様へ無礼極まる攻撃が発せられ、申し訳なかったなと恐縮しておりますが、こういう輩は何を言っても無駄なのでしょう。他の方へ同調を求めるようなことはなるべくしたくないのですが、常々ブログで申しておりますとおり、いくら同人出版とはいえ、こんな本を販売させ続けていい筈がありません。



他人の作品を踏み躙る彼らの行為をどうしたら止めさせられるか、良いお知恵がありましたなら無理のない範囲で結構ですので、web日記にてこっそりご教示頂けましたら幸いです。彼らは今度は近松秋江と渡邉文子をエサに、ボッタクリ本でまた金を巻き上げるつもりのようです。近いうちに私もまた次の矢を放つつもりでいます。


最後になりますが、これだけ悪質なテキストの本が出回っているのに、ミステリ好きなどと名乗っている連中が、まるで坂本勇人の女性問題に関する読売ジャイアンツよろしく固く口を閉ざす中、この件にT様が触れて下さいましたことを心より感謝致します。



銀髪伯爵




2023年4月10日月曜日

『怪の物』黒岩涙香

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明文館書店  縮刷涙香集第二十二編
1921年10月発売



★★★★★   いまこそ、涙香に還れ

 

 


「怪の物」と書いて「あやしのもの」と読む。

縮刷涙香集『怪の物』にはドクトル・エマニエル原著/黒岩涙香譯とあるが、本当のオリジナルはエドモンド・ドウニイの「小緑人」。ちなみに私はオリジナル版の忠実な翻訳を読んだことが無い。そもそも「小緑人」って近年翻訳されているのか、またエドモンド・ドウニイという作家には他にどんな作品があるのか、それさえも自分で調べていなくて不明な事だらけ。

 

 

語り手である江間寧児医師のキャラからして、「余は極めて陰気なる人にして幼き頃より他人と多く交るを好まず、従って親友と云う者も無く(中略)余は此世の中に、独り鬱々と塞ぎ込み、楽しからぬ月日を送る程楽しき者は無しと悟れり」ときている。厭人癖が強かった戦前の江戸川乱歩は江間をそっくりそのまま地で行っているようなもので、そんな乱歩がこの小説を好まぬ筈がない。

 

 

倫敦西部の町外れ。外科開業医某氏の後を買い受け、荒地の寂しい一軒家に引き籠って暮らしている江間はある夜、(その一帯に建っている)長く人の住んでいない荒廃家の窓に燈火の光が洩れているのを見た。その翌晩窓辺に佇んでいた彼は、宵月にして薄い霧が立ち込める茂みの中に異様なる怪物の眼が光っているのに気付き戦慄する。印象深きこのシーンが乱歩小説いずれにサンプリングされているか、あえて説明の必要もあるまい。

 

 



黒岩涙香作品は明治から大正初期に書かれ、その文章は文語体から成る。だからといって学校で習う古文ほど難しくはないのだから、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』同様その気になれば現代人だって決して読めないテキストではないのだが、敷居が高いのかムチャクチャ面白いわりにちっとも復刊されない。幸運にも「怪の物」は学研M文庫『伝奇ノ匣 〈7〉 ゴシック名訳集成/西洋伝奇物語』に収録されたが、もう二十年前の本ゆえ今では再び現行本で読めない状況にある。

 

 

馬琴も涙香も原文に味わいがあるのであって、これを下手に現代語訳してしまうと面白くもなんともなくなってしまう。2018年に河出書房新社が乱歩訳の涙香『死美人』を復刊したが、これは例によって乱歩が名義貸ししているだけで自ら筆をとった訳ではないから、涙香の良さも乱歩の良さも全く味わえない。涙香も乱歩も、語り口の醍醐味が魅力の半分以上を担っているのだし、それを表現できない書き手が現代語に移し替えたところで意味が無い。

 


私自身二次創作ものを毛嫌いするくせに『新八犬伝』だけ例外的に褒めちぎっているのは、石山透と坂本九のふたりが馬琴節の美味しいところを絶妙に噛み砕いて講談調に移し替える事が奇跡的にできていたから。言い方を変えれば、同じ辻村ジュサブローの人形を使っていながら『真田十勇士』が『新八犬伝』ほどウケなかった理由はいろいろあるけれど、やっぱり石山透+坂本九レベルの(耳に)心地良いノリを生み出せなかったためだろう。それほどまでに〝物語る力〟は重要なのだ。

 

 

 

(銀) 二週間前の326日付記事にて竹田敏彦『薔薇夫人』を題材にし、「やっぱ涙香は面白いよな」と再認識したのもあって偏愛するゴシック長篇「怪の物」を取り上げた。スマホ中毒になっている令和の日本人に文語体の明治大正小説を受け入れさせるのはなかなか難しいにせよ、せめてニッチな読者だけでもある程度の涙香作品が読めるようになればいいのに。でも、現代語でさえろくに校正・校閲しない奴が多いのだから、文語体だとますますグシャグシャなテキストにされそうだ。




2023年4月8日土曜日

『橘外男海外伝奇集~人を呼ぶ湖』橘外男

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中公文庫
2023年3月発売



★★★★   ある意味では笑えるエグさ




今日の記事で橘外男作品に登場する地名というのは、事実であれ、でたらめであれ、全て20世紀前半のものだから、その辺はしっかり踏まえた上で誤解のないよう。

 

 

「令嬢エミーラの日記」

八つ裂きにされた年若い婦人の屍のそばに落ちていた血まみれの日記帳。国境調査隊がそれらを発見したのは、獅子・虎・毒蛇・豹以上に現地の土人達が恐れる類人猿(ゴリラ)の森。舞台となる阿弗利加大陸アンゴラの位置はこちら(以下、地図はクリック拡大して見よ)。



 

 






「鬼畜の作家の告白書」

作家セザレ・ダミアニは四十六歳にして成功こそ収めているけれど、容貌が醜いだけでなく軽度の傴僂。ずっと憧れていた絶世の美女アリシアが夫の死によって独り身になり、苦心の末にダミアニは彼女から結婚の承諾を得る事に成功する。しかし・・・。どう見たって鬼畜はアリシアのほうだろ。舞台となるブエノスアイレスの位置はこちら。



 

 






「聖コルソ島復讐奇譚」

本書の中ではこれが一番好き。もっとも読み終わってイヤ~な後味が残るのも突出して本作なのだが。

 

ヨネス・ヘルマノス教授の娘ヴェルデは語り手である〝私〟の恋人。ヴェルデの兄マリオは女中として雇われている十七歳の少女マルガリタに恋焦がれている。マルガリタの実家がある聖コルソ島はヴェネズエラ人なら誰もが忌み嫌う残忍な民の住む地で、教授はマリオにマルガリタとの仲をスッパリ諦めさせようとしたが・・・。

 

Google Mapで聖コルソ島らしき島は見つからん。作中にはマラカイボ港とハッキリ明記されており、この小島は現在でいうところのマラカイボ湖上にあると思われるけれど・・・。ある程度は真実でも、それ以外は橘外男のでっち上げ?マラカイボの位置はこちら。



 

 






「マトモッソ渓谷」

パラグアイとボリビアが係争する紛糾地帯グランチャコ。その奥地に砂金成金を夢見て足を踏み入れた、アルゼンチンからやってきた青年鉱山技師一行。這う這うの体で彼らが発見した、人の住んでいそうな洞穴。その中で見たものは・・・?マトモッソ渓谷とやらも本当に実在したのか疑わしい。グランチャコ地方の位置はこちら。



 

 







「ムズターグ山」

北緯三十七度から三十八度九分、東経七十七度六分から七十九度にかかる一帯。太古より、人跡未踏のムズターグ山は魔物ウニ・ウスが住むという言い伝えがある。それを無視してやってきた探検隊を襲う謎の影。ネットでムズターグアタ(現代のキルギスの南で、タジキスタンの東)がヒットするから、これは満更ウソでもないみたいだ。ムズターグアタの位置はこちら。



 

 







「殺人鬼と刑事」

むごたらしい犯罪実話的な内容。スウェーデンが舞台だが秘境ものではないし、もう面倒くさいから、これと次は地図省略。

「雪原に旅する男」

こちらも獣人や秘境は描かれておらず、一種哀切を感じさせるようなアラスカの物語。

 

 

「人を呼ぶ湖」

少女小説ながら〝荘厳さ〟さえ漂うストーリー。『池の水ぜんぶ抜く大作戦』みたいな手段で、人は湖底の神秘を暴き立てる。タイトルにあるベルサ湖というのは東チロルのカルニオラ地方にあると書かれているが、これもGoogle Mapでそれらしき湖を見つけられないため作者の法螺っぽい。



 

 








高橋鐵の幻奇小説が「ミステリ珍本全集」に収められた際「もっと下世話なハッタリをかませばよかったのに」と私は感想を述べた。橘外男の場合だとやりすぎの感無きにしも非ずとはいえ、ここまでハッタリをかませられなかったがゆえ高橋鐵は橘に大きく水をあけられてしまった。

 

 

 

(銀) 橘外男のこの手の作品をある程度読み進めていくと、本来エグい筈なのになぜか笑ってしまう。それはあたかもドリフのコントとか戦前だったら高勢実乗の名台詞「アノネおっさん、わしゃかなわんよ!」しかり、来るぞ来るぞと待っていれば必ずキメてくれる芸風にも似て。

 

満点にしなかったのは前回の『橘外男日本怪談集 蒲団』と同じ理由。





2023年4月3日月曜日

『肌色の月』久生十蘭

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光文社文庫 探偵くらぶ 日下三蔵(編)
2023年3月発売



★★★   狂えるポリコレ信者ども、
             お前らの盲信を他人に押し付けるな




中篇というか短めの三長篇「金狼」(昭和11年)「妖術」(昭和13年)「肌色の月」(昭和32年)、そして五短篇「妖翳記」(昭和14年)「酒の害悪を繞つて」(昭和15年)「白豹」(昭和15年)「予言」(昭和22年)「母子像」(昭和29年)が収録されている。この文庫の中では、久生十蘭が愛着を示した「予言」「母子像」よりも戦前作品のほうが私の趣味に合う。病床での仕事ゆえ「肌色の月」はあるキャラの造形に若干ふらつきも見られるのだが、連載時のコンディションを考慮しても健闘したスリラーであると言えよう。




十蘭最期の様子は、癌のため「肌色の月」完成目前で斃れた夫に代わり物語を締め括ってくれた幸子夫人記すところの、なんとも身につまされる闘病記に詳しい。それを受け、中井英夫が万感の思いを込めて寄稿した中公文庫版『肌色の月』解説がまた素晴らしく、十蘭ロスの読者へ伝えなければならぬ心情をたった7頁で余すところなく表現している。評論家を名乗っているのに作品内容を咀嚼した解説が一切書けない日下三蔵。本来なら(中井の名文には遠く及ばずとも)自分自身で力のこもった文章を書くべきだろうに、くだくだ理由を付けてまたも他者の解説を流用、どこまで行っても書誌データしか書けず。


 

 


本書を読んだ人は、殺人現場での〝むせっかえるような屠殺場の匂い〟という表現があるため「金狼」の収録をやめてほしいと日下に迫った光文社の姿勢を「???」と思ったに違いない。当Blogでは言葉狩りによって作品をスポイルされた本の例を幾度も取り上げてきた。その中から光文社文庫版『江戸川乱歩全集』にて特にこの種の食肉関係団体からの抗議を恐れ、【皮屋】【屠牛】というワードがこっそり消し去られている事実を述べた記事二つ、下段に貼ったリンクより御覧頂こう。

 

2023120日付記事/『空中紳士』耽綺社 

2020627日付記事/『江戸川乱歩全集第5巻 押絵と旅する男』 

 

結果として本書(光文社文庫版『肌色の月』)は日下三蔵の編者解説とは別に、〝うちの会社は差別や人権に対し軽々しい態度で昔の小説を復刊してるんじゃありませんよ〟と宣言した《本書中の差別表現について》と題する3ページのお断りを編入し、それを事前に関係団体に見せOKをもらうことで、目を付けられていた「金狼」を含んだ形での発売が可能になったそうだ。とりあえず作品や表現が潰されなかったのは幸いだったけれど、気分は晴れない。言葉狩りや作品削除を免れたにもかかわらず良い評価にする気が起こらなかったのは、後段で述べる不快なニュースが飛び込んできたせいもある。



 

 

最近の記事で「その手の本は一切買わないようにしているからかもしれないが、言葉狩りは2010年以前に比べると少なくなってるような感じがする」と書いたのはワタシの浅はかな錯覚だったようで、20年前に同じ光文社が『山田風太郎ミステリー傑作選〈2〉』で「帰去来殺人事件」を抹殺してしまったのと同じ愚行が再び起こる可能性は今でも変わっていなかった。常々私が脅しに屈する出版社を批判しているため、もしかして出版社だけを厳しい目で見ている人がいるかもしれないけれど、元はといえば差別/人権を理由に作品削除や言葉の書き換えを求めてくる団体がいるから、このような問題はいつまで経っても無くならない。そこで出版業界事情を知りえぬシロートが思い浮かべる三つの疑問。

 

➊ クレームにビビって自主規制を行うのはたいてい大手出版社。そこまで大手ではない国書刊行会などで言葉狩りをしている気配は無い。もっとも三一書房やコスミック出版の本に言葉狩りはあったから、必ずしも大手以外の出版社の本が全て大丈夫とは言い切れない。クレームを言ってくる団体が標的にするのは決して大手出版社だけではない筈なのに、自主規制などせず正々堂々と本作りをしている人達はいる。大手出版社の弱みは民放テレビ局同様、クレーマーに暴れられて広告収入が得られなくなると困るから?それともポリコレ病にかかって正常な考えができなくなっているから?

 

何故どの会社も確固たるポリシーを持って本を作らないのだろう。前にも書いたけど同じ出版社でも、ある本では〝気違い〟というワードをそのまま通していたかと思えば別の本では言葉狩りしていたり、一貫性が無いのはどうして?結局のところ担当する編集者及びその上司がクレームを畏れてすぐ自主規制に走る人間か、あるいは徹底的にオリジナル表現を守り通そうとしてクレームに立ち向かう人間か、そのどちらに当たるかで本のテキストの信頼度も月とスッポン並みに違ってくる。

 

 

➋ 最初からクレームが来そうなことが予想できるのなら、本書『肌色の月』のように周到な〝断り書き〟を用意しておいて、その都度、本の末尾に付けておけばいいものを、それをしない出版社や編集者が多いのは、単に面倒だと軽く考えて作品に愛情を持たず本を作っているから?



❸ 本だけでなく昔のTV番組のソフト化/再放送とかにもクレームを付けてくる団体は時として暴力的に脅してくる・・・なんて話も聞く。もし今でもそんな行為が行われているのなら、寧ろそういう集団こそ逆に訴えられてしかるべきじゃないんかい?

 

 

 


先日ネットニュースで、欧米の出版社がアガサ・クリスティー作品に対して昨今不適切だと思われる表現部分を一斉削除、そういった流れは今後も増えていきそうだと報道していた。正にキ・チ・ガ・ヒ・ザ・タというしかない。クリスティー社だかクリスティー財団だか知らんが、彼らはこれを認可してしまったのだろうか?この暴挙が収まらないかぎり、私はもう二度と言葉狩り英文テキストを底本にしたクリスティー新訳本なんか一冊たりとも買うつもりはない。



(銀) クリスティー作品蹂躙のニュースを知り、今回取り上げた光文社に改めて不信感を抱いた。まあ良い子の久生十蘭ファンはみな国書刊行会の『定本久生十蘭全集』で読んでいるだろうから、こんな光文社の文庫など買わないだろうけども、国書の全集は定価が高いから揃えられんと言う方はさしあたり 1、3、9、11巻あたりをつまみ食いするのもひとつの手である。

とにかく、不幸な歴史を背負った食肉関係の仕事に携わる方々には理解を示したいが、だからといって過ぎた昔の表現をいちいち闇に葬る事が建設的だとは全然思えない。それよりも許し難いのはポリティカル・コレクトネスですっかり頭が狂ってしまったり、それを手段として甘いシルを吸おうと企んでいる奴らだ。



話がポリコレ方面に行き過ぎて「妖術」の面白さを語り損ねてしまった。今回の文庫の収録作品は奇しくもマインド・コントロールを描いているかのごときものがいくつかあって、そういった点は興味深い。




2023年4月1日土曜日

『ぼくのミステリ・マップ/推理評論・エッセイ集成』田村隆一

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中公文庫
2023年2月発売



★★★    肩肘張らずに気楽に読める



 『ミステリーの料理事典』及び、その改題増補版『殺人は面白い 僕のミステリ・マップ』を再構成したもの。ただし元本にあって今回割愛されている部分もあるので、上記二冊に愛着があるならお持ちの方はそのまま持っていてもいいかもしれない。





《 Ⅰ 》

第一章    ぼくとミステリ ― 大いなる誤訳人生

以下、第三章までは著者へのロング・インタビュー。田村は昭和28年に早川書房に入社し翻訳者として働いた。江戸川乱歩/植草甚一についてはこの章だけでなく他でも適宜触れられている。

 

「別に探偵小説の評論家になろうとも、作家になろうとも思ったわけではないんです。」


「わざと誤訳してもいいと思う。時と場合によっては。(中略)戦前、延原謙という翻訳家は、日本人に発音しにくい固有名詞を、発音しやすい名前に変えてしまったといいます。」


「最後に活字で読むもので残るのは、探偵小説と詩なんです。」

 

 

第二章    ミステリは特別料理 ― 味、知恵、ユーモア 


「人殺しの話を楽しみながら読むというのは、ユーモア以外の何ものでもないでしょう。」


「ユーモアというのは〝視点を変える〟ってことなんです。」


「ただ殺人が書かれているからといって探偵小説だということにはならない。その意味で、『罪と罰』だって、探偵小説とは呼べない。あれは、政治小説・宗教小説でしょう。」

 

 

第三章    ぼくの好きな料理 ― これがグルメの条件です

ポオからロス・マクドナルドまで、四十組ほどの基本的な海外ミステリ作家を紹介。初心者にも手軽に楽しめる案内になっている。


 

 

《 Ⅱ 》

クロフツ/クリスティ/シムノン/クイーン、彼らの作品のために執筆した解説とエッセイ。

 


《 Ⅲ 》

乱歩と植草を回想するエッセイ。そして生島治郎/都筑道夫との個別対談。『EQMM』(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)に関する情報を知りたければこちらをどーぞ。


 

田 村「吉本隆明ファンばっかりいるような世界では探偵小説は生まれないわけだ。」


 

生 島「三島由紀夫も非常に臆病な死に方だからね、あれも。」

田 村「あれは戦争に行ってないからね。自分が死ぬんだったら、
自分一人でこっそり死ぬんだな。死にたかったらだまって死ねばいいんだよ。」

 

 

都 筑「『EQMM』をやってくれないかといわれたとき、ぼくは乱歩さんにたのまれて、
新潮社のために作品のセレクトをしかけていたんです。」

田 村「創元社につづいて、新潮社でも翻訳ミステリを出していたね、あの当時。」

都 筑「たしか探偵文庫といいましたよ。」

 

 

 巻末には【資料編】と題したボーナス・トラック。

 

 

 

(銀) 本書の中で田村隆一が「で、その当時のミステリファンというのは、やはり病的なのが多いのよ。今と違ってね。ある意味じゃ、ちょっと隠微なの。戦後ずいぶん変わってきたけどね。」と語っているくだりがある。平成後半以降、喜国雅彦の本に登場する類いの、ミステリ本を金の種かなにかと勘違いしたクズ野郎が増え、内容もよく知らないのにレアである事ばかりを矢鱈ありがたがる病気に脳を侵されてしまった一部のミステリ中高年どもの実態のほうが、田村の時代よりもはるかに病的であるのは私のBlogで度々お伝えしているとおりでございます。