2023年4月10日月曜日

『怪の物』黒岩涙香

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明文館書店  縮刷涙香集第二十二編
1921年10月発売



★★★★★   いまこそ、涙香に還れ

 

 


「怪の物」と書いて「あやしのもの」と読む。

縮刷涙香集『怪の物』にはドクトル・エマニエル原著/黒岩涙香譯とあるが、本当のオリジナルはエドモンド・ドウニイの「小緑人」。ちなみに私はオリジナル版の忠実な翻訳を読んだことが無い。そもそも「小緑人」って近年翻訳されているのか、またエドモンド・ドウニイという作家には他にどんな作品があるのか、それさえも自分で調べていなくて不明な事だらけ。

 

 

語り手である江間寧児医師のキャラからして、「余は極めて陰気なる人にして幼き頃より他人と多く交るを好まず、従って親友と云う者も無く(中略)余は此世の中に、独り鬱々と塞ぎ込み、楽しからぬ月日を送る程楽しき者は無しと悟れり」ときている。厭人癖が強かった戦前の江戸川乱歩は江間をそっくりそのまま地で行っているようなもので、そんな乱歩がこの小説を好まぬ筈がない。

 

 

倫敦西部の町外れ。外科開業医某氏の後を買い受け、荒地の寂しい一軒家に引き籠って暮らしている江間はある夜、(その一帯に建っている)長く人の住んでいない荒廃家の窓に燈火の光が洩れているのを見た。その翌晩窓辺に佇んでいた彼は、宵月にして薄い霧が立ち込める茂みの中に異様なる怪物の眼が光っているのに気付き戦慄する。印象深きこのシーンが乱歩小説いずれにサンプリングされているか、あえて説明の必要もあるまい。

 

 



黒岩涙香作品は明治から大正初期に書かれ、その文章は文語体から成る。だからといって学校で習う古文ほど難しくはないのだから、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』同様その気になれば現代人だって決して読めないテキストではないのだが、敷居が高いのかムチャクチャ面白いわりにちっとも復刊されない。幸運にも「怪の物」は学研M文庫『伝奇ノ匣 〈7〉 ゴシック名訳集成/西洋伝奇物語』に収録されたが、もう二十年前の本ゆえ今では再び現行本で読めない状況にある。

 

 

馬琴も涙香も原文に味わいがあるのであって、これを下手に現代語訳してしまうと面白くもなんともなくなってしまう。2018年に河出書房新社が乱歩訳の涙香『死美人』を復刊したが、これは例によって乱歩が名義貸ししているだけで自ら筆をとった訳ではないから、涙香の良さも乱歩の良さも全く味わえない。涙香も乱歩も、語り口の醍醐味が魅力の半分以上を担っているのだし、それを表現できない書き手が現代語に移し替えたところで意味が無い。

 


私自身二次創作ものを毛嫌いするくせに『新八犬伝』だけ例外的に褒めちぎっているのは、石山透と坂本九のふたりが馬琴節の美味しいところを絶妙に噛み砕いて講談調に移し替える事が奇跡的にできていたから。言い方を変えれば、同じ辻村ジュサブローの人形を使っていながら『真田十勇士』が『新八犬伝』ほどウケなかった理由はいろいろあるけれど、やっぱり石山透+坂本九レベルの(耳に)心地良いノリを生み出せなかったためだろう。それほどまでに〝物語る力〟は重要なのだ。

 

 

 

(銀) 二週間前の326日付記事にて竹田敏彦『薔薇夫人』を題材にし、「やっぱ涙香は面白いよな」と再認識したのもあって偏愛するゴシック長篇「怪の物」を取り上げた。スマホ中毒になっている令和の日本人に文語体の明治大正小説を受け入れさせるのはなかなか難しいにせよ、せめてニッチな読者だけでもある程度の涙香作品が読めるようになればいいのに。でも、現代語でさえろくに校正・校閲しない奴が多いのだから、文語体だとますますグシャグシャなテキストにされそうだ。