編者・善渡爾宗衛は〝凡例〟の頁にて、「文章(小説)について、基本的には、執筆者のものでありますから、いたずらに文章破壊をしないために、初出誌にそって、統一などはしていません。」と謳っている。要するに見識の無い出版社みたいにテキストをいじりまくる事などせず、底本の表現を尊重すると言っているように私には受け取れる。だが・・・。
そりゃあね、善渡爾は私のBlogなど見ないだろうから、前回の『Q夫人と猫』の記事に書いた文章にしたって氏に伝わる筈など無いのは百も承知だし、〈鷲尾三郎傑作撰〉が『Q夫人と猫』のあとにまだ何冊か出る予定だとしても、既にテキスト入力作業は全て終わっていて早々と原稿データを製本会社へ回していたとしたら、『Q夫人と猫』に近い頻度の恥ずかしい誤字は回避できないだろうなあ、とは思ってたよ。
東都我刊我書房というレーベル名が付く時には盛林堂ミステリアス文庫とは異なり、その新刊本は善渡爾個人の意思で制作されているんだったっけ。だからって、本の販売窓口になっている盛林堂書房店主の小野純一とか誰でもいいけど、善渡爾にアシストしたりアドバイスしてあげる人は周囲にひとりもいないのだろうか?ありえない数のテキスト入力ミスでこんな誤字だらけの本になっていて、でもそれは打ち込んだ原稿を当り前にチェックしていれば、それなりに防げそうなものだろ?
論創社『幻の探偵作家を求めて 完全版』の時も感じたけれど、探偵小説の新刊を買う人々がひどい作りの本を読んでも何も感じず何の疑問を持たず黙認しているのは何故?制作側も読者も揃って〝あきめくら〟しかいなくなってしまったのか。
今やってる「女妖」のテキスト・チェックと違って徒労感しか湧かない指摘なんてできれば書きたくないけれども、若狭邦男の著書がずっとマシに見えるほど本書は入力ミスが多過ぎるから、読んでいない人にも体感できるように示さなければ、第三者にはきっと伝わるまい。一体どうなっているのか状況を正しく伝えるため、心を鬼にして書かねばならぬ。
◉ 「りゅうとした」(○) → 「りゅっとした」(✕) 8頁上段
これくらいの誤植なら底本である当時の雑誌(昭和30年代の『探偵実話』)に存在しててもおかしくはない。だが以下に列挙した誤字はどれも不注意な入力ミスとしか見えず、本書の制作者が底本そのままの表現や作者の癖を意図的に活かしているからとは到底思えない。
◉「大成することの出来る」(○) → 「大成することの出米る」(✕) 26頁下段
◉「支配人室にいましたの」(〇) → 「交配人室にいましたの」(✕) 28頁下段
◉「ご馳走しましょうか?」(○) → 「ご騎走しましょうか?」(✕) 30頁下段
◉「しのぶは給仕に」(○) → 「しのぶは結仕に」(✕) 35頁上段
◉「地下鉄が通うように」(○) → 「地不鉄が通うように」(✕) 41頁上段
◉「ゴールデン・スター」(○) → 「ゴーデン・スター」(✕) 56頁下段
◉「良心の呵責」(○) → 「良心の阿責」(✕) 58頁上段
◉「ぼくとあなたのご主人」(○) → 「ばくとあなたのご主人」(✕) 65頁下段
◉「彼女の死を哀れんで」 → 「彼女の死を衰れんで」(✕) 67頁下段
◉「かたくなに口を閉じ」(○) → 「かたくなにロを閉じ」(✕) 74頁上段
漢字の〝口(くち)〟であるべきところが、カタカナの〝ロ〟になっている。
◉「千円札を握らせて」(○) → 「千円札を掘らせて」(✕) 74頁上段
◉「砕かれていたうえに」(○) → 「酔かれていたうえに」(✕) 75頁下段
◉「突飛」(○) → 「空飛」(✕) 76頁下段
◉「昨夜使用された」(○) → 「昨夜便用された」(✕) 91頁上段
◉「あなたに警告して」(○) → 「あのなたに警告して」(✕) 94頁上段
◉「クラブ」(○) → 「クフブ」(✕) 101頁下段
◉「なぐり倒されて」(○) → 「なくり倒されて」(✕) 118頁下段
◉「葉巻を吸う外人」(○) → 「薬巻を吸う外人」(✕) 171頁下段
◉「啓介は不機嫌な表情で」(○) → 「啓介は不織嫌な表情で」 200頁上段
◉「五味が経営している」(○) → 「五味が経管している」(×) 223頁上段
書いててもやるせないほどに間違いは数え切れない。おそらくこれらのテキスト入力ミスは善渡爾宗衛本人が仕出かしてしまったものに違いない。
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(銀) 知人から聞いた話だけど、海外ミステリ同人「Re-Clam」が最近出した新刊、クライド・B・クレイスン『ジャスミンの毒』の訳に不備があるという指摘があったそうで。私はその本を持っていなくて、不備や指摘がどういうものなのかも知らない。
それでも「海外ミステリ愛好家はまだ健全なのかな」と思ったのは、その本の翻訳者にしても「Re-Clam」の主宰者にしても、読者に対してすぐにお詫びのコメントを出していた事。つい誰にでもやってしまう不手際はある。そんな時は彼等のように一言なりとも発信し、今後同じ過ちさえ犯さなければそこまで大きな汚点にはならないだろう。それに比べたら海外ミステリのファンとは人種がだいぶ異なるのか定かではないが、日本探偵小説の周辺は腐っている。
今日述べてきた本書の「No 校正、No チェック」で最大の被害者は、我々購入者ではなくて鷲尾三郎の著作権継承者かもしれない。血族の遺した作品をこんな扱いにされてしまったのだから。本書の不手際は「同人出版だから暖かく見守りましょう」なんていう生ぬるいレベルではない。