2021年9月4日土曜日

『葬られた女』鷲尾三郎

NEW !

東都我刊我書房 善渡爾宗衛(編)
2021年8月発売



    テキストの校正をここまで無視して
          発売された新刊を私は見たことがない




表題作長篇「葬られた女」は顔の無い屍体こそ出てきても結局はアクション・スリラーじゃんとか、併録された短篇「嵐の夜の女」は犯人の殺人方法こそちょっと面白いけどさあ・・・とか、悠長に収録作品の紹介をする気持ちさえも沸いてこない。先月出た『Q夫人と猫』よりも更にテキストの入力ミスが増加していて、擁護のしようがない。これで定価が5,000円・・・いや値段が安けりゃミスしていいってものでもないが



編者・善渡爾宗衛は〝凡例〟の頁にて、「文章(小説)について、基本的には、執筆者のものでありますから、いたずらに文章破壊をしないために、初出誌にそって、統一などはしていません。」と謳っている。要するに見識の無い出版社みたいにテキストをいじりまくる事などせず、底本の表現を尊重すると言っているように私には受け取れる。だが・・・。

 

                   


そりゃあね、善渡爾は私のBlogなど見ないだろうから、前回の『Q夫人と猫』の記事に書いた文章にしたって氏に伝わる筈など無いのは百も承知だし、〈鷲尾三郎傑作撰〉が『Q夫人と猫』のあとにまだ何冊か出る予定だとしても、既にテキスト入力作業は全て終わっていて早々と原稿データを製本会社へ回していたとしたら、『Q夫人と猫』に近い頻度の恥ずかしい誤字は回避できないだろうなあ、とは思ってたよ。

 

 

東都我刊我書房というレーベル名が付く時には盛林堂ミステリアス文庫とは異なり、その新刊本は善渡爾個人の意思で制作されているんだったっけ。だからって、本の販売窓口になっている盛林堂書房店主の小野純一とか誰でもいいけど、善渡爾にアシストしたりアドバイスしてあげる人は周囲にひとりもいないのだろうか?ありえない数のテキスト入力ミスでこんな誤字だらけの本になっていて、でもそれは打ち込んだ原稿を当り前にチェックしていれば、それなりに防げそうなものだろ?

論創社『幻の探偵作家を求めて 完全版』の時も感じたけれど、探偵小説の新刊を買う人々がひどい作りの本を読んでも何も感じず何の疑問を持たず黙認しているのは何故?制作側も読者も揃って〝あきめくら〟しかいなくなってしまったのか。

 

                    


今やってる「女妖」のテキスト・チェックと違って徒労感しか湧かない指摘なんてできれば書きたくないけれども、若狭邦男の著書がずっとマシに見えるほど本書は入力ミスが多過ぎるから、読んでいない人にも体感できるように示さなければ、第三者にはきっと伝わるまい。一体どうなっているのか状況を正しく伝えるため、心を鬼にして書かねばならぬ。

 

 

 「りゅうとした」(○) → 「りゅとした」(✕)  8頁上段

これくらいの誤植なら底本である当時の雑誌(昭和30年代の『探偵実話』)に存在しててもおかしくはない。だが以下に列挙した誤字はどれも不注意な入力ミスとしか見えず、本書の制作者が底本そのままの表現や作者の癖を意図的に活かしているからとは到底思えない。

 

 

「大成することの出来る」(○) → 「大成することの出る」(✕)  26頁下段

 

「支配人室にいましたの」(〇) → 「配人室にいましたの」()  28頁下段

 

「ご馳走しましょうか?」(○) → 「ご走しましょうか?」(✕)  30頁下段

 

「しのぶは給仕に」(○) → 「しのぶは仕に」(✕)  35頁上段

 

「地下鉄が通うように」(○) → 「地鉄が通うように」(✕)  41頁上段

 

 


「ゴールデン・スター」(○) → 「ゴー・スター」(✕)  56頁下段

 

「良心の呵責」(○) → 「良心の責」(✕)  58頁上段

 

「ぼくとあなたのご主人」(○) → 「くとあなたのご主人」(✕)  65頁下段

 

「彼女の死を哀れんで」 → 「彼女の死をれんで」(✕)  67頁下段

 

「かたくなに口を閉じ」(○) → 「かたくなにを閉じ」(✕)  74頁上段

漢字の〝口(くち)〟であるべきところが、カタカナの〝ロ〟になっている。

 

 


「千円札を握らせて」(○) → 「千円札をらせて」(✕)  74頁上段

 

「砕かれていたうえに」(○) → 「かれていたうえに」(✕)  75頁下段

 

「突飛」(○) → 「飛」(✕)  76頁下段

 

「昨夜使用された」(○) → 「昨夜便用された」(✕)  91頁上段

 

「あなたに警告して」(○) → 「あのなたに警告して」(✕)  94頁上段

 

 


「クラブ」(○) → 「クブ」(✕)  101頁下段

 

「なぐり倒されて」(○) → 「なり倒されて」(✕)  118頁下段

 

「葉巻を吸う外人」(○) → 「巻を吸う外人」(✕)  171頁下段

 

「啓介は不機嫌な表情で」(○) → 「啓介は不嫌な表情で」  200頁上段

 

「五味が経営している」(○) → 「五味が経している」(×)  223頁上段

 

 

書いててもやるせないほどに間違いは数え切れない。おそらくこれらのテキスト入力ミスは善渡爾宗衛本人が仕出かしてしまったものに違いない。



なぜなら底本を用いて入力作業をしてゆく本文のみならず、編者自ら書いているはずの〝凡例〟でも「テキストの細部につましては」(〝つきましては〟の間違い)となっていたり、末解説〟では「ハードボイルドボイルド調」(〝ボイルド〟が重複)になっていたり、同じような入力ミスをやっているからだ。〝凡例〟と〝解説〟まで協力者に代筆してもらっているなんて考えにくい。


                   



善渡爾宗衛は〈鷲尾三郎傑作撰〉の三冊目以外に、その他の本も近日発売を予告しているが、この様子では、次も必ず同じあやまちを繰り返すのは残念ながら明白。氏は相当高齢の人だと私は想像しており、老化による視力・思考力の低下なのかどこか体調が悪いのか分からないけれど、これだけはハッキリしている。現在の氏は本のテキスト入力や校正を遂行できるコンディションではない。ちょっと前までの氏の本では、こんなミスはしてなかったと思う。




(銀) 知人から聞いた話だけど、海外ミステリ同人「Re-Clam」が最近出した新刊、クライド・B・クレイスン『ジャスミンの毒』の訳に不備があるという指摘があったそうで。私はその本を持っていなくて、不備や指摘がどういうものなのかも知らない。



それでも「海外ミステリ愛好家はまだ健全なのかな」と思ったのは、その本の翻訳者にしても「Re-Clam」の主宰者にしても、読者に対してすぐにお詫びのコメントを出していた事。つい誰にでもやってしまう不手際はある。そんな時は彼等のように一言なりとも発信し、今後同じ過ちさえ犯さなければそこまで大きな汚点にはならないだろう。それに比べたら海外ミステリのファンとは人種がだいぶ異なるのか定かではないが、日本探偵小説の周辺は腐っている。



今日述べてきた本書の「No 校正、No チェック」で最大の被害者は、我々購入者ではなくて鷲尾三郎の著作権継承者かもしれない。血族の遺した作品をこんな扱いにされてしまったのだから。本書の不手際は「同人出版だから暖かく見守りましょう」なんていう生ぬるいレベルではない。



今日の「女妖」はお休み。