1931年発表。本作最初の日本語訳単行本として刊行されたのが、この日本出版協同株式会社版『殺意』である。延原謙の言う〝大きい仕事〟とは月曜書房版『シャーロック・ホームズ全集』(1951~1952年刊)のことだろう。このあと東京創元社版『世界推理小説全集20』(1956年刊)にも延原訳の「殺意」は収録されているが、そちらは持っていないので、本書の訳出に満足してなさそうな延原が改訳あるいは微調整を行ったかどうかは未確認。
主人公エドマンド・ビクリイ学士について身勝手とか女好きとか、ボロカスにクサしている世間のレビューはよく見る。愛の無い結婚をしてしまったとはいえ、妻のジュリアは完全に夫を見下しており、心の行き場を失くしたビクリイ学士が「ぶっ殺してやる!」(そんな言い方してないけど)って思うのはそりゃ当然。むしろ、小男で育ちも悪く劣等感に苛まれているわりには情人を二人も拵えてるし、そのうちの一人とは最後まで関係を保っていて、一生異性と縁の無いどこぞの書痴中高年と比べたら(イケてない男にしては)上出来じゃないの。逢引きの最中、怒って女性を殴るのはサイテーだけど。
妻殺しだけで踏みとどまっていればよかったのに、ビクリイ学士の入れ込んでいた美人娘・マドリンがまさかの豹変。こうなると学士の暴走は止まらず、第二・第三・第四の犠牲者を生む事態にまでエスカレートする。ずっとジュリアの存在を気にしていたとはいえ、マドリンがビクリイ学士を見限って、大地主の一人息子デニスに鞍替えするくだりは、主人公の立場でなくともいきなり過ぎる。後付けでいいから、もう少し彼女の心の変化の説明が欲しいところだ。
裁判を重ね、なんだかんだありつつビクリイ学士は罪を免れたかに見えた終局、アルヘイズ警視の突き付ける宣告の意味をすぐさま理解できなかった読者もいるのではなかろうか。かったるく見えがちな冒頭のテニス・パーティーをはじめ、作者があちこちで種蒔きしているのは分かる。第四の犠牲者が他の二名より遅れて異常を訴え出した事も、それなりに記述されているものの、あの書き方でエンディングに持ち込まれては、読者に伝わりづらいんじゃない?少なくとも本書の延原訳で該当部分を読み返してみて、私はそのように感じた。
決してつまらないプロットじゃないのに、細かいポイントでの不徹底がちょっと・・・全体から受ける感じもなんとなく好きじゃない。倒叙らしからぬ面があったりもするし、この作者が描くキャラクター達が発する体臭のせいだろうか。若い時分、本作より先に「伯母殺人事件」「クロイドン発12時30分」を読んだもんで、その順番が違っていたらどんな感想を持っただろう?あ、本の内容とは関係無いけど、当Blogは今までアントニー・バークリーのラベル(=タグ)を作っていなかったから、フランシス・アイルズ名義の本にはバークリーのタグを付けておく。