2020年12月17日木曜日

『悲しくてもユーモアを~文芸人・乾信一郎の自伝的な評伝』天瀬裕康

2015年11月2日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創社
2015年10月発売



★★     ユーモアと動物小説と
         ラジオドラマの人にしてしまっていいの?




乾信一郎について仮に世間にアンケートを取ったなら、探偵小説の翻訳者であり博文館の編集者だという見方が勝るだろうと私は考えている。往年のユーモア小説や動物小説はもう何十年も新刊で流通は無い。なんといっても『アガサ・クリスティー自伝』の訳者だからね、彼は。

 

 

本書中にも記述があるが、ずいぶん前に乾の故郷である熊本の近代文学館で彼の企画展が開催され、見たことのない横溝正史との写真なんかはあったが、正史そして江戸川乱歩から送られた乾宛ての寄贈された書簡を調査もせず死蔵させていた様子で、殆ど動物+ユーモア小説の方がメインに扱われ、探偵小説には疎そうな展示内容だなと感じたものだった。その後も同館でブラジル開拓民の先駆/上塚周平展が開催された時、乾との繋がりを学芸員に質問したこともあったが、彼らは少しも勉強していないらしく閉口した記憶がある。本書20ページの上塚家系図によって、その疑問はようやく解けて満足。

 

                                                     



本書の著者・天瀬裕康は熊本の企画展に便乗したのか、関心は探偵小説以外の方面へ向けられている。天瀬も一応『新青年』研究会のメンバーであり、戦後、乾のカストリ雑誌への執筆が割に多いこととか、広島ローカル児童誌『銀の鈴』での少年少女ものに関する情報などは役に立つ。ただ、天瀬が自分のウェットな資質を乾に投影し過ぎなんじゃないかと、読みながら気になってしょうがなかった。

 

 

幼少期の乾信一郎は両親の愛情を真っ当に受けられず、アメリカから帰国した熊本ではひねた田舎のクソガキに嫉まれ孤独だったとは思うが、彼の書いたエッセイの類を読むと、青年期以降もイジメやミジメなんて辛気臭いワードで表現しなければならない人だったとは、どうしても思えない。

 

 

お涙頂戴的な書名の付け方も苦手だし、前回の「渡辺啓助」評伝と比べて論旨に脱線が多い。「第二の復讐」を書いた渡辺文子が(乾とは殆ど関係がないのに)ブラジル移民というので度々出てくるのはまだいいけれど、著者が広島生まれだからって広島カープ云々書くのは必要のないこと。

 

                                                      



乾には本道を行くような探偵小説の創作が無い。しかし「豚児廃業」「五万人と居士」といった幾つかの作について、表層的にはユーモアものであっても探偵小説として捉える部分はないのか掘り下げてほしかった。それに海外ミステリ翻訳業績に対する言及も、これではお寒い。初めて乾に触れる方は古書になってしまうが、まず晩年のエッセイ『「新青年」の頃』から読むことを強くお薦めする。




(銀) コロナ禍のせいで、いつも以上に来館者は少なかったのでは・・・と思うが、2020年、くまもと文学・歴史館(旧熊本近代文学館)で再び企画展「『新青年』創刊100年 編集長・乾信一郎と横溝正史」が行われた。横溝正史が乾信一郎に書き送った書簡が200通以上あるという事実をやっと公表できたみたいだけど、ここまでこぎつけるのに何年かかったのやら・・・。



で来年2021年には、その200通以上にもなる横溝正史書簡をメインに据えた企画展をやる予定だと告知されていた。だが、貴重な書簡の内容がわかるようにパネルも作って展示したとしても、それが200通以上のうちのたった数通では隔靴搔痒でしかない。



熊本は他県の有能な文学館のように、自分のところでちゃんとした図録を制作できる予算も知恵も全然なさそう。こういう時こそ(決して ❛トーシロ❜ な二松学舎大学ではなく)探偵小説の専門家集団である『新青年』研究会の力を借りて、著作権継承者の許可も得て、立派な書簡集を作るべき。そこまでやれたなら初めてこの乾信一郎宛て横溝正史書簡の存在意義も100%活かされるというものだ。