甲冑。それは目の前にしたシチュエーションによっては背筋の寒くなるような物体なのかもしれません。さて本作、弓弦城内で「甲冑が階段の途中に立っていた」との目撃証言が。甲冑はどのような役割を果たすのでしょう?
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十五世紀に建てられた弓弦城。病的な〈中世の武器〉コレクターである現在の当主レイル卿ことヘンリィ・スタインが暗い甲冑室にて、弓の弦で首を固く締められて異様な姿勢で殺害される。甲冑室の扉の外にはマイクル・テヤレイン博士が居たのだが、出入りできる処は他に無く不審といえるような侵入者は目撃されていない。間髪を入れず「城内で立っている甲冑を見た」と口にしていた迷信深い女中ドリスも手に真珠の首飾りを持ち絞殺されて別の場所で横たわっているのが見つかる。彼女は誰かの子供を身籠っていた。
殆ど蝋燭ばかりの城内ライティング、屋内の音さえ消してしまう程の瀧の水流の響き、事件発生の前になくなっていた弓の弦、そして籠手。舞台仕立てと小道具は準備万端、物語開幕の設定は悪くないし更にもうひとつ殺人が発生するサービスもあり。執筆するカーの頭の中の光景を読者にも共有させるためには文中に図書室/甲冑室/バルコニー回りの平面図があったほうがフェアなのだろうが。
せっかく思わせぶりな甲冑という切札があるのだし、絶好調な時のカーならもっとこの小道具を使って幽霊甲冑の恐怖を否が応でも推し進めるのだろうがその方向には徹底せず、はたまた不可能犯罪としての駆け引きも、出すカード出すカードどれもうまくいっているとは言えず。
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本格ミステリを読んでいて途中で犯人を当ててしまう洞察力など私にはないけれど、この作では(たまたまだが)中盤で漠然と狙いを付けていた人物がそのまま的中してしまい、終盤にてテヤレイン博士が待ち構える緊迫した暗闇の甲冑室に忍び込む犯人の正体が明らかになっても驚きの度合は小さかった。本日の記事は冒頭で【甲冑】をネタにしているが、最初ネタにして書きたかった小道具は【甲冑】ではなく本当は【×××】だった。しかしこの【×××】をハッキリ書いてしまうと犯人の名をバラすのとほぼ同じ結果を招いてしまいかねない。あれこれ語りたい部分に触れられないのがもどかしいが、ここはスッパリ諦めて総評を下すとすれば★5つまでもう一息の出来。
(銀) 1934年発表の、わりと初期に属する作品。ジョン・ゴーントはどちらかといえばフェル博士/H・Mよりもバンコランっぽいシュッとした男性。本作一度きりの登板に終わってしまったので、彼の外見や略歴などを記録しておこう。
旧式の晩餐服のボタンをすべて留め黒い襟巻のようなネクタイを着け、シャツの前にはモノクル(片眼鏡)をぶら下げている。身長は高く痩身、頬骨が高く頭が長い。短い顎鬚をたくわえ広い額の銀髪オールバックで灰色の瞳を持つ。酒好きでメランコリーな雰囲気を漂わせ、いわば年老いて厭世的になったダルタニアン。
ジョージ・アンストラザー卿の言によれば、ジョン・ゴーントは「英国ではじめての犯罪学上の天才」「ロンドン警視庁とも繋がりはあったが、妻を失くしてから突飛な行動を起こし警視庁と手を切ってしまった」「バーンハセット子爵の三男という裕福な家柄なのでもう探偵仕事はせずここ数年は世界漫遊をしている」との事。