古本乞食の森英俊さえ関わっていなければ5つ以上の★を献上したいぐらいファンにとっては必携のダグラス・G・グリーンによる評伝。何が良いといって作家のヒストリーを語るのみに偏らず発表された作品が時代ごとに丁寧に分析されているのでカーの上級者でなくとも読み易い。矢張探偵小説家の評伝ならば、その作家の書いた数々の小説がどんな風に受け止められ、どのように論じられているかを味読できるのはなによりも楽しい。
江戸川乱歩【カー問答】を始めとする、かつて日本人の提言してきた「カーならこれを読め」的な作品論にはいまひとつ納得のいくものが無かった。それに比べると本書で述べられている論考には思いのほか自分の読後感と一致するところが多く、自然に受け入れられる。ちなみにこんな一節があるので紹介しよう。
「この時期(注:一九四〇~一九四三年)の著書のなかには、カーの最高傑作に匹敵するもの(あるいは、それに近いもの)がいくつかあった。『連続殺人事件』、『九人と死人で十人だ』(注:『別冊宝石』にて初翻訳時のタイトル)それに『貴婦人として死す』である。読者をペテンにかけているものでさえ、しばしば人間的な感情を揺さぶらずにはおかない。」〖☞本書281頁を見よ〗
カーに限らず他の探偵作家の場合でもそうなのだが私は世間というか他人がどういう評価をしているんだろうかなんてさして気に留めない性格なもので、単に情弱で知らなかっただけかもしれないが、『貴婦人として死す』はまだしも『九人と死で十人だ』は戦後『別冊宝石』に掲載されただけで単行本の流通が無かったというハンデがあるにせよ、日本で絶賛されている感覚がちっともなかったから「へえ~、欧米の識者にはちゃんと評価されてるんだな」と再認識したことであった。
この本の巻末には【ジョン・ディクスン・カー書誌】というパートがあり、名義ごとに分類した著書やラジオ台本などの各種リスト、さらに日本国内で発売されたミステリ書籍でカーについて言及したパートのあるもの、カーを特集した国内雑誌も紹介されているので至極便利。
ただ惜しむらくは本書が出たのが1996年、『ジョン・ディクスン・カーの世界』(S・T・ジョシ/平野義久〈訳〉)の出たのが2005年、そして今ではこの二冊とも現行本の扱いが無くなっているため、新しい読者がこれらを入手しようにもムダに高額な古書を買わなければならないのは気の毒。そろそろブランニューなカーの評論書が日本人の手で制作され、日本におけるカー作品の輸入のされ方と現在まで引きずっているその影響というか弊害を若い人にも伝わるよう書いてもらいたいな。
(銀) 全く根拠の無い私個人の体感だが、近年国内で発売される探偵小説関連の新刊のうち、小説を収録した本の数で比べると海外ミステリのほうが勝っており、本書のような評論になると逆に日本の探偵作家のもののほうが多く出版されているような気がする。とはいっても作家別に見たら江戸川乱歩とコナン・ドイルが突出して他を引き離しているのだろうが。
ただでさえ、こういうマニアックな本を出してくれる出版社は限られているというのに、政府が2021年4月から出版物総額表示(本体価格+税ではなく税込総額で表示しろということ)を義務化する予定という血迷った方針を進めているため、潰れる出版社がドンドン出てきても不思議ではないと云われていて。むしろ総額表示を強制させなくちゃならんのはこれから出される出版物ではなく、森英俊ともズブズブの関係であり、オークションに入札するのに参加費などと言ってわざわざ別料金を搾取しているまんだらけのようなインチキ業者の通販サイトじゃないのか。