2020年10月28日水曜日

『死者はよみがえる』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

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創元推理文庫 名作ミステリ新訳プロジェクト
2020年10月発売



★★★    こんなアンフェアは楽しめない




「偶然や第六感で事件を解決してはならない」

「読者に提示していない手掛かりを用いて解決してはならない」

 1928年にロナルド・ノックスは探偵小説の創作に臨んで作家が守らなければならない十の指針を提言しました。中にはこんな条項もあります。曰く「犯行の現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない」・・・・・・・・・。二つどころか一つでもあったらそれはアンフェアなのではないでしょうか。

私のBlogでは露骨なネタバレが無いように配慮して書いていますが、この『死者はよみがえる』の場合はどうしても黙認できない箇所があり、その部分を語る為には謎の核心に触れざるをえません。犯人の名前は書きませんがそれでもやはりネタバレにはなるので、本作の真相をちょっとでも知りたくなければこの記事はお読みにならないで下さい。

 

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友人の実業家ダニエル・リーパーから「体一つのNo Moneyで、ヨハネスブルグ(南アフリカ)からロンドン(イギリス)まで、その間労働で金を稼ぐかヒッチハイクで旅をやり遂げろ、約束の日に指定したホテルのスイートで落ち合えたなら千ポンド出そう」という馬鹿馬鹿しい賭けを受けたクリストファー(クリス)・ケント。空腹でフラフラになりながらもクリスは約束の前日に無一文でそのホテルへ辿り着いた。既にチェックインしている客のふりをして無銭飲食をしてしまった彼は思いもよらぬトラブルに巻き込まれてしまう。

 

 

ホテルのポーターはクリスを707号室の客だと思い込む。ポーターは直前に707号室に泊まっていた米国婦人から「室内に忘れたブレスレットを取ってきてほしい」と要請されていたのだが、部屋のドアノブに〝Do Not Disturb〟札が下がったままになっているため婦人の次の泊まり客の許可無くして勝手に入室できない、それゆえ抽斗の中を見てきてほしいとクリスに伝えたのだ。

 

 

正式な客でない事がバレるとまずいクリスは覚悟を決め707号室に入ると、部屋の奥に置かれた衣装トランクに叩きつぶされた顔を突っ込んだ状態で、横向きになって死んでいる女性が。後で読者にも知らされるのだが、被害者はダニエルの政治秘書でクリスの従兄弟でもあるロドニー・ケントの妻ジョセフィーンだった。更にこの事件の数週間前には、ダニエルの友人ジャイルズ・ゲイ卿の屋敷にてロドニー・ケントが絞殺され、そこでホテルマンのような制服を着た人物の姿を見たという報告が上がっていた。

 

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こういう出だしだと主人公に降りかかる容疑を名探偵が晴らすみたいな話になりそうだが、上記の707号室からポーターにバレずに脱出したクリスが十五分後にはもうギデオン・フェル博士のもとを訪ね、そこにハドリー警視も居合わせていたおかげで早々にクリスは〈シロ〉と見做され疑われる心配がなくなるという、序盤からなんとなく安直なこの展開が気にくわない。

 

 

好みの作品ではないので軽めに流して説明すると犯人は実に意外な人物だった。しかしその犯人が殺人現場へ侵入するのに実は〈秘密の出入口〉があったというズルいオチがあって、我が国の荒唐無稽な通俗長篇ならともかく、カーがこういうチープな手段を使っちゃいかんだろ。本作を褒める人は「〈秘密の出入口〉が作られていてもおかしくはない」という意味の伏線は一応あるというが、そんなものが作られている可能性を前半で示唆していたからといって「ウンそれならOK」みたいな考えに私はなれない。

数年後に書かれた「獄門島」とも共通する ❛ ある趣向 ❜ については悪くない(横溝正史にパクられた?)。それとは別にホテルと警察の制服が見間違うほど似ているなんて我々には想像もつかないもんなあ。〈秘密の出入口〉〈二種の制服〉問題の他にも納得がいかぬ点が多いので大きく減点。但し和爾桃子の訳がひどい最近の創元推理文庫のバンコランもの(特に『絞首台の謎』)でさえ★3つにしてしまったんで、本作をそれ以下の★2つにまで貶めるのは忍びなかった。



(銀) 原題「To Wake The Dead」。延原謙による旧訳時代のタイトルは「死人を起こす」。どっちにしろ探偵小説のタイトルとしては申し分ない。然は然り乍ら、ヨハネスブルグからロンドンまで旅をさせるという賭けそのものがストーリーの中でたいして意味を成していないというその点もガッカリなんだよなあ。



本作は江戸川乱歩からお褒めの言葉があり、それを鵜呑みにした戦後の読者がその評価をずっと継承してきたのかもしれないが、その乱歩の感想に関しては江戸川乱歩推理文庫第64巻『書簡 対談 座談』の中の乱歩と井上良夫の手紙のやりとりで構成された【探偵小説論争】や、光文社文庫江戸川乱歩全集第26巻『幻影城』123頁【ジョン・ディクソン・カー】の部分を参考にするとよかろう。【カー問答】はここでは触れないでおく。



者の『幻影城』で乱歩は本作について、こう述べている。「横溝正史君がカーの最傑作とするもの。故井上良夫君もこの作を推奨していて、私は二度読んだが、飛切り面白いくせに、合理性に於てどこか満足しない所があった。しかも、それがどの点にあるのか、二度読んでもハッキリ指摘できなかった。」



とすると過大評価の元は、洋書で読んだ正史が「こりゃ凄いでっせ、乱歩さん」と騒ぎ立てたかどうかはしらんけど、乱歩もそれに乗っかって自分の随筆の中で「死者はよみがえる」を高評価だと思わせるような文章を書いちゃったのかもしれない。その後あたかも乱歩の言葉だけが一人歩きしているが、実際に「死者はよみがえる」の殺人手段を自作に流用している位だし過大評価の原因は正史にもあるのではないか。