★★★★★ 神隠し以上の悪行(「妖魔の森の家」)
●「妖魔の森の家」
ヘンリ・メリヴェール卿は金髪娘イーヴ・ドレイトンと彼女のフィアンセのウィリアム・セイジから「ヴィッキー・アダムズを連れていくのでピクニックに行ってみないか」と声をかけられ、〝妖魔の森〟と呼ばれる淋しい土地の別荘に誘われる。妖精のようなセックス・アピールをもつヴィッキーという女性は子供の頃、完全に戸締りをした建物から神隠しのようにいなくなった謎の体験があり、その失踪した場所というのが ‶妖魔の森〟の別荘だったのだ。そしてH・Mの目の前で、建物の中に入ったままヴィッキーは再び姿を消してしまい・・・。
この消失トリックだが、たった45分でそこまで手際よく✕✕を✕✕できるものかな。そしてその後✕✕を運ぶ際に〝臭い〟でバレるような危険はなかったろうか。それにしても冒頭、バナナの皮で転んで臀部を強打した上、もっとも後味の悪いピクニックとなってしまってH・Mには散々な事件である。少女時代のヴィッキーが神隠しにあった謎の解明はされず、このピクニックのあと犯人はどうなったのかも分からずじまいで、我々読者にとってもブラックな後味が残る。
●「軽率だった夜盗」
山荘の主のマーカス・ハントはお宝である三枚の絵画があるというのに、まるで盗んで下さいと言わんばかりの状態で絵画を放置していたところ、案の定真夜中に賊が侵入。マーカスの要請で客人として招かれていた警部補ルイス・バトラーは異変を察知して階下に駆けつけると、マスクを被った賊は胸を刺されて死んでいる。マスクの下から現れたのはなんと主人マーカスの顔だった。バトラー警部補はこの珍妙な事件についてギデオン・フェル博士に助力を仰ぐ。
●「ある密室」
これもフェル博士が登場するシンプルな密室譚。蔵書家フランシス・シートン氏は最低でも一年アメリカに滞在したいがため、秘書と図書係のふたりに退職金を出すからと言い解雇を告げる。その後、内側からロックされた書斎でシートン氏が襲われ、金庫の中身が盗まれるという事件が発生。
これはねぇ、どこまで書いていいのやら。一応理化学トリックのひとつなのだろうがフェル博士が喝破する〝ある飲みもの〟があって、その名称は伏せておくけれど、我々日本人には馴染みの無いものだし、それ以外にも十全にフェアとは言えぬ点があるのが気にかかる。ちなみにその〝ある飲みもの〟の名をググっても詳細を発見できなかった。
●「赤いカツラの手がかり」
スマート美容法の有名人ヘイゼル・ローリングは彼女の住む居住地専用公園にて下着しか付けていない状態でステッキで頭部を殴られ死んでいた。下着以外の服はヘイゼルが腰掛けていたベンチにたたんであったという。「デイリー・レコード」紙のフランス人女性記者ジャックリーヌ・デュボアは捜査担当のベル警部に食い付いて事件の真相に迫る。
現代なら「カツラ」とは訳さず英文どおり「ウィッグ」と表記するだろう。書くまでもないことだが、ここに登場する〈トルコ風呂〉とは日本人の考える性的なサービスを伴うアレのことではない。女の持ち物が手掛かりとして出てくるので、主人公を動かしやすいようにカーは女性記者をしつらえたのかもしれない。
●「第三の銃弾」
これのみ中篇。探偵役はマーキス大佐。
ある強盗事件の厳刑を受けたガブリエル・ホワイト青年がチャールズ・モートレイク判事に報復するかもしれないとの通報を受けて警察は判事邸に人員を配置。雨の降る夜、彼らはガブリエルが邸に入るのを発見。その後ガブリエルは誰も中に入れないよう鍵をかけてしまった為、警察は外を回って窓から判事の書斎へ入ろうと急ぐ。その時ジョン・ペイジ警部は二発の銃声を聞き、室内に入ると判事は既に射殺されていた。
ところが、逮捕したガブリエルを尋問すると「自分が殺ったかわからない」と意味不明の言動。しかもガブリエルの持っていた銃から発射されるべき弾丸の種類と使用数が現場の状況とは一致せず、捜査は混迷を極める。銃から放たれた弾丸がまるでゴルフのショットのように弾道が曲がったのか?それとも?
(銀) カー短編全集の中でも1と2は優れているほうだが、それでもカーの特徴である〝トリックの作り物めいたところ〟を長篇以上に短篇のほうで露わに感じる印象はある。
この宇野利泰訳は50年間も重版されており、2019年秋で43版にも及んでいる。中には一部だが春陽堂の文庫によく見られる、難字でもないのにわざわざ漢字を開いているような箇所があって(一例を挙げると「悪態」→「あくたい」だったと思うが)、ああいうところだけでも見苦しいから修正したらいいのに。