昔大好きだったマンガが愛蔵版スタイルなだけでなく、雑誌連載時における初出ヴァージョンで再発されているのをネットでよく見かける。永井豪の作品もその例に漏れず、「凄ノ王」「手天童子」「デビルマン」「バイオレンスジャック(『マガジン』連載分)」など初出ヴァージョン単行本が刊行されている。今回のテーマである「マジンガーZ」も、『マジンガーZ 1972-74 初出完全版』全四巻が2017~2018年に復刊ドットコムより発売されたのだが、これウルサ型の超マニアにはいいんだろうけど、一般読者にはお値段が高過ぎてコストパフォーマンスに疑問が残る。てことで、初出ヴァージョン復刻コミックスの理想形として約20年前にリイシューされた講談社漫画文庫版初出ヴァージョン『マジンガーZ』全三巻を私は激賞したい。
(この本はありがちな自己規制/語句改変がなされている箇所を発見していないので、そういうのが無いものとして話を進める。「完全復刻」というキャッチ・コピーはあてにならないので、もしも見落としていたらご容赦下さい。)
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例えば「デビルマン」。初刊の講談社コミックス後に再発された単行本で読むと、永井豪は連載当時の作画の美しさを台無しにしてしまう加筆をしてしまっていて、あれは酷い。本当に酷い。加筆自体が絶対ダメだ!というのではなく、連載中あるいは連載終了直後コミックス化する際に作者が書き足りなかった箇所を加筆するぶんには全く問題ない。何がまずいのかといえば、連載終了からずいぶん時が過ぎてしまうと、作者の画風が変化してしまっているため加筆した場合に連載時とは全然異なるタッチになってしまって、その部分だけがどうにも見苦しくなり作品全体をスポイルしてしまうのが許せないのだ(「デビルマン」の当時のヴァージョン本と改悪ヴァージョン本の両方を見た事がある人はよくおわかりでしょう)。逆にいえば、連載終了から年数が経っていても、当時と全く同じタッチで手を加えることができ、なおかつストーリーをプラスの方向に持っていけるのであればいいのだけれど、作画というのは実に繊細なものだし、そんな訳にはいかない。
よく漫画家は、その作品を単行本化する際に手直しして連載分に加筆するばかりでなく、時にはカットしてしまう部分も出てくる。そのことは前に手塚治虫『アドルフに告く オリジナル版』(国書刊行会)の記事で詳らかに述べたが「アドルフに告ぐ」の場合にも手塚は単行本化に際し入念に手を加え大胆に加筆したページとカットしてしまったページがあった。それでも連載からそう月日が経ってない時期の加筆ゆえ、初出連載時のヴァージョンと単行本ヴァージョンを比較しても、どちらも気持ちよく読むことができる。発表から何年も経って、リイシュー時に自分の作品をやたらいじりまくる漫画家がどのくらいいるのか私は詳しく知らないが、永井豪の無神経な加筆は、話の流れ的にも絵の質感点にも、とにかく目に余ってしょうがない。
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さて「マジンガーZ」。この作品は最初『週刊少年ジャンプ』に連載され、ジャンプ・コミックスから単行本が出ていたのだが、最後のエピソードは単行本化されなかった。そりゃそうだわな~「ドクター地獄の命をかけてマジンガーZをほうむってくれる!バードス島出撃!」って煽りでマジンガー対ドクター地獄の最終決戦がこれから始まるところなのに作者・永井豪のコメントがあって「ええ―いよいよすごくなるマジンガーZですがウヒッいろんなつごうにより今回で終わりにさせてもらうでガスよゴメンチャイ」だもの。なんじゃい、それ? 残念ながら制作側のテンションが保たれているのは、ちゃんと〝つづきもの〟になっている『ジャンプ』連載エピソードの「ブロッケンの妖怪」篇まで。その後は絵もストーリーもどんどん雑になってしまうし『テレビマガジン』エピソードは強引な一話完結型だからダイナミズムに欠けているのが実情。
あの「デビルマン」でさえ、『少年マガジン』編集長から横槍が入って打ち切りにされたために現在我々がよく知っているあの流れで結果として素晴らしいエンディングを迎えた事実が、のちになって「激マン!
デビルマンの章」で明らかにされた。『少年ジャンプ』に連載された「マジンガーZ」も編集部が乗り気でなかったんで終わらされたというけれど、「ゲッターロボ」といい「凄ノ王」といい、不完全燃焼で連載が終わってしまった例が永井にはいくつもあるし、本当に編集部だけのせいなの?と疑いの目を私は向けてしまうんですな。
ここまで述べてきた問題が永井豪作品には常につきまとっている。とはいえ、いや、だからこそ本来あるべき『ジャンプ』連載順に忠実にエピソードを並べ、同じく(第三巻にボーナス扱いで収めてある)『テレビマガジン』エピソードも発表順かつ完全網羅したこの初出ヴァージョンの講談社漫画文庫版「マジンガーZ」は、いただけない加筆ヴァージョン本の100万倍素晴らしい。後発リイシュー本では『ジャンプ』連載エピソードが発表順でなかったり、『テレビマガジン』連載エピソードとゴッチャにされていたり、不可解な構成だったもんね。「マジンガーZ」も昔の加筆はあって、「ローレライ」篇でのマジンガーとドナウα1が戦うシーンを見比べてみると一目瞭然。でも、このシーンは「デビルマン」の加筆ほどにはタッチに落差が感じられないので左程不快感は無いというか、この場合に限っては加筆ヴァージョンのほうが好みという人もいそう。
『マジンガーZ 1972-74 初出完全版』を全巻揃えるとなると、定価でも20,000円以上かかる。対して、こちらの講談社漫画文庫版なら全三巻の定価は2,500円もしない。サイズが大判かとかそういうのにこだわらない限り、誰にでも買いやすい復刻のほうがいいに決まってる。今のバカ高いリイシュー商法は考えなおしたほうがいい。本日の満点は読者が切に求めているものを的確に提供してくれた講談社編集部を称えての評価。内容となると、文字どおり竜頭蛇尾なのは言うまでもない。
(銀) 「デビルマン」はなんというか、文明批評みたいな面があったから永遠の大傑作扱いをされているけれど、「マジンガーZ」や「ゲッターロボ」のようなロボット系作品は勧善懲悪以外の要素が少ないため「デビルマン」ほどの評価は得られていない。でもキャラクター・デザインの素晴らしさは存分に楽しめる訳で、私のこのBlogの〝バードス島〟という名称も当然「マジンガーZ」からインスパイアしたものだ。
もう一度、オリジナルである『ジャンプ』連載版「マジンガーZ」を読み返してみてもらいたい。ドクター地獄が世界征服のため送り込む機械獣というのは、元来ドーリア人の侵略に対抗すべく古代ミケーネ人が作った巨人戦士であり、何世紀もの間エーゲ海に浮かぶバードス島にそれらが隠されていたのをドクター地獄が見つけ出したというのがもともとの設定だった。リアルタイムで『ジャンプ』を読んでいた私はこの壮大なロマンがたまらなくてマジンガーを好きになったのだけど、第三エピソードでは早くもその設定が忘れられ、古代ミケーネ人とは関係がない〝にせマジンガーZ〟が出てくるんだよね。最後まで古代ミケーネ人の設定はキープしてほしかったけど昭和のヒーローものはすべからく世界征服を企む悪の組織はなぜかいつも日本ばかり襲ってくるというおマヌケな矛盾を背負っているのだし、多くを望む私のほうが間違ってるんだが。