2020年12月31日木曜日

『新八犬伝/辻村ジュサブローの世界』

2019年7月21日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

NHKエンタープライズ NHK人形劇クロニクルシリーズ Vol.4
2019年8月発売




★★★★★ 役行者よ伏姫よ、きっとどこかで眠っているであろう
          録画テープをひとつでも多く発掘させたまえ




03年にリリースされたDVDの再発廉価盤。「新八犬伝」は第1話、第20話、第464話(最終回)/「真田十勇士」は第1話、第443話。それぞれ400話以上ありながら収録できたのがたったこれだけ・・・。

 

 

物語の発端から完結までをフォローする何本かの総集編の形で「新八犬伝」「真田十勇士」も永久保存の映像マスターを後世に残しておくべきだったのだ。「新八犬伝」が始まった1973年の大河ドラマ「国盗り物語」の総集編はDVDになっているぐらいだから、当時テープが高価だったとはいえ物理的にはやれば出来た筈なのに、日本の公共放送NHK何という愚かさよ。

 

                    🐕


以前も書いたとおり、このDVDの旧盤が発売されたずっと後に「新八犬伝」86話が発掘され、完全な形ではなかったがNHKで放送された。冒頭の八房誕生から犬塚信乃対犬飼現八で名高い芳流閣屋上の決闘直後つまり第85話迄のダイジェストであったため、同じ03年にDVDが発売された『劇場版・新八犬伝』と第86話の内容が殆ど重複していたのは残念だったが、それでも当然撮影された内容はそれぞれ全く別のものだった。

 

 

後続番組の「紅孔雀」「プリンプリン物語」の映像は大量発掘されたのに、私の愛する辻村ジュサブロー人形劇二作は・・・「新八犬伝」は音声だけならいくつかネット上にアップされたのを耳にしたけど、あれ以降映像発掘の吉報は無く・・・。

 

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「真田十勇士」434435話はテープが残存していながら、映像状態が粗いので商品化を見送っているのだと思う。少しぐらいボヤけたり音が揺れてても我慢するからさあ、担当者さん。「新八犬伝」「真田十勇士」どっちでもいい、どうにかあと5話分(15×5回)ぐらいの録画が見つからないか。そうすれば未商品化の「新八犬伝」86話、「真田十勇士」434435話と併せてDVD1枚商品化出来るでしょ?

 

 

ついでに申し上げたい。学研から出ていた石森章太郎+すがやみつるのコミックス版『真田十勇士』全八巻、それと日本放送出版協会から出ていたノベライズ本『真田十勇士』全五巻、是非復刊してほしい。後者は集英社文庫から文庫化されたが、あんなんじゃ全然ダメだ。元本どおりの再現じゃないと。新しく映像を見つけ出すよりこっちのほうが実現できる可能性があるんだし。





(銀) Amazonのレビューでは書かなかった『新八犬伝』第86話の裏話をしよう。その発見が一部で話題になっていた第86話がNHK地上波でオンエアされたのだが、まるごとフルで流さずブツ切り状態にされていた。某所で知った情報によると、なんでも第86話のリアルタイム放送時にどうも臨時ニュースが差し込まれたのだとか。その部分をそのまま現代ではオンエアできないから、そこだけ削除する為あんなブツ切りにしたのではないか。



もっとも何の因縁か、第86話を放送しようとした2012年の番組『NHKアーカイブス』オンエア時にも大きめの地震が発生してしまい、番組の途中でニュース画面に切り替わってしまうというトラブルが発生(ネット上では「玉梓が怨霊の祟りかよ!」と話題に)。そのせいで第86話を含む『NHKアーカイブス』が無事に観られるのは数日後の再放送まで待たねばならなかった。



長い物語の序盤を振り返る第86話総集編はいつもの15分より少し長い拡大版なんだが、語り手を務める坂本九の出番多し。番組を音で彩る三味線奏者の女性や、玉梓が怨霊の人形を操る若き日の辻村ジュサブローを紹介したり、黒子姿ではないカジュアルな姿で九ちゃんが劇中歌「夕やけの空」「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の二曲をスタジオで唄う。イレギュラーな九ちゃんのパフォーマンスも貴重なんだが、できれば私は犬塚信乃登場以降の八犬士達の活躍を一分でも長く観たかったので、そこだけはちょっとビミョー。


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でも既発DVDにはなく、この第86話を観ないとわからない箇所もある。犬飼現八の、初期でしか使われていない人形はその後のものとは異なり、そのマナコは犬山道節に近い睨みをきかせた目をしており、ふっくらした頬に牡丹の花びらのような痣がハッキリと見える。更に、現八の最終的な声優は関根信昭(犬江親兵衛の声も)なんだけど初期の現八の声は井上真樹夫が演じていてたった一瞬だが井上版源八の声が聞ける。



声優の違いでいったら犬山道節もそうで、道節の担当は低音で野太い声の川久保潔だが、第86話で「拙者についてこい!」と叫んでいるのは川久保でなく犬川額蔵/網乾左母二郎に近い甲高い声だから、この時の道節の声は斎藤隆が演じていたものと思われる。犬塚信乃と里見義実と犬田小文吾は近石真介が担当したり、この番組は限られた人数の声優さん達が一人で幾つものキャラを声色を変えながらこなさなければならなかった。といったところで、当Blogも本年ここまで。




2020年12月30日水曜日

『殺人交響曲』蒼社廉三

2016年4月3日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版 ミステリ珍本全集⑪ 日下三蔵(編)
2016年3月発売




★★★★  「戦艦金剛」は初出誌ヴァージョンにて収録




一応の代表作といえる「戦艦金剛」1967年の徳間書店初刊本テキストではない雑誌発表時の原型中篇版を収録してくれたのは嬉しい。誰からも嫌われている軍曹の艦内密室死を描くこの作が一番ズッシリくる。長篇版と中篇版を比べてもキャラとあらすじはほぼ変わっていない。

 

 

既存の蒼社廉三の単行本のうち、(私が)まだ読んだことのなかった「殺人交響曲」は楽譜に纏わる暗号などそのタイトルどおり音楽ミステリ長篇といえようが、(比べる相手が悪いけれど)例えば横溝正史「蝶々殺人事件」ほどに本格調ロジックの組み立ては無く、絡み合った人間模様のスリラーを超えるものではない。

 

 

もうひとつの長篇「紅の殺意」。戦後の黒く汚れた川口工業地帯、こちらも車の轢死を発端に泥臭い刑事達が九州・広島まで謎を追う。以前読んだ時にはもっと面白かった気がしたものだが、あれも古本の魔力だったか。唯一猟奇的な秘密を期待させる「紅い色」狂の意味があまり効いているとは言えず、最後の犯人発覚にはそれなりの意外性はあるとはいえ、レアものを過剰に有難がるオタはまだしも、フラットな感覚の読者には目鼻立ちがボヤけ地味に受け取られるだろう。

 

                    


そして SF短篇 ×4。これがなんと近未来社会で大気が侵され、人間が地下生活を送るというものがあったり、まるで70年代迄の手塚治虫や松本零士が描きそうな作品のイメージが、これまで古書を読んで感じてきた蒼社廉三のそれとは180度真逆で、どうにも違和感がありすぎる。



100以上の短篇を書いていながら、「戦艦金剛」のような戦記ものはその内二割なのだという。いかにも戦後貸本小説に見られる〝何でも屋作家〟の様相だが、最低限の決まった方向性がないと大衆にはわかりづらいし、この一冊を読んだだけで蒼社廉三を前向きに「器用な作家だなア」と受け取る人はあまりいないと思う。

 

                      


ところで私の書いたミステリ珍本全集のAmazonレビューに対して「悪意がある」と言って罵倒ツイートしている日下三蔵の信者がいるようで(どういう人間なのかは twitterの〈キーワード検索〉欄で〝銀髪伯爵〟と検索すればすぐにわかる)。場末のAmazonレビューにいちいち怒って何が得られるのか知らんけど、私は関係者がAmazonに仕込んだサクラなどではないし、身銭を切って本を買い最後までそれを読んで、良かったものは手放しで褒め、そうでないものにはそうでないとストレートに書く。



あれもこれも全て満点にしていたら、レビューとして何の訳にも立たない。新しい(もしくは)若い読者が探偵小説を読んで、良い感想も悪い感想もガンガン出てくるようにならなければ、それこそ馴れ合いという菌で腐りきった汚水溜めと選ぶ所がない。




(銀) 蒼社廉三には多くの短篇があると云うので『探偵雑誌目次総覧』の蒼社廉三の項で「戦艦金剛」以外の小説を数えてみると「屍衛兵」「砂漠地帯」「太平洋に陽が沈む」「もずが枯木で鳴いている」「スターリン・グラード」「Uボート」、これだけしか載っていない。発表誌はいずれも『宝石』『別冊宝石』。彼が小説を沢山書き飛ばしたのはきっと怪しげなマイナー雑誌が断然多いのだろう。


                    


探偵小説本の編集業に尽力している人達と違って、古本を買い占め探偵小説本の古書相場を吊り上げるのが目的の、喜国雅彦に代表される古本ゴロ集団の一人である日下三蔵は以前から信用できなかった。ミステリ珍本全集の仕事にもいぶかしい点があって、それをレビュー上で指摘したまでのこと。



そして長年私が感じてきた日下の胡散臭さがモロに表出したのが(当Blogでも度々触れてきたが当該記事はようやく近日up予定)鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて 完全版』。下記にて紹介する日下三蔵信者が「悪意がある」などと言ってくるような指摘をわざわざ私がしなくとも、自分の仕事に対するズサンさを日下自ら見事に立証してみせたのが、不幸にもあの名著だった。


                    


私の罵倒ツイート書いてたのはなんていう奴だったっけ・・・さかえたかしと千野帽子か。本を批判されたというので著者/編者/関係者が怒って私に直接何か言ってくるのであれば、それはまだごくごく自然な反応だが、何の関係も無い只のアホなネット民にとやかく言われる筋合いは無い。どんな放言をしていようが twitter ばかりしている人間にろくなのはいない。




きっと他人に余計な減らず口ばかり叩きつつ、自分はくだらない事でキレる、みたいな毎日を無駄に過ごしてるんだろうなと思って、こいつらの twitterを覗いてみた。案の定、千野帽子は主張がどうの論破がどうのとホザいている。こういう連中は自分というものを最初から持ってないんで、彼らにとっての尊師様・日下三蔵とか著名な誰かの影に群れていないと発言ひとつも出来ないし、顔の見えないネットではなく対面で顔を突き合わせたら急に黙ってしまうような意気地の無いビビリでしかない。



自分では日下と同じような主張をSNS上でしているつもりなんだろうが、千野の云う事にゃ「ホントに見ず知らずの人にすごい言葉の暴力を投げる人っているんだなあと思う」だとさ。自分のしている行為をあたかも他人がしているかのようにひけらかしてるんだな。ちくま文庫で千野に解説を書かれてしまい、世間から「こんな奴が推している作家なのか」と思われて、さぞイメージダウンしたであろう獅子文六が気の毒。





2020年12月29日火曜日

『大河内常平探偵小説選Ⅱ』大河内常平

2016年6月6日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第98巻
2016年6月発売



★★★★★   大河内常平に対する正しい評価とは?




☽ 本巻には、嵐の夜キャデラックを狙撃した謎の犯人を追うデビュー作・長篇「松葉杖の音」(別題「地獄からの使者」)と十三短篇を収録。

 

 

☽ 病態の夫と子を裏切り他の男と麻薬に堕ちた妻への未練を描く「誤れる妻への遺言」、陰湿な軍隊関係を描く「風にそよぐもの」「赤い月」、いわゆる与太公ものの「暫日の命」「相克」といった、やりきれない人間達の物語はいかにも彼らしい。

 

 

「夕顔の繁る盆地に」も旧日本軍が題材だが、脱走兵とその為に自殺した軍曹、甲府の山奥の婀娜な女と、複雑な設定が独特。本巻収録作品の発表誌の多くが正統派の『宝石』である影響か、大河内にしては手堅くトリックをどこかに見せようとしている様子も見受けられる。

 

 

☽ この人は元来、テクニック的に上手い方ではなく、進駐軍下で働いていた経験から、普通の人が知らないヤクザやパンパンなど闇社会の知識・俗語に長け、それを作中にリアルに書き込むところに良さがあって。また刀剣ものに見られるように、どこか一本キレた狂気を絞り出した方が旨味が出て来る。

 

 

「蛍雪寮事件」など水を用いた巧妙な殺人の考案もあるが、「九十九本の妖刀」「餓鬼の館」の如きオソロシイ迫力のある短篇は見受けられない。それに、「クレイ少佐の死」や前巻『 Ⅰ 』収録の「ムー大陸の笛」ってそこまで代表作かな? 私はそうは思わなかったけれど。

 

 

☽ この種の愛欲風俗派探偵小説はそれまで正面から論じられることもなく、大河内の再発だって大幅に遅れてしまった。敗戦がもたらした日本の戦後探偵小説のひとつのパターンでもあり、大河内常平という作家像を正しく捉えるためにも新しい読者のガイドになるような風俗探偵小説を論じた本があるといい。それにはもっと同ジャンルの再発が進まねばならず、本叢書でも朝山蜻一・楠田匡介らの刊行が望まれる。




(銀) 風俗探偵小説の評論ったって、その手の昔の単行本は古書市場でも全国の図書館でも、残っている数が非常に少ない。たまに市場に出てきてもベラボウな古書価格だったり、またそれを古本キチガヒが(既にもうその古本は持っているくせに)買い占めるものだから、研究者とかフツーの人は絶対に読むことができない。



ヤフオクでも、探偵小説の古本を買い占め回っているのはいつも同じ奴と決まっている。かくも不毛な状況ゆえ、森英俊が盛林堂と組んで(小説の内容を読み解く評論なんかでは決してなく)「あの本のレア度は超Aランク、この本のレア度はCランク」などと古本で頭が狂ってしまったオヤジ達を一層煽るだけの本を出したりするのだ。




2020年12月28日月曜日

『大河内常平探偵小説選Ⅰ』大河内常平

2016年5月3日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第97巻
2016年4月発売




★★★★★   泥絵具をなすり付けたような




☽ ミステリ珍本全集に先を越されてしまった本叢書での大河内常平だが、さて、どの作を収録してきたか? まずは探小読者にもさほど知られていないシリーズ探偵/来栖谷一平と、その探偵事務所秘書/君津美佐子、探偵にお熱を上げるバー『クラフト』のマダム百合子、探偵の親友/早乙女甚三警部補をレギュラーに据え、六話から成る「夜光る顔」(別題「夜光獣」)

 

 

昔から情報の少ない作家だったし、そんな手探り状態の中で大河内といったら刀剣・伝奇・風俗ものみたいな、トリックなんぞ歯牙にも掛けない人の印象があったが、ここでは通俗タッチながらも、それなりに謎解きに取組んでいる。やれば書けるじゃないか、大河内。

 

 

☽ 次なる25時の妖精」(妖怪博士 蛭峰幽四郎物語)は、大河内の愛した乱歩通俗作品への憧憬か。これも基本は一話完結式だが、全体では連続した体裁をとる。本書帯に「名探偵vs妖怪博士、来栖谷一平と蛭峰幽四郎の顔合わせ」なんて煽ってはいるが、この二人の直接対決はほぼ無いまま終わってしまうので、そういうのを期待した読者がガッカリなさらぬよう、一言添えておく。

 

 

『醗酵人間』(栗田信)等のレビューでも触れたが昭和30年代貸本小説はなにかとテキトーで、蛭峰博士一味の惨たらしさを最後まで徹底すればいいものを、怪盗東京ジョニーなんて中途半端な別の悪役を終盤に割り込ませたりするから、焦点がボケてしまったのがもったいない。生贄達の臓腑を抉り出したり悪趣味ぶりは乱歩以上だが、大河内の場合は大仰な表現や構成の荒っぽさも相まって、とてもユーモラスとは言えないが、気持の悪い滑稽さが付き纏い、どこか笑える。

 

 

☽ 残りの中篇二作「蛙夫人」「ムー大陸の笛」
いずれも呪い・祟り的な題材かと思っていたら、ねじれた奇妙な展開を見せる。まあ詳しくは書かないでおくので、是非手にとってみてほしい。随筆での大河内の探偵小説に対する考え方は、

 

● 自然科学の領域

● 怪奇幻想

● 人間の神秘な心霊のうちに飛び込み果敢奔放な闘争を展開し得る

 

と言った風に、その許容性を強調している。この時代に全盛だったリアリズム重視の社会派ミステリ、及びそれに対抗するため地味な謎解きに狭窄され、折り目正しくなり過ぎてダイナミズムを失った本格物より、大河内のように悪趣味で雑な面はあっても、汚い泥絵具の如き個性を放っているほうが私は好ましい。



(銀) 商業ベースで三冊の単行本を発売したからか、同人出版では大河内の本を出そうとする動きが起きてこないな。猟奇的な内容ならまだいいけど、さすがに与太公ものや風俗系になると「売れなさそう」と二の足を踏んでしまい、誰もリリースする勇気が持てないのか。




2020年12月27日日曜日

『ミステリ編集道』新保博久

2015年5月24日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

本の雑誌社
2015年5月発売



★★★★★   本当に聞きたい事ほど語ってはもらえない





『本の雑誌』に掲載されていた昭和の編集者たちに話を聞く企画「シンポ教授の温故知新インタビュー」を単行本化。各章に関連リストが付いているのは便利。全員の内容を紹介していると長くなるので、いにしえの探偵小説に携わり尚且つ私の興味が深い人だけ紹介する。


 

 原田裕

ネタが結構『<出版人に聞く⑭>戦後の講談社と東都書房』(論創社)と被ってはいるが、実際先に行われたのはこっちのインタビュー。やはりミステリに関する話を引き出すには、小田光雄よりも新保のほうが好ましい。

 

 大坪直行   

本書の中で最も問題のインタビュー。というのはこの人、『ヒッチコック・マガジン』編集長の座から追い落としたとして小林信彦(=中原弓彦)から深い恨みを受けていて。松本清張がとことんイヤな性格なのを伝えるエピソードは嘘ではないと思うが、小林との事実関係はどっちの言っていることが本当?

 

 中田雅久

飯田豊一『<出版人に聞く⑫>「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』をちょっとだけ補完する内容。後章で島崎博が『探偵実話』の再評価を促しているが、久保書店~あまとりあ社の(エロ系)探偵小説も同じくそうあるべき。

 

 八木昇

この人も桃源社社長としての仕事は立派なものだが、その後の蔵書家としてはいろいろな噂も耳にするし、一筋縄ではいかなそうな御仁。だいたい度を越した古書蒐集家にまともな人間なんているんだろうか。

 

 島崎博

よく誤解されているが、雑誌『幻影城』を立ち上げたのは実は彼自身ではない。

 

 北村一男

EQ』『ジャーロ』の人。北村は山前譲と一緒に、鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』完全版の刊行計画を早く進めなければいかんのだ。(のちにあの本は実にいい加減な作り手達によって、論創社から復刊されてしまった)

 

 戸川安宣

氏が東京創元社の社長だった頃は乱歩本が充実していて幸せだった。戸川みたいな人がトップにいないと、あの会社はダメよ。

 

 藤原編集室

高くて少部数な本しか企画が通らない・・・・やっぱり国書刊行会はアブノーマルだ。紀伊国屋書店のウェブストアでは国書の新刊が出ても発売日に全然「在庫あり」にならないので問い合わせ先に文句を言ったら、「国書刊行会は価格の高い本が多いため弊社では専門書扱いしており、それゆえ発売日に潤沢な在庫を持たない傾向があります」なんて、耳を疑うような回答をされちゃったぞ。ところで藤原はいつも顔写真 NG


 

その他は白川充・佐藤誠一郎・山田裕樹・宍戸健司・染田屋茂の面々。新保が原田裕から聞き出したかった昭和20年代末頃の江戸川乱歩と横溝正史確執の理由しかり、真に聞きたいヤバそうな話に限って語られることはない。皮肉にもそれが聞書本の宿命だな・・・と本書を読んで私は悟った。 


 

新保が編纂する最近のミステリー文学資料館名義の光文社文庫アンソロジーに比べたら、ずっと有益で面白かった。頭が衰えないうちに、本書はしがきで触れている江戸川乱歩評伝とか『横溝正史自伝的随筆集』に入りきらなかった正史のエッセイを纏める『金田一耕助と私』など懸案事項にはケリをつけてほしいが、そんな気持はもう雲散霧消しているんだろうな。




(銀) twitterで他人に言わなくてもいいことを言ったあげくに激昂され、結局は詫びを入れる羽目になり・・・日下三蔵ほど重度の依存症ではないにしろ、とうとう新保もSNSボケしてしまったのか。今まであれだけ良い仕事をしてきながらイタイ晩年になったものだ。



twitterって、そんなにしてまでやらなきゃいけないものなのかね。SNS自体、本来は既に親しい間柄とかこれから親しくなりたい人達が内輪でチマチマやってりゃいいもんじゃないの? 世間に向かって説教垂れたりアジったり他人の事をあげつらったりチクったり、そういうのをわざわざ拡散させる必要がどこにあるというのだろう?


 


2020年12月26日土曜日

『森下雨村小酒井不木/ミステリー・レガシー』

2019年5月16日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

光文社文庫 ミステリー文学資料館(編)
2019年5月発売



★★★★★  「テキストの底本をどこから採ってくるか」問題




ミステリー文学資料館編纂によるシリーズ〈ミステリー・レガシー〉も三冊目。
河出文庫の〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉は最初の森下雨村『白骨の処女』『消えたダイヤ』こそツボを突いたチョイスだったのに、龍頭蛇尾になってしまった。〈ミステリー・レガシー〉も一冊目で楠田匡介「模型人形殺人事件」を収録した時は(作品の出来うんぬんは置いといて)エキサイティングだったけれど、徐々に河出同様、レアものをセレクトするテンションが落ちてきているようで心許ない。 

 

と、従し事はさておき本書の収録作家は江戸川乱歩の先輩にあたるこの二人。
森下雨村と小酒井不木。



小酒井不木は幸いにして古書でも読むのが困難な作品はなく、未知の小説が新発見されたなんて噂も聞かないから、今回収録された珠玉の不健全派変格小説五作のチョイスについては無難の線。まあこんなものだろう。そうなると、擦れた探偵小説読者がわざわざ本書を買うとしたら、テキストの底本はどこから採ってきているか、その点が鍵になる。 
 
 


「按摩」「虚実の証拠」「恋愛曲線」は大正15年刊/春陽堂創作探偵小説集『恋愛曲線』から

短めの長篇「恋魔怪曲」は昭和4年刊/改造社『小酒井不木全集 第四巻』から

「闘争」はなぜか単行本からではなく初出誌『新青年』昭和45月号から

あとエッセイ二篇「科学的研究と探偵小説」が『新青年』、「江戸川氏と私」が『大衆文芸』といずれも底本は初出誌から




底本を初刊本・初出誌と統一してないのはなにか意味が?毎日Twitterをするのに忙しいどこぞの編者と違い、本書担当の山前譲は何か根拠があって上記の底本を選んだのだと良い解釈をしたいところだが。

 

 

もし〝ベスト・オブ・小酒井不木〟な一冊を薦めるとしたら、戦前の古書で旧仮名遣いだし分厚いものになってしまうけれど、竹中英太郎が単行本用に挿絵を数点描き下した『現代大衆文学全集 第七巻 小酒井不木集』は所有する魅力がある。探せば見つかる本なので函入りのなるべく状態のいいやつを1,500円以下の出費で贖ってほしい。


 

                    



さて、本書メインの森下雨村。『新青年』での不木追悼エッセイ「小酒井氏の思い出」も併録。「丹那殺人事件」は、十一年前に発売され今でも流通している『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』に既に収録済みの長篇。雨村なりに謎解きものとして頑張ったのだろうけど、クロフツほどの完成度は望んじゃいけません。本書を通販サイトでオーダーしたあと、核となる長篇がこれだと知って「ああ、買わなきゃよかった」と嘆いたものの実際現物に目を通してみると、この文庫における「丹那殺人事件」のテキストは昭和10年の柳香書院/初刊本が底本に使われていた。
 

 


論創ミステリ叢書は基本的に特記が無い限り初出誌をテキストに使用するのがルール(最近方針が変わっていなければいいが)。であれば、『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』に入っている「丹那殺人事件」のテキストは初出誌『週刊朝日』から採っているはず。本書=光文社文庫と論創ミステリ叢書、二つのテキストを解りやすい例でどう違うか比較してみると、こうなる。


 

○ 本書 183頁  

「大阪へ」の章は、「莫迦に早いじゃありませんか」の会話から始まっている。



● 『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』 368

「莫迦に早いじゃありませんか」の前に、連載当時の『週刊朝日』編集部が書いたものだと思われる「最後の五分 いよいよ犯人の正体が判りかけて来ました。犯人捜しは本号から読まれても判ります」という煽り文が挿入されている。連載時には犯人捜し懸賞募集が行われていたので、文中にこういう箇所が存在する訳だ。


 

○ 本書 220

後は読者諸君の御想像に委しておくがいいだろう___。


● 『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』 399

後は読者諸君の御想像に委しておくとしよう。

 



ということで、今回の文庫版「丹那殺人事件」は『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』とは別テキストだと見做して OK なので、「柳香書院の初刊本を持ってるし、イラネ」などと言うひねくれ者でなければ買って損はなし。ひとまず一見落着。もしも今回の「丹那殺人事件」が論創ミステリ叢書と同一のテキストだったら本書収録作に目新しさがないので★1つにするところだったが、そうではなく一応買う価値はあるので★5つにした。新規読者が増えるといいね。




(銀) はからずもクリスマスに三日続けて森下雨村を取り上げる事となり、同時に〝再発する際に底本にするべきテキスト/するべきでないテキスト〟についても提言してみた。よほど綿密な校訂がなされたものでない限り、その作家が亡くなった後に刊行された書物を底本に使うのはできれば避けてほしいと思う。改造社版『小酒井不木全集』は不木の逝去後、直ちに制作されたからまだいいけれど、作家が亡くなって年月が過ぎ復刊の為に第三者が校訂するとなれば、本来作家が意図したカタチと乖離してしまう部分が出てくるからだ。



雨村の「丹那殺人事件」は終戦後に仙花紙本で一聯社と秀文館から再発されている。勿論その頃雨村はすでに土佐に隠棲していたとはいえ、まだバリバリ健在。万が一、仙花紙本の『丹那殺人事件』が出る時に雨村自ら文章に手を入れるような事をやっていたならば(もしもの話ですよ)そっちのテキストを当文庫にチョイスするのも面白かったろう。



小酒井不木の創作小説はあらかた掘り尽くされている。それゆえ、本書の二年前に出た『小酒井不木探偵小説選 Ⅱ 』は不木も参加した昭和2年の連作物「吉祥天女の像」(甲賀三郎 → 牧逸馬 → 横溝正史 → 高田義一郎 → 岡田三郎 → 小酒井不木)をフル収録する折角のチャンスだったのに。





2020年12月25日金曜日

『消えたダイヤ』森下雨村

2016年11月8日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

河出文庫 KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ
2016年11月発売



★★★★★   初出誌は『少女倶楽部』




『白骨の処女』の売れ行きがそこそこ良かったから、続けて本書をリリースしてくれたのかな。 だとしたら(しなくても)手頃な文庫で森下雨村を読めるのは嬉しい限り。ドンドン継続して、河出さん。

 

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今回収録の長篇「消えたダイヤ」が佐川春風ではない別名義・花房春村で少女雑誌に連載されたという情報は山前譲の解説で初めて知った(と思っていたら『森下雨村探偵小説選Ⅰ』の解説で既読だった)。この作品を読んだことがある人の殆どは昭和5年刊改造社版『日本探偵小説全集 森下雨村集』に頼っている筈で、それ以来数十年ぶりの再登場。

 

 

なぜいきなり大人ものでなく少女ものをセレクトしたのだろう? 没後から現在に至るまでの間に刊行された雨村の著書で最も人口に膾炙したのは少年倶楽部文庫の『謎の暗号』だった(いや、釣り随筆『猿猴川に死す』かな?)。連載の場も『少年倶楽部』と同じ大日本雄弁会講談社の兄妹誌『少女倶楽部』だし、『謎の暗号』と同じ文庫の形でシンメトリーにするべく山前譲は本作を選んだのでは・・・と私は見ている。

 

 

『謎の暗号』の富士夫少年ほどスーパーマンではない二十歳前とおぼしき girl & boy が主人公。トリックといえるほどの技巧はなく、レガリア金剛石の在処と真犯人の正体露見のラストに向かって冒険を繰り広げる。初出は大正14年。

 

 

江戸川乱歩とは歳四つしか違わないのに、少年少女ものを書く時の雨村の口調文体は昔の年長者っぽい古めかしさがある。いごっそう土佐弁の名残なのかもしれない。登場人物の姓名において「ミズタニ」「ミチオ」という呼び名が出てくるのは、まだ若かった大学生水谷準(本名は納谷三千男)の名を拝借したものだろうか。

 

                     💎

 

河出文庫での雨村の好評を受け、論創ミステリ叢書が『森下雨村探偵小説選Ⅱ』の企画に動き出した。だから『Ⅰ』が出た八年も前から言ってたのに。「続巻を早く」ってさ。






(銀) 〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉は続きを楽しみにしていたのだが、この後に出されたものは底本に使用するテキストが(初出誌・初刊本ではなく昭和40年代の桃源社の本など)好ましくないものだったり、読むのが困難でもないような作品(特に江戸川乱歩『盲獣・陰獣』)ばかりになったりで、すっかり興味を失ってしまった。


文庫版の〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉とは別に、〈レトロ図書館〉という単行本の版型に変更しつつ、似たような路線で刊行は続いたが、魅力的でないセレクト/底本テキストの問題は相変わらずだったし、私は〈レトロ図書館〉の本は一冊も買っていない。




これらのシリーズが仮にビギナーを獲得する為の企画だったとしても、底本の選び方で手抜きをしちゃいかんだろ。同じ山前譲がタッチしているのに光文社文庫だと底本の選択は真っ当。河出の本では、山前は作品選定(のアドバイス)をしているだけで、よろしくない底本選びは編集部のせい?





2020年12月24日木曜日

『白骨の処女』森下雨村

2016年6月8日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

河出文庫 KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ
2016年6月発売



★★★★★   想定外の文庫化復刊




この長篇がまさか文庫で復刊されようとは!Viva、河出!
元々は全て書下ろしによる昭和7年新潮社『新作探偵小説全集』全十巻のうちの一冊で、それ以来なぜか一度も再発される機会がなかった。論創ミステリ叢書のような高額な本以外で、こんな風に手軽な文庫で読めるようになったことは大変価値がある。

 

 
本作の概要を、昭和7年当時の新潮社『新作探偵小説全集』内容見本より引用してみる。 


〝 春麗かなる美貌の令嬢瑛子の不可思議な失踪と同時に、帝都の一隅に或る青年の怪死體が發見されて、事件は急轉直下的に廻轉する。

 

一方、北國の富豪山津常太の過去を包む呪ふべき秘密を中心に、戦慄すべき惨劇と宿命との一大交響楽は火の車の如く展開する。

 

その指揮棒を振るは魔か人か!顫へ戦く人影、古風な金指環、北龍荘の怪、完全無欠のアリバイ、崩れゆく断層、等々々。〟

 



古書で初刊本を買って以来の再読だったが、その時よりも面白く読めた。編集者雨村ならではの余計な部分を削ぎ落した快調なる筆捌き、新潟・東京二都のロマンティックな戦前モダン風景、存外アリバイの構図などもしっかり書かれていて、蒼井雄「船富家の惨劇」あるいは松本清張「点と線」のプロトタイプにも成り得ている(ちょっと褒め過ぎか)。

 

 
『新青年』でよく見られるユニークなルビ振りも、この文庫は面倒臭がって省く事もせずキチンと載せているのが偉い。ラノベ絵カバー・語句改変に忙しい角川や光文社とは違う。ちなみに、初刊本に併録されていた短篇「負債」は本書には未収録。

 

 
このところ久生十蘭に日影丈吉、あと渋いところでは三角寛なんかも文庫化してきた河出だが、この勢いで日本の探偵小説の埋もれた作品を次々と復刊していってもらいたいものである。前述の新潮社「新作探偵小説全集」の中で、復刻の動きからから未だ忘却されている作家といえば「狼群」の佐左木俊郎か。あ、大事な事を書き忘れていた。本書の解説は山前譲。





(銀) 河出書房新社のサイトでは、本書よりずっと前に河出文庫で出ていた国枝史郎『神州纐纈城』小栗虫太郎『黒死館殺人事件』も含め、これらのカテゴリーを〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉と呼んでいるようなので、当Blogでもそのように記載する。




文庫版『白骨の処女』が出た時は自分の中でもかなり盛り上がった。本文中で触れている佐左木俊郎の長篇「狼群」も2020年8月25日の記事で取り上げたように論創ミステリ叢書『佐左木俊郎探偵小説選 Ⅰ 』へ収められたが、『Ⅰ』は2020年8月にリリースしていながら続巻で出る筈の『Ⅱ』はいまだに刊行されそうな気配も無いばかりか、論創社HPでの近刊予告を見ると次の配本はいつの間にか『霜月信二郎探偵小説選』にされている。 ???




2020年12月23日水曜日

『魔の淵』三橋一夫

2015年9月4日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版 ミステリ珍本全集⑨ 日下三蔵(編)
2015年8月発売



★★★★   明朗ミステリがセレクトされなくて一安心



✪ 必ずしも『新青年』作家が探偵作家とは限らない。久生十蘭や獅子文六がその例だが、三橋一夫の場合は探偵小説プロパー人脈寄りなところはありながら、傍流の人に見える。本巻収録の三長篇も犯罪こそ起こるけれど謎解きや論理的な面はまるで無く、帯にある「ダーク・サスペンス」なんて小洒落たもんじゃない。

 

 

いずれも重くドロドロした人間模様を描いたもので「魔の淵」は花登筺みたいな設定。「卍の塔」は当時流行した〝女のよろめき〟に端を発する安手の韓流・昼メロ調すれ違い、「第三の影」は空手の達人たる快男子対チンピラ愚連隊、そして陰で糸引く首領の正体は誰か?という物語。

 

 

初出は書下ろしなのか、どこの誌面での連載だったのか、何も解説で触れられていない。調べた上で解らなかったのか最初から調べていないのか・・・。それとは別に、話の結末をベラベラ喋ってネタバレなレビューがAmazonに投稿されてもいる。謎解きメインじゃないからって発売日直後からこんなこと書かれたら、これから本巻を読む人は興醒めだろうな。

 

 

✪ 三橋一夫のメインストリーム「まぼろし部落~不思議小説シリーズ」は庶民性が濃いので、まるで年寄りの語る日本昔ばなしの変種のように感じてきたものだ。私にとって昭和大衆文学の古さはチャームポイントだけれども、彼の作品はその古臭さがどうにも野暮ったい。この作家をあまり好みでないのは、そういう理由から来ている。

 

 

でも本巻の「魔の淵」などは横溝正史「鬼火」のような執拗過ぎる確執もあり、不思議小説シリーズよりはまだサクサク読書が進んだ(なんせ松本清張より山崎豊子のほうが好きなもんで)。珍奇なものを採り上げる本全集のコンセプトに、今回の三橋作品はとても合致していると思う。とはいえ、本巻に入った三長篇を「ミステリ色の強い作品」と言ってるが、ミステリ=コチコチの論理と考えているような人は勿論のこと、謎の提示・解決への流れ等がミステリの体を成してないので、読み終えたあと「これってミステリだったの?」と戸惑う人は結構いそうだ。

 

 

✪ 冒頭に挙げた獅子文六の某作をミステリ扱いしているガイド本を最近見かけた。故・水谷準や小林信彦がそれを見たらきっと「はぁ?」と思うに違いない。ミステリ的な視点で彼らは獅子文六を評価していた訳ではないからね。本書の三橋作品をミステリとみるにはギリギリの圏内といったところか。ミステリとして扱っていれば世間の食い付きが良くなって売れるかも、というので、よく吟味もせず何でも安直にミステリ扱いにするのは困りもの。 

 

 

なんとも古臭い三橋一夫の小説を売りたいんだったら古本キチガヒの人達だけでなく、もっと全然別の購買層(例えば昼メロ好きな中高年女性)にも新規開拓でアピールしてみれば? 皮肉じゃなくマジで。




(銀) 本書に収録された三長篇以外にも「三橋一夫の明朗小説の中にはミステリ・テイストを含んでいるものもある」などと煽る者が以前からいて、それに踊らされる古本オタが三橋の古書を一生懸命漁っている。江戸川乱歩の随筆に「暗さの無い、明るい探偵小説なんて私には考えられない」という意味の発言があったけど、私も同感。もし三橋の銀座太郎ものが新刊で出ても、(とりあえずは買うかもしれないが)大喜びはしないだろう。



例えば大衆作家の藤澤桓夫。彼の作品にもミステリ扱いされているものがいくつかある。その中で「どれが好きか?」と訊かれたら、探偵役女子大生でライト感覚の『康子は推理する』より関西を舞台にした冤罪スリラー『青い薔薇』を推すかも(この作でもメイン・キャラのひとりは世間知らずで育ちの良いお嬢様学生なのだけど)。




2020年12月22日火曜日

『深夜の散歩~ミステリの愉しみ』福永武彦/中村真一郎/丸谷才一

2019年11月2日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

創元推理文庫
2019年10月発売



★★★   何度も再発するほどのものかな?





昔のヴァージョンを揃えてないんで今回文庫化されてもどこの部分が初収録となるのか、詳しく書いてないからわからん。ここに収められている文章は昭和30年代に(一部を除き)雑誌『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(以下『EQMM』と略)に掲載されたもの。海外ミステリ読者向け与太話ならぬエッセイなので、肩の力を抜いて楽に読み通せる。創元推理文庫やポケミスを書庫にズラッと並べて読破している強者には、こんな屋上屋を架す説明など不要だろうがね。


                      



三人のうち最も古典派だという福永武彦曰く、「作品でいうと『Yの悲劇』や『僧正殺人事件』、作家ならクリスティ/カーはミステリの基礎教養として最低でも読んどかなくちゃその先に進めない」と述べる。

 

 

当時はハメット/チャンドラーらのハードボイルドが幅を利かしていた時代。また米ソ冷戦の頃だから、アントニー・バークリーがちょこっとしか話題に上がらないのにスパイ小説のエリック・アンブラーは何度も出てきたりして。一冊まるごと〝令和のいまでも通用する評論〟という訳ではなく(勿論現代でも有効な部分はあるが)、『EQMM』『ヒッチコック・マガジン』時代の空気を感じつつ、日本におけるミステリ鑑賞の年輪というか断層を楽しむべきではなかろうか。

 

                      


「ホームズを出してしまったことでルブランの『奇厳城』は一種のパロディーになり、物語全体を冗談にしてしまった」と説く中村真一郎は正しいし(批判的だと解釈できるこの文章が当時の『奇厳城』単行本解説の一部ってのが凄い)、福永の「名探偵は探偵小説作家にとって一種の登録商標」という発言箇所に至っては、『明智小五郎 vs 金田一耕助』などと他人の大切な商品をオマージュだのパスティーシュだの都合の良い建前をふりかざして営業妨害する〝作家もどき〟の顔に拡大コピーして貼ってやりたいね。それほどレギュラー・キャラクターの存在(加えてその成功)は重要なのだ。

 

 

ミステリ話のクオリティ以前に丸谷才一のパートだけは、なんというか行間から漂う島田雅彦的な気取りがどうにもいけすかない。世の中、自分で自分のことをフェミニストでございと言って好感を持たれる人なんていないよな。福永と中村だけだったらもっと褒めたかもしれないが。 

                       

                                          


ところで東京創元社のお偉いさん方。せっかく江戸川乱歩はパブリックドメインになったのに、以前出していた初出挿絵入りの文庫『乱歩傑作選』の続巻(「猟奇の果」「地獄の道化師」「白髪鬼」「恐怖王」「偉大なる夢」etc)をなぜ出さぬ?近年出た乱歩本はごく一部を除いてどれもこれも買う価値のないものだらけ。パブリックドメインになって良かったことなんて、ひとつもない。




(銀) この本といい福永武彦の『完全犯罪 加田伶太郎全集』といい、そこまで何度も再発するほどのニーズってあるかな? 戦後に出ていた既存のものの単なる文庫化再発ばかりじゃなくて、新しいオリジナル企画の日本探偵小説本が読みたいんだよ。



昨日の記事で紹介した戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』だって、本当なら戸川の古巣の東京創元社からリリースしてしかるべきもんだったんじゃないの? ボヤボヤしてるとこれからも良い企画を他社に取られるぞ。




2020年12月21日月曜日

『ぼくのミステリ・クロニクル』戸川安宣

2016年11月23日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

国書刊行会  空犬太郎(編)
2016年11月発売



★★★★★    人  柄



読み終えて思った。ゴリ押しとか妙なアクの強さとか、そういったものが戸川安宣にはなく、本やミステリや人や仕事に対してごく自然体に向き合い、でもそこにはキリリと一本、筋が通っている。普通だったら出世をしてそれなりの役職に就いたならもう現場仕事はやらないもんだが、それでもやっぱり本を作ったり、小さなミステリ専門書店の番台に立ってしまう氏がいる。



これは戸川の個人史、東京創元社史でもあり、日本におけるミステリ書籍出版史でもある。またミステリでも海外もの/国内もの/その他の分野や出版業界の内側まで、あらゆる方向へ向けて語り尽くされ、しかもそれが薄っぺらい総論・エピソード拾いになってないのが凄い。聞書き本なのに巻末には註と索引が用意されている。
どこもかしこも重要な話ばかりなので、あえて今後出るであろう書評では採り上げなさそうな、でも私が心に残った箇所を挙げるとするならば・・・。

 

                   


決して著名な存在ではないけれど、戸川の後輩であり部下に当たる東京創元社編集者の松浦さんという人の逸話なんかグッとくる。創元推理文庫のあの分類マーク廃止を提案、翻訳家がビビったり時には怒らせるレベルの、そこまでしなくても・・・と思うぐらい真っ黒になるまで鉛筆でゲラ・チェックをし、連夜の激務に疲れても朝の出勤は遅れない人物らしい。

 

 

のちに煮詰まってしまって会社を辞めたあとずっと何もしていないという行末は、まさにプロ魂が真っ白な灰に燃え尽きた感がある。こんな人達の働きがあってこそ日頃我々はいろいろな本を楽しませてもらっているのである。ちょっとだけ世渡りが下手な(失礼)松浦さんのことを戸川は「東京創元社にとって宝物のような編集者」と讃える。こういう同僚への視点の持ち様が今日まであらゆる人脈を築く源となり、一編集者ならぬミステリ・マスターとしての成功へ結び付いたに違いない。


                    



昨今はプロフェッショナルな存在がこの業界から絶滅しようとしている。本の中にミスや誤りがあっても「あって当然じゃん」みたいな開き直りの風潮さえ目にする。先日も書店で知人に教えられた事だが、『金田一耕助映像読本』(洋泉社)というムック本は3刷まで出ているので2回も訂正できる機会をもちながら、162頁「鍾乳洞殺人事件」の書誌データはいまだに間違えたままだという。



ちょっと調べればなんでもない事なのにサブカルだからとか素人の甘えなのか、もはやケアレスとはいえないこんなミスを何度も繰り返したら、出版界ではない普通の企業だってクライアントや上司にどれだけ怒られるか・・・説明の必要はなかろう。「本を売って人様からお金を頂く」とはどういうことか、本書をじっくり読んで猛省しろ、青二才ども。




(銀) 今まで面白い探偵小説本を沢山作ってくれて、本当に戸川安宣には感謝している。
特に、価格が三十万円にもなってしまった江戸川乱歩『貼雑年譜』の完璧なレプリカ版を発売にまで漕ぎ付けたのは狂気の沙汰(最上級の賛辞の意)だった。



このレビューを当blogへ移すので改めてAmazon.co.jpの本書レビュー欄を見たけど、そこには長文のわりには自己陶酔してて中身が何も無いレビューや、本書の公式発売日2016年11月17日に早々と投稿されている(つまり本をろくに読んでいない)イカサマ・レビューが。私の書いていたレビューも大概は雑だったけど、相変わらず掃き溜め状態だなAmazonのレビュー欄って。



しかしねえ、木魚庵とかの金田一耕助ミーハー本ならともかく、
まさかあれだけ信頼していた論創社の本にまで10行上で述べている苦言を呈しなければならない時がくるとは夢にも思ってもなかったよ。