2020年12月26日土曜日

『森下雨村小酒井不木/ミステリー・レガシー』

2019年5月16日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

光文社文庫 ミステリー文学資料館(編)
2019年5月発売



★★★★★  「テキストの底本をどこから採ってくるか」問題





ミステリー文学資料館編纂によるシリーズ〈ミステリー・レガシー〉も三冊目。
河出文庫の〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉は最初の森下雨村『白骨の処女』『消えたダイヤ』こそツボを突いたチョイスだったのに龍頭蛇尾になってしまった。〈ミステリー・レガシー〉も一冊目で楠田匡介「模型人形殺人事件」を収録した時は(作品の出来うんぬんは置いといて)エキサイティングだったけれど、徐々に河出と同様レアものをセレクトするテンションが落ちてきているようで心許ない。 

 

と、従し事はさておき本書の収録作家は江戸川乱歩の先輩にあたるこの二人。
森下雨村と小酒井不木。



小酒井不木は幸いにして古書でも読むのが困難な作品はなく、未見の小説が新しく発見されたなんて噂も聞かないから、今回収録された珠玉の不健全派変格小説五作のチョイスについては無難の線。まあこんなものだろう。そうなると擦れた探偵小説読者がわざわざ本書を買うとしたら、テキストの底本はどこから採ってきているかという点が鍵になる。 
 
 


「按摩」「虚実の証拠」「恋愛曲線」は大正15年刊/春陽堂創作探偵小説集『恋愛曲線』から

短めの長篇「恋魔怪曲」は昭和4年刊/改造社『小酒井不木全集 第四巻』から

「闘争」はなぜか単行本からではなく初出誌『新青年』昭和45月号から

あとエッセイ二篇「科学的研究と探偵小説」が『新青年』、「江戸川氏と私」が『大衆文芸』といずれも底本は初出誌から




底本を初刊本・初出誌と統一してないのはなにか意味が?毎日Twitterをするのに忙しいどこぞの編者と違って、本書担当の山前譲は根拠があって上記の底本を選んだのだと良い解釈をしたいところだが。

 

 

もし〝ベスト・オブ・小酒井不木〟な一冊を薦めるとしたら、戦前の古書で旧仮名遣いだし分厚いものになってしまうけれど、竹中英太郎が単行本用に挿絵を描き下した『現代大衆文学全集 第七巻 小酒井不木集』は所有する魅力がある。探せば見つかる本なので函入りのなるべく状態のいいものを1,500円以下の出費で贖ってほしい。


 

                    



さて、本書メインの森下雨村。『新青年』での不木追悼エッセイ「小酒井氏の思い出」も併録。「丹那殺人事件」は十一年前に発売され今でも流通している『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』に既に収録済みの長篇。雨村なりに謎解きものとして頑張ったのだろうけど、クロフツ程の完成度は望んじゃいけません。本書を通販サイトでオーダーした後で核となる長篇がこれだと知って「ああ、買わなきゃよかった」と嘆いたものの実際現物に目を通してみると、この文庫における「丹那殺人事件」のテキストは昭和10年の柳香書院/初刊本が底本に使われていた。
 

 


論創ミステリ叢書は基本的に特記が無い限り初出誌をテキストに使用するのがルール(最近方針が変わっていなければいいが)。であれば『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』「丹那殺人事件」テキストは初出誌『週刊朝日』からの筈。本書=光文社文庫と論創ミステリ叢書、二つのテキストを解りやすい例でどう違うか比較してみるとこうなる。


 

○ 本書 183頁  

「大阪へ」の章は、「莫迦に早いじゃありませんか」の会話から始まっている。



● 『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』 368

「莫迦に早いじゃありませんか」の前に、連載当時の『週刊朝日』編集部が書いたものだと思われる「最後の五分 いよいよ犯人の正体が判りかけて来ました。犯人捜しは本号から読まれても判ります」という煽り文が挿入されている。連載時には犯人捜し懸賞募集が行われていたので、文中にこういう箇所が存在する訳だ。


 

○ 本書 220

後は読者諸君の御想像に委しておくがいいだろう___。


● 『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』 399

後は読者諸君の御想像に委しておくとしよう。

 



ということで今回の文庫版「丹那殺人事件」は『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』とは別テキストだと見做して OK なので「柳香書院の初刊本を持ってるし、イラネ」などと言うひねくれ者でなければ買って損はなし。ひとまず一見落着。もしも今回の「丹那殺人事件」が論創ミステリ叢書と同一のテキストだったら本書収録作に目新しさがないので★1つにするところだったが、そうではなく一応買う価値はあるので★5つにした。新規読者が増えるといいね。




(銀) はからずもクリスマスに三日続けて森下雨村を取り上げる事となり、同時に〝再発する際に底本にするべきテキスト/するべきでないテキスト〟についても提言してみた。よっぽど綿密な校訂がなされたものでない限り、その作家が亡くなった後に出された書物を底本に使うのはできれば避けてほしいと思う。改造社版『小酒井不木全集』は不木逝去後ただちに制作されたからまだいいけれど、作家が亡くなって年月が過ぎ復刊のために第三者が校訂するとなれば、本来作家が意図したカタチと乖離してしまう部分が出てくるからだ。



雨村の「丹那殺人事件」は終戦後に仙花紙本で一聯社と秀文館から再発されている。勿論その頃雨村はすでに土佐に隠棲していたとはいえ、まだバリバリに健在。万が一、仙花紙本の『丹那殺人事件』が出る時に雨村自ら文章に手を入れるような事をやっていたならば(もしも、の話ですよ)そっちのテキストを当文庫にチョイスするのも面白かったろう。



小酒井不木の創作小説はあらかた掘り尽くされている。それゆえ本書の二年前に出た『小酒井不木探偵小説選 Ⅱ 』は、不木も参加した昭和2年の連作物 「吉祥天女の像」(甲賀三郎 → 牧逸馬 → 横溝正史 → 高田義一郎 → 岡田三郎 → 小酒井不木)をフル収録する折角のチャンスだったのに。