戸川の個人史でもあり、東京創元社史でもあり、日本におけるミステリ書籍出版史でもあり。 またミステリでも海外もの/国内もの/その他の分野や出版業界の内側まであらゆる方向へ 向けて語り尽くされ、しかもそれが薄っぺらい総論・エピソード拾いになってないのが凄い。 聞き書き本なのに巻末には註と索引が用意されている。どこもかしこも重要な話ばかりなので あえて今後出るだろう書評では採り上げなさそうな、でも私が心に残った箇所を挙げるならば。
著名な人物・著名な編集者にあらず、戸川の後輩というか部下に当たる東京創元社編集者の松浦さんという人の逸話が出てくる。創元推理文庫のあの分類マーク廃止を提案したのが彼だった ようだが、翻訳家がビビったり時には怒らせるレベルの、そこまでしなくてもという程に真っ黒になるまで鉛筆でゲラ・チェックをする男。連夜の激務に疲れても朝の出勤は遅れない。
のちに彼は遂に煮詰まってしまい会社を辞めその後はずっと何もしていないという行末は、 まさにプロ魂が真っ白な灰に燃え尽きた感がある。こんな人達の働きがあってこそ、日頃我々はいろいろな本を楽しませてもらっているのだ。ちょっとだけ世渡りが下手な(失礼)松浦さんの事を戸川は「東京創元社にとって宝物のような編集者」と讃える。 こういう同僚への視点の持ち様が今日までのあらゆる人脈を築き、 一編集者ならぬミステリ・マスターとしての成功へ結び付いたに違いない。
昨今はプロフェッショナルな存在がこの業界から絶滅しようとしている。本の中にミスや誤りがあっても「あって当然じゃん」みたいな開き直りの風潮さえ目にする。先日も書店で知人に教えられた事だが、『金田一耕助映像読本』(洋泉社)というムック本は3刷まで出ているので2回も訂正できる機会をもちながら、162頁「鍾乳洞殺人事件」の書誌データはいまだに間違えたままだという。
ちょっと調べればなんでもない事なのにサブカルだからとか素人の甘えなのか、もはやケアレスとはいえないこんなミスを何度も繰り返したら、出版界ではない普通の企業だってクライアントや上司にどれだけ怒られるか・・・説明の必要はなかろう。「本を売って他人様からお金をいただく」とはどういう事なのか、本書をじっくり読んで猛省しろ、青二才ども。
(銀) 今まで面白い探偵小説本を沢山作ってくれて、本当に戸川安宣には感謝している。 特に価格が三十万円にもなってしまった江戸川乱歩『貼雑年譜』の完璧なレプリカ版を、 発売にまで漕ぎ付けたのは狂気の沙汰(最上級の賛辞の意)だった。
このレビューを当blogへ移すので改めてAmazon.co.jpの本書レビュー欄を見たけど、そこには長文のわりには自己陶酔してて中身が何も無いレビューや、本書の公式発売日2016年11月17日に早々と投稿されている(つまり本をろくに読んでいない)イカサマ・レビューが。私の書いていたレビューも大概は雑だったけど相変わらず掃き溜め状態だな、Amazonのレビュー欄って。
しかしねえ木魚庵とかの金田一耕助ミーハー本ならともかく、 まさかあれだけ信頼していた論創社の本にまで10行上で述べている苦言を呈しなければならない時がくるとは夢にも思ってもなかったよ。