2016年11月23日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿
国書刊行会 空犬太郎(編)
2016年11月発売
★★★★★ 人 柄
読み終えて思った。ゴリ押しとか妙なアクの強さとか、そういったものが戸川安宣にはなく、本やミステリや人や仕事に対してごく自然体に向き合い、でもそこにはキリリと一本、筋が通っている。普通だったら出世をしてそれなりの役職に就いたならもう現場仕事はやらないもんだが、それでもやっぱり本を作ったり、小さなミステリ専門書店の番台に立ってしまう氏がいる。
これは戸川の個人史、東京創元社史でもあり、日本におけるミステリ書籍出版史でもある。またミステリでも海外もの/国内もの/その他の分野や出版業界の内側まで、あらゆる方向へ向けて語り尽くされ、しかもそれが薄っぺらい総論・エピソード拾いになってないのが凄い。聞書き本なのに巻末には註と索引が用意されている。
どこもかしこも重要な話ばかりなので、あえて今後出るであろう書評では採り上げなさそうな、でも私が心に残った箇所を挙げるとするならば・・・。
決して著名な存在ではないけれど、戸川の後輩であり部下に当たる東京創元社編集者の松浦さんという人の逸話なんかグッとくる。創元推理文庫のあの分類マーク廃止を提案、翻訳家がビビったり時には怒らせるレベルの、そこまでしなくても・・・と思うぐらい真っ黒になるまで鉛筆でゲラ・チェックをし、連夜の激務に疲れても朝の出勤は遅れない人物らしい。
のちに煮詰まってしまって会社を辞めたあとずっと何もしていないという行末は、まさにプロ魂が真っ白な灰に燃え尽きた感がある。こんな人達の働きがあってこそ日頃我々はいろいろな本を楽しませてもらっているのである。ちょっとだけ世渡りが下手な(失礼)松浦さんのことを戸川は「東京創元社にとって宝物のような編集者」と讃える。こういう同僚への視点の持ち様が今日まであらゆる人脈を築く源となり、一編集者ならぬミステリ・マスターとしての成功へ結び付いたに違いない。
昨今はプロフェッショナルな存在がこの業界から絶滅しようとしている。本の中にミスや誤りがあっても「あって当然じゃん」みたいな開き直りの風潮さえ目にする。先日も書店で知人に教えられた事だが、『金田一耕助映像読本』(洋泉社)というムック本は3刷まで出ているので2回も訂正できる機会をもちながら、162頁「鍾乳洞殺人事件」の書誌データはいまだに間違えたままだという。
ちょっと調べればなんでもない事なのにサブカルだからとか素人の甘えなのか、もはやケアレスとはいえないこんなミスを何度も繰り返したら、出版界ではない普通の企業だってクライアントや上司にどれだけ怒られるか・・・説明の必要はなかろう。「本を売って人様からお金を頂く」とはどういうことか、本書をじっくり読んで猛省しろ、青二才ども。
(銀) 今まで面白い探偵小説本を沢山作ってくれて、本当に戸川安宣には感謝している。
特に、価格が三十万円にもなってしまった江戸川乱歩『貼雑年譜』の完璧なレプリカ版を発売にまで漕ぎ付けたのは狂気の沙汰(最上級の賛辞の意)だった。
このレビューを当blogへ移すので改めてAmazon.co.jpの本書レビュー欄を見たけど、そこには長文のわりには自己陶酔してて中身が何も無いレビューや、本書の公式発売日2016年11月17日に早々と投稿されている(つまり本をろくに読んでいない)イカサマ・レビューが。私の書いていたレビューも大概は雑だったけど、相変わらず掃き溜め状態だなAmazonのレビュー欄って。
しかしねえ、木魚庵とかの金田一耕助ミーハー本ならともかく、
まさかあれだけ信頼していた論創社の本にまで10行上で述べている苦言を呈しなければならない時がくるとは夢にも思ってもなかったよ。