2020年12月30日水曜日

『殺人交響曲』蒼社廉三

2016年4月3日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版 ミステリ珍本全集⑪ 日下三蔵(編)
2016年3月発売




★★★★    「戦艦金剛」は初出誌ヴァージョンにて収録




一応の代表作といえる「戦艦金剛」1967年の徳間書店初刊本テキストではない雑誌発表時の原型中篇版を収録してくれたのは嬉しい。誰からも嫌われている軍曹の艦内密室死を描くこの作が一番ズッシリくる。長篇版と中篇版を比べてもキャラとあらすじはほぼ変わっていない。

 

 

既存の蒼社廉三の単行本のうち、(私が)まだ読んだことのなかった「殺人交響曲」は楽譜に纏わる暗号などそのタイトルどおり音楽ミステリ長篇といえようが、(比べる相手が悪いけれど)例えば横溝正史「蝶々殺人事件」ほどに本格調ロジックの組み立ては無く、絡み合った人間模様のスリラーを超えるものではない。

 

 

もうひとつの長篇「紅の殺意」。戦後の黒く汚れた川口工業地帯、こちらも車の轢死を発端に泥臭い刑事達が九州・広島まで謎を追う。以前読んだ時にはもっと面白かった気がしたものだが、あれも古本の魔力だったか。唯一猟奇的な秘密を期待させる「紅い色」狂の意味があまり効いているとは言えず、最後の犯人発覚にはそれなりの意外性はあるとはいえ、レアものを過剰に有難がるオタはまだしも、フラットな感覚の読者には目鼻立ちがボヤけ地味に受け取られるだろう。

 

                    


そして SF短篇 ×4。これがなんと近未来社会で大気が侵され、人間が地下生活を送るというものがあったり、まるで70年代迄の手塚治虫や松本零士が描きそうな作品のイメージが、これまで古書を読んで感じてきた蒼社廉三のそれとは180度真逆で、どうにも違和感がありすぎる。



100以上の短篇を書いていながら、「戦艦金剛」のような戦記ものはその内二割なのだという。いかにも戦後貸本小説に見られる〝何でも屋作家〟の様相だが、最低限の決まった方向性がないと大衆にはわかりづらいし、この一冊を読んだだけで蒼社廉三を前向きに「器用な作家だなア」と受け取る人はあまりいないと思う。

 

                      


ところで私の書いたミステリ珍本全集のAmazonレビューに対して「悪意がある」と言って罵倒ツイートしている日下三蔵の信者がいるようで(どういう人間なのかは twitterの〈キーワード検索〉欄で〝銀髪伯爵〟と検索すればすぐにわかる)。場末のAmazonレビューにいちいち怒って何が得られるのか知らんけど、私は関係者がAmazonに仕込んだサクラなどではないし、身銭を切って本を買い最後までそれを読んで、良かったものは手放しで褒め、そうでないものにはそうでないとストレートに書く。



あれもこれも全て満点にしていたら、レビューとして何の訳にも立たない。新しい(もしくは)若い読者が探偵小説を読んで、良い感想も悪い感想もガンガン出てくるようにならなければ、それこそ馴れ合いという菌で腐りきった汚水溜めと選ぶ所がない。




(銀) 蒼社廉三には多くの短篇があると云うので『探偵雑誌目次総覧』の蒼社廉三の項で「戦艦金剛」以外の小説を数えてみると「屍衛兵」「砂漠地帯」「太平洋に陽が沈む」「もずが枯木で鳴いている」「スターリン・グラード」「Uボート」、これだけしか載っていない。発表誌はいずれも『宝石』『別冊宝石』。彼が小説を沢山書き飛ばしたのはきっと怪しげなマイナー雑誌が断然多いのだろう。


                    


探偵小説本の編集業に尽力している人達と違って、古本を買い占め探偵小説本の古書相場を吊り上げるのが目的の、喜国雅彦に代表される古本ゴロ集団の一人である日下三蔵は以前から信用できなかった。ミステリ珍本全集の仕事にもいぶかしい点があって、それをレビュー上で指摘したまでのこと。



そして長年私が感じてきた日下の胡散臭さがモロに表出したのが(当Blogでも度々触れてきたが当該記事はようやく近日up予定)鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて 完全版』。下記にて紹介する日下三蔵信者が「悪意がある」などと言ってくるような指摘をわざわざ私がしなくとも、自分の仕事に対するズサンさを日下自ら見事に立証してみせたのが、不幸にもあの名著だった。


                    


私の罵倒ツイート書いてたのはなんていう奴だったっけ・・・さかえたかしと千野帽子か。本を批判されたというので著者/編者/関係者が怒って私に直接何か言ってくるのであれば、それはまだごくごく自然な反応だが、何の関係も無い只のアホなネット民にとやかく言われる筋合いは無い。どんな放言をしていようが twitter ばかりしている人間にろくなのはいない。




きっと他人に余計な減らず口ばかり叩きつつ、自分はくだらない事でキレる、みたいな毎日を無駄に過ごしてるんだろうなと思って、こいつらの twitterを覗いてみた。案の定、千野帽子は主張がどうの論破がどうのとホザいている。こういう連中は自分というものを最初から持ってないんで、彼らにとっての尊師様・日下三蔵とか著名な誰かの影に群れていないと発言ひとつも出来ないし、顔の見えないネットではなく対面で顔を突き合わせたら急に黙ってしまうような意気地の無いビビリでしかない。



自分では日下と同じような主張をSNS上でしているつもりなんだろうが、千野の云う事にゃ「ホントに見ず知らずの人にすごい言葉の暴力を投げる人っているんだなあと思う」だとさ。自分のしている行為をあたかも他人がしているかのようにひけらかしてるんだな。ちくま文庫で千野に解説を書かれてしまい、世間から「こんな奴が推している作家なのか」と思われて、さぞイメージダウンしたであろう獅子文六が気の毒。