当時はハメット/チャンドラーらのハードボイルドが幅を利かしていた時代。また米ソ冷戦の頃だから、アントニー・バークリーがちょこっとしか話題に上がらないのにスパイ小説のエリック・アンブラーは何度も出てきたりして。一冊まるごと〝令和のいまでも通用する評論〟という訳ではなく(勿論現代でも有効な部分はあるが)、『EQMM』『ヒッチコック・マガジン』時代の 空気を感じつつ、日本におけるミステリ鑑賞の年輪というか断層を楽しむべきではなかろうか。
「ホームズを出してしまった事でルブランの『奇厳城』は一種のパロディーになり、物語全体を冗談にしてしまった」と説く中村真一郎は正しいし(批判的だと解釈できるこの文章が当時の『奇厳城』単行本解説の一部ってのが凄い)、福永の「名探偵は探偵小説作家にとって一種の登録商標」という発言箇所に至っては、『明智小五郎 vs 金田一耕助』などと他人の大切な商品をオマージュだのパスティーシュだの都合の良い建前をふりかざして営業妨害している〝 作家もどき 〟の顔に拡大コピーして貼ってやりたいね。それほどまでにレギュラー・キャラクターの存在(加えてその成功)は重要なのだ。
ミステリ話のクオリティ以前に丸谷才一のパートだけは、なんというか行間から漂う島田雅彦的な気取りがどうにもいけすかない。世の中、自分で自分の事をフェミニストでございと言って好感を持たれる人なんていないよな。福永と中村だけだったらもっと褒めたかもしれないが。
ところで東京創元社のお偉いさん方。せっかく江戸川乱歩はパブリックドメインになったのに、以前出していた初出挿絵入りの文庫『乱歩傑作選』の続巻(「猟奇の果」「地獄の道化師」「白髪鬼」「恐怖王」「偉大なる夢」etc)をなぜ出さぬ?近年出た乱歩本はごく一部を除いてどれもこれも買う価値のないものだらけ。パブリックドメインになって良かったことなんて、ひとつもない。
(銀) この本といい福永武彦の『完全犯罪 加田伶太郎全集』といい、そこまで何度も再発するほどのニーズってあるかな? 戦後の昭和に出ていた既存のものの単なる文庫化再発ばかりじゃなくて、新しいオリジナル企画の日本探偵小説本が読みたいんだよ。