2020年8月31日月曜日
『完本人形佐七捕物帳第二巻』横溝正史
2020年8月30日日曜日
『クムラン洞窟』渡辺啓助
この本が出た90年代は渡辺啓助翁まだ健在なりし頃。懐かしいなあ。これは秘境シリーズとして雑誌『宝石』に発表した作品を纏めたものである。以下、括弧内は初出掲載年月、その右側は各作品の中で題材に使われている国・地域を示す。
□ 「クムラン洞窟」 (昭和34年2月)~ 中東アジア
□ 「島」 (昭和36年3月)~ マダガスカル
□ 「嗅ぎ屋」 (昭和36年5月)~ ジャマイカ
□ 「追跡」 (昭和36年7月)~ 南米マット・グロッソ
□ 「悪魔島を見てやろう」(昭和36年9月)~ 仏領ギアナ・ディアブル島
□ 「崖」 (昭和36年11月)~ ネス湖
□ 「シルクロード裏通り」(昭和38年1月)~ 東トルキスタン
□ 「紅海」 (昭和38年2月)~ 中近東
□ 「逃亡者の島」 (昭和38年3月)~ 南太平洋
米国の有名な雑誌『National Geographic』に載っていたリアルな地球上のネタを膨らませたフィクション・ストーリー。〈秘境〉といっても香山滋や小栗虫太郎のように探検家キャラを設定している訳でもないし彼らほど空想的なSF色はないので、兼高かおるならぬ ❛ 渡辺啓助が描く世界の旅 ❜ とでもいった趣きか。外地を題材にした作品でも戦前における亜細亜大陸見聞記路線の『オルドスの鷹』などと風合いが異なるのは当然。
一冊通して地味な内容だし話はフィクション仕立てなのだから、「紅海」に登場する女流魚類学者アグネス・ミラー博士のようなセックス・アピールを振りまくレディを全エピソードに登場させる勢いのケレン味でもって、男性読者を釣っても良かったのではないか。それと渡辺啓助本人によるあとがき、加えて著書リストがわざわざ付いているのだから解説もあってしかるべきなのに、無いというのが ×。
(銀) 私が持っているのは初版だが日下三蔵の仕事だからか校正甘いな。まず目次からして、著者リストじゃなくて著書リストじゃないの?
探偵小説の枠に飽き足らなくなった啓助の戦後のアプローチの一部がSFであったり、また本書に収録されている異国ロマンだったり、いろいろな方向に挑戦はしているが、戦前の『地獄横丁』『聖悪魔』に肉迫するような良いものは生み出せなかった。
2020年8月27日木曜日
『土山秀夫推理小説集/あてどなき脱出』土英雄

2020年8月25日火曜日
『佐左木俊郎探偵小説選Ⅰ』佐左木俊郎

同じ内容の小説でもどういう訳か現行本で読むより年季の入った旧仮名時代の古書で読むほうが面白さ二~三割増しに体感する。戦前の本は総ルビだったり味わい深い装幀が施されていたり、ぎゅうぎゅう詰めな現代の本と違い、ゆったりとした文字組みにされているので、不思議と作品から受ける印象が大きく変わる場合も多い。となると時にはその小説の真価を見誤ることだってありうるのではないだろうか?
房総の田舎で代議士が危険分子集団に襲撃される事件が発生。そして危険分子の中には、代議士と同じ党派の衆議院議員 青堀周平宅の使用人・瑞沢嘉知雄も加担しているのでは・・・・と見られている。元々瑞沢家は素封家で、嘉知雄の父は青堀周平の面倒を見ていたのだが、事業を躓かせた為に零落。父母を亡くし天涯孤独の身になった嘉知雄は青堀家の下男同様に成り果ててしまっていた。
瑞沢嘉知雄は本当に危険分子の一味なのか? また青堀周平の娘・洋子との恋愛はどうなるのかという要素はあるけれど、彼をこの物語の主役とするには無理があるし、物語の大筋は危険分子対警察との争闘であって、個人主義に基づく探偵小説のポリシーにはどうもそぐわない。
◆
もうひとつの長篇「恐怖城」も、基本的にその問題点は一緒。森谷牧場の令嬢・紀久子には男前の婚約者 松田敬二郎がいる。両親を紀久子の父・森谷喜平に滅ぼされ、今では犬のように牧場でこき使われている高岡正勝は、幼馴染で本来自分の嫁になる筈だった紀久子のことだけはどうしても他人に奪われたくない。そんな中、紀久子が誤って正勝の妹・蔦代を射殺してしまう。紀久子の弱みを握ってしまった正勝は自分の欲望を果たすべく喜平を殺害し・・・。
◆
結局「狼群」も「恐怖城」もストーリーの中で犯罪こそ起こっているが、根底にあるのは〈富める者に対する貧しき者の抵抗〉、それが全てではないのか。私は戦前の農民小説って他にどんな作品があるのか不勉強で知らないけれど、もしかしたら人間と大地の営みをポジティヴに描いているものだってあるだろうし、農村を題材にしたものが貧者の鬱屈した小説ばかりという訳でもなかろう。
であればこの二長篇は、戦前の社会派ならぬ格差小説とでも言うべきか。佐左木俊郎は文壇の中ではプロパーなプロレタリア作家のグループに入れてもらえなかったと解題には書いてあるし、かといって探偵小説の在り方からもかなり逸脱しており、実に奇妙なポジションにあるのは否めない。幸いにして今後取り上げる予定の正木不如丘などに比べたら、佐左木のほうが読者を惹きつける筆力は勝っている。「熊のいる開墾地」のような短篇のほうがまだ長篇よりも探偵趣味が感じられるし、次回配本『 Ⅱ 』は短篇集になるのでどれだけ挽回できるか?
2020年8月24日月曜日
『狩久探偵小説選』狩久
2010年3月発売
瀬折研吉・風呂出亜久子の登場作品「見えない足跡」「呼ぶと逃げる犬」「たんぽぽ物語」「虎よ、虎よ、爛爛と~一〇一番目の密室」。ユーモアを交えた論理物だが、余計な装飾が多い気がする。風呂出亜久子は後の赤川次郎が書きそうな女子大生みたいなライトタッチじゃなくて本来いい女なのだからそこが活きるように描いて欲しかった。元『幻影城』読者だった中高年の自称マニアなおっさん達にはウケの良い「虎よ、虎よ・・・」だが、深夜に虎を連れ歩いて邸に運ぶなんてのは戦前の乱歩の時代とは違うのだからどうもリアリティに欠ける。
それに比べると、「落石」「氷山」「ひまつぶし」「すとりっぷと・まい・しん」「山女魚」「佐渡冗話」「恋囚」「訣別~第二のラブレター」「共犯者」はシリアス・タッチと論理がまだ親和している。狩久という人は作品に自分自身をやたらと登場させる。そんな作風を個性として好む読者がいるのはよくわかるが、私にはtoo muchに思える事も多い。特に「訣別」なんかは内輪ネタ過ぎて。
しかし_。2013年に篤志家がなんと私家版『狩久全集』(妻・四季桂子全集を含む)全7巻なるものをリリースしたので全ての狩久作品を通読することができ、この作家の最大の美点がやっと掴めたのである。要するに、匂い立つような女の官能を書かせたら、もう天下一品なのだ。本書収録作にもその片鱗はあるけれど氷山の一角に過ぎない。この『狩久全集』はとても豪華で丁寧に作られているのだが、購入窓口が限られており少部数発行かつ超高額で誰でも気軽に入手する訳にはいかないのが問題。
本書だけで狩久が判断されてしまうことの無いよう、官能的な作品を集成して発売されるのを強く希望する。これまでの論創ミステリ叢書を見ていると、複数巻出す作家の選択がおかしいと思うことがしょっちゅうある。本書はよく売れた方だと聞いたことがあるが、なぜ狩久の続刊を出さないのか?
(銀) これもねえ、Amazon.co.jpのレビュー欄に投稿した時には★5つにしたけど、本巻の中で瀬折研吉・風呂出亜久子ものはあんまり好みではない。だから誤解の無いよう★4つに訂正しておく。(この系統の作品を含まないセレクトだったら躊躇うことなく★5つにしていた)
もし自分で、日本の探偵小説の〈エロティック・ミステリー集〉みたいなシリーズ本を編纂して一作家一冊出すようなことになったら、その中に狩久は絶対入れるんだがなあ。アングラな〝性〟の本をバンバン出していたちょっと前の河出なら、こういう企画を商品化してくれるかなと待ってたんだけど、最近はエロ路線やってないみたいで。
2020年8月23日日曜日
『乱歩彷徨/なぜ読み継がれるのか』紀田順一郎
2020年8月22日土曜日
『十三の階段』山田風太郎
2011年9月8日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

2003年2月発売
山田風太郎が参加した連作小説コンピレーション。こういった珍品群は、大物でも各自の著書にその書き手の分しか収録されなかったりするので、時が経ち絶版にでもなってしまうと入手が厄介になる。在庫があるうちに買っておきたい。
■「白薔薇殺人事件」 香山滋 → 島田一男 → 山田風太郎
→ 楠田匡介 → 岩田賛 → 高木彬光
■「悪霊物語」 江戸川乱歩
→ 角田喜久雄 → 山田風太郎
■「生きている影」 角田喜久雄
→ 山田風太郎 → 大河内常平
■「十三の階段」 山田風太郎 → 島田一男 → 岡田鯱彦 → 高木彬光
■「怪盗七面相」 島田一男 → 香住春吾 → 三橋一夫 → 高木彬光
→ 武田武彦 → 島久平 → 山田風太郎
■「夜の皇太子」 山田風太郎 → 武田武彦 → 香住春吾 → 山村正夫
→ 香山滋 → 大河内常平 → 高木彬光
「十三の階段」で全篇活躍する神津恭介は他にも本書のあちこちに登場するのでお楽しみに。「悪霊物語」では風太郎が明智小五郎・加賀美敬介を登用。「怪盗七面相」には荊木歓喜ら参加作家のお抱え探偵キャラ達が各話に出演(ただ敵役七面相ってのがショボい)。少年もの「夜の皇太子」はなんとか初出誌が揃ったそうで、初の全話単行本収録。
連作は雑誌の話題作りが目的ゆえ統一性が無いなどと云われるが、なかなかどうして最初の四篇は緊迫感を楽しめた。アジャパーなんて時代を感じる当時の流行語がお気楽に使われてたりするのも連作ゆえの遊びかしらん。こんなテーマでもやっぱり角田喜久雄は小説が上手いし、風太郎と高木彬光はトップもしくはラストを任される事が多いんだね。いや満喫。痒い処にまで行き届いた、出版芸術社による気の利いた企画だった。
でも乱歩、風太郎と連作ものを纏めた単行本があって、なぜ横溝正史のそれは未だにないのか、この辺がよくわからない。
2020年8月21日金曜日
『「宝石」一九五〇/牟家殺人事件 』

「一九五〇=昭和25年」が探偵小説界にとってどういう年だったか、本書でそれを象徴しているのは小説よりも、江戸川乱歩派 vs 木々高太郎派の論争をレポートする二つの随筆「抜打座談会を評す」(江戸川乱歩)「信天翁通信」(木々高太郎)だと思うのだが、論争が起こるきっかけとなった「抜打座談会」そのものが未収録なのはいただけない。底本を『宝石』のみに限定してしまった為に、『新青年』に掲載された「抜打座談会」は収録できなくなってしまった。これは失敗だったんじゃないかなぁ。
『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』レビューに書いたとおり、探偵小説年鑑みたいに一年単位で区切ってフォーカスするアイディアはGood。ただ、掲載するテキストの底本とする雑誌を一年一誌とはせず、また探偵雑誌からだけではなく良い作品があれば大衆雑誌からも採ったってよかったのでは?なんだかミステリー文学資料館に蔵書があるものからしかテキストを選ぶ気がなさそうなんだよね、最近。 山前譲・新保博久のご両人及び光文社文庫の担当編集者殿、その辺なんとかなりませんか?
もうひとつ。前回も思ったけど、クロニクルなのだから時事も絡めて、解説をもう少し熱っぽく書いてほしいな。なぜ〈その年〉に注目したのか、そして〈その年〉の社会情勢はどうで、探偵小説界はどういう状況で、収録された作家はどういう活動をしていたかを。でないと、昭和25年の『宝石』にはこんなのが載ってましたよってだけのアンソロジーに思われてしまう。このシリーズの方針を改めて明確にするためにも、次巻での巻き返しに期待する。
(銀) 前回の『悪魔黙示録/「新青年」一九三八』と本書をもって、ミステリ・クロニクル・シリーズは終了してしまった。『「宝石」一九五〇/牟家殺人事件』は作品の選択があまりにもマニアック過ぎて一般層は手を出しにくかったのかな? 自分的には『麺’s ミステリー倶楽部』『古書ミステリー倶楽部』みたいなつまらない企画よりよっぽど良いと思ったのだが。
2020年8月20日木曜日
『少年少女昭和ミステリ美術館~表紙でみるジュニア・ミステリの世界』
不幸にも元来、児童向け探偵小説本はユーザー・研究者の両方から粗雑に扱われてきた。だから本書の刊行には多大な期待を寄せていた。
まず通読して思ったのは、一冊分の書影が大きすぎて掲載冊数が少ない事。各書影を小さくしてかまわないから、特に稀少で人気の高い(第二〜三展示室に掲載されている)昭和45年までの各全集は可能な限り全ての書影を並べてもらいたかった。この分量ではあまりに物足りない。
また巻末に全集リストが付いているが、タイトルと作者名だけがメインでは簡素すぎる。本書は上質なハードカバー製なので増頁して価格を上げたくない事情は解るけれど、紙質のコストを抑える等の工夫をしてでも書誌データ(頁数、装幀・挿絵画家名、収録作品詳細、前書・後書・解説・函カバーの有無、発行日、等)はキッチリ明記するべきだった。
書かれた文章を読んで感じるのだが「この全集のうちどれがキキメ(入手難)」などと悪い意味でのコレクター臭がある。喜国雅彦らと繋がっている森英俊を編者にするとこうなるから駄目なのだ。資料として後世に残す愛情があるなら、そんな古本キチガイの蘊蓄よりも優先すべき情報がある筈だろうが。その点、発刊当時の関係者の一人である内田庶の証言は意味があった。
本書を読んで現物が欲しくなった方に申し上げる。ただでさえ投機の対象になっている探偵小説古本、まして児童書は近年その筆頭。上記第二〜三展示室掲載の多くの古書は5桁、ものによっては6桁もする。火傷をしたくないなら2011年秋『少年小説コレクション』をスタートする論創社のような、テキストを改悪しない良識出版社に復刊リクエストをよせるのもいいかもしれない。
評伝『別名S・S・ヴァン・ダイン』を出したばかりの藤原編集室の本書立案は評価できるが、全ての現物を所有するのが相当困難なのは誰の目にも明らかなだけに、編集内容は★★。本当に惜しい。森英俊と、協力した古本屋には★1つの資格もなし。
(銀) 藤原編集室と森英俊。真っ当な編集者と転売が日課の古本乞食とが一緒に仕事をする、現代の探偵小説業界が芯から腐敗しているのを象徴するような組み合わせだ。
今となっては嘘みたいな話だが、昔の古書目録をひっぱり出して見てみると1999年頃までは本書で扱われているジュヴナイル古書は、稀少なものでも(超レア・アイテムを除けば)度が過ぎる価格は付けられてはいなかったのがわかる。だが本来、少年少女探偵小説の旧い単行本や雑誌はコドモが買ってもらうものだから、やたらと名前や住所だったり意味の無い落書きが書き込まれている場合が多い。コドモが成長すると親は彼らが大事にしていた本や雑誌を捨ててしまうため後世まで生き残る数が少ない上、書込み・痛みの無いものとなると本当に珍しくなる。
それに目を付けた〈ミステリ専門店を名乗る古本屋〉が、「新しいカモを見つけた」とばかりに法外な価格に吊り上げていく。おまけに森英俊のような奴らがレアなジュヴナイルを必要以上に持ち上げて騒ぎ立てるので、結局ある種のものなんて一冊何万円もするようになってしまった。ぶっちゃけたことを書いてしまうけれども、ジュヴナイルに読む価値など無いなんて言うつもりは毛頭ないが、だからといってこんなトチ狂った金額の古本を買い集めてまで読むほどの必要があるなんて、とても思えない。
2020年8月19日水曜日
『大倉燁子探偵小説選』大倉燁子
古書市場におけるレア度が異常に高く、本書刊行に待ち草臥れたファンも多いことだろう。探偵小説処女作「妖影」が昭和9年。探偵文壇への登場は早くはないので意外に思われるだろうが、実はこの人江戸川乱歩・横溝正史、更には小酒井不木・森下雨村・夢野久作よりも年上の明治19年生まれ。国学者・物集高見の娘で二葉亭四迷や中村吉蔵に師事、平塚らいてうとも交流があるという毛並の良さもあり、贅沢なデビューの場を用意された。
点在するアンソロジーの収録作や初出雑誌を個別に読んでも大倉燁子の芸風はよくわからなかったが、一冊に纏められた本書を通読してみて、ようやく彼女の作品像がおぼろげに見えてきた気がする。ビーストン/ルヴェル風味がベースにあったり、S夫人シリーズ(「妖影」「消えた霊媒女」「情鬼」「蛇性の執念」「鉄の処女」「機密の魅惑」「耳香水」)には外交官夫人としてのセレブな経験が色濃く、よく云われる心霊・霊媒趣味な作は思ったよりも少なくて、全篇通して女の〈念〉が最も強い印象を残す。
ただ、初期の長篇「殺人流線型」が今回オミットされたのが非常に不満。この叢書に唯一注文をつけるとしたら長・中篇をなかなか収録してくれない事。「作品の質の問題」とか「一冊としての構成バランス」を考慮した上でのチョイスなのだろう、とは容易に想像できるのだが・・・。第47巻/水谷準の時も中途半端な「瓢庵先生 〜 人形佐七」コラボ集にするぐらいなら、「獣人の獄」やその他の探偵ものの長篇を採ってほしかったし。(瓢庵先生ものは春陽文庫あたりから全作を集成して刊行すべきだ。閑話休題。)
(銀) ここに書いているとおり第50巻までの論創ミステリ叢書は長篇を収録してくれなくて、それが当時とても腑に落ちなかったものだ。
大倉燁子と水谷準、このふたりはこのあと一冊も単独著書が出ていない。「瓢庵先生ものは春陽文庫から全作を集成して刊行すべき」などと書いているが、これからそういうものを企画するとしても、春陽堂書店ではなくインディーズで頑張っている捕物出版からのリリースのほうが期待できるのかもしれない。なにせ現在『完本人形佐七捕物帳』を刊行している春陽堂は信用できないところがあるからな。ただ捕物出版のハンデは、本を買える窓口がごく一部に限られてしまうのと、プリント・オン・デマンド(POD)ゆえ装幀が貧弱だということ。
2020年8月18日火曜日
『死の快走船』大阪圭吉
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(ユ)= ユーモア (国)= 国策
■「ちくてん奇談」(時)
その他、随筆・アンケート回答六篇の詳細は省略。
(銀) ミステリ珍本全集『死の快走船』についてのレビューをこのBlogに載せるのはもう少し先のことになりそう。
改めて本書の内容を眺めると、少女ものを書いたり時代ものを書いたり戦争が起これば防諜ものを書いて御国の為に協力せざるをえなかったり・・・。純粋な探偵小説だけを書いて生きてゆくことができぬ、昭和前半の日本の探偵小説家の侘しい処世術のサンプルを一冊で見せられているような気分にもなる。
2020年8月17日月曜日
『赤後家の殺人』カーター・ディクスン/宇野利泰(訳)
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命にかかわるような危険な毒薬にも普通の人が知らないような特性を持つものがあります。我々が医者から処方される薬にもそれぞれ摂取の仕方があるように、毒薬を殺人に用いる場合にも、事前に使用上の注意を踏まえていれば優れた効果が得られるのです・・・。
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実業家アラン・マントリング卿の住む邸には〈後家部屋〉と呼ばれるあかずの間がある。複数の人数なら問題は無いのに、その部屋にひとりでいると毒死して命を落とした先祖が何人もおり、今日に至るまでそのカラクリを知る者は誰もいない。とある春の晩、トランプ・カードを引いて選ばれた者ひとりがこの部屋で肝試しをするというゲームが発案され、マントリング家の人々にヘンリ・メリヴェール卿を含むゲストを加えた顔ぶれの中で、肝試しの役に当たったのはアランの妹ジュディスと婚約しているアーノルド博士の友人ラルフ・ベンダー。
〈後家部屋〉にひとり閉じこもって二時間過ごすというルールで10時にゲーム開始。他の面々は廊下を隔てた食堂におり15分ごとに声をかけつつ、離れた部屋の中にいるベンダーからの返事を聞いて無事を確認していた。ところがゲーム終了の12時を迎えても〈後家部屋〉から出てこないベンダーに不安を覚えた一同が扉を開けて中に入ってみると、なんと彼は一時間も前に絶命していたではないか。では〈後家部屋〉の中から返事をしていたのは・・・?
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代々伝わる恐ろしい謂れに巻き込まれるフォーマットは二年前に書かれたフェル博士もの『妖女の隠れ家』に準じている。本作は『弓弦城殺人事件』後日譚に該当するエピソードで、犯罪学者ジョン・ゴーントと共に活躍したマイクル・テアレン博士が再び登場。そして会話の中で修道院殺人事件(『白い僧院の殺人』)に触れられていることからも、この辺の作中の時間軸は発表順とシンクロしている。
また、H・M達があの部屋でなぜ人が死ぬのか議論しているシーンで言及される《カリオストロの箱》事件といい、H・Mが過去に手こずった捜査の一例としてハンフリイ・マスターズ警部が挙げている《ロイヤル・スカーレット》事件といい、いわゆる〝書かれざる事件〟が紹介されているのも小ネタとして注目。
『赤後家の殺人』はいくつかの謎の解凍がひとつの行きつく結論に収束しきれていないのでは?という点で疑問視される傾向にある。最初のうちは〈後家部屋〉の恐怖が主題だったところを、後半になって或る人物と或る人物のもつれによる思惑と工作へ視点が移ってしまい、それまでの殺人部屋伝説がやや宙ぶらりんになっている気もする。
もし〈後家部屋〉の因縁ネタ一本で押し切ってしまうと、それはそれで謎の提示としては単調になってしまう懼れもありうる。物語のちょうど折り返し地点でアランの弟ガイが語り出す〈後家部屋〉の長い由来が挿入されたり、ガタついたところはあっても、絡まる要素を複数盛り込んだおかげで物語に厚みが出たと言えるのかもしれない。
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探偵役がH・Mだから、さほど悪い読後感を持たなかったのかな。最後まで楽しく読み通せたとはいえ、カー作品の中で出来栄えとしてはA級の下クラスか。
(銀) 『白い僧院の殺人』に続く1935年のH・Mシリーズ第三長篇。今回Blogの執筆に使用したテキストは2000年8月発行の26版で、カバーデザインこそトランプをあしらった山田維史の新しいイラストに変わってはいるが、解説は懐かしい中島河太郎のもの。
再読してみると〈気ちがい〉というワードがけっこう頻出している感じがした。新訳版が出る際いらぬ手心が加えられなければいいが。振り返ってみると本作も東京創元社・世界推理小説全集時代の宇野利泰以降、一度も新しく改訳されていないのが信じられん。
以上、盆休みを利用して一週間ぶっ通しでカーを取り上げた。明日からはまた通常のスタイルに戻る予定。