コンビニで『週刊文春』を立ち読みしても、このコラムがまだ続いているの確認するだけで、「本音を申せば」シリーズの単行本を買って読むのも近年はすっかり惰性になっていた訳です。(桑田佳祐が『文春』にエッセイを連載しているのは、大森隆志の事とか自分やサザンのヤバい部分を極力ほじくり返させなくする為のような気がする)
脳梗塞をやって骨折もして、気分も沈みがちになっていそうで、これ以上小林信彦に仕事をさせるのはさすがに酷なんじゃないか、と。昨年までは発売日をキッチリ押さえ通販で買っていたけれど、今回は楽天ブックスで予約注文するのをてっきり忘れ、書店の新刊コーナーに並んでいるのを見つけて慌てて買うような始末だったんですわ。
その上にコロナでしょ?もし五体満足であっても映画館へは行けない有事なんだから、信彦氏が欝状態になっててもおかしくはないな・・・と思いページをめくると『決定版 日本の喜劇人』の出版準備をしているという。最終形だと思われた『定本 日本の喜劇人』(新潮社) 収録分『日本の喜劇人』の増補改訂か? まもなく発売予定との噂だが、萩本欽一との『ふたりの笑タイム』について書いた当blog記事(2020年11月27日)で述べたとおり、執筆できる体力があるのは喜ばしいけれど、まっさらな新作の喜劇人本を望むのは難しそう。はてさてどうなる?
2020年は志村けんの死がショッキングだったのもあって、本書でも紙面が割かれている。故いかりや長介以外ドリフは興味の対象ではなかったため、改めて小林は志村の自伝『変なおじさん』を読んだそうだが、私がビックリしたのは『ドリフ大爆笑』で志村と(〝一等賞〟にこだわっていた頃の)沢田研二、この二人がやる鏡コント(志村が鏡を見ている体裁で、鏡に映っているかのように志村と向かい合っているジュリーが志村の仕草を真似して、そのうちジュリーをおちょくるため志村がフェイントをかけたり、品の無い事をして笑わせるというもの)を、今回の志村の死によって小林は初めて知ったそうで。
あれのオリジナルがマルクス兄弟の〈ミラー・シークェンス〉であると本書は教えてくれるけれど、昭和の人ならほぼ誰でも覚えていそうな志村とジュリーの名コントをまさか小林が知らんかったというのは意外(トシだし忘れてしまったのかも)。
志村+ジュリーの鏡コント
youtubeにもupされている
『全員集合』ならばともかくスタジオ・コント、しかも大スターのジュリーなら嫌がりそうな事を『ドリフ大爆笑』で演っていたのは、ジュリーもドリフも元は同じ渡辺プロ所属だったから、その縁で仕方なくやってるんだろうな私は思っていた。しかし後年、再びジュリーと志村が組んで歌とコントのショーをやっているのをTVで見た時「この二人はガチで仲が良かったんだな」とわかり、なんとなく嬉しかった。
その他、菅義偉が「ガースー」と呼ばれる理由は『ガキの使い』のプロデューサー・菅賢治からきているのも、小林はどうやら最近知った様子がうかがえる。元祖ガースーはとっくに日テレを辞め、『ガキ』の現場からも離れて数年経っているが、ダウンタウンは小林にとって志村以上に興味の無い存在。博覧強記とはいかない事がいろいろ存在するのでアル。逆に『週刊プレイボーイ』で小林が下着グラビアをチェックしたという林田岬優って誰?ググって見たけど・・・ま、深田恭子しかり氏のオンナの好みは時として私には理解不能なところがあるからな。
車椅子生活で外出も不自由なのだから本やDVD買うのはネット通販を使えばいいのに、いまだにPCとかスマホとかネットを使う気はないみたい。このお年で、今更使い方なんか覚えたくもないか。その流れでDVDの再生機を〝白いキカイ〟などと書いてて、つい笑ってしまう。
そう、時代から取り残されていようが取り上げるネタに変化が無かろうが、この感じでクスッと笑わせる筆の調子が暗くなっておらず、現在の体の不便さのわりには明るさを失ってなかったからホッとした。激励の意味を込めて、★1つおまけでプラス。
(銀) 本書の中で当blogに沿うようなネタといえば、獅子文六と谷崎潤一郎か。あ、あと『野呂邦暢ミステリ集成』にも少しだけふれてあったっけ。志村けんがいなくなって『志村どうぶつ園』なんかを見てほのぼのしたり、時には泣いてる後期高齢者のバアさんがいて閉口する。昔、ドリフやバカ殿は俗悪番組だ!とか言ってさんざん叩いてきたくせに。バカ殿もある時期から、エロ・ネタを控えるようになってしまった。スケベじゃないバカ殿なんてちっともバカ殿らしくなくて私は物足りなかった。
話を小林信彦に戻すと、元気な時にネットの味を覚えなかったのならば、それは正解だったと思う。ナーバスな気質の上、ネットの陰湿さを知ったら、現在のような体になってしまうと余計に絶望感が増してしまって、生きることもきっとイヤになりそうな氏の気持が想像できるからだ。