2024年12月13日金曜日

『津山三十人殺し最終報告書』石川清

NEW !

二見書房
2024年11月発売



★★★   もうそっとしといてやればいいのに




都井睦雄の存在をここまで肥大化させる原因を作ったのは、まぎれもなく横溝正史長篇「八つ墓村」(☜)である。いや、それだけなら「津山事件」は単に知る人ぞ知る戦前猟奇犯罪のひとつとして、「鬼熊事件」ぐらいの認知しかされなかっただろう。狂える殺人鬼と怖れられた反面、世間から同情の声もなくはなかった点において、睦雄の境遇は鬼熊こと岩淵熊次郎のそれに若干似ている。

 

 

時代が下り、影丸譲也の「八つ墓村」コミカライズに目を付けた角川春樹が横溝正史猛プッシュを始めるものの、メディアミックス商法にて仕掛けられた野村芳太郎監督映画「八つ墓村」(1977年公開)の巻き起こした過剰なブームは低俗な馬鹿騒ぎに過ぎず、横溝正史作品を一度も読んだことのない人々にまで、睦雄をカリカチュアした悪鬼のような田治見(多治見)要蔵の姿が伝播してゆく。それでもまだこの頃は「津山事件」そのものに対する好奇の目はそこまで露骨ではなかったような記憶があるのだけど・・・ただ、私の知らないところで「八つ墓村」狂騒の残滓に便乗しつつ、後述する筑波昭の著書は刊行されていた訳だが。

 

 

潮目が変わったのは、バブル崩壊した1990年代半ば。あの忌むべきオウム真理教の出現を境に、出口の見えない闇の隧道へ日本は迷い込む。地下鉄サリン事件発生後、堰を切ったかの如く酒鬼薔薇聖斗による神戸連続児童殺傷事件、あるいは世田谷一家殺害事件、過去の事例に当てはまらない陰惨な犯罪が多発。そんな時代の変化に加え、万人がネット環境を持ち、大衆が個々の閉ざされた空間へ引き籠るようになるにつれ、いつの間にか都井睦雄を偶像化する土壌が出来上がっていった。大袈裟かもしれないけど、そんな気がする。

 

 

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現実社会の猟奇的事件を扱った本には煽情的に盛ってるだけのイカモノも少なくないし、二~三日ばかりよく思案した上で本書を購入。決め手となったのは当時の司法省刑事局が作成した例の『津山事件報告書』が複写転載されていたから。著者・石川清は元NHK記者の経歴を持つフリーライターで、2022年逝去。五十七歳の死はあまりに早い。不慮の事故あるいは重患かと推測するも本書には死因の説明が無く、ネットで少し調べてみたが、やっぱり不明。読む前からなんだか禍々しい。

 

 

都井睦雄を除く事件関係者の氏名表記は、過去の「津山事件」本に準じた仮名を流用し、『津山事件報告書』転載ページは黒塗りで処理(よく見ると実名が露出している箇所も)。或る章にて述べられていた内容が別の章でまた繰り返されていたり、無駄の無い論述とは言えないのだが、長年コツコツこの事件に向き合ってきた石川の気概は紙背から伝わってくる。「津山事件」本と無縁だったおかげで、既存の情報に毒されていなかった私はあちこち角を立てることも無く没頭できた。

 

 

とにかく「え ゙?」と思ったのは、都井睦雄の内面だとか彼を取り巻く周囲の目以上に、「津山事件」本の草分けと目されてきた筑波昭が(当Blog的には黒木曜之助と呼んだほうが通りがいいかな)最初に上梓した『津山三十人殺し~村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(1981年刊)から、その後の同書改訂版に至るまで(旺文社文庫『惨殺~昭和十三年津山三十人殺しの真相』/新潮OH文庫『津山三十人殺し~日本犯罪史上空前の惨劇』)、自分で捏造したとんでもないフィクションを垂れ流していた事だなあ。もっとも「津山事件」本をチェックしてきた読者には以前から周知の事実だったみたいだけど。

 

 

〝内山寿〟という名の架空の人物を捻出、〝内山〟が睦雄を好色の道に走らせ、また匕首を調達してやったことにしていたり、「津山事件」の二年前世間を騒がせていた阿部定まで持ち出し、睦雄が自分に阿部定をダブらせていたことにしたり、矢野龍渓の作品「浮城物語」を盗用して、睦雄が「雄図海王丸」なる自作小説を書いていたことにしたり、いくら自分の本を売るためとはいえ、よくもまあ人の不幸を肴に、これだけの嘘八百が作り出せたもんだ。こんな人間が堂々と日本推理作家協会の会員になっていたことも、参考がてらお知らせしておこう。
(画像はクリック拡大して御覧あれ)



       

 

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こんな風に私は呟いた。


これまで下山事件の関連書籍上にて飛び交ってきたまことしやかな数々の説に、どれだけ我々は翻弄されたか、思い返しただけでも苦笑してしまう。

柴田哲孝は木田にこう語っている。

〝荒井証言を初めて聞いた瞬間に、私は思いました。「ああ、俺ははめられたな」と。
今思うと、あの情報提供者は、本当の「現場」から私の目をそらせようとしたのでしょうね。
下山事件では決まって、核心に迫るジャーナリストが出てくると、
かく乱する情報を何者かが吹き込んでくるんです。〟

これを素直に受け取っていいものか・・・・ハッタリを吹聴するのは下山事件を追っているジャーナリスト本人なのか、それとも彼らが証言を得ようとしてアプローチする取材対象者なのか。いったい誰の言うことを信じたらいいか、もうよく分からんというのが正直な感想である。私が〝下山ビジネス〟などと揶揄したり、下山本に対して「承服しかねるところが多い」と言いたくもなる理由は、見えないところで作り話を捏造する輩がウヨウヨしている気配がそこはかとなく伝わってくるからなんだよな~。


危惧していたとおり、ありもしないことをそれ風にでっち挙げるやり口は、実録ドキュメントの界隈では日常茶飯事みたい。まあ探偵小説方面でも「旧江戸川乱歩邸の土蔵を乱歩は〝幻影城〟と呼んでいました」(☜)だの「江戸川乱歩は昭和5年頃『猟奇倶楽部』という雑誌の主宰者でした」(☜)だの、根拠の無い情報をばら撒く立教大学の一部のセンセイもいたりするし、目クソ鼻クソって感じかな。




そうそう、これは忘れずに書いておかねばならない。本書の肝である『津山事件報告書』なんだけど、原書見開き2ページ分の複写を本書1ページ枠に当てているため、文字が相当小さくなり、老眼ではない私でさえ読むのに難儀。貴重なこの資料を読破するには、虫眼鏡かハズキルーペが必要だ。原書1ページ分に対し、本書も1ページフルに使って複写転載するのが理想的だったが、本書からして既に800ページを超える厚みゆえ、これ以上ページ数を増やすのは無理っぽい。

また自殺した睦雄の写真や、彼に殺された村民の写真も縮小サイズで掲載されてはいるけれど、村民の遺体はどれも黒塗りで覆い隠されている。




「津山事件」に詳しくないワタシでも、よく調べ上げたなあと敬意を表したくなる一冊だった。だからこそ一言申したいのだが、いまだに犯人が誰か分からないのであればともかく、もうここいらで「津山事件」についてしつこく詮索するのは打ち止めにしたらどうよ。石川清はこの世を去り、1938年5月21日に起きた惨劇の現場をよく知る古老にしたって、寺井ゆり子氏も2016年には鬼籍に入られている。いまさら津山の山奥を踏み荒らしたり、ネタを取るべく関係者の遺族を追い回したところで新情報は出てきやしないさ。いい加減、そっとしといてあげたら?






(銀) 本書の中で、森谷辰也なる人物が「石川清さんの思い出~世界で一番津山事件に詳しい男」という文章を寄せており、同人誌『津山事件の真実』の制作者らしい。筑波昭も大概だが、自分の事を〝津山事件フリーク〟などと名乗るような手合いが研究者ヅラして幅を利かせているのには呆れる。



事件発生から九十年近く経っているとは言いつつ、大勢の人が無惨な殺され方をした事実は厳然として存在している。御一新より昔の話ならまだしも、近現代の岡山にて起きた大量殺人事件に対し〝フリーク〟などという言葉を使うその無神経さが信じられん。毎年倉敷にて横溝正史作品コスプレ集会を催している連中にしても、田治見(多治見)要蔵になり切ってヘラヘラしているところを被害者の遺族の方が目にしたら彼らがどんな気持ちになるか、一度でも考えてみたことがあるのだろうか。






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