2024年10月4日金曜日

『死仮面(オリジナル版)』横溝正史

NEW !

春陽文庫
2024年9月発売



★★★★   らしからぬ〝緩み〟





平成以降出回っている横溝正史の角川文庫はごく一部を除き、買う意味の無いものばかりなので気に留めていなかったけれど、『死仮面』は令和4年に復刊されてたんだな。しかも暫定的な中島河太郎の補筆を使用したままで。

角川文庫版『死仮面』が出たのが昭和59年。後続の春陽文庫版が刊行された平成10年には、当初なかなか見つけられなかった連載第四回分も含め、底本となる初出誌『物語』のテキストは全て揃っていた。再発にあたり、爾来二十年という流通の空白がありながら、なぜ角川は完璧なテキストでリニューアルしなかったのだろう?「雪割草」の時は初刊の版元・戎光祥出版へ気を遣うこともなく、さっさと角川文庫に編入していたのに。「死仮面」だと何か春陽堂書店に忖度しなければならない事情でもあるのかねぇ。

 

 

ジュブナイル短篇「黄金の鼻びら」を併録し、余計な自主規制の言葉狩りを一掃した、四度目の発売となる今回の『死仮面』(初刊はKADOKAWA NOVELS)。改めてその内容を見てみると、昭和20年代前半の金田一耕助長篇にしては中のやや下ぐらいな出来。細かい筋立てに長けた横溝正史らしくもない〝緩み〟があったりする。

この年(昭和24年)は伝奇色を打ち出した「八つ墓村」を『新青年』に、ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」風サスペンス・スリラー「女が見ていた」を『時事新報』に連載しているし、「本陣殺人事件」以来邁進してきたガチの本格長篇路線から、心持ちギアを落としたのかもしれないが、戦前の「覆面の佳人」ほどグダグダではないにせよ一言物申したくなる。

 




 

 

 

では「死仮面」のウイークポイントについて、具体例を拾ってみる。
どの登場人物が犯人か、あからさまに書くことは控えるものの、作品の核心に少しばかり触れているため、「死仮面」を未読の方はここから先、なるべくお読みにならないほうがよろしいかと思います。

 

 

 

 物語冒頭、岡山の気ちがいめいた美術家・野口慎吾による異様な告白書に軒並み読者は幻惑されるだろう。どこまでも野口を惹き付けて離さない山口アケミとの爛れた性愛関係など、その内容は真に迫っているのだが、最後には金田一の調べによって、野口などという男は存在せず、本作の犯人Aがわざわざ東京から岡山まで行って野口慎吾を演じていたことが判明する。ただそうなると、この人物の描き方には違和感を抱かざるをえない。

 

 

  野口の住居である野口美術店から嘔吐を催すような異臭が匂ってくるため、マーケットの隣人は意を決して野口の留守中に踏み込み、女の腐爛死体を発見する。警察に連行された野口には突っ込んだ精神鑑定が必要と判断され、留置場から別の場所へ護送される途中、彼は刑事の手を振り切り川へ飛び込んでしまう。もとより変態性欲者の疑いを掛けていたこともあって、警察は野口が自殺を図ったと見ており、彼の死体は結局未発見。

 

本作は読者を欺瞞する叙述トラップが横行しているけれども、野口の逃亡に関しては磯川警部が金田一に語って聞かせた話なので、ここはフェイクに非ず。

 

東京でなんとしても成し遂げたい企みがあり、その目的のため一定期間とはいえ、シレッと野口慎吾を演じていた犯人A。なら、女の死体を美術店内に放置していたおかげで警察に捕まってしまっては、東京での動きに差し障りが生じて本末転倒だったんじゃないの?というのが私の疑問。不審者レベルの扱いだったから運良く逃亡できたが、もしも警察にガッチリ拘束されていたら、犯人Aが岡山でやったことは単なる藪蛇に終わったかもしれぬ。

つまり何が言いたいかというと、作者が冒頭にて不穏な猟奇色を強調するあまり、本当は気違いでもなんでもない犯人A(=野口)の行動が筋道立っておらず、不自然に映るのだ。

 

 

 川島夏代/上野里枝/山内君子(全員独身)・・・それぞれ父親が異なる三人の姉妹。このち一番下の君子は川島家の生活に耐え切れなくなり、家出してしまう。これについて地の文で作者は〝銀座のキャバレーで葉山京子と名乗る女が、男を射殺して姿をかくしたのは四月のことである。してみると川島家をとび出した君子は、葉山京子と名前をかえて、キャバレーの踊り子になっていたのだろう。〟と説明している。

 

話が進むにつれ、野口慎吾が岡山から夏代宛てに送ってきたデス・マスクの元だと思われる人間は二転三転しつつも、最終的に君子の顔から型を取ったことが分かってくる。ここで野口慎吾と三人の姉妹に関する一連の動きを時間軸に沿って並べてみよう。

 

昭和233

山内君子、川島家を家出

 

同年4

葉山京子、男を射殺して逃走

川島女子学園では新学期開始に合わせて創始者・川島春子の胸像除幕式を行う

 

同年6

野口慎吾、岡山のマーケットに現れ、美術品店を開く(本書24頁)

~ 一方、107頁では〝7月のはじめ〟とも表記している

 

同年9月半ば

野口美術店から異臭が漂ってくるという近所の噂が立ち始める

野口慎吾、警察に連行されるも川へ投身、そのまま行方不明

川島夏代宛てに岡山からデス・マスクが届く

 

10月半ば

上野里枝、銀座裏の金田一耕助探偵事務所に赴き、デス・マスク事件について調査依頼

次の二点はいずれも里枝の申告

~ 届いたデス・マスクを見て、夏代と里枝は家出した君子が岡山で死んだものと思い、回向

~ 金田一と会う二、三日前の夜、夏代と里枝は川島家寝室の窓に幽霊の如き君子の顔を見る

 

1023

怪しい跛の男、川島女子学園に初めて出現

 

 

 重要ポイントから先に言ってしまおう。家出して葉山京子と名乗りキャバレーで働いていた君子は男を射殺したあと、こっそり川島家へ逃げ帰っていた。川島家の主である夏代は地下室へ君子を押し込み、例によって狂ったように折檻していたところ、あまりに度が過ぎ君子を殺してしまう。それはあらゆる状況から鑑みて、4月の話であるのは間違いない。これらの事も物語後半における金田一耕助の裏付けがあり、動かしようがない確かな事実である。

 

ここまで見てきて「ん?変だな」と思いませんか?だって君子は4月に死んだことが明らかにされるんですよ。じゃあ10月に夏代と里枝が窓越しに見た君子はいったい何だったのか?まさか幽霊ってことはあるまい。この件に関し、里枝自身の発言(5758頁)以外に第三者の立証が無く、頼みの金田一、そして作者・横溝正史も説明しないまま、ウヤムヤに話は終わる。勿論シンプルに里枝の偽証だと考えるのが一番自然なんだが、やっぱり座りが悪い。

 

 

 学園創始者・川島春子の胸像が建設中であることを利用し、川島夏代は殺してしまった君子の亡骸を隠密に胸像台のコンクリート内部へと埋めてしまう。

 

 

 これもまた、単独で実行するには相当無理がある。夏代の女手ひとつで川島家の地下室から胸像の設置場所まで、誰にも見咎められずに屍を運んでいける訳が無い。いくら深夜とはいえ、寄宿舎にて寝起きしている女学生達に気付かれぬとも限らないのだから。

 

 

 

ざっくり以上の点が、「死仮面」に対する私の不満である。本作が連載された『物語』は名古屋ローカルの雑誌ゆえ、その読者は「本陣殺人事件」や「獄門島」を発表した探偵小説の専門誌『宝石』ほどディティールに厳しくはなかったろう。だから「死仮面」はそれまでの金田一長篇に比べて、ルーズな出来になってしまったのかもしれない。のちに正史は、「内容が陰惨だからリアルタイムで単行本にしなかった」と語っているけど、それだけが理由ではない筈だ。





野口慎吾の屍姦などは、六年後に書かれるエログロ金田一もののプレリュードとも言える訳で、「夜歩く」~「犬神家の一族」の狭間に位置する長篇として見たら正直物足りない。しかし出来はともかく、四度目のリリースにしてやっと本来あるべきテキストで読めるようになったことは喜ばしい。内容的に高く評価したい作品ではないが、誤字まみれのテキストになるような不手際は回避できているので★4つ。

 

 

 

(銀) 前々回記事にした同じ春陽文庫の新刊『盲目の目撃者』(甲賀三郎)に比べると、テキストの入力ミスは日下三蔵の解題だけにしか見つからず、「死仮面」「黄金の花びら」では誤字などに気付くことも無かった。なんで『盲目の目撃者』のほうばかりテキスト・チェックが甘いのか?「責任者出てこい!」と言いたい。






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