2023年5月8日月曜日

レギュラーな顔ぶれ

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A  超マイナーな存在は別にして、日本の探偵小説で複数作品に顔を見せる同一キャラクターを全く考案しなかった作家って誰がいると思う?



B  レギュラー・キャラを作らなかった探偵作家ですか?探偵でも犯罪者でも何でもいいんですよね。誰だろ・・・・・・夢野久作? 渡辺温? 宮野叢子もほぼ無いといっていいですよね。

 


A  暇な時に思い出してみ。それはさておき『金田一シリーズからの市川崑入門』というファンの人が作った二冊一組の本をよく中身も確かめずつい買ってしまってね。

 


B  いつも「映像化された探偵小説にロクなもんは無い」って言ってるのにどうしました?

 


A  なんだかなあ、魔が差したというか。この本は横溝正史に限定せず市川崑のキャリアを広くカバーするものだし、読み物じゃなくてカジュアルな作品/人名wikipediaっぽい内容だったから余計に私向きではなくてマイったわ。加えて「市川崑関連年表」を謳う下巻まで作る必要は無かったんじゃないか?とも思った。

そうは言っても真面目に取り組んでて著者が市川崑Loveなのは伝わってくる。でね、これ読んでいて日本の大物映画監督がいっつも傍に置きたがる顔ぶれについて考えたんだ。映画の人達ってなんで黒澤組とか北野組とか、ヤクザじゃあるまいしすぐ✕✕組って名乗りたがるんだろう?

 


B  そりゃスタッフさんは気心知れたチームのほうが、あらゆる局面においていちいち説明せずとも解ってくれるから作業もサクサク進むでしょうよ。

 


A  ウン、市川組でいえば日高真也とか長田千鶴子とかスタッフ陣ならまだわかる。でも監督が特定の俳優を重宝しすぎて度々起用するってどうなの?例えば石坂金田一の場合な。草笛光子はすごく大好きな女優なんだよ。けどさ「犬神家」「手毬唄」「獄門島」「女王蜂」「病院坂」「2006年版犬神家」って、同じ役柄ならまだしもいったいどんだけ彼女を使い回してるんだって話で。

 


B  じゃあ金田一と「よーし、わかった!」の人も毎回変えろと・・・。

 


A  いつも居るのは石坂浩二と加藤武だけでいいんだよ。結局最初に演じた役柄で観た人に折角鮮烈な印象を残しておきながら、同じ金田一シリーズだからってそんなに度々起用してたら前の作品の役のイメージが薄まってしまうよ。高峰三枝子にしても岸恵子にしても「女王蜂」に再度キャスティングしないほうが絶対好ましかった。大滝秀治だってそうだし、三木のり平もあおい輝彦も。坂口良子だっておはる役一度きりの出演のほうが有難みが増したろうなあ。

 


B  市川崑を崇拝する三谷幸喜の作品にもよく見慣れた顔ぶれが出てますね。

 


A   まったく。あ、でも東京サンシャインボーイズ時代からの仲間である小林隆や梶原善はオッケー。西田敏行、佐藤浩市、鈴木京香、山本耕史とか・・・・・ひとりひとりは嫌いじゃないが三谷作品に彼らが出ていると「またか」とウンザリさせられる。✕✕ファミリーの名のもとしょっちゅう同じ顔ぶればかりでは観る気も萎えるわ。津川雅彦は「古畑任三郎」に二度出演していてどっちも良い役だったんだけど一回こっきりの起用のほうが清々しかったと断言できるよ。探偵小説においては、ある程度その作家の作風に目鼻立ちを付けるための顔ぶれとしてレギュラー・キャラは作ったほうがいい。でも映像における役者の場合は同じ役者ばかりに偏りすぎないよう熟考すべきじゃないのかね。

 


B  元からあんまり映画というメディア、そこまで好きでもないですもんね。

 


A  映画が娯楽のトップだった世代じゃないし、90年代のワイヤー・アクションやらCGが当り前になって映画館へ足を運ぶ気持ちが失せてしまった。昔の日本はどうしてあんなにヤクザ映画が多かったのかもよくわからんし(今でもまだその傾向はある)、日本映画の業界って妙に閉鎖的だったり監督が専制君主だったり。たけしだって今でこそ映画が命だけど若い頃は「日本映画は貧乏臭い」ってさんざんクサしてたんだから。だいたい✕✕組とか✕✕ファミリーって、とかくツルみたがるのも嫌だ。橋田壽賀子ファミリーとか醜悪じゃん。


 

B  橋田壽賀子は映画監督じゃないですけどね。それに、この前までNHK-BSで週末の朝再放送していた「おんな太閤記」は時々観てたじゃないですか?


 

A  フランキー堺をテレビドラマで見られる機会ってそう無いしな。泉ピン子/赤木春恵/長山藍子ら橋田ファミリーを見させられる回は勘弁だけど、それ以外はなかなか良いメンバーが出演してる訳。藤岡弘が信長で夏目雅子がお市だもの。



B  とりあえず「夏目雅子しか勝たん!!」で今日は締めときますか。