2024年5月27日月曜日

『新訳サロメ』オスカー・ワイルド/河合祥一郎(訳)

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角川文庫
2024年5月発売



★★★★   知られざる「サロメ」の秘密




ふと私は、招魂社の雜木越しに、その雲を見たのである。

(中略)

それはちやうど、人間の首とそつくり同じ恰好をしていた。横向きになつた鼻の高い、そして長く伸した髪の毛を、首のあたりで縮らせた、さういふ恰好の雲が、黑い雜木林のうへに、西日をうけて眞紅に、それこそ血が垂れさうなほど眞紅に燃えてゐるのである。しかもその首の切目にあたるところに、横に一文字に、別の雲が棚引いてゐるのが、ちやうど一枚の盆か皿のやうに見えるのだ。つまりその雲は、盆の上にのせて、サロメの前に差出された、ヨカナーンの首と、そつくり同じ恰好をしてゐるのだつた。

横溝正史『眞珠郞』より

 

 

 

「サロメ」に興味を抱いたのは、言わずもがな「真珠郎」経由。
誰の訳だったか忘れたけど若い時分に初めて読んだっきり丁寧に再読することもせず、この戯曲について踏み込んだ知識はゼロに等しい。ストーリーそのものは短く、今回の新訳版文庫143頁の中で、本編の占めるスペースは90頁弱。その分、私の知らなかったことを河合祥一郎が「訳者あとがき」の中で惜しみなく教えてくれる。河合は角川文庫でポオの翻訳も行っており、そちらの仕事で彼のことを認識している方もおられるだろう。



 

 

もともと「サロメ」は仏語で書かれ、パリで出版。それをオスカー・ワイルドの彼氏・アルフレッド・ダグラスが英訳したのだが、好ましからぬ問題点も生じてしまい、その英訳をワイルドは認めていないそうだ。

本書にもたっぷり収録されている、「サロメ」の象徴でもあるオーブリー・ビアズリーの美麗な挿絵が初めて付されたのが実は問題アリの英訳版「サロメ」のほうで、ビアズリーまでが〝「サロメ」を英訳させてくれ〟と申し出るもワイルドは却下したというから、話は実にややこしい。今回、河合祥一郎はそういった二つの言語に跨るテキストの課題をしっかり踏まえた上で、仏語テキストを使って新しく翻訳し直している。参考までに、ワイルドはダブリン出身。フランス語ネイティブではない。

 

 

クライマックスの生首が鮮烈で、ヨカナーンサロメにばかり目が行ってしまいがちだけども、エロド王エロディア王妃など、サロメを取り巻く登場人物の思惑を見落としてしまっては片手落ち。仏語テキストの細かいニュアンスを紐解く河合祥一郎の解説は、私のようなフランス語の読み書きができない人間にも、水が掌へ流れ落ちるようにすんなり趣旨が伝わるから嬉しい。

 

 

アカデミックな自分をアピールしたい人間の書く文章によくある傾向で、小難しい物言いばかりされてもちっとも伝わらないし、だいいち頭に入ってこない(ワタシの不味い文章など、まさにそうだ)。それとは対照的に河合の解説は、(立ち読みして字面だけ眺めると難しそうに感じるかもしれないが)読んでみたら意外と解りやすい。

 

 

角川文庫大好き横溝クラスタの皆さんが「サロメ」やワイルドに関心を持つことはまず無いだろうが、シュオッブやポオを好きな人ならゼッタイ読んだほうがいい。同じワイルド作品でも童話としてよく知られている「幸福な王子」に比べると物凄いギャップ(残虐美)があり、血の滴るヨカナーンの生首にキスして陶酔するサロメは結局どうなってしまうのか、それを知るのも楽しみのひとつである。

 

 

 

 

(銀) 本書そのものは満点。唯一の汚点、角川本の帯のダサさはいつものとおり。ロバート・キャンベルが嫌いな訳じゃないけど、オスカー・ワイルドが同性愛者だからってキャンベル先生をいちいち引っ張り出してくるこの貧乏臭さがとことん恥ずかしい。

 

 

書籍にレコード、CDに映像ソフト・・・日本のオビ文化は悪いものじゃないさ。でも、本の帯にかなりの確率で載っている著名人の推薦文、こんなんが本当に売り上げアップに影響するのか?私などめったに角川の本など買わないのに、たまに買った本に限って超ダサい帯だったりする。





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