大人の手のひらに収まりそうな大きさの、いわゆる豆本と呼ばれるアイテム。〈名古屋豆本〉を刊行していたのは中日新聞社系列の「名古屋タイムズ社」社長だった亀山巌。〈名古屋豆本〉は一冊三百部限定で制作され、亀山がひとりで発送作業を行い購読者へ郵送していたという。
〈名古屋豆本〉の書き手として、戦後故郷の愛知に定住し名古屋の名士になっていた岡戸武平に白羽の矢を立てたのは亀山からするとごく自然な成り行き。その岡戸が豆本の題材に選んだのは小酒井不木と江戸川乱歩。もともと岡戸は名古屋新聞東京支局勤めで、大正九年に大阪時事新報社へ移る。そこに在籍していたのが平井太郎(=乱歩)。若い頃の岡戸は酒と女に散財、おまけに不摂生もたたって大喀血するのだから横溝正史と全く同じパターン。昔はこんな人、なにげに多かったんだろうな。
結核には勝てず全快するまで五年間療養所暮しを余儀なくされるが、不思議な縁から小酒井不木博士の著書『闘病術』(勿論これは探偵小説ではない)を共作するチャンスが巡ってくる。この本はよく売れて、印税50:50とはいえ岡戸には良い収入になったに違いない。しかしその不木も昭和四年、急性肺炎で帰らぬ人に。不木の書生みたいな立場にあった岡戸は主人の葬儀を取り仕切らねばならず、ここでようやく乱歩と再会を果たすのである。
「あの男は見込みがある」と思われたのか、同昭和四年夏には博文館に招かれ、森下雨村や横溝正史のもとで働きつつ改造社版『小酒井不木全集』の編纂も手掛ける忙しさ。私は探偵小説界や博文館内部の秘話を沢山知りたいのに、好色な武平ときたら本書でも自分の浮気や小酒井不木に囲われていた疑惑がある女性のエピソードなど、本当は下世話なネタばかり語りたそう。なんにせよこの本、たった60頁弱ではあまりに薄すぎる。豆本ではなくどうして普通の単行本ぐらいのボリュームで戦前探偵文壇回顧を書いてくれなかったのか。いくら岡戸が手掛けているからって愛知の企業史なんか一生読まんわい。
(銀) 博文館の雑誌を読んでいると、細谷茂傳次という人が時代小説を書いているのをちょくちょくみかけるが、この作家が何者なのか詳細に書いてある文献には出会ったことがない。本書の中で岡戸は少しだけ細谷茂傳次にも言及していて、酒癖が悪く芸者買いが大好き、横溝正史は彼をヒイキにしていたそうだ。細谷みたいな、文壇史にその名が全く残っていない作家の情報を得るためにも『不木・乱歩・私』は『筆だこ』(探偵文壇とはちっとも関係ない岡戸の随筆集)ぐらいガッツリ枚数をとった本にしてほしかった。
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