2021年5月1日土曜日

『雪割草』横溝正史

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角川文庫
2021年4月発売



★★  ②  最低なセンスの帯とカバー・イラストにゲンナリ




戦時下に新聞連載された非探偵小説である小栗虫太郎「亜細亜の旗」(1941年)/大坂圭吉  「村に医者あり」(1942年)/そして雑誌連載だが大下宇陀児「地球の屋根」(1941年)。  当blogではこれらの作品を最近記事にしてきたが、各長篇に共通していたのは男性の主人公が     医師や科学者といった理系分野で御国の為に奉公する志を持っている点であった。

 

 

だが横溝正史の「雪割草」(1940年)は少し視点が異なっている。市井の女性を主人公に置き、日本の勢力拡大を賛美する台詞はありそうで無い。蓮見邦彦と山崎先生の大陸への出立にのみ 多少のポジティヴさを感じる程度で、大抵はわびしい銃後や傷痍軍人の光景が書かれていたり、出征する者を「バンザーイ!」と鼓舞しながらも人々の心は悲しみに暮れている。             読み手であるこちらは正史の軍国主義嫌いを知っているだけに、お上に難癖付けられないよう ギリギリのレベルで「戦争を礼賛する文言は絶対書くまい」とする秘かな抵抗が透けて見える。

 

                   


この小説は流転するヒロイン緒方有爲子の苦難の物語なのだが二つのポイントを内包していて、一つは有爲子の本当の父は誰なのか?」という彼女の出生の秘密。                これは「八つ墓村」の主人公・寺田辰弥の状況に近いので探偵小説読者も感情移入しやすい筈。もう一つは賀川仁吾に嫁ぐ事で貧しい画家を支えなければならず、新たな茨の道に踏み込まざるをえない有爲子の運命。結婚しても子供みたいに仕事以外の事は何もできない仁吾に度重なる 試練が訪れ、喀血が続いて癇癪を起したり欝状態になったり。そんなダメな夫をひたすら守って耐え忍ぶ糟糠の妻の姿には、1933年以降結核に苦しんできた正史を支えた横溝孝子夫人の存在が 重なってくる。

 

 

現代の眼から見ると上記に挙げた四作はほぼ同時期に書かれたように感じるだろうが、短期間に国内外情勢が刻一刻変わっていった時代だ。数ヶ月ではあるが四作の中で最も早く執筆された「雪割草」は、「亜細亜の旗」「地球の屋根」「村に医者あり」よりも(ごく僅かだが)運良く表現の余地がまだ残されていたのかもしれない。                     というのは有爲子が上京して最初に住む事になる五反田の住人の柄の悪さや、              『南総里見八犬伝』の蟇六+亀篠よろしく有爲子から金を搾り取ろうとする恩田勝五郎+お常夫婦の小悪党ぶり等、時代ものの「人形佐七捕物帳」でさえ風紀を乱すという理由に博文館が脅えて連載中止になりながら、こんな日本人の描写がよくも新聞連載で許されたものだ。

 

 

後半には悪役たちの跳梁が段々収まってゆくので、実際「雪割草」にも連載中に何らかの警告があった可能性は想像できるが、最初から予定していたプロットかもしれないし断定はできない。  それにしても横溝正史という人は一族の血筋というネタをよく使いたがる作家だ。加えて関西人が生まれ持つねちっこさから来るものなのか、仁吾の日本画の師である五味楓香の夫人・梨江 によるいじめの底意地の悪さも強力だし、日本人が好みそうな要素が巧みに盛り込まれている。たとえ探偵小説でなくとも、現代の読者にも退屈させず読ませる技量はさすが正史だと感心。

 

                    


以前の記事にも書いたけれど、賀川仁吾が初めて登場するシーンでの風貌描写がまるで金田一 耕助の原型だと山口直孝が大騒ぎしていたが、実にどーでもいい事に過ぎないのよ。                戎光祥出版ハードカバー初刊本をお持ちの方は247頁でも359頁でも393頁でもどれでもいい。矢島健三の描く仁吾の姿を御覧頂きたい。                        小説家の書く内容と挿絵画家の描く挿絵が常に一致しているとは限らないけれど、      挿絵の仁吾はどうみても〝長い、もぢやもぢやとした蓬髪〟ではない。



初刊に再録された挿絵は連載時のもの全点を収めていないのが惜しまれるのだが、      「雪割草」発見の報道がNHK『ニュースウォッチ9』でオンエアされた時に山口直孝が画面の中で指し示していた、汽車の中で初めて有爲子が出会う賀川仁吾の姿を描いた挿絵はどういう訳か 初刊本から漏れていたので、参考までにオンエアで紹介された時の画像をここにupしておく。 ほら、単に帽子被ってマント着てるだけの人で何の特徴も無いでしょ?                   こんな格好をした男性は、戦前ならいくらでもいたんだってば。


 

            NHK『ニュースウォッチ9』の映像より

                       


                    



ヴィジュアルでいうと、今回の角川文庫版『雪割草』のカバー・イラストは有爲子をイメージ しているのだろうが、何? このお多福のおかめ顔? 元々有爲子は器量良しの設定やぞ。   昔から杉本一文は小説の内容と時代考証が全然合っていないイラストをよく描いてたし、                            何がそんなにいいのか私にはちっとも理解できないイラストレーターだったが、               いくらなんでも今回の絵はないよな。(この記事の最上部画像を見よ)

 

    昭和初期にこんなジーンズみたいなボトムを穿いていた日本女性なんていません

 


それ以上に馬鹿まるだしなのが帯の宣伝文句。                                  三上延さん驚嘆!「犯人も探偵もいない。でも、横溝らしい一流のエンタメです。」だってさ。このコピーを考えた人物はアタマが小学生レベルなのかな。南無阿弥陀仏・・・。


 

 

(銀) 戎光祥出版『雪割草』初刊本の淡い菫色を使った装幀は内容にとても合っていて、   私は気に入っていたのに文庫になると予想と違える事なく最低のデザインにしてしまう角川。        本体のページだって、ちょっとでも手汗かいてたらすぐにシワシワ状態になりそうなペラペラの紙質で。そういや緑304の頃、角川春樹はやたら相見積で叩きまくって、しまいには韓国の印刷業者まで使っている版もあった。あの頃から、一片の誇りも無い出版社だ。

 

 

小説自体はよく書けていて面白い。正史は戦後「雪割草」の存在を明かさなかったけれども、    黒歴史にして闇に葬らねばならない内容では決してないと思うのだが。             もし隠蔽する必要があったとすれば、有爲子と仁吾の関係が自分達夫婦をモデルにしているのが周りから見え見えで小っ恥ずかしかったのか。納得できる理由はそれしか考えつかない。



初刊本は★4つ、新聞連載時の挿絵を漏れなく収録して①(昨日の記事)で紹介した欠落文字さえなかったら、もう目つぶって★5つ進呈しただろう。いくら欠落文字を正しく修正できたからと いって、目を疑うようなこのダサイ装幀で角川文庫版を褒められなどできるものか。