(銀) 「南総里見八犬伝」の挿絵画家についてはこれまで特に言及してこなかったが、二十八年にわたる執筆だけあって同一画家がひとりでこなしてきた訳ではない。やはり挿絵についても物語前半のほうがずっとクオリティは高い。
2022年5月19日木曜日
『南総里見八犬伝㊉』曲亭馬琴
2022年5月6日金曜日
『南総里見八犬伝㊈』曲亭馬琴
片や里見勢。八犬士随一の知者ゆえ軍師を任された犬阪毛野は、蟇田素藤の乱にて敵方に味方し里見に捕えられていた千代丸豊俊に「里見を恨んで管領軍に味方する」という偽りの言い分を持たせ、定正側へ送り込む作戦を取る。その間諜の助力として音音・曳手・妙真・単節ら四人の女たちも千代丸豊俊の家族と称し、危険な敵地へ潜入。
行徳へ出陣せし管領軍を率いるのは、まだ少年に過ぎない扇谷家の嫡子・五郎朝良、犬阪毛野に討たれた馬加大記の主君だった石浜城主・千葉介自胤、額蔵時代の荘介を罪人扱いにした大塚城主・大石憲重。第四巻で箙大刀自の命令により死刑にされる筈だった荘介/小文吾の命を救った稲戸津衛由充は今回の大戦では越後にいる女帝が派遣させた軍勢の将として、此の地で里見軍と対峙。恩人である稲戸由充に対し、荘介と小文吾はどう戦うのか?意外とココが本巻における一番のハイライトかも。
しかし長尾景春の手勢も加わって里見軍は苦戦。その時、政木大全孝嗣/石亀屋次団太らの援軍さらに京から戻ってきた犬江親兵衛一行も合流。(第二巻において)滸我で苦い目にあわされた信乃と現八は足利成氏/横堀在村をどのように処するのか? せっかく犬士たちに再び活躍する場が与えられ、話が盛り上がっているというのに、又しても親兵衛の描き方には鼻白んでしまう。第六巻での再登場以来、親兵衛には伏姫神女から授かった神薬が持たされ今迄にも使用されてはいたが、御都合主義にて薬が底を突くこともなく、ここでは傷ついた里見軍の味方ばかりか敵兵までもその薬で助け、挙句の果てには死者さえ蘇生させてしまうのだ。何それ?
そりゃねえ、里見義実/義成は「この戦はあくまで自衛目的だから無益な殺生はするな」とお達ししてるし、親兵衛はもとより博愛仁恕キャラに設定されてるさ。とはいえ、これは少々やり過ぎじゃないか?その上、底無しの穴に愛馬ごと落ち込んでも、過剰な霊験のおかげでデリケートな馬さえ何の負傷もせず穴から脱出しちゃうんじゃ、下総行徳戦の〝人魚の膏油〟を使った霊験に頼らない人間の知恵とは対照的でつまらん。他の七犬士と比べると伏姫(というか作者馬琴)による過保護も度が過ぎて、それが犬江親兵衛の人気を獲得できない大きな要因なんだよね。
(銀) 本巻の肝は何といっても、それぞれの犬士と彼らを苦しめてきた大物が再び相まみえるシーンじゃないかな。上記で述べたように親兵衛の設定でシラける箇所がある事、それと合戦が始まって人の出入りが激しくなるので、顔なじみじゃない小物脇役キャラが増えちゃって、まどろっこしい事。この二つが無ければ満点にしたのだが・・・。
「南総里見八犬伝」は三十年近くかかって完成した歴史があるから、そのすべてを問答するのは無理だったろうけど、せめて親兵衛篇が始まる直前(岩波版でいう第五巻)あたりまでフォローされていればなあ・・・。この『犬夷評判記』だが、単独で再発されるのはおろか『南総里見八犬伝』のボーナス・トラックとして収録された過去もない。量的にはそれほど多いものでもないし、岩波文庫あたりが読み易いテキストにして発売してくれればいいのに。
2022年5月4日水曜日
『辻村寿三郎作品集 新八犬伝』
NHK連続人形劇「新八犬伝」のために辻村寿三郎が制作した人形の数々を被写体にした写真集。次作「真田十勇士」も同様の写真集がリリースされている。これまで何度も嘆いてきたとおり、映像をNHKが殆ど保存しておらず、リアルタイムで観ていない人が番組の魅力を感じ取ることは非常に困難。かろうじてDVD/ノベライズ本と並び当時の熱気を多少なりともシェアできる公式アイテム、それがこの写真集と言えよう。
オリジナル旧版はNHK系列の出版社である日本放送出版協会からリリースされていた。その頃、辻村はジュサブローと表記していたので旧版のクレジットは辻村ジュサブローだったが、今世紀に入り本名の寿三郎表記に変えたため、新版のクレジットは全て辻村寿三郎になっている。帯のデザインもすっかり変わっているし、『辻村寿三郎作品集 真田十勇士』のほうには新しく坂東玉三郎のエッセイをプラス。当時の定価は3,000円、新版は5,060円。復刊ドットコムから再発される場合、高めの価格設定がネックになるのは言うまでもない。
内容は人形の〝かしら〟(=頭部)をメインとし、カラーとモノクロそれぞれのページで接写。
✿ 人形の肌に使用されている〝縮緬(ちりめん)〟素材の質感がクリアに。
細部というのはやっぱり接写してみて、よくわかるものだ。
✿ 「新八犬伝」と「真田十勇士」では、人形の顔の作り方がだいぶ異なっている。
例えば眼(まなこ)。
「新八犬伝」の人形はだいたいどれもカッと見開いた目をしているが。
「真田十勇士」の人形の目は、細く切れ長なのが特徴。
中には戸沢白雲斎/徳川家康/柳生但馬守のように、
まるで目を閉じているかの如き表情に作られているものもある。
口元の装いの違いにも注目。
巻末のエッセイに目をやると、「新八犬伝」の脚本を担当した石山透がこんな発言をしている。
〝「南総里見八犬伝」はご存知のように大長編で、特に序盤の伏姫と犬の八房が死ぬまでのおもしろさは、獣姦という怪奇性もあって抜群です。しかしそのあとは、話がすすむにつれてそれほどでもなくなるという奇妙な作品ですから、テレビ向きの脚本に作り変えるにもそれなりの苦心がありました。〟
そりゃあ成長した犬江親兵衛のエピソードがしばらく続く「南総里見八犬伝」の後半部分に人気がないのは否定のしようがない事実だけれども〝(伏姫八房譚のあと)話がすすむにつれてそれほどでもなくなる〟とは言い過ぎじゃないの? それに獣姦って・・・。
八犬士は伏姫と八房の間に生まれた子供だってことで、世の中には「八犬士とは人間と犬が性交して誕生した子供」だと勘違いしている人が多い。言っとくけど、伏姫が八房に体を許した描写は一度として原作には無い。あくまで人と畜生の精神的結婚のもとに八犬士はこの世に生まれたのであって彼らにはそれぞれ現世における生みの親が存在しているのだから、決して伏姫は八房に犯されて八人の子供を産んだ訳ではない。「南総里見八犬伝」の中で獣姦といえるのは、ニセ赤岩一角と窓井の間に生まれた牙二郎ぐらいでしょ?(♀側が畜生の場合も含むのであれば蟇田素藤と妙椿も該当する)あれだけ曲亭馬琴の作品を通読し、「新八犬伝」の中に取り込んでいた石山透にして、伏姫と八房を獣姦の夫婦だと誤解していたのならば、私はとても残念。
(銀) 本日の記事を読んで下さった方のうち、この辻村寿三郎作品集『新八犬伝』『真田十勇士』を買おうか買うまいかと迷いながらまだ入手できていなかった方へ、ささやかな朗報。只今楽天ブックスは定価のほぼ半額でセールを開催中。ご所望ならば至急楽天ブックスへGO。ただしセール期間は6月15日までとはいえ、販売部数はホンの少ししか残っていない。本当に好きな人が買えるよう、幸運を祈る。
「新八犬伝」の総集編となる回にて伏姫八房譚が毎回リピートされていた理由が、本書における石山透のエッセイを読むと腑に落ちる気がする。彼にとってはあの序盤部分こそが八犬伝の全てだったんだな。そう考えると処刑された玉梓を怨霊にして、犬士達が苦しめられる場面には必ず登場させるようにした意図も見えてくるし。
「新八犬伝」ノベライズ本にも相当省かれている箇所があることは前にも触れた。これ以上映像の発掘が望めないのであれば、せめて全464話の脚本ぐらい誰か残してくれてはいないかな~。ノベライズ本は石山透が脚本にした全ストーリーのうち、単行本三冊に収まるように重金重之が構成したものであって完全とはいえない。もし全464話ぶんの脚本がすべて残っているのなら、それをコンプリートな形で再構成すれば、より濃厚な「新八犬伝」本が出来ると思う。その実現に向けてやる気のある出版社はいないか?全ての脚本を大事に残してくれている関係者はおられないだろうか?
2022年4月30日土曜日
『黒い妖精』園田てる子
〝 恐るべき情事の繰返しが女の魔性をとらえ、限りなき情欲の世界をさまようという問題の長篇! 〟
そんな折、農林省団体の汚職が露顕して東興物産も贈賄容疑で睨まれる仕儀となり、悟郎は社長から「頼むから一切を背負って身を隠してほしい」と懇願される。それを受け入れた悟郎は由美を連れて会社を去り、駆落ち同然の世をしのぶ身に。(この後の悟郎と由美は夫婦扱いだが入籍したような記述は無い)
働き口の無い悟郎の代わりに一流割烹のお帳場として働く由美は、大洋重工業で設計技師をしている堀田通也という男と出会う。失業してどんどん内向きになってゆく悟郎とは対照的に、快活な堀田に次第に魅かれてゆく由美。結局彼女は夫・悟郎の(東京から離れた)勤め先を堀田に紹介してもらうのだが、過去に東興物産時代の慰安旅行で、ふとしたきっかけから悟郎に唇を奪われてしまったのと同様、体調を崩した堀田を病院に連れていった拍子に、またしても由美は堀田に恋心を抱いてしまう。
♡
物語の中で「探偵小説の登場人物みたい・・・」なんてセリフが出てくるのだから、園田てる子の頭の中に探偵小説がまるっきり存在していない訳ではないようだ。でも彼女は純粋なミステリをなかなか書こうとせず、女と男の情欲にこだわった。重ねていうけどミステリ的な見どころがある訳ではない。それでも(私にとっては)なぜか読ませてしまうsomethingが、この作家にはある。
(銀) 後半、堀田と由美が旅先でしっぽりしているところに謎の尾行者が現れて不穏なムードになる。この部分を活かしてサスペンスを強調していれば、少しはスリラーっぽい展開になりうる余地もあった。園田てる子の非ミステリ作品にも犯罪は一応起こるんだけど、そこで主人公が警察や探偵に追われて・・・みたいなプロットにはならないのが特徴だろうか。
2022年4月29日金曜日
『南総里見八犬伝㊇』曲亭馬琴
◕ 朝廷から八犬士の〝金碗〟継承が認可されたにもかかわらず、犬江親兵衛だけは細河政元の屋敷に留め置かれてしまう。この管領政元には少々男色の気があり、若く武力知力ともに秀でた親兵衛を自分の家来かつ稚児として手元に置きたがったのもあるが、もうひとつ理由があった。前巻で登場した悪僧・徳用はなんと細河家の執事・香西復六の子で、細河政元とは乳兄弟。例の丶大法師による大法会を襲撃した罪で結城を追われ、こっそり京に戻ってきていたこの男は八犬士に恨み骨髄、政元に進言し親兵衛に復讐する腹積もりだったのだ。
よって親兵衛は「武芸の手並みを披露せよ」という事になり、京で名うての達人と戦わされる。それはさておき、蜑崎十一郎照文は里見義実/義成に報告するため先に安房へ帰ったけれども、姨雪代四郎ら数人の里見家家来は(管領に手出しできないとはいえ)都に残って街中に潜伏し、親兵衛救出の機会を窺っていた。このくだりで里見家家来の一人・直塚紀二六が(密室ではないけれど)屋敷から一歩も出ることができない親兵衛と、あるトリックを使って秘かに通信を交わす。あまり好きではない京都篇ではあるが、この部分はなかなか面白い。
◕ 同じ頃、八犬士及び里見家に対する扇谷定正の敵意は日増しに強くなっており、同じ管領である山内顕定をはじめ、過去にいがみ合ってきた関八州の武家までも巻き込んで、里見家を滅ぼす大戦の準備を着々と進めていた。一方、穂北では闘病中だった氷垣残三夏行が亡くなり、その跡目を落鮎余之七有種が継いでいたのだが、彼らが犬士達と深く繋がっている内情を定正が放っていた間諜者に知られてしまう。いよいよ物語は大詰めクライマックスへ。第八巻はここまで。
天保11年。とうとう馬琴は両目とも失明してしまい、本来ならばもう小説なんて書ける場合ではないのに、亡くなった息子の嫁・お路に文字を教えて口述筆記をさせるという苦難の道を選ぶ。しかもそのお路に対して、馬琴の妻のお百が嫉妬心を起こすのだから、滝沢家の修羅場は想像に難くない。目がよく見えないストレスは、そうなった者にしかわかりえない。馬琴の絶望感とイライラは如何ばかりだったろう。しかしそれでも彼は「南総里見八犬伝」の完成しか考えていなかった。
世間的に親兵衛のエピソードは人気が無いかもしれないが、少なくとも視力喪失による文章のパワー・ダウンといったものは微塵も感じられない。「他人の作る本にて、言葉狩りやテキストのミスがあるのは絶対許さないが、自分は老眼だから自分の作る本のテキストに間違いが生じるのはやむをえないこと」などと自己弁護ばかりしているどこぞの輩とは月とスッポン。もっともそんな愚人と比較すること自体、馬琴のような偉人に対して失礼なのだが。
2022年4月24日日曜日
『南総里見八犬伝㊆』曲亭馬琴
◕ 里見義実は「里見家の発展は丶大(=金碗大輔孝徳)の父・金碗八郎孝吉の功あってこそ」という気持があり、八犬士全員に〝金碗〟の名を与えたいと考える。そのためには都の朝廷の許しを得ねばならず、犬江親兵衛と蜑崎十一郎照文が大役を担う使者となって、朝廷へ献上する金品を積んだ船に乗って房総を出発するのだが、このあたりで親兵衛に関するエピソードにつき、少々申したき事あり。
本巻の中で馬琴が「ここに来て平和なシーンが続いており読者は退屈かもしれないが、これもこの後の伏線となる欠かせないパートなのだ」みたいな注意喚起を何度か書いている。犬士達が不幸な目にあったり苦しめられたりするエピソードのほうがウケることは馬琴も重々わかっていただろう。しかしそれでもなおかつ、このあと親兵衛京都篇が始まる。正直言って素藤~妙椿篇はあってもいいけれど、結城での徳用襲撃のくだりは必要だったか?京都へ〝金碗〟名の許可をもらいに行くくだりも最低限の分量で済ませてよかったのに。と、やや後ろ向きな発言を残しつつ第七巻はここまで。
(銀) 京都へ向かう途中、三河に寄港した里見家一行の船は海賊・海竜王修羅五郎に襲われ、山育ちゆえ海上戦に慣れていなかった親兵衛を救うのが、今回の同行を許されていなかったのに勝手に船にこっそり乗り込んでついてきた親兵衛育ての親のひとり・姨雪代四郎(=与四郎)。彼は第二巻という早い段階から神宮川の船頭・矠平として登場していたキャラで、荒芽山以来その行方がわからなかったが、第六巻で成長した親兵衛と共に再登場。老人なのに八面六臂の活躍をし、親兵衛のことを「和子(わこ)、和子(わこ)」と呼んで孫のように可愛がっているのは、姨雪代四郎に馬琴の気持がかなり入り込んでいたからかもしれない。
2022年4月20日水曜日
『映画論叢59』
本号に鈴木義昭が寄稿している「布村建追悼」は『映画秘宝』があのような末路を迎えなければ本来あちらに載っていたのではないか。鈴木は『映画秘宝』の常連ライターだったし。
この『映画論叢』は今は亡き『彷書月刊』に似たサイズで、最近の映画は扱わない方針を打ち出している訳でもなかろうが、バックナンバー一覧を見ても、日本の元号でいう昭和以前の国内外映画に思い切り特化した誌面作りがなされている。強いて言えば、国書刊行会の取引規模自体が洋泉社とは異なるため、入荷する書店が限られているのが難点か。『映画秘宝』のようなカラーページは無く、中身の佇まいも『彷書月刊』っぽい。
♣ 『茶色の女』(昭和2年公開)
原作:モーリス・ルブラン 脚色:星野辰男(保篠龍緒の本名)
監督:三枝源次郎 出演:南光明ほか
♣ 『紅手袋』(昭和3年公開)
原作:保篠龍緒
脚色:大島十九郎
監督:川浪良太
出演:玉木悦子(=環歌子)ほか
♣ 『妖怪無電』(昭和4年公開)
原作:保篠龍緒
脚色:木村恵吾
監督:木村次郎
出演:美濃部進(=岡譲司)ほか
どの映画もフィルムは現存してなさそうで鑑賞できないのが残念とはいえ、当時の活字メディアを丹念に調べ、情報を拾い集めてくれているのは有難い。湯浅の専門は探偵小説だから他の記事と並べたら氏の書くものだけ浮いてしまわないかな・・・と懸念していたが何の遜色もなく本誌のカラーに溶け込んでいる。どんなに時間がかかっても構わないから、一連の記事は是非一冊の書籍にまとめてほしい。
それほど湯浅篤志の記事を読むのを我慢していたくせに、何故今回『映画論叢』を買ったのかというと、アニメーション/映画をはじめとしたエンターテイメント研究で知られる森卓也の寄稿「或る作家の横顔 尾張の幇間」が掲載されているから。この記事、盟友だとばかり思っていた小林信彦に対し、どうにも不穏な発言に満ちていて、正直戸惑わざるをえない内容なのである。おおまかに整理すると要旨はこんな感じ。
何かの対象を評する時、自分(小林)の考えだけでは不安だから森に感想を聞き「森卓也もそういっていた」という連帯感の安心を得る為に、しょっちゅう小林から(時には乱暴な形で)意見を求められてきた過去に対する不快感
それ以外にも、森が苦々しく感じてきた小林の言動の数々
小林を否定的に見ているらしい人々(淀川長治/石上三登志/佐藤重臣/明石家さんま/古今亭八朝/永六輔/山藤章二)の例
森の文章を読んで私の頭をよぎったのは、『ヒッチコックマガジン』の時代に変に芸能界に染まってしまった小林は、(稲葉明雄が心配したとおり)不幸だったかもしれないということ。そのおかげで読者はずいぶん楽しませてもらったけれど、芸能界の人ってすべからく腹の中で「自分は一般庶民よりはるかに偉い」と思ってるからねえ。小林も華やかなTV業界の一員になってしまって、知らず知らずのうちに元々持っていた高慢さがいつしかあまり好ましくない形で増長し、こんな事態を招いてしまったか。
小林が昭和7年生まれで森が昭和8年生まれ。二人ともほぼ同学年といえるし、卒寿を迎える直前にある。年齢的にこんな事でいちいちキレていては、世間体以前の問題で健康によくない。なんでまた森卓也が急にこんな文章を世に発表したのかさっぱりわからないけれども、九十歳の罵り合いなど見たくはない。小林はこんな森の発言なんて知らなくていいし、森にしても言いたい事は山ほどあるだろうが、できれば刀を鞘に収めてくれるのを願う。
(銀) 森卓也の文章を普段読んでいないから、彼の筆致というものが詳しくわからない。ただいくら怒気が混じっているとはいえ、話の論旨があっちこっちフラフラしているように感じる。それが単に高齢のせいなら、まだいい。本来の森ならもっと整然とした文章を書きそうなのに、ここではそう見えないのが少々気にかかる。twitter中毒の果て、アタマがプッツン状態になってバチが当たればいい老害野郎は世間にいくらでもいるが、森と小林にはそうなってもらいたくない。
ちなみに「レッツゴー三匹」の表記でも別にいいんじゃないの?と思ってたら、ネットでググると「レツゴー三匹」とばかり出てくる。この件はやっぱし森が正しいのか・・・。






