2022年5月6日金曜日

『南総里見八犬伝㊈』曲亭馬琴

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岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    合戦の火蓋




 関東管領 扇谷定正は里見家そして怨み重なる八犬士を討伐すべく大軍勢を集結させた。
扇谷の内管領・巨田道灌の名代として、嫡男である巨田薪六郎助友は今回の大戦をやめるよう諫言するも、怒れる定正は聞く耳を持たず。定正と山内顕定の両管領は風を自在に操る謎の翁・風外道人を味方につけ、その弟子だという売卜(ばいぼく)の浪人・赤岩百中を海上戦の自軍に加える。

 

 

片や里見勢。八犬士随一の知者ゆえ軍師を任された犬阪毛野は、蟇田素藤の乱にて敵方に味方し里見に捕えられていた千代丸豊俊に「里見を恨んで管領軍に味方する」という偽りの言い分を持たせ、定正側へ送り込む作戦を取る。その間諜の助力として音音・曳手・妙真・単節ら四人の女たちも千代丸豊俊の家族と称し、危険な敵地へ潜入。

 

 

 

 三つの地にて、合戦の火蓋は切られた。

【下総行徳戦】

里見の防禦師は犬川荘介/犬田小文吾。兵の数で圧倒的に劣る里見勢は、千人ぶんの藁人形を作る奇策をもって敵に立ち向かう。師走の冷たい川の中に潜るため、〝人魚の膏油〟なるアイテムが(脱獄ミステリなどに散見される手法の先駆けとして)使われるのだが、探偵小説の誕生よりもずっと昔の江戸時代から、馬琴はこんな知識を既に自家薬籠中の物としていたのだから本当に感心する。戦前日本の探偵作家たちが「南総里見八犬伝」を夢中になって読んでいた理由がよくわかるというもの。

 

 

行徳へ出陣せし管領軍を率いるのは、まだ少年に過ぎない扇谷家の嫡子・五郎朝良、犬阪毛野に討たれた馬加大記の主君だった石浜城主・千葉介自胤、額蔵時代の荘介を罪人扱いにした大塚城主・大石憲重。第四巻で箙大刀自の命令により死刑にされる筈だった荘介/小文吾の命を救った稲戸津衛由充は今回の大戦では越後にいる女帝が派遣させた軍勢の将として、此の地で里見軍と対峙。恩人である稲戸由充に対し、荘介と小文吾はどう戦うのか?意外とココが本巻における一番のハイライトかも。

 

 

 

 【下総国府台戦】

若い大将の里見義通を盛り立てる防禦師として犬塚信乃/犬飼現八。対する管領軍の大将は山内顕定、信乃現八両名とは因縁浅からぬ足利成氏/横堀在村らがいる。山内顕定は銃手と弓手を六人二列、計十二人の武者を一台の荷車に乗せて馬で引かせる〝駢馬三連車〟という名の戦車で攻撃。まともに戦っては勝機が無い信乃たちは六十五頭の野猪に蕉火を付け、敵の戦車を炎上させる。

 

 

しかし長尾景春の手勢も加わって里見軍は苦戦。その時、政木大全孝嗣/石亀屋次団太らの援軍さらに京から戻ってきた犬江親兵衛一行も合流。(第二巻において)滸我で苦い目にあわされた信乃と現八は足利成氏/横堀在村をどのように処するのか? せっかく犬士たちに再び活躍する場が与えられ、話が盛り上がっているというのに、又しても親兵衛の描き方には鼻白んでしまう。第六巻での再登場以来、親兵衛には伏姫神女から授かった神薬が持たされ今迄にも使用されてはいたが、御都合主義にて薬が底を突くこともなく、ここでは傷ついた里見軍の味方ばかりか敵兵までもその薬で助け、挙句の果てには死者さえ蘇生させてしまうのだ。何それ?

 

 

そりゃねえ、里見義実/義成は「この戦はあくまで自衛目的だから無益な殺生はするな」とお達ししてるし、親兵衛はもとより博愛仁恕キャラに設定されてるさ。とはいえ、これは少々やり過ぎじゃないか?その上、底無しの穴に愛馬ごと落ち込んでも、過剰な霊験のおかげでデリケートな馬さえ何の負傷もせず穴から脱出しちゃうんじゃ、下総行徳戦の〝人魚の膏油〟を使った霊験に頼らない人間の知恵とは対照的でつまらん。他の七犬士と比べると伏姫(というか作者馬琴)による過保護も度が過ぎて、それが犬江親兵衛の人気を獲得できない大きな要因なんだよね。

 

 

 

 【三浦~洲崎沖 海上戦】

ここには里見軍の総大将・里見義成がいて、その脇を固める犬阪毛野/犬山道節。対して洲崎へ攻めんとする管領軍は総大将・扇谷定正と、その長男・朝寧ら。間諜として潜入していた犬村大角/音音の活躍などがあって管領軍は撃破され、海上から追われた定正は陸に上がり、残り数百名になってしまった手勢と共に逃亡。そこへ追ってきたのは誰あろう、三度目の正直で仇敵の首を取らんと吠える犬山道節。だが白井城下~荒芽山と常に道節の前に立ち塞がってきた、あの巨田薪六郎助友が突如出現。道節、今度こそ定正を討ち取る事ができるか?第九巻ここまで。次はいよいよ最終巻。

 

 

 

(銀) 本巻の肝は何といっても、それぞれの犬士と彼らを苦しめてきた大物が再び相まみえるシーンじゃないかな。上記で述べたように親兵衛の設定でシラける箇所がある事、それと合戦が始まって人の出入りが激しくなるので、顔なじみじゃない小物脇役キャラが増えちゃって、まどろっこしい事。この二つが無ければ満点にしたのだが・・・。

 

 

 

ところで話は全然変わるけれども、「南総里見八犬伝」研究書によく引用される書物に『犬夷評判記』というものがある。曲亭馬琴が「南総里見八犬伝」を執筆していた頃、伊勢松坂に殿村篠斎という馬琴の大ファンな人がいて、彼が「南総里見八犬伝」の感想というか批評を述べ、それに対し作者馬琴が返答するという、作品の舞台裏を知ることができる貴重な資料なのだ。

でもこれ、他の馬琴作品「朝夷巡島記」についても触れており「南総里見八犬伝」だけが議論の対象ではないのと、「南総里見八犬伝」を語るとはいっても序盤(岩波版でいう第一巻)しか言及されていないのがネックでね。

 

 

 

「南総里見八犬伝」は三十年近くかかって完成した歴史があるから、そのすべてを問答するのは無理だったろうけど、せめて親兵衛篇が始まる直前(岩波版でいう第五巻)あたりまでフォローされていればなあ・・・。この『犬夷評判記』だが、単独で再発されるのはおろか『南総里見八犬伝』のボーナス・トラックとして収録された過去もない。量的にはそれほど多いものでもないし、岩波文庫あたりが読み易いテキストにして発売してくれればいいのに。