◕ 河鯉孝嗣を死罪から救った老婆は、その昔孝嗣の父・河鯉守如に命を救われた恩義を感じ、乳母・政木という人間の姿に変身して幼い孝嗣を育てた過去を持つ心優しき古狐だった。鶴の恩返しならぬ狐の恩返しを果たした彼女は、犬江親兵衛にも妙椿の正体を教える。第一巻で八房が誕生した時、親のいない生まれたての八房に乳を与えていたのは野生の狸で、実は八房だけでなく、その狸にも玉梓の怨念が宿っており、妙椿は里見家に禍をなすため、狸が八百比丘尼の姿に化けていたのだ。
狐が人に化けて幼児に乳を与え、怨霊に取り憑かれた狸が幼犬に乳を与える。
恩愛と余怨の畜生。親兵衛篇が始まって、物語が原点回帰しているところがあるとはいえ、 何という摩訶不思議な話か。巡る因果は糸車。
一方、里見義成も妙椿の企みを知り、暇を出していた親兵衛を急ぎ呼び戻す。
親兵衛は政木大全と改名した河鯉孝嗣、そして関東へ出てきていた石亀屋次団太を連れて、蟇田素藤が占拠している館山城になぐりこむ。妙椿には前巻で伏姫神女に胸を蹴られたダメージがあったのか、「仁」の玉の霊験の前には為すすべもなかった。
◕ かねてからの大望どおり丶大法師は結城合戦戦没者を弔う大法会を行っていた。
そこへ地元・逸匹寺の徳用という拗れ者(ねじけもの)の破戒坊主がこの大法会を妬み、同調する者を結集して襲撃してくる。不測の事態に信乃/荘介/現八/道節/小文吾/毛野/大角は盾となって立ち向かうが、犬士達が先に逃がそうとしていた丶大法師一行を足止めする徳用。そこへ親兵衛/孝嗣/次団太がようやく結城に到着、悪僧どもは制圧され、ついに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、八つの霊玉がうち揃い、犬士達は全員里見家に仕える事に相成るのである。
◕ 里見義実は「里見家の発展は丶大(=金碗大輔孝徳)の父・金碗八郎孝吉の功あってこそ」という気持があり、八犬士全員に〝金碗〟の名を与えたいと考える。そのためには都の朝廷の許しを得ねばならず、犬江親兵衛と蜑崎十一郎照文が大役を担う使者となって、朝廷へ献上する金品を積んだ船に乗って房総を出発するのだが、このあたりで親兵衛に関するエピソードにつき、少々申したき事あり。
実際、世間の人々には認知度の低い「南総里見八犬伝」後半部分ではあるけれど、
蟇田素藤~妙椿篇及び、この後の京都篇は、かなり改変されてはいるものの『新八犬伝』でも取り入れられていたから、全然馴染めなくはない筈だ。私自身は、わずか九歳の少年とはいえ一人前の侍になった犬江親兵衛のエピソードは素藤~妙椿篇だけで十分足りていると思ったし、そのあと丶大法師が結城大法会を済ませて八犬士が集結したなら、そのまま里見家対扇谷定正軍の最終決戦に突入してよかったような気もする。ところが馬琴からすると、八犬士に〝金碗〟の名を与える流れはどうしても必要不可欠だったようで。
本巻の中で馬琴が「ここに来て平和なシーンが続いており読者は退屈かもしれないが、これもこの後の伏線となる欠かせないパートなのだ」みたいな注意喚起を何度か書いている。犬士達が不幸な目にあったり苦しめられたりするエピソードのほうがウケることは馬琴も重々わかっていただろう。しかしそれでもなおかつ、このあと親兵衛京都篇が始まる。正直言って素藤~妙椿篇はあってもいいけれど、結城での徳用襲撃のくだりは必要だったか?京都へ〝金碗〟名の許可をもらいに行くくだりも最低限の分量で済ませてよかったのに。と、やや後ろ向きな発言を残しつつ第七巻はここまで。
(銀) 京都へ向かう途中、三河に寄港した里見家一行の船は海賊・海竜王修羅五郎に襲われ、山育ちゆえ海上戦に慣れていなかった親兵衛を救うのが、今回の同行を許されていなかったのに勝手に船にこっそり乗り込んでついてきた親兵衛育ての親のひとり・姨雪代四郎(=与四郎)。彼は第二巻という早い段階から神宮川の船頭・矠平として登場していたキャラで、荒芽山以来その行方がわからなかったが、第六巻で成長した親兵衛と共に再登場。老人なのに八面六臂の活躍をし、親兵衛のことを「和子(わこ)、和子(わこ)」と呼んで孫のように可愛がっているのは、姨雪代四郎に馬琴の気持がかなり入り込んでいたからかもしれない。