2022年5月19日木曜日

『南総里見八犬伝㊉』曲亭馬琴

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岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    盛者必衰



 前回まで各巻の見どころを紹介してきた訳だが、最後の第十巻についてはこれから初めて読む方の楽しみを奪わないためにも、多くを語らずにクローズしようと思う。結末が知りたい方は是非本を読んでみてほしい。ネットを調べれば、ある程度のことはわかるけどね。NHK連続人形劇の『新八犬伝』がテレビ的な終わり方だったとすれば、曲亭馬琴の原作は古典文学マナーに準じたエンディングとでもいうか、「里見家万歳、めでたしめでたし」のままでは終わらない。




長い物語の序盤、伏姫が富山での生活を始める章の冒頭では(その後の彼女の悲劇を予告するかのように)〝祇園精舎の鐘の声は、諸行無常の響あれども〟〝盛者必衰の理りを顕せども〟といった「平家物語」の有名な文言がサンプリングされていた(第一巻 第十二回を見よ)。その〝諸行無常/盛者必衰〟的観念をもって本巻で里見家と八犬士の大河小説は完結する。とはいえこれだけじゃナンだし、ちょっとしたチェックポイントを箇条書きにしてみるか。

 

 

 八犬士の体にあった牡丹の花のような痣は消えてゆき、彼らがそれぞれ持っている霊玉に浮かんでいた仁義礼智忠信孝悌の文字も消えてゆく。

 

 政木大全孝嗣はすっかり九人目の犬士みたいな扱いに。父の河鯉守如ともども主君の扇谷定正には酷い目に遭わされたし、幸せな結末を迎えて良かったね。

 

 同じく谷定正の家臣で、八犬士の敵役だった巨田薪六郎助友。あまり知られていないかもしれないが、この人までも後々里見家に仕えることになるという驚愕の事実。孝嗣といい助友といい、有能な人材を活かせなかったのだから、事程左様に定正は無能な管領だった。

 

 こうして原作を最後まで読み終わってみると、善の神翁・役行者の出番も玉梓同様、序盤部分に限定されていたのがわかる。『新八犬伝』にて霊験が示されるシーンでは伏姫よりも役行者のほうが出番は多かったのだが、原作にて霊験を顕すのは(犬士列伝が始まってからは)もっぱら伏姫神女の役目。死んだ伏姫が里見家の守護神となるのは変わらないけれども、原作のほうが ❛神❜ としての伏姫の存在感は強い。 

 

 

本編の後には作者・馬琴が執筆舞台裏を語る「回外剰筆」、
付録として幸田露伴「馬琴の小説とその当時の実社会」、
そして内田魯庵「八犬伝談余」が収録されている。
特に最後の「八犬伝談余」は言いたい放題のことが書かれていて必読。
おざなりに作品をヨイショした感想を読まされたって、こちとら面白くもなんともない。この内田魯庵の八犬伝論をアホな現代人は毒舌などと口にするだろうが、言っていることは至極正論ばかり。微に入り細に入り作品を読み込んでいるからこそ、これだけのキツイ感想も述べられるのだ。

 

 

 

◕ 高校の時以来、数十年ぶりにオリジナル文語体の『南総里見八犬伝』を通読。とりたてて明治以前の小説を多数読み散らかしてきたとは言えないし、文語体に脳を慣らしてした訳でもないのに、意外と昔よりもサクサク読める自分に少し驚いた。

もちろん註釈を必要とする難しい語も存在しているのだが、まあ「南総里見八犬伝」の場合は(ダイジェストとはいえ)白井喬二の現代語訳もあるし『新八犬伝』みたいな副産物もあるから「ここでどういう事が起こってどういう人物が登場するのか」、他の作品に比べるとそれが把握しやすいアドバンテージはあるだろう。私ごときの頭でも読めるのだから、ある程度昔の小説に慣れている本好きな人ならきっとオリジナル文語体で読めると思う。

 

 

 

そして私は気付いた。一度オリジナル文語体テキストが読めてしまえば、もう現代語訳の「南総里見八犬伝」はつまらなくて読んでられない体になってしまうことに。

これまでの記事でも触れてきたが、馬琴の音楽的でリズミカルな文体は訳してしまうとその魅力が悉く失われてしまう。たぶんそれは「南総里見八犬伝」以外の作品でも同じだろう。「南総里見八犬伝」のように同一作品の続きもので、これ程のボリュームを楽しめる小説は捕物などの時代小説はおろか探偵・幻想小説でもありはしない。「大菩薩峠」ほど無駄にダラダラ長いのは困りものだが、単行本全十巻程度だからちょうどいい塩梅。

 

 

 

「八犬伝談余」にて内田魯庵はこう評している

〝一体馬琴は(中略)大まかな荒っぽい軍記物よりは情緒細やかな人情物に長じておる。〟
〝線の太い歴史物よりは『南柯夢』や『旬殿実々記』のような心中物に細かい繊巧な技術を示しておる。〟
〝いずくんぞ知らん馬琴は忠臣孝子よりは悪漢淫婦を描くにヨリ以上の老熟を示しておる。〟

この辺の特徴こそ、「南総里見八犬伝」が我が国における探偵小説あるいは伝奇幻想文学に影響を及ぼした所以なのかもしれない。

 

 

 

(銀) 「南総里見八犬伝」の挿絵画家についてはこれまで特に言及してこなかったが、二十八年にわたる執筆だけあって同一画家がひとりでこなしてきた訳ではない。やはり挿絵についても物語前半のほうがずっとクオリティは高い。