2022年4月29日金曜日

『南総里見八犬伝㊇』曲亭馬琴

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岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    虎!虎!虎!



◕ 「南総里見八犬伝」を読んでいると、何度か表出される ❛あるパターン❜ に気付く。
一つは長期に亘る犬士の幽閉。
第三巻で犬田小文吾が馬加大記によって。
そして本巻では犬江親兵衛が京都管領・細河政元によって。
何かあやまちをしでかした訳でもないし、表面上は歓待されているように見えながら、この二人は屋敷から出られぬ状況に陥る。

また事情が少し異なるとはいえ、第二巻で登場した時の犬飼現八も滸我の足利成氏に仕えてはいたが、獄舎番の非道な勤めを批判したがために、犬塚信乃を芳流閣屋上で捕える命令が出されるまで執権・横堀在村の暴政で牢獄に入れられていた。偶然にも現八と小文吾は乳兄弟で、親兵衛は小文吾の妹の子供。この共通項には何か意味があるのだろうか?

 

 

 

二つめに「南総里見八犬伝」に登場する後妻は、なぜか悪人が設定されがちなこと。
甲斐國石禾の村長・四六城木工作の後妻である夏引は、武田家の家臣・泡雪奈四郎と密通しており、木工作を殺してその罪を犬塚信乃のせいにしようと企んだ。続いて船虫。最初は盗賊・並四郎の妻として登場、その後ニセ赤岩一角 → 山賊・酒顛二 → 媼内と次々に男を変え、行く先々で悪事を働いたのはご承知のとおり。更に、石亀屋次団太の後妻・嗚呼善もまた然り。四六城木工作と石亀屋次団太は善人ながら、如何せん年齢が離れているからとはいえ、若い後妻を他の男に寝取られてしまうのはどうして?

この二点についてシャーロキアンがコナン・ドイルの深層心理を研究するように、曲亭馬琴の胸の内を考えてみるのも実に興味深いと思う。

 

 

 

◕ 朝廷から八犬士の〝金碗〟継承が認可されたにもかかわらず、犬江親兵衛だけは細河政元の屋敷に留め置かれてしまう。この管領政元には少々男色の気があり、若く武力知力ともに秀でた親兵衛を自分の家来かつ稚児として手元に置きたがったのもあるが、もうひとつ理由があった。前巻で登場した悪僧・徳用はなんと細河家の執事・香西復六の子で、細河政元とは乳兄弟。例の丶大法師による大法会を襲撃した罪で結城を追われ、こっそり京に戻ってきていたこの男は八犬士に恨み骨髄、政元に進言し親兵衛に復讐する腹積もりだったのだ。

 

 

 

よって親兵衛は「武芸の手並みを披露せよ」という事になり、京で名うての達人と戦わされる。それはさておき、蜑崎十一郎照文は里見義実/義成に報告するため先に安房へ帰ったけれども、姨雪代四郎ら数人の里見家家来は(管領に手出しできないとはいえ)都に残って街中に潜伏し、親兵衛救出の機会を窺っていた。このくだりで里見家家来の一人・直塚紀二六が(密室ではないけれど)屋敷から一歩も出ることができない親兵衛と、あるトリックを使って秘かに通信を交わす。あまり好きではない京都篇ではあるが、この部分はなかなか面白い。

 

 

 

◕ 歴史に名高い巨勢金岡による一枚の虎の絵。その虎は〝眼(まなこ)〟が描かれていない。「その虎には決して眼を描き入れるべからず」と伝承されていたのに、巽風という絵師が政元の指示で眼を描き入れてしまったため、絵の中から虎が抜け出し(!)都はパニックに。

「虎を退治し都を守るその褒美として、ぜひ自分を安房へ帰れるようにしてほしい」と細河政元に交渉する親兵衛。政元の養女・雪吹姫を攫って逐電しようとしていた徳用を襲った虎は山中を彷徨っているらしい。親兵衛いかにして虎を倒し、しつこい政元から逃れられるか。徳用というのは実にチンケな悪役だし、キャラの善悪がハッキリしている「南総里見八犬伝」において、管領・細河政元という人はなんともグレー・ゾーンにあるビミョーな存在。その辺も京都篇のウケが悪い要因なのかも。

 

 

 

◕ 同じ頃、八犬士及び里見家に対する扇谷定正の敵意は日増しに強くなっており、同じ管領である山内顕定をはじめ、過去にいがみ合ってきた関八州の武家までも巻き込んで、里見家を滅ぼす大戦の準備を着々と進めていた。一方、穂北では闘病中だった氷垣残三夏行が亡くなり、その跡目を落鮎余之七有種が継いでいたのだが、彼らが犬士達と深く繋がっている内情を定正が放っていた間諜者に知られてしまう。いよいよ物語は大詰めクライマックスへ。第八巻はここまで。

 

 

 

 

(銀) 前回の記事にて「京都篇は別になくてもよかったのでは・・・」と書いた。江戸時代のリアルタイムな読者も同様に思っていたようで、そんな声が作者にも届いていたのか馬琴は本巻の文中にて「京都篇は当初から想定していたエピソード」と強く反論。こんな風に現在進行形の作者の発言が時々差し込まれているのが「南総里見八犬伝」のユニークなところ。とはいっても物語前半の頃は、こういうのは無かったんだけど。

 

 

天保11年。とうとう馬琴は両目とも失明してしまい、本来ならばもう小説なんて書ける場合ではないのに、亡くなった息子の嫁・お路に文字を教えて口述筆記をさせるという苦難の道を選ぶ。しかもそのお路に対して、馬琴の妻のお百が嫉妬心を起こすのだから、滝沢家の修羅場は想像に難くない。目がよく見えないストレスは、そうなった者にしかわかりえない。馬琴の絶望感とイライラは如何ばかりだったろう。しかしそれでも彼は「南総里見八犬伝」の完成しか考えていなかった。




世間的に親兵衛のエピソードは人気が無いかもしれないが、少なくとも視力喪失による文章のパワー・ダウンといったものは微塵も感じられない。「他人の作る本にて、言葉狩りやテキストのミスがあるのは絶対許さないが、自分は老眼だから自分の作る本のテキストに間違いが生じるのはやむをえないこと」などと自己弁護ばかりしているどこぞの輩とは月とスッポン。もっともそんな愚人と比較すること自体、馬琴のような偉人に対して失礼なのだが。