2022年2月11日金曜日

図録『横尾忠則の恐怖の館』

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横尾忠則現代美術館
2021年9月発売



★★★★   講談社版『江戸川乱歩全集』のイラストは
            すべて横尾忠則に描いてほしかったな




2021918日より神戸の横尾忠則現代美術館にて開催されている「横尾忠則の恐怖の館」展のため販売されている図録(128ページ/価格2,400円)。美術館へ直接足を運ぶか、あるいは横尾忠則関係の通販サイトからしか購入できない。この図録には50代以上の人には懐かしい二度の講談社版『江戸川乱歩全集』に提供されていた横尾忠則の手になるカラー・イラストがまとめて収録されている。該当する乱歩作品はこちら。

「D坂の殺人事件」「赤い部屋」「白昼夢」「屋根裏の散歩者」「闇に蠢く」

「虫」「押絵と旅する男」「猟奇の果」「魔術師」「盲獣」

「鬼」「黒蜥蜴」(×2「人間豹」「石榴」

「暗黒星」「地獄の道化師」「幽鬼の塔」「偉大なる夢」(×2




解説を執筆しておられるのは横尾忠則現代美術館の山本淳夫
さほど詳しくない人が乱歩について語る際、こちらが首を傾げたくなるようなヘンな事を滔々と述べ立てている場面によく出くわすのだけど、この方は乱歩ファンなのか至極真っ当な内容なのがよろしい。講談社版『乱歩全集』が書店に並んでいた昭和の頃、一冊一冊買い集めていたヨコオ贔屓の私は全てのイラストがなぜ横尾忠則でなく古沢岩美や永田力と分担なのか、わがままにも納得がいかなかったものだ。

講談社版『乱歩全集』を手にした多くの人が感じたとは思うが、ヨコオのイラストは、時にモッサリ風で漠としている他の画家の絵(=あくまで私個人の印象)とは全く異なるオーラを放っている。そのあたり山本淳夫が解説の中で的確な分析をしており、ホンの一部だけど重要な部分を図録テキストより抜粋して紹介。



 他の二者⦅注:(銀) 古沢岩美と永田力のこと⦆が茫洋としたほの暗い画面により、都会の闇で起こる猟奇的な世界観を表現しているのに対し、横尾の作品は切れ味の鋭い線描と鮮やかな色面による明晰さが際立っている。さらに、必ず小説のタイトルを毛筆体で画面に書き入れているのも、他と大きく異なる点である。 

 

 挿絵を構想するにあたり、横尾は小説を通読するのではなく、ランダムにページを開き、目に飛び込んできた断片的な語句から、自由にイメージを膨らませていった。




まだ一度もヨコオによる『乱歩全集』提供イラストをご覧になった事がない方のため、サンプルを一点お見せしよう。初めて私が講談社版の『乱歩全集』を読んで以来、最も脳髄に取り憑いて離れなかった挿絵がこれだ。


           

              「暗 黒 星」( © 横尾忠則 )


名探偵明智小五郎をして「胸の中に美しい焔が燃えている感じだ。その焔が瞳に映って、あんなに美しく輝いているのだ。」と言わしめた美青年・伊志田一郎。張り付いたような薄気味の悪いニヤケ顔、そして意味不明な片目の充血が効果的。画家のサインが〝ハンコ〟という日本人ならではの遊びもイカしている。




ここに収められている二十点のイラスト以外にも、ヨコオが『乱歩全集』広告のために制作した図版が存在するのだが、この図録には殆どピックアップされていないのが非常に惜しい。それらも見たいのであれば、例えば大判の画集『横尾忠則グラフィック大全』(講談社/1989年刊)がある。ポスター/マッチ/レコード/化粧回し/ドラマのOP映像/書籍/服/オブジェ/買物袋/舞台セットetcetc・・・すべて書き並べるのが大変なくらい様々なモノをデザインしてきた彼の主要作品が網羅された、横尾忠則のことが好きならば必携の一冊だ(現在は古書でしか入手できない)。70年代のヨコオはまさに(時代のポチになるのではなく)完全に時代をポチにしていた。


            

              『横尾忠則グラフィック大全』



(銀) 『横尾忠則の恐怖の館』展の開催は今月(20222月)27日まで。図録は通販サイトでも購入でき、希望すればヨコオのサインを入れてもらう事もできる。ただ配送方法がヤマト宅急便しか使えないらしく、通常より送料が高くつく。ネコポスや日本郵便のレターパックも使えるよう、そこだけは改善してほしい。

  

 

今日は『江戸川乱歩全集』の話に偏ってしまったが、それ以外にも図録には60年代から今世紀に至るまで、ヨコオが制作してきたオブスキュアなイラストやペインティングの数々がズラリと並ぶ。最後のページには、ヨコオが全装幀を手掛けた林不忘・谷譲次・牧逸馬『一人三人全集』(河出書房新社/1969年刊)より、彼が挿絵も担当した牧逸馬の巻からイラストが一点セレクトされている。



ここでいう講談社版『江戸川乱歩全集』とは函入り単行本の事であって、同じ講談社の本でも『江戸川乱歩推理文庫』は含まれない。これから古書で集めたいと思う方はお間違えなきよう。





2022年2月9日水曜日

『冷血の死』レオ・ブルース/小林晋(訳)

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ROM叢書⑯
2020年12月発売



★★★   たまには海外ミステリ同人出版の話題も



ROM(=Revisit Old Mysteriesという、ハンパなくマニアックな海外ミステリ好きの人達の会がある。このROM叢書はそこから発刊されている同人出版本なので、普通の書店や通販サイトにて入手できるものではないが、渕上痩平訳によるオースティン・フリーマン「オシリスの眼」「キャッツ・アイ」の完訳版などはROM叢書で出されたあと、ちくま文庫の一般発売にも発展している。


本書の翻訳者・小林晋は以前よりレオ・ブルースの普及活動に邁進してきた人で「冷血の死」はレオ・ブルースのシリーズ・キャラクター/上級歴史教師の素人探偵キャロラス・ディーンが登場する二番目の事件。ちなみにこのところ、その悪行(?)が注目されている盛林堂書房でもROM叢書の少部数の販売はされているが、先日の当Blog記事に取り上げた盛林堂関係者のROM叢書制作への関与は(とりあえず)無し

 

                   

 

ロンドンより南、海辺に位置するオールドヘイヴンの観光地。ザ・イヴニング・コール紙の社主で土地の町長でもあるウィラル老人は大の釣りキチ、桟橋で糸を垂らすのが日課でもある。その御仁が釣り竿だけ桟橋に残したまま姿を消し、疑わしい時間帯に老人の行き先を目撃していた人はいなかった。


斯様な状況下で四日後、一マイル離れた砂浜にて彼の溺死体が発見されるが、ウィラル老人はカナヅチではなかったから海への転落事故とは考えられず、孫の誕生を待ち望んでいた事/さして体調も悪くなかった事からしても、自殺する理由とて見当たらない。ちょうど休暇でオールドヘイヴンを訪れていたキャロラス・ディーンは、ウィラル老人の娘グレタとその夫ジャック・ファースから捜査を所望される。

 

 

 

では事件のシチュエーションから触れていこう。記事左上にupした、本書の書影画像をご覧頂きたい。こんな具合に海上に鉄骨で建てられた桟橋があって、ウィラル老人はそこで釣りをしていた。実際、物語の中では桟橋の脇に海面へと降りる階段が存在、海面には別に浮き桟橋もある。この、一見オープンエアなクローズド・サークルと思わせる現場の特殊さが怪しげなだけに、(本書表紙のイラストはあくまでROM叢書制作サイドがイメージしたものと思われるし)作者のレオ・ブルースが十分な桟橋周りの図を入れてくれてたらより解り易かったのだが、それが無いってことはきっと原書にも見取図は載ってなかったのだろう。

 

                    

 

前半はよくある本格物の型どおり退屈な聞き取りが続く。作者はそれも計算尽くのようで、地元警察がキャロラス・ディーンに「素人が出しゃばるのはやめろ」とイヤミな注意をするそのあたりから潮目が変わり、徐々にテンションが上がってゆくからご安心を。(本作では最後まで警察はキャロラスに好意的な態度を見せない)


或る人物が小屋で殺害されているのを発見したキャロラスは非協力的な警察を抱き込み、真犯人をおびき寄せる餌を捲くところなど、前半のダルさを一掃してくれる見せ場なのだが、終わってみると「この犯人ゆえの動機としてはどうも書き方が貧弱だなア」とか、「え、犯人もう其処で諦めちゃったんだ?」などと感じる局面もある。私が学園ミステリを好きじゃないからかもしれないけど、キャロラスが勤める学校の出しゃばりな生徒プリグリーは一種のコメディ・リリーフなんだろうが、このガキの存在もちょっとウザイ。校長センセイはいいんだけどさ。

 

                     

 

何度もいうけど前半は鈍重だし、ちょいちょい出てくるウィラル老人の遺産分配問題についてもその配分一覧がドーンと読者に表示されないのはどうなのよ?とか、不満はいろいろあるけれど終盤のサスペンスの印象は良かったのでそれほど悪い読後感ではなかった。ただ、解説執筆者はもっと他のROM会員に担当してもらいたい。

 

 

 

(銀) これからレオ・ブルースを読もうと思っている方へ。本作にはキャロラス・ディーン・シリーズの前作にあたる「死の扉」の肝心な部分について平気で言及されているので(な、なんでよ?)、できれば『死の扉』(創元推理文庫)を先に読んでから本作、という風に順番に読み進めていったほうが、知りたくない事を知ってしまって愕然となる悲劇(?)を避けられます。





2022年2月6日日曜日

盛林堂書房周辺と左川ちか問題(その後)

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2022118日当Blog上にて、東京西荻窪の古書店・盛林堂書房周辺の輩が手掛ける同人出版本がどれだけ不実に造られているのか、左川ちか研究者・島田龍がTwitterにて告発したニュースをお伝えした。(まだお読みでない方はココをクリック)

私はSNSなどやらないが、私の書いた当該Blog記事を目ざとく見つけ、Twitterで拡散して下さった方があったらしく、それを更に島田龍が後押ししたからか118日付記事のみならず、以前よりupしていた鷲尾三郎本の酷さをレポートする記事までもが通常の閲覧数の数十倍にも跳ね上がり、2月も第2週になろうとしているのに、その閲覧数の増加はいまだ衰えそうもなくて少々驚いている。

 

 

勿論それは Twitterの力による伝播に他ならないし、結果どんな人達がどんな風にこのBlogを受け取っているのかまでは掴めないのだけれど、興味本位であれ、この偏狭な問題を気にかけてくれる人がそんなにいるとは思わなんだ。取り扱う内容が偏っている上、誰もが見て見ぬフリする本当の事ばかり書いているし、大勢の人に閲覧される事を期待してこのBlogを始めた訳ではないとはいえ、これまで私がコツコツ暴き立ててきたミステリ・マニアや古本ゴロの体質が世間に少しでも認識してもらえるならいいのだが。




あれから、化けの皮を剝がされた盛林堂周辺の当事者たちは?




 問題となっている本の編纂者であり、その時々によって名前を使い分けている善渡爾宗衛よしとに(@onedaba

118日の当Blog記事にて紹介した反論ツイート以降、この件に関しダンマリを決め込んでいる状態。左川ちか同様に盛林堂を販売窓口の中心として懲りもせず自分のレーベル〝えでぃしおん うみのほし〟より発売した『初稿 冥途』(内田百閒/編纂 紫門あさを)の宣伝を繰り返しているのみ。前回も書いたけど紫門あさをというのは善渡爾の別名。今度は内田百閒とその読者が被害を被ってなければいいが・・・。



▼ 小野純一盛林堂書房(@seirindou

善渡爾に同じ。



 小野塚力りき(@onozukariki

ダンマリどころか、いつの間にか Twitterが非公開に。なんとも解りやすい逃亡リアクションだこと。



予想どおり、だね。ま、仮に潔く非を認めたとしても、(左川ちかの本については私は判断できんが)少なくとも善渡爾宗衛が作った鷲尾三郎の本に関してはあまりにミスが多過ぎて、正誤表を作ったりそれを購入者に配布する事もできまい。ていうか、そんな誠実さがあるなら最初からあんな無惨な本造りなどしてないだろうけど。それよりも深刻かつ滑稽なのは、物事を見抜く洞察力が完全に欠落しており、猿のオナニーよろしく本にヨダレを垂らしてばかりの連中が今回の件に関して、貝よりも当事者よりも固く一律口を閉ざしているという点でしょうな。




今更どうしようもない当事者たちの立場も一応理解はする。プライドが許さないとか、一旦お詫びのステイトメントを出してしまったらとんでもない事態になるのが心配だとか、そんな風に考えているのであれば、唯一彼らに残された道は今後誰からも後ろ指をさされない完璧な良書を一冊一冊作るよう心を入れ替えるしかない。ただねえ、長年苦々しく観察してきたこのギョーカイの振る舞いを思い起こす限り、当事者たちは誰一人として反省してない気がするのよ。何故かって? そう考えざるをえない根拠のひとつとして、このデータ(☟)を提示しよう。




これは古書通販サイト/日本の古本屋における耶止説夫の『南進少年隊』という古書が販売された状況を示したもの。まずは大阪の斜陽館という古書店がupしていたデータ。


売切れになっているからその時の販売価格は今見れないけれど、25,000円だったんですよ。どうしてわかるんだって? その時私、これ買おうかなどうしようかなって悩んだもの。高いから結局買わなくて、そのうち売切れに。



それからしばらくして、この『南進少年隊』が再び日本の古本屋で販売されているのを知った。販売していたのは盛林堂書房。これも現在売切れ表示で、upされた当時の価格はもう見れないが現在こちらの盛林堂通販サイトにて、斜陽館と同じ価格でまだ販売されているようだ。

                     

ここからが大事なところで、誠に御手数だけども上の画像をクリック拡大し、ふたつの『南進少年隊』の書影をじっくり見比べてもらいたい。斜陽館が販売していた『南進少年隊』の〝南〟という漢字の部分を見ると、タテに汚れのような跡があるのが目視できるでしょ?そして盛林堂がのちに販売した『南進少年隊』の〝南〟のところもよ~く見れば、アラ不思議。寸分違わぬ汚れが付着しているではないか。(紙の色合いが微妙に違って見えるのは撮影時の光の加減の差だ)



御承知の方もおられようが、この『南進少年隊』が古本市場に出てくるのは非常に稀。それぐらい現代において残存数が少ない一冊なのに、表紙の汚れの位置まで全く同じものが都合よく二冊も存在すると思います?古本業には〝セドリ〟という行為があるとはいえ、世の中ここまでアコギな人種が存在する事実のみをお伝えし、このデータが何を示しているのか、それ以上の解説はしないでおく。状況証拠は提供したから、あとは本日の記事をお読みになられたおひとりおひとりがよく考えて頂きたいのです。





(銀) このBlogはわざと利便性を排除する方針でやっているが、今回は問題が問題だけに(?)珍しく一般性を考慮して、いくつかリンクを貼っておいた。



問題となった『左川ちか文聚 左川ちか資料集成・別巻 ―詩歌・譯詩・散文― 』だが、盛林堂の通販サイトでは販売されてないだけで、同じ穴の貉である者達によって、こっそり売られているのにお気付きだろうか。





喜国雅彦の本に登場する彩古という古本ゴロの経営する「古書いろどり」の、ヤフオク上でのIDirodori_18 による出品





まんだらけ通販サイトによる、まんだらけ中野店海馬の販売




この分だと、ほとぼりの冷めた頃に当事者たちまでもがヤフオクやメルカリ等で「販売中止になったレア本!」などと言って在庫を吐き出すこともありそう。要注意。







2022年2月4日金曜日

『スペードの女王』野村胡堂

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光文社 痛快文庫 冒險探偵 野村胡堂全集①
1950年7月発売



★★★★   もし再発するなら、必ず戦前ヴァージョンを




▩ 野村胡堂ジュヴナイルの中でも1950年代前半を最後に再発されておらず入手難な作品。雑誌『少女倶楽部』に一年間(1938年)連載された長篇で、初出・初刊時には「スパイの女王」と名付けられていた。日本が戦争に負けたせいもあるのか、戦後は「スペードの女王」と改題。国会図書館サイトを参考に各章のタイトルを「スパイの女王」版と「スペードの女王」版とで比べてみると、僅かに漢字を開いている箇所はあるが目立った変更点はなさそう。

 

 

初刊本『スパイの女王』(大日本雄辯會講談社/1939年刊)を持っていないので、テキストに書き換えられている箇所があるかどうか調べる事はできないが、当Blogで紹介した大下宇陀児『黒星團の秘密』では戦前発表の同作(=「黒星章」)に対し、この光文社 痛快文庫版で再発する際あちこち手が入れられていたから、『スペードの女王』でも同じように(日本社会の変化に対応した)改稿がなされている可能性は十分考えられる。


 

 

▩ 伊勢田邦彦による本書カバーの絵はなぜか脇役少年の姿が描かれているが(胡堂ジュヴナイルは後はもはや少女探偵小説として扱われていない)、本来は少女向けに書かれた小説なので主人公は里見久美子という十八歳の娘。久美子を事務員として雇っていた東西商会の支配人・大浦剛は賊に襲われて重傷を負い、本国の存亡に関わる大発明の秘密が隠されているという謎のダイヤの指環を久美子に託す。

彼女にはいとこの〝がらっぱち〟な柔道四段豪傑応援団長・武林猛夫がいて、その武林猛夫とは大学で顔見知りな碧川健一郎と、彼の妹で十五歳の晶子も久美子の味方になる。一方、例の指環を狙って久美子達につきまとうスパイ集団の女首領は変装の名人。標的を襲う時スペードトランプ・カードを残してゆくため、ついた綽名が〝スペードの女王〟。

 

 

オープニングから主人公の紹介もろくに無いまま、スペードの女王一味の魔の手が息もつかせず次々伸びてくるせわしい展開。私は胡堂の深い読者ではないので、彼のメインストリームである時代小説までもこんな性急な感じで書かれているのか、よく知らない。ジュヴナイルだけかもしれないが、以前『野村胡堂探偵小説全集』(作品社)の項でも述べたとおりアクション・シーンを優先しすぎて、前後の状況をじっくり説明しておくべきところがおざなりになりがち。本書でも、まずあるべきキャラ説明がなかなか出てこなかったりするから、一瞬「あれ、落丁かな?」と思いたくもなる。

そのあたり江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだとせっかちさを微塵も感じさせないゆとりがあって、幼い子供でも理解しづらい点なんて一切無く、乱歩とその他の作家のジュヴナイルに向かう姿勢(いや、才能か)の大きな差を感じさせる。本作のフィナーレなんて、乱歩なら絶対ありえないような殺伐とした敵の最後が待っているのだ。


 

 

▩ 巻末の広告ページを見ると、本書は「冒險探偵 野村胡堂全集」の一冊だと書かれており、ちなみにどういうラインナップかというと、

 

 『スペードの女王』(本書)

 『大寶窟』

 『ロボット城』

 『都市覆滅團』

 『金銀島』

 

 『悪魔の王城』

 『岩窟の大殿堂』

 『地底の都』

 『岩窟Z團』

 『六一八の秘密』

 

実際には が『岩窟の大殿堂(上)』、が『岩窟の大殿堂(下)』に、
また 『大寶窟』の〝寶〟の字が〝宝〟になって刊行されている。
の『ロボット城』も本作同様、戦後になって改題されたもので、
初刊本でのタイトルは「傀儡城」といった。
これらの作品が今後もし再発される機会があるのなら、
絶対にオリジナルの戦前ヴァージョンで出してもらわなければ意味がない。

 

 

 

(銀) 結局活劇重視のジュヴナイルなんで、筋の進行が性急過ぎる問題点も「まあ、こんなもんだろ」と見過ごされるんだろうけれど、子供向けとはいってもちゃんと書いている作家はいるんだし、そのあたりはあまり褒められたことではない。今回も☆4つではあれ、実質の評価数値は大目に見ても☆3.5





2022年2月2日水曜日

『怪異猟奇ミステリー全史』風間賢二

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新潮選書
2022年1月発売



★★★   全史というカタチは取らないほうがよかったかも




早川書房退社後、翻訳や幻想文学研究の分野で活動している1953年生まれの著者による評論。NHKカルチャーラジオの副読本『怪奇幻想ミステリーはお好き?』(2014年)を加筆改稿して新潮選書から再登場。

 

 

 

ファンタジーやホラーを好む著者。本書ではゴシックの発生から論述を始め、それがポー/ドイルを経て、どのように日本探偵小説の誕生へと辿り着くのか、前半は欧米の作品をシャーロック・ホームズの時代まで眺め、後半は黒岩涙香に代表される翻訳小説の流行から日本探偵小説の隆盛まで、国内シーンの基本的なところを押さえつつ、ピリッとした味付けも適宜加えながら進行する。

 

参考までに、前半の欧米篇で紹介されている源流ゴシック小説の中で主立ったものをホンの一部だが時代順に並べておこう。これら十八世紀のクラシック作品をこそ、著者は是非とも読んでほしいと思って執筆しただろうから。

 

 「オトラントの城」 ホレス・ウォルポール(1764年)

 

 「ケイレブ・ウィリアムズ」 ウィリアム・ゴドウィン(1794年)

 

 「マンク」 マシュー・グレゴリー・ルイス(1796年)

 

 「イタリアの惨劇」 アン・ラドクリフ(1797年)

 

 「ウィーランド」 チャールズ・ブロックデン・ブラウン(1798年)  
 


文化と文学を織り成す評論には先行書が存在する訳だが、ここではまず米ゴシックの濃い~源泉を丁寧にレクチャー、そこからようやく(ミステリ評論では通常冒頭に置かれる)ポーへと繋ぐのが本書の特徴で、後半の日本篇は筆者の専門である〝幻想文学〟の視点にそれほど拘泥はせず、バランス良く整えられている。全史と謳っているし無難に着地させてるな、という印象か。広い読者層を対象にしたいのならこれでいいのだろう。 

 

 

個人的には思い切って日本篇も、というかいっそ全編〝幻想〟〝ゴシック〟の視点に絞り込み、さらにニッチな切り口でこの種の小説世界を濾過してもよかった気がする。その方向性で行くには全史というカタチを選んでしまうと、どうしても定番どころに触れざるをえず、総論っぽい薄口になってしまう。このようなミステリ全史を語る評論はわりとありがちなので、せっかく出すなら、なるべく他者がまだ手を付けていない事をやってほしい。まあ新潮社編集部の意向を汲んだり、といったハードルもあってアレなんだろうけど。

 

 

 

(銀) 著者の語り口、ですます調ではなくてカタめのほうがよかったんじゃないか?その上「なんだ、こんなこともわからなかったのか、私ってバカ!」「なんだ、こんなのわかったよ、私って天才!」(どちらも58ページ)って、この軽い感じはどうも読んでてムズムズする。

 

 

それと最後の「第十四章 〈新本格〉の登場、時代はパラミステリーへ?」で現代の作品・作家についても触れているが、この部分は全く蛇足。いつも言ってる事だけど、著者がどうしても〈新本格〉などにも何か申し述べたいのであれば別個にやるべき。1990年以降のデジタル漬けになった人間社会のもとに生み出された小説はもはや、それ以前のPCも携帯も無かった時代に書かれた作品とは、どうしたって質感が異なる別のものなのだし。




2022年1月31日月曜日

『夜の肌』園田てる子

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あまとりあ社
1956年7月発売



★★   あまとりあ で よろめいて



1961年、日本の女性推理作家が集まってひとつの親睦グループを結成した。その名称を「霧の会」という。発足時のメンバーは仁木悦子/新章文子/芦川澄子/南部樹未子/宮野村子/藤木靖子/夏樹静子、そして園田てる子の八人。のちに曽野綾子/戸川昌子/水芦光子らも加入している。

 

 

かくして園田てる子は曲がりなりにもミステリの世界に属していながら、「霧の会」発足前より愛欲小説の書き手として活動していて、文壇ではむしろそっち方面での認知が広く、『第三の情事』『証人台の女』など探偵小説と呼べそうな著書は非常に少ないという特異な経歴の持ち主。この時代には頻繁にありがちなのだが、同じ内容の本なのに別の書名を付けて再発されている事例が園田の著書にも見られるので、古書を購入する際にはまず収録内容を確認したほうが無難。

 

 

で、今回はそんな彼女の数少ない探偵小説本を取り上げる・・・と思わせといて、私の知る限り園田てる子が一番最初に発表した著書はこれではないかと思われる『現代女性情艶小説集 夜の肌』について記してみたい。本書はエロの殿堂・あまとりあ社が出していた新書サイズのひとつで、探偵小説関連だと楠田匡介・岡田鯱彦・九鬼紫郎・大河内常平らのものが刊行されている事は、前にも飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ 』の記事にて述べた。発行人には中田雅久の名がクレジットされている。


 

                    

 


後〝よろめく〟という言葉がよく口にされた時代があった。そのきっかけは1957年に三島由紀夫が発表した小説「美徳のよろめき」から来るもので、戦前お堅かった日本女性の〝性〟の考え方が敗戦によってユルくなり、女の不貞・浮気を表す気持ちや行為を〝よろめき〟〝よろめく〟と呼ぶ事が流行ったのだ。園田てる子の作家業がいつどのように始まったのか定かではないが、三島の「美徳のよろめき」より本書のほうが発表時期が先行しているのを見ても、〝よろめき〟に関してはエロのエキスパートである園田のほうが一歩早かったのがわかる。

 

 

「女のすべて」「別離の譜」「忘れまいぞえ」「装える蝶」

「二上り新内」「黄昏に咲く花」「愛欲の渦潮」

 

 

本書に収められている七つの短篇はどれも〝女のよろめき〟が描かれたものばかり。しかも最初の五篇の主人公の女性達は、昔の時代の暗い影や貧しさを引き摺っていたりして、その古臭さはどうにもやりきれぬ。あまとりあ社の本なら読み慣れてる私でも、これでは読書のテンションがダダ下がりになるのだがそんな中「黄昏に咲く花」だけは〝掃き溜めに鶴〟な内容で、この作だけはちょっと探偵趣味も意外性もあってオッケー。最後の「愛欲の渦潮」も人妻と若い画家のありふれた不倫話だけど、設定が始めの五篇ほど貧乏臭くないから、まあなんとか許せる範囲。

 

 

園田てる子の著書は何冊か所有していて(よって未読作品もけっこうある)、たとえ愛欲小説であっても、なにかしらのサスペンスが含まれていれば読めないことはない。ただ前段にて触れたとおり、あまりにも素材が貧乏臭くなるとちょっとキビしい。そう考えると、この『夜の肌』は園田てる子著書の中では中~下クラスになってしまうのかも。本書以外には、彼女の短篇集ってたぶん読んだ記憶が無くて、決めつけるのは早計かもしれないけれど、私が今迄読んできた園田てる子作品の印象としては、(どちらかといえば)短篇より長篇のほうがベターな感じがする。

 

 

 

(銀) 『探偵雑誌目次総覧』の園田てる子の項には、小説としては「新橋烏森広場」と「学生心中」、たったこの二篇しか載っていない。となると、彼女が執筆していたのは探偵雑誌以外の一般誌だったり、あるいはエロを売りにした媒体だろうか。あ、そういえば園田には少女小説もあったな。この人に関してはとにかく情報が少ないし、今後徐々に著作の数々が解明されてゆくと嬉しいね。




2022年1月29日土曜日

『日本橋に生まれて』小林信彦

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文藝春秋
2022年1月発売



★★★    『文春』コラム完結す



「人生は五十一から」と題した『週刊文春』コラムは199811日号よりスタート。
途中でタイトルを「本音を申せば」に変更し、長い長い連載は地道に続いてきた訳だが、
昨年(2021年)の夏に前振りも無く突然このコラムは終わりを迎えたので、
同シリーズの単行本も二十三冊目の本書が最後。今回はいつもと異なり、
前半に201811月からコラム内企画として八か月間執筆された「奔流の中での出会い」が、
後半に2021114日号から78日号最終回までの通常運転コラム「最後に、本音を申せば」25回分が収められている。
 

 

 
「奔流の中での出会い」は小林と関わりがあった故人の想い出話と早合点されそうだけど、
現在活躍している人についても言及あり。中でもひとりだけ若い柄本佑の回があるのは、
NHK2016年に小林の『おかしな男 渥美清』をドキュメンタリー・ドラマ化した折、
渥美清を演じたのが彼だったから。
その登場人物を掲載順に記すが( ⤵ )費やされたページ数(掲載回数)は人によって異なる。

 

野坂昭如/山川方夫/渥美清/植木等/長部日出雄/

大瀧詠一/井原高忠/江戸川乱歩/柄本佑/笠原和夫/

横溝正史/橋本治/内田裕也/大島渚/坂本九/タモリ/伊東四朗

 

小林の著書をマメに読んでいる人なら度々目にしたエピソードでおなじみの顔ぶればかりだが、若い頃渡辺プロに所属していた内田裕也が先輩の植木等のところに謙虚に挨拶にくる話や、新宿で赤塚不二夫と飲んでいた小林がすっかり酩酊、赤塚に飼われていたタモリにタクシーで送ってもらう話などはこれまで読んだことのない蔵出しネタかも。
橋本治の回で山崎豊子を礼賛しているのもGood。



あと普段はナイアガラのCDを聴いてはいるけれど、大瀧詠一を妙に神格化する世間の無節操さには違和感があって、大瀧や山下達郎のことを〝師匠〟だの〝御大〟だのと呼ぶ輩や音楽雑誌(『レコード・コレクターズ』)はなんだか頭悪いな~と思っている。そんな自分にとって小林が大瀧の幼児性を(やんわりと、だが)指摘しているのは、大瀧より年上だからとはいえ、久しぶりに「さすが小林信彦」と感心できる瞬間だった。大瀧に対し、こんなシビアな発言ができる人間がいるとしたら、もう松本隆と小林ぐらいしかいないもんな。

 

 

その反面 、江戸川乱歩の回で、無職時代の小林は乱歩邸に招かれる前に戦前の新潮社版『江戸川乱歩選集』を貸本屋で借りて読んだと述べているけれども、以前、文春文庫版『回想の江戸川乱歩』182~183ページ「文庫版のためのあとがき」で、

「乱歩邸を再訪したのは三十一年ぶり、
(中略)〈二十畳ほどの洋間〉の外には、
ぼくが初めて目にする古書(例えば新潮社版の『江戸川乱歩選集』など)が多く置かれていたのが目に付いた」

って書いてたじゃ~ん?
この数年ずっと危惧してきた事だけど、ご老体の記憶力の減退は如何ともしがたく、
同じ本の中でさえ見飽きた同じネタが繰り返し出てくるのはちょいとキツイ。
(植木等の「まだ営業、イケますかね?」発言とかね)
小林が『あまちゃん』に入れ込んでたのっていつだっけ? 八年前(2013年)か。
あの頃に思い切って連載終了してもよかったのかも。
結果論とはいえ、2017年には脳梗塞になってしまうのだし。



◕ ひとつ苦言を。
これは小林信彦と『週刊文春』に限った事じゃなく、日本のメディア全体に対して。
例によって小林は菅義偉内閣をボロカスに言ってて、それは結構なんだけどさ。
日テレ/細野邦彦プロデューサーの子供の頃の武勇伝が書かれている251ページで、
細野少年の喧嘩相手を〝某国の少年たち〟なんて著者は書いているが、
前後の文脈から、どう考えてもこれ朝鮮半島出身者のことではないか。
なんでわざわざ〝某国〟なんてボカす必要があるんだ?自国の事は言いたい放題なのに、
朝鮮半島人の事になると何故こんなにへっぴり腰になるのか?
こんなヘタレな表現は実に見苦しく、いい加減に止めたらどうよ。
 

 

 
◕ 話を元に戻そう。連載終了といえば、
新年早々「二〇二一年もよろしくお願いいたします」と書いていながら(本書158ページ)、
なぜ小林はこのタイミングでコラムを唐突に終わらせたのだろう。
あれだけ批判していた東京オリンピックが決行されてクサっちゃったのかな、とも考えたし、
奇しくも小林著書の装幀仕事をいつも担当してきた平野甲賀が亡くなったのがこのコラムの終了する数ヶ月前だったから、その影響も大きかったのかなとも想像するけれど、
〝どうして終了するのか〟本書のあとがきで、その理由はなにも触れられていない。
終わる時なんて、そんなものなのかもしれないが・・・。
 
 

 

コラムの終了した翌月に『週刊文春』に掲載された小林信彦特別インタビュー「数少ない読者の皆さんへ」は本書に収録されるかと思ったが、されなかった(文庫にボーナス収録か?)。
そのインタビューから拾い出してみると、
「これ(毎週のコラム連載)やっていると、結構キツイ」
「やっぱり小説を続けないわけにはいかないだろうと思います。
もともとそういうつもりでこの世界に入ったから。」
だそうで。小林の自己都合で終了したのならいいけど、
最近はラジオもテレビも長寿番組が次々リストラされるご時世。
「もう止めるほうが正解」だと思いながらも、連載の終わり方を私が気にするのは、
小林の好きな伊集院光のラジオ番組打ち切りと同じような理由で、
『文春』の連載が終わらされたのでなければいいが・・・と、ふと懸念したからだ。
 



(銀) とにもかくにも、長い間お疲れ様でした。
二十数年、なんだかんだ言いながら楽しませてもらったのは間違いない。
これでコンビニに行った時に立ち読みする雑誌がなくなってしまった。
その代わりじゃないけど、現代の喜劇人として小林が最も期待している大泉洋が源頼朝役で出演する『鎌倉殿の13人』は私も最後までバッチリ観るつもり。