2021年5月16日日曜日

『京城の日本語探偵作品集』李賢珍/金津日出美(編)

NEW !

學古房
2014年3月発売



     日本統治下の朝鮮にも探偵小説好きはいたようだが



1945年以前の朝鮮半島は日本の統治下におかれ、多くの内地人が向こうへ渡り、現地の人と共生していた。そんな時代の彼の地において日本語で書かれた探偵小説を集めた書籍が2014年に韓国から刊行。ところが入手してみて困ったのは、収録作品のテキスト部分はすべて日本語表記で、当時の掲載文献から転載した要するに影印本だから問題はないのだけど、解説部分が韓国語オンリーで書かれているためチンプンカンプン。

 

 

編者・李賢珍は年齢がいくつぐらいでどんな職業の人なのか不明だが、金津日出美は日本の出身で現在は立命館の教授とのこと。しかしこの本を読む側の立場からしたら、当時の朝鮮半島で生活していて今でも日本語の読み書きが自然にできる韓国人なんて相当高齢の人しかいないだろうし、向こうの読者も殆ど戦後派だろうから日本語作品のテキストを全然読めないんじゃないの?同様に日本人が本書の解説を読もうにも、韓国語を理解できる人なんてまずいない訳で。つまり日本人にとっても韓国人にとっても本書のすべてを読み取れない編集になっているのが中途半端で困る。


 

 

日本語部分を一通り読んでみたが悲しいかな、翻訳はともかくとして創作ものは駄作しかない。以下、収録内容を簡単に紹介しておく。挿絵画家はノー・クレジット。発表年度について日本語では書いてないが、殆ど元号が昭和になって以降の作品らしい。
どうやって判ったかは後述する。


 

「杭に立つたメス」(三回連載) 金三圭

「女スパイの死」 (五回連載/リレー連作)
京城探偵趣味の會同人【 山崎黎門人/阜久生/吉井信夫/大世渡貢×

「三つの玉の秘密」(三回連載/リレー連作)
京城探偵趣味の會【 山岡操/太田恒彌/山崎黎門人 】

 

 

「名馬の行方」
作者/譯者ともクレジットが無い。
日本の設定に変えているため翻訳というよりは翻案のドイル「銀星号事件」。

「謎の死」 ドイル原作/倉持高雄譯
四回連載。こちらは「まだらの紐」の翻訳。


 

「捕物秘話」(二回連載)  秋良春夫

「水兵服の贋札少女」    青山倭文二

「犯罪實驗者」       青山倭文


 

「青衣の賊」 (八回連載)  野田生

「獵死病患者」(三回連載)  京城帝國大學豫科 末田晃


 

「共產黨事件と或る女優」           森二郎

「彼をやつつける ー奥様方讀む不可ー」    Y・黎門人

「闇に浮いた美人の姿」            白扇生

「暗夜に狂ふ日本刀 腦天唐竹割りの血吹雪」  倉田扇


 

「夜行列車奇談」 ヒアルトフ・アルクナア作/伊東銳太郎譯

「寶石を覘ふ男」 佐川春風
1922年(大正11年)に創刊された月刊誌『朝鮮地方行政』の1928年3月号に掲載。
4ページしかない掌編。本書収録作品の発表年度を含め、兪在眞がweb上に発表している研究資料「植民地朝鮮の日本語探偵小説」を参考にさせて頂いた。
(追記:『森下雨村探偵小説選 Ⅱ 』の湯浅篤志・編「森下雨村小説リスト」を見ると、この作品は内地で先行して『キング』19262月号に佐川春風名義で発表されているので、流用の可能性が高い)

             

 

 

「深山の暮色」         木内爲棲

「探偵コント 意地わる刑事」  京城探偵趣味の會同人/山崎黎門人

「蓮池事件」          京城探偵趣味の會同人/山崎黎門人

「癲狂囚第十一號の告白」    京城探偵趣味の會同人/吉井信夫

「空氣の差」          京城探偵趣味の會同人/古世渡貢


 

「探偵趣味」 江戸川亂歩
大正15年に発売された『ラジオ講演集 第十輯』からの抜粋。




 

佐川春風(森下雨村)、江戸川乱歩、伊東銳太郎以外の人は素性がさっぱり解らなくて少し調べてみた。

 

山崎黎門人
ラジオ局JODK(朝鮮放送協会)に勤めていた山崎金三郎という人らしい。1983年死去。『民団新聞』HP掲載・脚本家津川泉の手記を参考にさせて頂いた。このサイトを拝見すると、本書収録作品の多くは当時の総合誌『朝鮮公論』に載ったものだった事が解る。

 

青山倭文二
1927年に内地で『変態遊里史』という本を出版。雑誌だと戦前の『ぷろふいる』から戦後の『猟奇』まで、彼の名がポツポツと見つかる。



資料としては大変貴重なものなんだが、同人誌でなく総合誌に載ったものにしては如何せん素人レベルの投稿ばかりだし、現代の日本で発売されるアンソロジーへこれらのものが収録される事はまずないだろう。乱歩の「探偵趣味」も雨村の「寶石を覘ふ男」も当人の許可無く流用されているように見えるし、伊東銳太郎の翻訳も同じようなケースなのかもしれない。





(銀) この本は韓国の書籍を扱っている書店で今でも買えそうな感じだし、もしネット上で古書を見つけても6,000円以上のボッタクリ価格で売られていたら絶対手を出すべからず。



当時といわず戦後の内地でも朝鮮人が日本名に変える例はよくあるから、本書の作家がどこまで内地人でどこまで朝鮮人だったかをハッキリさせるのはかなり困難。台湾の探偵小説として林熊夫(金関丈夫)の記事を書いた時に、はじめは「探偵小説的にも韓国人より台湾の人のほうが親しみが持てる」というタイトルを付けようとしたが、第三者がその記事を読む際によく伝わらないだろうなと判断して変更、その代わり台湾篇に続き補助的に韓国篇の記事も書いてみた。とにかく現在の韓国人のような「日本憎し」に凝り固まったマインドで、司法判決さえも理知的ではなく感情に左右されるような国民に民主主義の象徴である探偵小説を理解できる筈がない、と私は申し上げたい。



統治される側だった身として、色々言いたいことがあるのは私とて理解できる。だからといって国家間の取り決めを平気で破ったり、日本の寺にあった仏像を「我々の国から奪った」などと言って盗んで持ち帰ったり、スポーツの国際大会やオリンピックで政治スローガン丸出しな礼儀の無い態度を取ったり、元々韓国を嫌いでなかった人々までも嫌いにさせるような行動を止めないから、日韓は救いようのない関係へ成り果てるに至ったのだ。     



日本に統治された国は韓国以外にもある。その国の人達だって日本に言いたいことはきっとあるはず。でも彼らが韓国人のような態度を取らないのは、未来の方向を見て生きているからだ。「(日本と韓国の)加害者と被害者のいう歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」という朴槿恵の迷文句がある。こんな風に過去しか見ず言い掛かりしか発信しない韓国人に対し、いくら日本人が世界一おめでたい人種とはいえ「仲良くしましょう」と我々が歩み寄るよう望むのは、お門違いも甚だしい。〝詫び〟でも何でも、相手に何か求めるものがあるなら、まずその前に互いの信頼を構築するのが人間関係における基本中の基本であろう。




2021年5月13日木曜日

『金色青春譜/獅子文六初期小説集』獅子文六

NEW !

ちくま文庫
2020年12月発売



    これも『新青年』の歴史の一部



■ 〝金色〟→〝こんじき〟 と読みます。江戸川乱歩の「黄金仮面」にも〝金色〟という形容が頻繁に出てきますが、あれと同じく決して〝きんいろ〟とは読まないように。

 

 

『新青年』を彩った作品の全てが探偵ものだとは限らない。今回収録された三作は探偵趣味とは無縁のユーモア小説。端から私の興味の対象外なんだが、既刊の獅子文六再発ちくま文庫に見られた訳のわからない人間の解説執筆や編纂とは異なり、神奈川近代文学館の企画展『永遠に「新青年」なるもの』のタイアップとして『新青年』研究会の浜田雄介が尽力したものだったし、「微力ながら、売上に貢献するか」と思い、旅先でつい購入してしまった。

 

 

帯を見ると「遂に解禁!!! レア過ぎるデビュー作、復刊」とある。確かにこれら三つの中篇は現行本になるのは久しぶりだが〝レア過ぎる〟ってのは言い過ぎだろ。ネットニュースを書いているライターは「~過ぎる」とか白痴過ぎる表現しか浮かばない語彙貧者ばかりだけど、ちくまの中にもこんな陳腐過ぎる売り文句を採用する人間がいるんですなあ。 


 

 

 「金色青春譜」(昭9。ドタバタしてばかりの粗筋でちっとも頭に入ってこない。帯にて推している〝ラブコメ〟色が一番強いのはこの作なんだが、あまりに下らなくて軽妙な文六節を楽しむところまで辿り着けん。根っから私は朗ユーモア小説が好きではないのよ。たとえ非探偵小説でも「亜細亜の旗」「雪割草」には没頭できたし、横溝正史が博文館在籍時に書いていたコントっぽい短篇だったり大阪圭吉のユーモラスな探偵小説みたいなものなら全然OKだけど、こんな風に何のヤマ場もなくダラダラしていては・・・パロディの元ネタである「金色夜叉」を読んでるほうがまだマシだ。ただ、さっき探偵趣味とは無縁の内容だと書いたけれども、〝凡庸小説家〟と書いて〝ししぶんろく〟とルビを振ったり、言葉遊びの点では『新青年』趣味があちこちに横溢している。

 

 

それに比べると残りの二作はまだフックがあり、「浮世酒場」(昭10はタイトルどおり、酒の家「円酔」を根城にする酔客の会話を借りて時事放談を繰り広げる。満洲進出をはじめ暗雲漂う日本の国内外事情をシニカルに風刺していて、当時流行った三原山自殺ブームをおちょくっているやりとりなど不謹慎だが笑えた。こういうのばかり書いてもいられないだろうが、小説の形に拘らず世相を斬る漫談風読物として続けていたらオモロイ本が一冊できただろうに。

 

 

最後の「楽天公子」(昭11)は人の良い三十二歳の伯爵が破産して只の一市民というかルンペンになってしまって、あちこちで騒動を起こすというもの。ラストの微笑ましい♡な結末も含め、普通の読者にとってはこれが一番小説っぽいというか物語性があるかな。巻末には文六の旧全集別巻に入っていたエッセイ「出世作のころ」も再録しているので、『新青年』にデビューする前後のことがよく解る。それと現代人の記憶から失われた当時の流行を文六が作品にしょっちゅう取り入れるのを考慮してか、旧全集に載っていた語句注記も復活。〝昭和丹次郎〟なんてのはフォローしないと何が何だが誰も理解できないが、1960年代末期の読者にわざわざ〝満洲事変〟〝ディートリッヒ〟〝鹿鳴館時代〟といったワードまで注記しなけりゃならん必要はあったのかねぇ?



■ 先行して『新青年』に連載されていた小栗虫太郎「黒死館殺人事件」を意識するが如く、「金色青春譜」においてもどことなく落語に洋行帰りインテリジェンスを練り込んだかのような装飾を施した文章が連なっているのは水谷準編集長のサゼスチョンのせい・・・・・・ではないと思う。

 

 

 

(銀) 本書収録作は獅子文六が亡くなる頃に配本されていた朝日新聞社版『獅子文六全集』を底本としている。好きでもない私が言うのもアレだが、『新青年』企画展に合わせて出すのだし『新青年』の初出テキストを採用すればよかったのに。語句注記も付いててギリギリ彼の生前最後となった朝日新聞社版全集は文六ファンの中でそれほど信頼度が高いのか?その辺の事情を自分はさっぱり存じ上げないのでアル。





2021年5月11日火曜日

『幽霊犯人』甲賀三郎

NEW !

平凡社
1930年2月発売



★★★★   そこまで失敗作でもないのでは?




令和になってもまだ再発されないこの長篇は、昭和4710日~119日『東京朝日新聞』夕刊に連載された。画面左上に挿入した書影はその初刊本。まず76日付紙面に載った「幽霊犯人」連載予告、さらに(私が書き起こした)物語の登場人物一覧から見て頂こう。

 

 

【新探偵小説豫告】  『幽霊犯人』  甲賀三郎氏作  竹中英太郎氏畫

 

(前略)續いて掲載されるのは近時の書界に異常な流行をなして居る探偵小説であります。しかも作者はし界(ママ、下線部傍点あり)の雄甲賀三郎氏、題して「幽霊犯人」といふ。物語は避暑地の別荘無人の室で行はれた奇怪な殺人、高価な指輪の紛失、それ等の事件を中心として放蕩無頼の青年と純情むく(ママ)の少女の戀があやをなし、×××××××× 。作者は近代科學に立脚點を置いて獨自の想像を天がけらせ、一讀手に汗を握らさずには置きません。加ふるにさし畫は新人竹中英太郎氏苦心の余になるもの、物語と繪と相待って眞に奇絶怪絶、興味盡きざる夏の讀物たるは信じて疑はざる所であります。

(一部伏字にしているが、その理由はあとで説明する)



 

 【 登場人物 】


高島儀一/湘南の別荘を所有している老富豪だが女嫌いで跡取りがいない。リウマチのため体が不自由。                  


山川信蔵/儀一の弟。

山川すて子/信蔵の妻。

山川信一/信蔵の息子。大学生だが負債を抱えている。神田秋子とは相思相愛の仲。

山川美代子/信一の妹。


烏田市助/儀一の秘書。

玉井/儀一に雇われている老料理人。


神田秋子/美代子の家庭教師として雇われている。

神田勇/秋子の父。村外れの粗末な荒屋に住んでいるやもめの老人。毎日酒びたり。

呉英造/他人の様子をコソコソ嗅ぎ回るので〝狐爺〟と呼ばれている小男。


西村市兵衛/東京市本所區で骨董屋を営む。

およね/市兵衛の妻。

虎吉/ばくち宿の主。片目で額には一文字の刀傷がある。

おたつ/虎吉の娘。少し頭が足りない。


堀田竹次郎/葉山署巡査部長。

樫田得三/堀田の先輩刑事で先頃退職した。

玉川弁護士/信一の弁護人。

 

 

                    



数ヶ月に亘る新聞連載は既に「支倉事件」で経験済みだった甲賀三郎だが、本作はどの方面でもあまり良い評判を聞かない。それゆえ本当に失敗作だと決めつけていいのか、検証してみたい。「指輪紛失」と「山川信蔵銃殺という出口の無い不可能犯罪」。物語のキーとなる事件を冒頭に起こるこの二つだけに絞り、あとの部分は人間関係のもつれを重視する流れに組み立てたのは、熱心な探偵小説好き以外の多くの人間が毎日読む大新聞の連載であることを考慮すると、決して悪くはないと思う。甲賀の長篇はあれこれ要素を詰め込み過ぎて焦点がボヤけるきらいがあり、昭和6年の新聞連載長篇「妖魔の哄笑」などは正にその過ちを犯していた。

 

 

上記の【連載予告】文でわざと ×××××× と伏字にしたのは、その部分で既に犯人を匂わす紹介がされているから。「幽霊犯人」の評価がもうひとつよろしくないのは、犯人が誰か序盤の段階で読者にバレバレな展開になっているのも原因である。でもそれって欠点というより、最初から犯人が誰か(フーダニット)を甲賀がこの作品では全く重要視しておらず、どうやって山川信蔵は銃殺されたのか(ハウダニット)、その一点に狙いを絞ったからだろ?そして、もうひとつのポイントは「指輪を盗んだ者とその動機」。

 

                    

 

銃殺方法については伝家の宝刀/理化学トリックが、それほど難解ではない範囲で投入されているので極端なアンフェア感はない。ネタバレになってしまうのでギリギリの線で言うとすれば、ある登場人物は病的な悪癖を持っている。その設定自体〝そんな奴なんかいる訳ないじゃん〟と笑われそうなものなのだけど、この悪癖が謎の発覚の伏線に繋がってゆくのはちょっと面白い。

もちろん混じりっ気の無い本格物を望むのなら手放しでは褒められないが、残念ながらこの甲賀作品はまだ、日本探偵小説史における発展途上の本格長篇にすぎない。それゆえ通俗的と評されるのだし、むしろ同時期に江戸川乱歩が書き始めた通俗長篇に時々見られる御都合主義なアラと比較したら、そこまで否定されるべき駄作でないような気もしてくる。海外の本格物にだって、突拍子もない人物設定は時々見かけるじゃないか。


 

これから読む人が注意してほしいのは、この物語の舞台は実際に甲賀が執筆した昭和4年ではなく関東大震災以前の大正10年前後だという事。登場人物に老人が多いのもあるけれど、なんとなく古臭いアトモスフィアに包まれているのは、昭和でなく明治~大正期を生きた人間の臭いが満ちているからなのだ。言い換えればそれは乱歩よりもっと前の世代、例えば黒岩涙香が活躍した時代であり、この物語を涙香作品と同じ時代感覚で受け止めてやれば、「幽霊犯人」の評価できる点も少しは見えてくるんじゃないかな。決して傑作ではないけれど、眉を顰めるほどの駄作でもないと・・・。



 

 

(銀) この項を書く為に初刊テキストと『東京朝日新聞』の縮刷版をコピーした初出テキストとを軽く照合してみたが、各章のタイトルに若干変更があるのと、初出では〝きつね爺〟と表記していたのを単行本では〝狐爺〟としたり〝ぼたん〟を〝釦〟としたり、ひらがなを漢字変換して文字数というか単行本の頁数をなるべく増やさないようにする処置が取られているだけで、加筆や削除は無いように思えた。

 

 

新聞連載時と同じく初刊本の装幀も竹中英太郎が担当しており、初出挿絵のうち数点は単行本にも収録されている。

今回「幽霊犯人」を★4つにした根拠が英太郎の挿画の力によるところもあるのは、正直否定できない。もし「幽霊犯人」が再発されるのなら、初出テキストを底本に使い、大手出版社の文庫/ハードカバーや盛林堂の本に味気なく収録するより、古書のような雰囲気を楽しめる藍峯舎や龜鳴屋の本だったり、メジャーな出版社だったらせめて春陽堂の小栗虫太郎『亜細亜の旗』のような造本にして、英太郎の初出挿絵も全点収めてくれたら私は100%★5つにするだろう。

『東京朝日新聞』縮刷版に転写された英太郎の挿絵は美しさをそれほど失っておらず、権利問題さえクリアできれば挿絵を全点復活させる意義は十分にあるのだから。



初出紙最終回の挿絵を見ると「幽霊犯人ヨ、サヨウナラ  十一月六日」という英太郎の呟きが描き込まれていて、最後の挿絵を描き終えたのは実際の連載最終回の三日前だったのがわかる。





2021年5月9日日曜日

『狩久全集/第二巻/麻耶子』狩久

NEW !

皆進社
2013年2月発売



★★★★★   Adult For Only



● 男に愛撫され、男を愛撫することを知った成熟した女のにおいが、その肩の丸さひとつにも あふれていた。

 

「貴女はさっきから、もう覚悟をきめて、こんなに慄えているじゃあありませんか。」

 

● 不愉快な真をとるよりも、快い偽をとりたかった。(中略)
渇望の亢まった時、僕にとってSEXは求めるべきものだった。

 

「どうしても、貴方がそれをほしいのなら、灯りを消して、できるだけ早く・・・・・」

 

● 私は、もともと、賢い女を好まなかった。女が最も美しいのは、何も考えない時だ。

 

「あたくしを愛しすぎて死ぬとすれば、
それは先生が日頃から希んでいる安楽死の一種じゃあないの」

 (以上、本巻収録作より)



私の好きなのは、普通にページ数のある短篇。

「炎を求めて」「女よ眠れ」「煙草幻想」「或る実験」「あけみ夫人の不機嫌」

「ぬうど・ふぉと物語」「麻矢子の死」「或る実験」「そして二人は死んだ」

「麻耶子」「花粉と毒薬」「砂の上」




風呂出亜久子の登場作は、瀬折研吉とコンビを組む「呼ぶと逃げる犬」よりも黒衣夫人と名乗りベッド・メイトになる假理先生の犯罪シリーズ「黒衣夫人」「蜜月の果実」に出ている時のほうがコケティッシュでずっと悩ましい。


                   


『狩久全集』のリリースには驚かされたし、その中でも殊更〝性愛の世界〟に耽溺したので、『全集』とはまた別に、そういった作品ばかり選び抜いた彼の本が出ないものかと思う。

とかく世の中セックスレスというのか、性愛から遠のく人間が増加していて、こんな男と女の〝肉の悦び〟を描く小説を愉しんでくれる読者が一体何人潜在しているのか?てな風に考えたら萎えてしまうけれども、だからって黙っていたら何も変わらない。数年前に読んだ『狩久全集』を収納函からそっと取り出して振り返りながら、彼のエロティック・ミステリーについて、とりとめもなく賛美してみたい。

トリックがどうとか海外作家からの影響がこうとか、そういった話題は一切すっ飛ばす。
本巻唯一の中篇である藤雪夫→鮎川哲也→狩久のリレー小説「ジュピター殺人事件」も無視。

 

 

エロスの魅力と云っても、狩久の書くものをAVやポルノ小説と一緒にしてもらっては困る。
スコット・ウォーカーがどれだけ朗々としたクルーナーvocalで歌っていてもロックン・ロールやR&Bの血が息づいているのと同様に、狩久がどれだけ性愛路線を歩もうとも土台には探偵小説の要素が根付いている。

一度でも読んでもらえれば解るけれども、例えば女性が一方的に犯され喘ぎ続けて・・・とか、そんな貧しくロマンの無い物語は見当たらない。それまでの日本の探偵小説に描かれるエロスというのは手を伸ばしても届きそうにない〝女性への憧憬〟みたいな切り取り方が多くて、ストレートにコンタクトできずに覗き見したり、椅子の中に入って皮越しに女の肌を感じたり、まどろっこしいパターンがわりと多かったんですわ。

 

 

戦争に負けて時代が変わり、日本人のSEXについての畏れ多さが減少したというのもあるけれど狩久の場合は女性に対する思い入れが誰よりも強固にあるので、誤解を恐れずに言ってしまうと犯罪の重要性は二の次かもしれない。もう少し嚙み砕くなら、先輩探偵作家とは比べもんにならないぐらい狩久の男性キャラは女の扱いに長けており、どうせ最後の一線を巡って駆け引きしたところでオンナの心と肉体は大抵の場合、オトコにとって都合のいい成り行きをたどる。狩久の書きたいものはエクスタシーまで行き着かざるをえない男と女の心の機微なのだから、それは当然かつ必然の展開なのだ。 

 

                    

 

私の好きな蘭郁二郎と狩久に共通するのは、彼らの小説世界の中に生きている女性達が皆(多少の年齢差や職業の違い等はあれど)しっとりと黒く流れる髪・甘い声・やわらかな曲線・均整の取れた肢体の持主しかいないような錯覚を覚えるところで。

仮に幼女や中高年女性がいても、そんなのは話の都合上やむなく配置されているチョイ役に過ぎない。男好きのする女性がそばにいて、男性が病身で壮健ではないところも似ているかもしれないが、蘭に見られる被虐的な受け身ではなく、近寄れば破滅が待っているとわかっていても求めずにはいられない。

作者狩久がオーバーラップしてくるキャラクター達の、女性を見つめる眼差しには決してもう若くはない男のダンディズムを感じるのである。



ショート・ショートといえそうな掌編の数も多い。

「誕生日の贈物」「十二時間の恋人」「悠子の海水着」「煙草と女」「紙幣束」

「なおみの幸運」「石」(昭和29年版)「記憶の中の女」「クリスマス・プレゼント」

「ゆきずりの女」「十年目」「学者の足」「銀座四丁目午後二時三十分」「白い犬」



ひとつ異色なものが混じっていて、「鉄の扉」という力作。
ヰタ・セクスアリスに目覚めつつあった少年がある日級友によってクラスの面前で辱めを受けて生涯消えそうにない汚点が残り、それが抑えがたき怒りへと変わる瞬間が訪れる。探偵小説ではない分野でも通用しそうなこのリリカルな底力があったから、狩久は一味違う〝性愛の世界〟の住人になれたのだ。




(銀) 悪化するコロナの影響なのか5月そして6月と、パッとした探偵小説の新刊も出なさそうだし、近いうちに再び『狩久全集』からいずれかの巻を取り上げてみたい。
次回もエロティック・ミステリー中心で。



横溝正史『雪割草』の項で「杉本一文はどこが好いのかちっともわからん」と書いたが、杉本がこの『全集』に提供したカバー絵は狩久の世界観にこの上なくマッチしており、これなら素直に褒められる。しかしそれも本当は、装幀担当に大貫伸樹を起用してカラーではなく単色デザインに仕上げるなど、きっと全集制作者・佐々木重喜の手腕のおかげに違いない。





2021年5月7日金曜日

『龍山寺の曹老人』林熊生

NEW !

大陸書館(楽天ブックス POD)
2021年4月発売



★★★★    1940年代台湾の探偵小説




大陸書館による林熊生の二冊目はシリーズもの。台湾の龍山寺(日本でいえば浅草寺?)にいつも屯している曹老人という街の生き辞引のような不思議な年寄りがいる。彼のもとに厄介事を運んでくるのが堂守りの范さん、そして陳警官。この三人のレギュラーを中心に巻き起こる事件七篇を約200頁の短篇集として纏めている。

 

 

「許夫人の金環」

時節柄〝金(moneyではなくgoldのほう)〟を供出せねばならないのに、許夫人が「わたしの金の腕環が盗まれた!」と言って曹老人に詰め寄り騒動になる。

 

「光と闇」

龍山寺から見える民家の二階の壁に不思議な光が明滅しているのを曹老人と王錦泉(雑貨店の男)は発見した。暗号が扱われているのに注目。

 

「入船荘事件」

〝これは完全な密室の殺人だ〟と刑事課長は嘯くが、果してどうなるか読んでのお楽しみ。改めて言っておくけど、内地では取り締まりの目を恐れて誰もが探偵小説を自粛していた時に、当時日本の統治下にあった台湾で林熊生はこんなミステリを書いていたのだ。

 

「幽霊屋敷」

「住み手がつかなかった屋敷の新たな住人達がそこで撮影した写真に幽霊の影が写っていた」という怪談を陳警官は范さんと曹老人に話してきかせる。これも既読感のあるトリックではあるがラストのセリフが意味深。



 

「百貨店の曹老人」

シチュエーションからして万引きものに落着くのは仕方がないとはいえ、内地探偵小説でも〝スリ〟の物語は食傷気味だから台湾ならではの特色を見せるべく別の一手が欲しかった。


「謎の男」

インサイダー取引。当時はまだその行為に該当する言葉が無かったのだろう。この話のオチを読んで私はなぜか『ルパン三世』の原作や1st シリーズ後半を思い浮かべた。

 

「観音利生記」

溺愛する息子が病死してしまった母・李氏銀は、息子と将来結婚させるため貰い子(媳婦仔)として育てていた娘・玉児を虐待する。いかにも東洋人っぽい人情話。 

 

                       


曹老人シリーズがこの七篇でコンプリートなのか確かな資料が無いので解らないが、これらの短篇は19431947年の間に執筆されている模様。曹老人を〝台湾のブラウン神父〟と呼びたいところだけれども、残念ながら完成度もトリックの独創性もそこまで高くはない。しかしながら同時期の内地探偵文壇の惨状を考えたら、よく頑張っているほうだ。



林熊夫こと金関丈夫って本当は日本人だし最初は京都帝国大学を卒業しているが、台湾の大学に行き教授になってからどうしてまた探偵小説に手を染める事となったのか、その辺の動機も知りたい。金関丈夫名義の本は多種存在するので、どこかにコッソリそういった回想録は残ってないかな?          

 

                        


捕物出版と比べて、一回り本のサイズが小さいのがいいね。これで文字のフォントもグッと小さくしていたらもっと見栄えが良くなるんだが。年寄りの老眼対策にここまで文字を大きくしないと見えないものかな。むし私は昔の本のように、字は小さくとも行間を少し空けたほうがずっと読み易くて好きだ。


 

 

(銀) 大陸書館の前作『船中の殺人』は楽天やhontoでの発売が遅いぞと書いたが、今回は楽天でもわりと早めに発売開始してくれたので、そんなに待たされず本書を入手する事ができた。『船中の殺人』の項で☆4つにして曹老人シリーズを☆5つにしたらなんとなく気が引けるので本書も☆4つにしたものの、「出してくれて有難う」的な意味では間違いなく満点の価値がある。


 


2021年5月5日水曜日

『ぼくのミステリ・コンパス』戸川安宣

NEW !

龜鳴屋
2021年4月発売



★★★★    龜鳴屋の作る本は素晴らしい




1978年から1992年まで月一ペースで『朝日新聞』に連載された国内外ミステリ・コラム。それは鮎川哲也がまだ現役で『沈黙の函』や『死びとの座』を発表していた時代。基本的にこの十五年間に発表された新作ミステリを取り上げている項が多いけれどクラシック・ミステリにも言及していたり、時には業界への苦言など話題は広範囲。私はこの時代の新作を自分の読書対象とはしていないから例えば逢坂剛なんて一冊も読んだことは無いが、そんな人間が読んでも十分楽しめる内容になっている。





むしろ私にとって重要なのは、これが金沢でひとりコツコツ愛情のこもった本を作り続けている個人レーベル龜鳴屋からのニュー・リリースであること。通常の文庫の背を少し高くしたようなハードカバー仕様に誂えていて、なんとなく戦前の改造文庫を思わせもする、わかる人にはよくわかる美しい装幀。それに加えて、前回の『雪割草』の記事にて書いた角川文庫のティッシュ・ペーパー並みに薄いpoorなページとは月とスッポンの上品な紙質が嬉しい。読み進めていたら〝投げ込み〟まで挟まっていて、その内容は初出コラムの「コンパス」を当時担当していた草薙聡志の、著者・戸川安宣からの手紙に対する返信の形態をとったエッセイ〈「コンパス」の想い出〉だった。草薙といい戸川の巻末あとがきといい連載時の裏話がこれまた面白くて「へえ~」と頷かされる。

 

                   



本書はところどころに注釈が付いてはいるのだが、今の時代だと解りにくミステリ以外の単語もあるから90年代以降に生まれた読者の為にここでフォローしておきますか。まず覆面作家トレヴェニアン『シブミ』を扱った64頁の項〈『将軍』以上の日本描写〉における『将軍』って何?と疑問に思う人もいるだろう。これは1980年アメリカNBCが制作した有名なTVドラマで、徳川家康が江戸幕府を制定する直前に日本へやってきたイギリス人・三浦按針を題材に使い、オリジナルの物語に仕立てたもの。日本でもオンエアされ、かなり話題になった。

主役の按針(ジョン・ブラックソーン)を演じたのはリチャード・チェンバレン。舞台が日本なので島田陽子・三船敏郎・フランキー堺・高松英郎・金子信雄ほか日本人俳優の出演が圧倒的に多い。角川映画『犬神家の一族』の四年後だから、まだ島田陽子に時代のニーズがあった頃だし近年CSにて再放送されたので久しぶりに観たけど、ガイジンの眼を通して見た日本人像が笑えて(ストーリー自体はシリアス)、つまらん大河ドラマなんぞよりずっと面白かった。

 

 

105頁の原・石毛というのは、のちに監督になってグータッチを定着させた読売巨人軍の原辰徳そして元西武ライオンズの石毛宏典のルーキー時代の話。この二人の名は本書巻末の人名索引にもちゃんと載っているが、こういうコラムに引用されるほど人気があったのよ。もっともその後の選手時代の原はいつもここぞという時に打てない四番バッターだった印象しかない。あと356頁はピンク・レディじゃなくてピンク・レディーね。どうでもいいけど。

 

                    


本書の評価を☆4つにしているとはいっても、それは上記でも述べたとおり私の興味範囲外のミステリ作品に関する書評が多いので、それらの作品を読んでないのにああだこうだと発言する資格は私には無い・・・という意味から☆1個分差し控えたのであって、執筆・制作サイドにマイナスされるような落ち度は何もなし。龜鳴屋の仕事だけならば満点。だいぶ前に発売された倉田啓明譎作集『稚兒殺し』みたいな本をまた出してほしい。

 

 

 

(銀) 本書は限定613部だそうなので興味のある方は早めに龜鳴屋HPへどうぞ。それにしてもハードカバーで613部作って価格が2,200+税か。個人レーベルにしては多めの部数かもしれないけど、良心的な価格だなあと思う。これに比べて盛林堂書房の出す新刊本は部数が200300部ぐらいのソフトカバー本(カバー付き)で価格が3,0003,500円あたり。サイズが文庫より大きくなったり、カラーページ中心の本になるともっと値段は高くなる。

 

 

本の制作に関する内部事情はそれぞれ異なるとはいえ、盛林堂は黒っぽい探偵小説の古本に対し状態が悪かろうがおかまいなしに非常識な高値を付けて売っている印象が強く、そこまで超レアではなかった古本まで相場を軒並み吊り上げようとしているようにも思えるので、龜鳴屋の本に見る丁寧な造りと価格を鑑みると、「盛林堂の新刊はゴリゴリに利益を乗せた価格で売ってるんだろうなあ」とつい詮索したくなる。でも盛林堂はテキスト打ち込みやデザインとかを第三者に発注しているから、その点で龜鳴屋以上に人件費コストはかかっているのだろうが。





2021年5月1日土曜日

『雪割草』横溝正史➁

NEW !

角川文庫
2021年4月発売



★★  最低なセンスの帯とカバー・イラストにゲンナリ





戦時下に新聞連載された非探偵小説である小栗虫太郎「亜細亜の旗」(1941年)/大坂圭吉「村に医者あり」(1942年)/そして雑誌連載だが大下宇陀児「地球の屋根」(1941年)。当blogではこれらの作品を最近記事にしてきたが、各長篇に共通していたのは男性主人公が医師や科学者といった理系分野で御国の為に奉公する志を持っている点であった。





だが横溝正史の「雪割草」(1940年)は少し視点が異なっている。市井の女性を主人公に置き、日本の勢力拡大を賛美する台詞は、ありそうで無い。蓮見邦彦と山崎先生の大陸への出立にのみ多少のポジティヴさを感じる程度で、大抵はわびしい銃後や傷痍軍人の光景が書かれていたり、出征する者を「バンザーイ!」と鼓舞しながらも人々の心は悲しみに暮れている。読み手であるこちらは正史の軍国主義嫌いを知っているだけに、お上に難癖を付けられないよう、ギリギリのレベルで「戦争を礼賛する文言は絶対書くまい」と誓う秘かな抵抗が透けて見える。

 

                    


この小説は流転するヒロイン緒方有爲子の苦難の物語なのだが二つのポイントを内包していて、一つは「有爲子の本当の父は誰なのか?」という彼女の出生の秘密。これは「八つ墓村」の主人公・寺田辰弥の状況に近いので、探偵小説の読者も感情移入しやすい筈。

もう一つは賀川仁吾に嫁ぐ事で貧しい画家を支えなければならず、新たな茨の道に踏み込まざるをえない有爲子の運命。結婚しても子供みたいに仕事以外の事は何もできない仁吾に度重なる試練が訪れ、喀血が続いて癇癪を起したり欝状態になったり。そんなダメな夫をひたすら守って耐え忍ぶ糟糠の妻の姿には、1933年以降、結核に苦しんできた正史を支える横溝孝子夫人の存在が重なってくる。

 

 

現代の眼から見ると、上記に挙げた四作はほぼ同時期に書かれたように感じるだろうが、なにせ短期間に国内外情勢が刻一刻変わっていった時代だ。数ヶ月ではあるが四作の中で最も早く執筆された「雪割草」は、「亜細亜の旗」「地球の屋根」「村に医者あり」よりも(ごく僅かだが)運良く表現の余地がまだ残されていたのかもしれない。

というのも有爲子が上京して最初に住むことになる五反田の住人の柄の悪さや、『南総里見八犬伝』の蟇六+亀篠よろしく有爲子から金を搾り取ろうとする恩田勝五郎+お常夫婦の小悪党ぶりなど、時代ものの「人形佐七捕物帳」でさえ風紀を乱すという理由に博文館が脅えて連載中止になっているのに、よく本作は御目溢ししてもらえたもんだ。

 

 

後半には悪役たちの跳梁が段々収まってゆくので、実際「雪割草」にも連載中に何らかの警告があった可能性は想像できるが、最初から予定していたプロットかもしれないし断定はできない。それにしても横溝正史という人は一族の血筋というネタをよく使いたがる作家だ。加えて、関西人が生まれ持つねちっこさから来るものなのか、仁吾の日本画の師である五味楓香の夫人・梨江によるいじめの底意地の悪さも強力だし、日本人の好みそうな要素が巧みに盛り込まれている。たとえ探偵小説でなくとも、現代の読者にも退屈させず読ませる技量はさすが。

 

                     


以前の記事にも書いたように、賀川仁吾が初めて登場するシーンでの風貌描写が、まるで金田一耕助の原型だと山口直孝(二松学舎大学)が大騒ぎしていたが、そんなのどーでもいい事に過ぎないのよ。戎光祥出版のハードカバー初刊本をお持ちの方は247頁でも359頁でも393頁でも、どれでもいい。挿絵を担当した矢島健三の描く賀川仁吾の姿を御覧頂きたい。小説家の書く内容と挿絵画家の造形が常に一致しているとは限らないが、挿絵の仁吾はどうみても〝長い、もぢやもぢやとした蓬髪〟ではない。



初刊本に収録された挿絵は連載時のもの全点収めていないのが残念なのだが、「雪割草」発見の報道がNHK『ニュースウォッチ9』でオンエアされた時、(山口直孝が画面の中で指し示していた)汽車の中で初めて有爲子が出会う賀川仁吾の姿を描いた挿絵も初刊本から漏れていたので、参考までにオンエアで紹介された時の画像をupしておく。ほ~ら、単に帽子被ってマント着てるだけの人で、何の特徴も無いでしょ?こういう格好をした男性は戦前ならいくらでもいたんだってば。


 

      NHK『ニュースウォッチ9』の映像より 

      

                       


                     



ヴィジュアルでいうと、今回の角川文庫版『雪割草』カバー・イラストは有爲子をイメージしているのだろうが、何? このお多福のおかめ顔? もともと有爲子は器量良しの設定やぞ。昔から杉本一文は、横溝正史の角川文庫カバーに小説の内容と時代考証が全然合っていないイラストをよく描いてて、何がそんなにいいのか私にはちっとも理解できないイラストレーターだったが、いくらなんでも今回のカバーはないよな。(この記事の最上部画像を見よ)

           

   昭和初期にこんなジーンズみたいなボトムを穿いていた日本女性なんていません

 


それ以上に馬鹿まるだしなのが帯の宣伝文句。
三上延さん驚嘆!「犯人も探偵もいない。でも、横溝らしい一流のエンタメです。」だってさ。このコピーを考えた人物はアタマが小学生レベルなのかな。南無阿弥陀仏・・・。


 

 

(銀) 『雪割草』初刊本(戎光祥出版)の淡い菫色を使った装幀は、内容にとても合っていて私は気に入っていたのに、文庫になると案の定、最低のデザインにしてしまう角川。本体のページだって、ちょっとでも手汗かいてたらすぐにシワシワ状態になりそうなペラペラの紙質。そういや緑304の頃、角川春樹がやたら相見積で原価を叩きまくり、しまいにゃ韓国の印刷業者まで使っている版もあった。あの頃から一片の誇りも無い出版社だ。

 

 

小説自体はよく書けていて面白い。正史は戦後、「雪割草」の存在を明かさなかったけれども、黒歴史として闇に葬りたくなるような内容では決してない。もし隠蔽すべき必要があったとするなら、有爲子と仁吾の関係が自分達夫婦をモデルにしているのが周りから見え見えで、小っ恥ずかしかったのか。納得できる理由はそれしか考えつかない。



初刊本に対する評価は★4つ。新聞連載時の挿絵を漏れなく収録し、①(昨日の記事)で紹介した欠落文字さえなかったら、躊躇いなく★5つ進呈しただろう。いくら欠落箇所を正しく表記できたからといって、目を疑うようなこのダサいカバー絵では、角川文庫版をどう褒めろというのか。