むしろ私にとって重要なのは、これが金沢でひとりコツコツ愛情のこもった本を作り続けている個人レーベル龜鳴屋からのニュー・リリースであること。通常の文庫の背を少し高くしたようなハードカバー仕様に誂えていてなんとなく戦前の改造文庫を思わせもする、 わかる人にはよくわかる美しい装幀、それに加えて前回の『雪割草』の記事にて書いた角川文庫のティッシュ・ペーパー並みに薄いpoorなページとは月とスッポンの上品な紙質が嬉しい。 読み進めていたら〝投げ込み〟まで挟まっていて、その内容は、 初出コラム「コンパス」を当時担当していた草薙聡志の、著者・戸川安宣からの手紙に対する 返信の形態をとったエッセイ〈「コンパス」の想い出〉だった。草薙といい戸川の巻末あとがきといい、連載時の裏話がこれまた面白くて「へえ~」と頷かされる。
本書はところどころに注釈が付いてはいるのだが、今の時代だと解りにくいミステリ以外の単語もあるから90年代以降に生まれた読者の為にここでフォローしておきますか。まず、覆面作家 トレヴェニアン『シブミ』を扱った64頁の項〈『将軍』以上の日本描写〉における『将軍』って何?と疑問に思う人もいるだろう。これは1980年アメリカNBCが制作した有名なTVドラマで、徳川家康が江戸幕府を制定する直前に日本へやってきたイギリス人・三浦按針を題材に使い、 オリジナルの物語に仕立てたもの。日本でもオンエアされ、かなり話題になった。 主役の按針(ジョン・ブラックソーン)を演じたのはリチャード・チェンバレン。舞台が日本 なので島田陽子・三船敏郎・フランキー堺・高松英郎・金子信雄ほか日本人俳優の出演が圧倒的に多い。角川映画『犬神家の一族』の四年後だから、まだ島田陽子には時代のニーズがあった頃だし、近年CSにて再放送されたので久しぶりに観たけど、ガイジンの眼を通して見た日本人像が 笑えて(ストーリー自体はシリアス)、つまらん大河ドラマなんぞよりずっと面白かった。
105頁の原・石毛というのは、のちに監督になってグータッチを定着させた読売巨人軍の原辰徳そして元西武ライオンズの石毛宏典のルーキー時代の話。この二人の名は本書巻末の人名索引 にもちゃんと載っているが、こういうコラムに引用されるほど人気があったのよ。もっとも、 その後の選手時代の原はいつもここぞという時に打てない四番バッターだった印象しかないが。 あと、356頁はピンク・レディじゃなくてピンク・レディーね。どうでもいいけど。
本書の評価を☆4つにしているとはいっても、それは上記でも述べたとおり私の興味範囲外のミステリ作品に関する書評が多いので、それらの作品を読んでないのにああだこうだと発言する資格は私には無い・・・という意味から☆1個分差し控えたのであって、 執筆・制作サイドにはマイナスされるような落ち度は何もなし。龜鳴屋の仕事だけなら満点。 だいぶ前に発売された倉田啓明譎作集『稚兒殺し』みたいな本をまた出してほしい。
(銀) 本書は限定613部だそうなので、興味のある方は早めに龜鳴屋HPへどうぞ。 それにしてもハードカバーで613部作って価格が2,200円+税か。個人レーベルにしては多めの 部数かもしれないけど、良心的な価格だなあと思う。これに比べて、盛林堂書房の出す新刊本は部数が200~300部ぐらいのソフトカバー本(カバー付き)で価格が3,000~3,500円あたり。 サイズが文庫より大きくなったり、カラーページ中心の本になるともっと値段は高くなる。
本の制作に関する内部事情はそれぞれ異なるとはいえ、盛林堂は黒っぽい探偵小説の古本に対し状態が悪かろうがおかまいなしに非常識な高値を付けて売っている印象が強く、 そこまで超レアではなかった古本まで相場を軒並み吊上げようとしているようにも思えるので、龜鳴屋の本に見る丁寧な造りと価格を鑑みると「盛林堂の新刊はゴリゴリに利益を乗せた価格で 売ってるんだろうなあ」とつい詮索したくなる。でも盛林堂はテキスト打ち込みやデザインとか第三者に発注しているから、その点で龜鳴屋以上に人件費コストはかかっているのだろうが。