● 男に愛撫され、男を愛撫することを知った成熟した女のにおいが、その肩の丸さひとつにも あふれていた。
●「貴女はさっきから、もう覚悟をきめて、こんなに慄えているじゃあありませんか。」
● 不愉快な真をとるよりも、快い偽をとりたかった。(中略) 渇望の亢まった時、僕にとってSEXは求めるべきものだった。
●「どうしても、貴方がそれをほしいのなら、灯りを消して、できるだけ早く・・・・・」
● 私は、もともと、賢い女を好まなかった。女が最も美しいのは、何も考えない時だ。
●「あたくしを愛しすぎて死ぬとすれば、 それは先生が日頃から希んでいる安楽死の一種じゃあないの」
風呂出亜久子の登場作は、瀬折研吉とコンビを組む「呼ぶと逃げる犬」よりも黒衣夫人と名乗りベッド・メイトになる假理先生の犯罪シリーズ「黒衣夫人」「蜜月の果実」に出ている時のほうがコケティッシュでずっと悩ましい。
♡
『狩久全集』のリリースには驚かされたし、その中でも殊更〝性愛の世界〟に耽溺したので 『全集』とはまた別に、そういった作品ばかり選び抜いた彼の本が出ないものかと思う。 とかく世の中セックスレスというのか性愛から遠のく人間が増加していて、 こんな男と女の〝肉の悦び〟を描く小説を愉しんでくれる読者が一体何人潜在しているのか? てな風に考えたら萎えてしまうけれども、だからって黙っていたら何も変わらない。 数年前に読んだ『狩久全集』を収納函からそっと取り出して振り返りながら、 彼のエロティック・ミステリーについて、とりとめもなく賛美してみたい。 トリックがどうとか海外作家からの影響がこうとか、そういった話題は一切すっ飛ばす。 本巻唯一の中篇である藤雪夫→鮎川哲也→狩久のリレー小説「ジュピター殺人事件」も無視。
エロスの魅力と云っても、狩久の書くものをAVやポルノ小説と一緒にしてもらっては困る。 スコット・ウォーカーがどれだけ朗々としたクルーナーvocalで歌っていてもロックン・ロールやR&Bの血が息づいているのと同様に、狩久がどれだけ性愛路線を歩もうとも土台には探偵小説の要素が根付いている。 一度でも読んでもらえれば解るけれども、例えば女性が一方的に犯され喘ぎ続けて・・・とか、そんな貧しくロマンの無い物語は見当たらない。それまでの日本の探偵小説に描かれるエロス というのは手を伸ばしても届きそうにない〝女性への憧憬〟みたいな切り取り方が多くて、 ストレートにコンタクトできずに覗き見したり、椅子の中に入って皮越しに女の肌を感じたり、 まどろっこしいパターンがわりと多かったんですわ。
戦争に負けて時代が変わり、日本人のSEXについての畏れ多さが減少したというのもあるけれど狩久の場合は女性に対する思い入れが誰よりも強固にあるので、誤解を恐れずに言ってしまうと犯罪の重要性は二の次かもしれない。もう少し嚙み砕くならば、先輩探偵作家とは比べもんに ならないぐらい狩久の男性キャラは女の扱いに長けており、どうせ最後の一線を巡って駆け引きしたところでオンナの心と肉体は大抵の場合、オトコにとって都合のいい成り行きをたどる。 狩久の書きたいものはエクスタシーまで行き着かざるをえない男と女の心の機微なのだから、 それは当然かつ必然の展開なのだ。
私の好きな蘭郁二郎と狩久に共通するのは、彼らの小説世界の中に生きている女性達が皆(多少の年齢差や職業の違い等はあれど)しっとりと黒く流れる髪・甘い声・やわらかな曲線・均整の取れた肢体の持主しかいないような錯覚を覚えるところで。仮に幼女や中高年女性がいても、 そんなのは話の都合上やむなく配置されているチョイ役に過ぎない。 男好きのする女性がそばにいて、男性が病身で壮健ではないところも似ているかもしれないが、蘭に見られる被虐的な受け身ではなく、近寄れば破滅が待っているとわかっていても求めずにはいられない。作者狩久がオーバーラップしてくるキャラクター達の、女性を見つめる眼差しには決してもう若くはない男のダンディズムを感じるのである。
ショート・ショートといえそうな掌編の数も多い。 「誕生日の贈物」「十二時間の恋人」「悠子の海水着」「煙草と女」「紙幣束」 「なおみの幸運」「石」(昭和29年版)「記憶の中の女」「クリスマス・プレゼント」 「ゆきずりの女」「十年目」「学者の足」「銀座四丁目午後二時三十分」「白い犬」
ひとつ異色なものが混じっていて、「鉄の扉」という力作。 ヰタ・セクスアリスに目覚めつつあった少年がある日級友によってクラスの面前で辱めを受けて生涯消えそうにない汚点が残り、それが抑えがたき怒りへと変わる瞬間が訪れる。 探偵小説ではない分野でも通用しそうなこのリリカルな底力があったから、 狩久は一味違う〝性愛の世界〟の住人になれたのだ。
(銀) 悪化するコロナの影響なのか5月そして6月と、パッとした探偵小説の新刊も出なさそうだし、近いうちに再び『狩久全集』からいずれかの巻を取り上げてみたい。 次回もエロティック・ミステリー中心で。
横溝正史『雪割草』の項で「杉本一文はどこが好いのかちっともわからん」と書いたが、杉本がこの『全集』に提供したカバー絵は狩久の世界観にこの上なくマッチしており、これなら素直に褒められる。しかしそれも本当は、装幀担当に大貫伸樹を起用してカラーではなく単色デザインに仕上げるなど、きっと全集制作者・佐々木重喜の手腕のおかげに違いない。